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#40-1空を割るものが狂乱するもの
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<リコ>
リコは顔をあげた。
「地震?」
足に伝わる微弱な揺れと、遠くに響く地鳴り。
カザ村の北に近接するグルド山周辺では地震の頻度が高い。
今リコがいる地下の食料庫も非常時におけるシェルターの役割も担っている。加えて魔物の出現率も高いため、カザ村の家屋には地下室があるのは当たり前になっていた。
「今日のは揺れ大きそうだったな。マム大丈夫かな」
お針子の母はカザ村外の出身なので揺れのたびによく騒いでいた。
手早く瓶の豆を皿に乗せて地下の階段を上がる。リビングルームに戻ると母は椅子に座ったまま目を閉じていた。
「マム。寝ちゃったの?」
母の手には刺しかけの刺繍がある。珍しい。日頃「針まわりは危ないから細心の注意をなさい」と口酸っぱく説教するのに針を手に寝てしまうなんて、よほど疲れていたんだろう。
今度説教されたらこれをネタにからかってやろうかな。
ニヤつきながら針道具を遠ざけ、ブランケットを被せてやる。ちらりと見えた刺繍は、白い布地の上で厳かに歯を見せる竜の頭だった。
二階の自室に戻り、窓際の机に豆を盛った皿を置くと、視界の端でキラリと光るものが映った。
「あっ」
すり切れた木張りの床に落ちていたのは、ひとつの釦だった。
窓から差し込む月光に照らされた釦は、きらきらと黄金色に輝いている。
「カザリに渡しそびれていたけど、そもそもここに落っことしてたんだ……」
リコは窓に背中を向けて、床に腰を下ろした。そっと金の釦を手に取る。
手のなかで煌めく金色を眺めながら唇を緩めた。
この釦はカザリと出会うずっと前、冒険者ギルドで裏庭の草むしりの手伝いをしたときに貰った駄賃だった。
登録された冒険者以外にはギルドは金銭での報酬は出せない決まりになっている。その代わり持ち主が現れないギルド内の落とし物箱からひとつ、好きに選んでいいことになっていた。
ガラクタばかりの落とし物箱は、子供のリコにとっては何が出てくるか分からない、おもちゃ箱を思わせた。その中でキラキラと金貨のように輝いていたのが、この釦だ。
ギルドの受付には金色に見えても薄く色を塗ってあるだけで換金しても大した値はつかないと言われていたが、初めて労働の対価を得た記念にはピッタリだと思った。
そうして掴み取った日から、この釦は机の隅っこで誇らしげにリコの自室を彩っていた。
けれど、リコはこの釦をカザリに譲ろうと思っている。
リコとカザリが出会って一年を記念して、というのも理由だが本心は別にあった。
カザ村は安全とは言いがたい。
外からきた冒険者が四六時中うろついているのは勿論、国境の山脈に近接しているためスパイが入り込んだり、戦争の火の手が上がるとすれば、まずこの村なのだ。
門番の父が上手く顔をきかせているため、強盗にナイフを向けられても父親似のリコの顔を見れば「ああ門番の息子か、悪かったよ」と刃先を下ろしてもらえる。
では、これがカザリなら? ナイフは下ろされずに彼を傷つけるだろう。
その時、金色に輝く釦があればどうだろうか。たとえ価値はなくても相手は多かれ少なかれ気をとられるんじゃないだろうか。一瞬の隙をつければ危機から逃れることができる。
大事に大事にとっていたリコの金の釦。でもそれがもしカザリの命を救う時がくるのなら。
そこまで考え、リコは肩を落とした。
「カザリに馬鹿って言っちゃった。明日は謝らないと」
吐息を吐いて、ショックを受けたカザリの表情を思い出す。
割りのいい村案内の仕事を蹴ってドブさらいの仕事を選んだカザリにカッとなって冷たく当たってしまった。
