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#11血を知りまして

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 眼窩から飛散する液体。
 片目どころか頭半分を突き破る勢いの激痛。

 遠くで天井が割れそうな騒音が聞こえたかと思えば、俺の咆哮だった。言葉にならない竜の絶叫が洞窟内を駆け巡る。

 あんぎゃあクソったれ痛ェ――ッ!
 痛いけど、いや本当に痛いけど、でも今はそれどころじゃな~いッ。

 残った右目をカッと開く。
 もはや一分一秒ミリ秒ピコ秒プランク時間、無駄にしてはならない。

 左目を対価にしたのだ。もう絶対に無駄にはできない。
 迅速に、かつ十二分に金を愛でなければ!

 眼球に刺さった骨剣の異物感はこの際、放置。
 俺は骨剣を目に刺し込んだことによって至近距離まで迫った変態男をすかさず両手で掴んだ。

 竜の手に掴まれ身動きのとれない変態男は、骨剣を俺の左目に刺した体勢のまま固まっている。
 避けたり防いだりするどころか自ら頭を突っ込んで刺されに来きたのだから、さぞかし驚いただろう。

 実に好都合。手の内で大人しくしているなら心ゆくまで男の金眼を堪能できるというものだ。

 その為ならあれだけ触りたくなかった変態の体もなんのその。男の股間あたりに触れた妙な柔らかさなぞもう知ったことか。
 心の中でも現実でも血涙を流しているが、背に腹はかえられない。変態に金はかえられない。

 さあ愛でに愛でてやろうではないか。
 超・超・貴重な、真の金眼とやらを――!

 今、未知なる金が俺の目の前に……――

「って俺の鼻、長ッ……遠ッ。見えづらいわ!」

 なんということだ。変態男は人間。俺は竜。サイズがまるで違う。
 目と鼻の先なんて言ったが俺の鰐(わに)のような頭部では目と鼻の先の距離が遠すぎる。

 どれだけ顔を近づけても男の金眼を存分に愛でる位置にまで辿りつけないのだ。

 なら顔を横に向けて見ればいいじゃない、と右目を近づけるも、今度は右角につけた金木犀のピアスが視界の邪魔をする。俺の角は横に広がり曲がりくねった形状をしているので、そこにピアスをつけていると右のすぐ近くが微妙に死角になってしまうのだ。

 まさか【美しきもの】のプレゼントがこんな障害になろうとは。
 しゃらしゃらと軽やかな音色を奏でて踊る金の草花は視界に刺さるほど目の保養だが、今の目当てははその先の金なのだ。

 こうなったら竜気でピアスをたくし上げるしかない。
 はやる気持ちを血管が切れそうな思いで竜気を練り上げる。

 結局、竜気を練らなきゃならんとは! とは思うものの、後悔はない。
 俺の矜持は守られたのだ。これから二十四時間三百六十五日、俺は胸を張れる金キチ野郎でいられるのだから何を後悔することがあるのか。

 黄金の金木犀を愛でながら体内で竜気を練り上げる刹那、その時間も惜しみ、ついぐいぐいと男に迫ってしまう。

 ――ガーッ! 遠いッ!

 血反吐を吐く勢いで、もどかしい。

 ――速く……もっと近く!

 苛々が頂点に達しそうなその時。じわじわと男との距離が縮まっていく。
 どうなっているのかよくわからないが、この際なんでもいい。今は金を愛でることが最優先だ。

 ――もっと速く、もっと近く、近く、速く……!

 突如、ずるりと俺の体勢が崩れる。
 男の金眼を愛でようとしすぎて金貨の山の上でバランスを崩したのかもしれない。

 まずい。

 洞窟内は山のような金貨で埋め尽くされているが、死霊(アンデッド)の皆が俺の傍まで近づけるよう、足の踏み場をつくっている。
 積み上げられた金貨の山間の谷間を縫うように地面が剥き出しになっているため、金貨の上に乗り上げた馬鹿デカい俺の手から落ちてしまえば当然、ただじゃ済まないだろう。

 緩やかに傾いていく視界の中、無我夢中で変態男を抱え込む。

 冗談じゃない。
 俺を殺しに来た変態とはいえ、死なせてたまるか。

 奴が俺の手から落下して死ぬということは俺が殺生に関与するということ。
 殺生に関与するということは。

「俺の徳が吹っ飛ぶだろうがぁ――ッ!」

 腹の底から迸った怒声と同時に、打ちつけた衝撃が背中を走った。

 波しぶきのように打ちあがった金貨が、きらきらとさざめいて黄金の雨を降らせる。
 宙に舞う金貨をほうと愛でながら、手中の男が無傷であることを切に祈った。

 俺には野望があるのだ。
 前世から続く、到達点。金を愛でる者の極地。
 それは徳を積まなければ絶対に辿りつけないのだ。
 だから俺の手の内で死なれるのは困る。絶対に困る――

「って、あだだだだ」

 舞い上がったのち重力に従い落ちてきた金貨が顔面直撃。
 痛い。地味になんてもんじゃなく素直に痛い。川で犬神家した時より痛いとは、金属の硬度、侮りがたし。
 背中から落ちた衝撃と振ってきた金貨という痛みのサンドイッチに仰向けで寝転がった状態のまま呻く。

 だがまあ肝心の変態男は無事なはずなので良しとしよう。
 抱え込んだ俺の手が守っているので大丈夫……だいじょ…………あ?

