成金竜と金色青年の黄金ライフ ~ドラゴンに転生したので惚れた人形をミュージカルで救います~

すずり

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#27-2恋愛の如何を知りまして

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 近藤くんは電話で席を離れている。
 なかなか戻らないから何らかの足止めを食っているのかもしれない。

 個室はDJブースの真上に位置している。
 一面がマジックミラーで覆われているため、こちらから観客を見下ろせても観客からこちらを視認することはできない。
 首筋に冷たいものが伝うのも構わず、俺は部屋の中央に据えられたソファから逃れるようにして出口へ向かった。しかし歩を進めれば進めるほど、足先から力が抜けていく。
 体感では五十歩以上は歩いた気がするのに実際は五歩程度。
 俺はよろよろと壁に手をつくのが限界だった。

「貴方は覚えてないでしょうけど、私ね。数年前のパーティから貴方のこと狙ってたの」

 腸を殴りつけるような大音量のEDMに紛れて、陶酔に浸った女の声が耳に届く。
 見開いた眼球の裏側がチカチカして壁の凹凸を見ていることしかできない。
 掌から伝わる感触が妙にリアルで、こんな時なのに笑いだしたくなる。いや、こんな時だからなのか。

「でも貴方ったら、粉かけようと思ってプライベートを探ってみても恋愛のれの字も出てこないんだもの。攻めようがなくってね」

 そりゃそうだ。
 俺は俺のキチガイっぷりを認識してから、敢えてそういう意味での深い関係を誰とも築いてこなかった。
 こんな天性キチガイの突然変異遺伝子を残すのは徳のためにも御免だし、今では相棒的な立ち位置となった近藤くんが色々と暴走しかねない。

 何より俺自身が忌避していた。
 ああ、そうとも。クソガキ時代に思っていたさ。
 俺は周りとは違う。
 両親も、弟も、近藤くんも、みんなかけがえのない存在だ。
 けれど決定的な何かが俺とは違っていた。
 その相違は金に出会ったことで解消されたけれど、一部の価値観自体はずっと水底に沈んだまま生き残り、微かに息を潜めて隠れていた。

 それは命がすべて平等だという認識。
 人間、犬猫、昆虫、草花、細菌――すべてが同価値にしか思えなかった。
 一見耳障りのいい言葉だが、そうではない。

 人間一人に対し、細菌ひとつは同価値。
 人の死も、細菌の死も、同価値。
 知人が惨たらしく腹を裂かれて死ぬのも、細菌が薬品で駆逐されるのも同価値。
 人間は虫以下でも虫以上でもない。
 みな須らく同じなのだ。

 だってこの世界に生きる命は全員が全員、同じぐらい頑張って生きているのだから。
 命をカテゴリー分けして尊さをランキング付けるなんて、俺にはできない。
 大きな生物も小さな生物も、知能に関係なくみな一様一律に価値があるべきだ。

 だから数式のように誰かを切り捨てられるし、いざ大事な存在をなくしてもすぐに「仕方ない。次にいこう」と切り替えられる。
 お気に入りの花が枯れてしまっても悲しみはすれど、引きずることはしない。
 新しい花を買えばいい話だから。

 恋愛には対等の関係が求められる。
 でも俺にはどうしても人間という生物を自分と対等には見られなかった。
 虫と恋愛はできないのと同じだ。
 結局のところ、俺は自分以外の全ての生物を同価値、庇護されるに値する矮小な存在と無意識に認識していた。
 可愛いペットを気に掛ける飼い主のように。
 自分もまた人間のくせに、一体どんだけ上から目線なのか。

 これが俺の傲慢。
 竜に転生したことについて、一片たりとも疑問を抱かなかった理由。
 むしろパズルのピースがぴったり嵌ったように、しっくりくる。

 こんなだから有機物に属さず、かつ劣化を知らない金に惹かれた。
 金という完璧な物質を介して、俺は人間性の理解を深める。
 しかし、それでも俺に出来るのは“愛でる”ぐらいまでで“愛する”ことはできない。

 そんな風に考えてしまう自分に心底嫌気が差す。
 こんなもの、まともな人間の思考じゃない。
 ずっと奥底に沈めていたってのに、まさかこんなことで掘り起こされるとは思わなかった。

 だからグラスのワインに入った薬品が強制的に勃起と動悸を促すことについても、不快感しか覚えなかった。
 俺への思いゆえの行動というのはわかる。
 理解もしよう。尊重もしよう。だが、これは頂けない。

 薬のせいとはいえ、こんな生物に欲情してしまう自分が情けない。恥ずかしい。気持ち悪い。
 屈辱の極みだ。

 その一方で、そんな自分を嫌悪する。

 両親は優しい笑顔で言った。
 誰も傷つけない人間になって欲しいと。

 両親の善良な願いによって生まれた自分と、奥底に眠る本来の自分が葛藤の火花を引き起こす。

 ――ガンッと何かを打ちつける音が遠くで聞こえた。

「ひッ!? ちょ、ちょっと……」

 意識が朦朧としていく。
 視界の端に映る青褪めた女の顔は鮮やかなライトの中でも不思議とよく見えた。
 額にじわじわと熱いものが吹き出していくのを感じる。

「俺は、善良な、人間に、なるんだ……」

 ガンッ、ガンッ、とひたすら壁に頭を打ちつけていると、くだらない股間の熱さを忘れられる。
 ブレる視界が真っ赤に染まっていくけれど、その分意識が引き上げられるような気がした。