カザリは自分ひとりならあの仕事を請けただろう。でもカザリは同じく魔力を持たない他の仲間の子供たちの安全を選んで、あの仕事を蹴ったのだ。
そのことにどうしようもなくムカッと来て、気づけばあんな暴言を吐いてしまっていた。
今ならわかる。あの時に支配された感情はカザリを思っての怒りじゃない。カザリを独占したいリコのわがままな嫉妬だった。
モヤモヤと胸にかかるものを振り払うように、金色の釦を頭上にかざす。
リコは自分の魔力をカザリに捧げた。どれだけ汚れ、傷つき、泥水をすすろうとも決して諦めず、前を見続ける気高いカザリ。実名がないことで八方塞がりになっている彼の状況を、どうしても何とかしてあげたかった。
だからある日、時々ご飯を食べにくる光る鳥に零したのだ。どれだけ自分の魔力をあげてでも、彼に名前をつけてあげたいと。
結果的に三年分の魔力は失うことになってもリコに後悔はなかった。
でもだからといってカザリに自分を優先して欲しいなどと主張するのは全くの筋違いだ。
「ぼくってイヤなやつだな……」
ぽつりとこぼれた呟きが、静かな部屋に落ちる。
静か……そういえば、今夜はやけに静かだ。いつもなら日が落ちた後も通りで喚く酔っぱらいの大声が聞こえてくるものだけれど――
ふと頭上にかざした金の釦が一瞬、輝きを消した。
あれ? と思う間もなく影が消える。
雲が月の前を通ったのだろうか。でも、それにしては早すぎる。
「気のせい、かな」
そう口にしたところで、背後からカチャカチャと小刻みに音が鳴った。
豆だ。艶の乘った豆が皿の上で擦れあう音だった。
でも、なんで?
――グルルル……
獣の唸り声のような音が聞こえると同時に、部屋に差し込む月光が徐々に遮られる。
淡い光に照らされていた木張りの床には真っ黒な影が映り込んでいた。
楕円形の影は釦ごとリコをすっぽり包み込むほど大きい。
横長の影が、粘度のある水音とともに、ふたつに割れた。割れ目の上下には、びっしりと並ぶ、鋭い歯。
竜。
そうとしか思えないシルエットに、いっそ事切れたくなった。
リコは顔をあげた。
「地震?」
足に伝わる微弱な揺れと、遠くに響く地鳴り。
カザ村の北に近接するグルド山周辺では地震の頻度が高い。
今リコがいる地下の食料庫も非常時におけるシェルターの役割も担っている。加えて魔物の出現率も高いため、カザ村の家屋には地下室があるのは当たり前になっていた。
「今日のは揺れ大きそうだったな。マム大丈夫かな」
お針子の母はカザ村外の出身なので揺れのたびによく騒いでいた。
手早く瓶の豆を皿に乗せて地下の階段を上がる。リビングルームに戻ると母は椅子に座ったまま目を閉じていた。
「マム。寝ちゃったの?」
母の手には刺しかけの刺繍がある。珍しい。日頃「針まわりは危ないから細心の注意をなさい」と口酸っぱく説教するのに針を手に寝てしまうなんて、よほど疲れていたんだろう。
今度説教されたらこれをネタにからかってやろうかな。
ニヤつきながら針道具を遠ざけ、ブランケットを被せてやる。ちらりと見えた刺繍は、白い布地の上で厳かに歯を見せる竜の頭だった。
二階の自室に戻り、窓際の机に豆を盛った皿を置くと、視界の端でキラリと光るものが映った。
「あっ」
すり切れた木張りの床に落ちていたのは、ひとつの釦だった。
窓から差し込む月光に照らされた釦は、きらきらと黄金色に輝いている。
「カザリに渡しそびれていたけど、そもそもここに落っことしてたんだ……」
リコは窓に背中を向けて、床に腰を下ろした。そっと金の釦を手に取る。
手のなかで煌めく金色を眺めながら唇を緩めた。
この釦はカザリと出会うずっと前、冒険者ギルドで裏庭の草むしりの手伝いをしたときに貰った駄賃だった。
登録された冒険者以外にはギルドは金銭での報酬は出せない決まりになっている。その代わり持ち主が現れないギルド内の落とし物箱からひとつ、好きに選んでいいことになっていた。