 さわさわと触れるものの感触を確かめる。
 まっ平ですべすべ。きめ細かでしっとり。これいかに。さっきまで柔らかいフィギュアでも握っている感覚だったというのに随分な変わりようではないか。

 ふと視界が影っているのに気づき、見上げ――息を呑んだ。

 これ以上ないほどの至近距離で、男が見下ろしていた。
 近い。今どういう姿勢でいるのか分からないが、キスすれすれの近さじゃなかろうか。

「おっ……おおう……」

 これは。
 予想以上に。
 すごい。

 いちいち区切っちゃう位すごい。
 果てしなく削られた語彙力を認識する隙もなく、吸い寄せられる。

 影に包まれた中、燦然と光を灯す、一対の金色に。

 ブロンドの睫毛を額縁にした黄金の瞳。涙の膜を張っているが透き通ることはなく、砂金を敷き詰めたように重厚だ。
 瞳の中枢には深すぎず、浅すぎないホワイトゴールドの満月が昇っている。周りの金貨から放たれる光を悉く跳ね返すその瞳孔は、高貴な輝きで煌めいていた。
 満月を放射状に囲む同色の虹彩は、まるで散りばめられた星のよう。少し角度を変えるだけでチラチラと表情を変えるプリズムのような輝きがひとつひとつ十字に放ち、自然と目が釘付けになる。

 一対の眼の中で、黄金造りの世界が広がっていた。砂金でできた砂漠を掻き分け、満月と星々が微笑む、何もかもが静謐で豪奢な世界。

「綺麗だ……」

 うっとりとした吐息と共にそんな感想が零れたのは必然だった。
 体中の細胞に陶酔と悦びが満ち満ちていく。これほど瑞々しい金には出会ったことがない。
 充足感に支配される反面、その瑞々しさに心底勿体ないと歯噛みした。

 なぜ有機物なのか。
 金は半永久的に腐らない。例え人類が死に絶えても金はその美しさを保ったまま未来永劫あり続ける。切っても、熱しても、砕いても、金は金のままだ。

 しかし眼球という有機物では、いずれ腐ってしまう。長く持ってもせいぜい百年前後。どんなにケアをしようが美しくとも生きている限り、寿命が来ればいずれ腐り落ちる。

 前世でもキンメダイの金眼をなんとか美しさをそのままに手元に残せないかとホルマリン漬けに精を出していたこともあったが、結果は芳しくなかった。
 それが人の目玉ならば言わずもがな。

 この後世に語り継がれるべき圧倒的な美が期限付きとは、これはもはや罪ではないだろうか。それとも美しさを対価にしたデメリットか。
 この世の原理がいかに残酷かを痛感する。

 ぎりぎりと口惜しさに歯ぎしりしていると、男の唇が僅かに震えるのを視界の端で捉えた。
 つられるように男の顔立ちを品定めしてみれば、この男、なかなかに小綺麗な面構えをしているではないか。

 美の権化たる金眼は勿論、全てのパーツが上品に整っている。甘ったるさとは無縁の西洋的な清涼さ。男のブロンドも相まって、見ていると教会の聖歌でも聞こえてきそうなほどだ。
 かといって弱弱しい印象はなく、すっと通った目鼻立ちには我の強さすら垣間見える。
 カルバンなんちゃらのモデルでも余裕で務まりそうな美青年だった。

 ――でも全裸の変態なんだよなぁ……

 こんな美麗な金眼の美青年なのに残念な奴……と溜息を噛み殺しながら黄金の世界を愛でていると、不意に違和感が走る。

 二つの瞳には何か黒っぽいものが映っていた。

 毎日ブラシを通すのが面倒な黒髪の天然パーマ。
 変態男とは真逆の甘ったるく濃い顔立ち。
 海外に行けばアジアでもヨーロッパでも「あっ、現地の方ですか?」と声を掛けられるハーフ顔。

 瞳の色が深紅という違いはあるものの、毎日嫌になるくらい鏡で見た顔が、そこにあった。

 眼前の水分をたっぷり含んだ薄桃色の唇がゆるやかに開いていく。

「問う。お前は竜か、人間か。どちらだ」

 変態男の問い掛けを遠いところで聞きながら、俺は自分が人の形をとっているよりももっと重大なことに気を取られていた。

 黄金の瞳に映る俺の左目からは、だらだらと血が流れている。
 その血の色は赤ではない。銀だ。
 傷ついた俺の左目からは銀色の血液が溢れだしていた。

 ――やばい。厭な予感がする。
 いやでもまさか。まさかだよな……

 違っていてくれと願いながら恐る恐る頬に触れる。
 銀色の液体は指先に触れると、するりと皮膚を弾いて地面に落下した。スライムのような弾力で転がっていく銀色の血液。剥き出しの地面にはかなりの量の水たまりができていて、ギラギラと鈍い光を放ちながら存在感を放っていた。

 寒気を覚えながら地に散らばった金貨を一枚手に取り、水たまりの上に落とす。

 金貨は、浮いた。

 突如、背筋が凍りつく。
 怒声と男の鼻と口をふさいだのは同時だった。

『息を吸うなッ!!』

 ――竜の血液これは、水銀だ。
 
 直後、洞窟の天上に穴が開いた。
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