「誰も、見下さない、誰も、傷つけない……!」

 父さん、母さん、俺は貴方たちの理想になれたかな。
 死んだ父にも胸を張れるような人間になれたかな。

 でも、本当は……心の底から、この女を処分したい。
 腐った花を落として剪定するように、俺の視界から消してしまいたい。
 起きたことは仕方がない。過去は過去だ。
 しかしこれはきっと俺の人生の汚点となる。
 自分で自分に施した完璧な洗脳が、綻んでしまった。崩れてしまった。漏れ出てしまった。
 折角クソガキキチガイ野郎から金キチ野郎になってマイルドになったってのに、たった一度で逆戻りか。思い出さなくていいことを思い出してしまったせいで。
 これじゃあ、あんまりだ。
 ずっと続けてきた努力も、変わることができた喜びも、両親の努力も、近藤くんの献身も、この女の我儘のせいで全部がおじゃんになってしまうのか。

 だったら……こんな屈辱を俺に味あわせたことを、後悔させてやりたい。

「な、なによ。嘘でしょう。まさか副作用? でもそんな強い薬じゃ……もう、どうなってんのよッ!」

 このヒスりだした女に、錆びたナイフで意識のあるまま胸を切開してから穴に手を突っ込んで心臓を引きずり出し、その心臓を口にぶち込んでやりたい。
 お前の臓物はどんな味だったか感想を聞いてやりたい。
 肉という肉を細切れにしてミキサーにかけて、骨も全て粉にしてすり潰して、最後に汚物と一緒に公衆便所に流してやれば痛快じゃないか。
 俺にはすべての工程を平常心のまま完遂できる自信がある。

 いや駄目だ。
 それはまったくもって人道的じゃない。
 なんのために今の今まで頑張ってきたんだ。
 薬物なんぞで偶然引き出された一過性の衝動のために、全てを捨て去る気か。

 今の俺という人間は、さまざまな出会いによって作られている。
 善良な父さん、母さん。
 正義の心を持って逝去した実の父。
 こんな俺でも慕ってくれる弟。
 ずっと支えてくれた近藤くん。
 金キチな俺にも笑ってくれる友人たち。
 旅先で出会った人々の笑顔。
 辛い時もついてきてくれる社員。

 きっと色んな奇跡によって今が成り立っている。
 もし両親が善良じゃなければ。
 もし没した父が正義漢ではなく悪人で、遺伝子のせいではないという証明がなければ。
 もし俺の異常性を気づかせてくれた弟がいなければ。
 もし心から接して導いてくれる近藤くんと出会わなければ。
 結果は違っていただろう。

 途方もない数の人たちのと関わり合いのお陰で、俺は今の俺になれている。
 彼らとの出会いを台無しにするような真似はしたくない。

 俺ならできる。
 抑え込める。
 抑え込んでみせる。
 善良な人間。
 優しい人間。
 俺は、誰も傷つけない人間に――!

「デルタ」

 涼やかな声が聞こえたと同時に、喚き続ける女の眉間に刃が突き刺さった。

「あ……」

 ひしゃげた女の顔面を貫通する純白の切っ先を辿っていくと、現代的なナイトクラブの中で優雅に揺れるファンタジーな白装束が目に入った。
 骨の剣を握ったブロンドの美青年は、女に突き刺した刃先を勢いのままに一閃する。

 切り口からは出たのは血飛沫ではない。
 葡萄の匂いがやたらする紫色の煙だ。

 そうだった。
 俺は【賭しきもの】の嫌がらせ劇場を受けていたんだ。
 途中から思考が完全に過去の俺と同化していた。

 頭の隅ではそんなことを考えていたが、しかし俺はそれ以上に、目の前の光景に愕然としていた。

 殺したくてたまらなかった女社長は、現実には近藤くんが凄まじい形相で部屋に押し入ったことで実際に殺されることはなく。
 彼女は反省して、俺に謝罪と俺に有利な商談を成立させ、平和的にことを収めた。
 その後に近藤くんが裏で何かしていたようだが、その詳細は俺の預かり知るところではない。

 だから今カリスがブッ刺したこの光景は過去になかった結末で、むしろ奨励されるべき結果ではなかった。どう見ても倫理的にアウトすぎる。
 だというのに、なんというか。
 胸にわだかまっていた暗雲が一瞬にして晴れたようにスカッとしていた。
 人生史上、最高度の爽快感を覚えている自分に困惑する。
 善良な人間として一番やってはいけないことを、なんてことないような顔でサラッと代行してしまったカリスに、俺は言いようのない気持ちが沸き上がった。

 だけど愕然としたのはそのことだけじゃない。

 きらきらとした一対の黄金の瞳。
 何よりも美しいはずの金が、黄金が、今はまるで飛び込んでこない。

 ブロンドを靡かせる氷のように冷たいカリスの横顔こそが、俺の意識の全てを奪っていた。
 
 人は窮地を救われると恋に落ちやすくなるという。
 なるほど。
 俺もちゃんと人らしくなっていたらしい。

「はは……」

 鷲掴みされたような胸の疼痛に、なんだか泣き笑いでもしたい気分だった。
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