ガラクタばかりの落とし物箱は、子供のリコにとっては何が出てくるか分からない、おもちゃ箱を思わせた。その中でキラキラと金貨のように輝いていたのが、この釦だ。
ギルドの受付には金色に見えても薄く色を塗ってあるだけで換金しても大した値はつかないと言われていたが、初めて労働の対価を得た記念にはピッタリだと思った。
そうして掴み取った日から、この釦は机の隅っこで誇らしげにリコの自室を彩っていた。
けれど、リコはこの釦をカザリに譲ろうと思っている。
リコとカザリが出会って一年を記念して、というのも理由だが本心は別にあった。
カザ村は安全とは言いがたい。
外からきた冒険者が四六時中うろついているのは勿論、国境の山脈に近接しているためスパイが入り込んだり、戦争の火の手が上がるとすれば、まずこの村なのだ。
門番の父が上手く顔をきかせているため、強盗にナイフを向けられても父親似のリコの顔を見れば「ああ門番の息子か、悪かったよ」と刃先を下ろしてもらえる。
では、これがカザリなら? ナイフは下ろされずに彼を傷つけるだろう。
その時、金色に輝く釦があればどうだろうか。たとえ価値はなくても相手は多かれ少なかれ気をとられるんじゃないだろうか。一瞬の隙をつければ危機から逃れることができる。
大事に大事にとっていたリコの金の釦。でもそれがもしカザリの命を救う時がくるのなら。
そこまで考え、リコは肩を落とした。
「カザリに馬鹿って言っちゃった。明日は謝らないと」
吐息を吐いて、ショックを受けたカザリの表情を思い出す。
割りのいい村案内の仕事を蹴ってドブさらいの仕事を選んだカザリにカッとなって冷たく当たってしまった。
カザリは自分ひとりならあの仕事を請けただろう。でもカザリは同じく魔力を持たない他の仲間の子供たちの安全を選んで、あの仕事を蹴ったのだ。
そのことにどうしようもなくムカッと来て、気づけばあんな暴言を吐いてしまっていた。
今ならわかる。あの時に支配された感情はカザリを思っての怒りじゃない。カザリを独占したいリコのわがままな嫉妬だった。
モヤモヤと胸にかかるものを振り払うように、金色の釦を頭上にかざす。
リコは自分の魔力をカザリに捧げた。どれだけ汚れ、傷つき、泥水をすすろうとも決して諦めず、前を見続ける気高いカザリ。実名がないことで八方塞がりになっている彼の状況を、どうしても何とかしてあげたかった。
だからある日、時々ご飯を食べにくる光る鳥に零したのだ。どれだけ自分の魔力をあげてでも、彼に名前をつけてあげたいと。
結果的に三年分の魔力は失うことになってもリコに後悔はなかった。
でもだからといってカザリに自分を優先して欲しいなどと主張するのは全くの筋違いだ。
「ぼくってイヤなやつだな……」
ぽつりとこぼれた呟きが、静かな部屋に落ちる。
静か……そういえば、今夜はやけに静かだ。いつもなら日が落ちた後も通りで喚く酔っぱらいの大声が聞こえてくるものだけれど――
ふと頭上にかざした金の釦が一瞬、輝きを消した。
あれ? と思う間もなく影が消える。
雲が月の前を通ったのだろうか。でも、それにしては早すぎる。
「気のせい、かな」
そう口にしたところで、背後からカチャカチャと小刻みに音が鳴った。
豆だ。艶の乘った豆が皿の上で擦れあう音だった。
でも、なんで?
――グルルル……
獣の唸り声のような音が聞こえると同時に、部屋に差し込む月光が徐々に遮られる。
淡い光に照らされていた木張りの床には真っ黒な影が映り込んでいた。
楕円形の影は釦ごとリコをすっぽり包み込むほど大きい。
横長の影が、粘度のある水音とともに、ふたつに割れた。割れ目の上下には、びっしりと並ぶ、鋭い歯。
竜。
そうとしか思えないシルエットに、いっそ事切れたくなった。
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