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#5騎士団の人形

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<カリス>


 静かにナイフを差し込んだ。二つに割れた人参のソテーを見下ろす。近くにある片方をフォークで刺し、口に放り込んだ。無味無臭の物体を顎を使って咀嚼し、無感動に嚥下する。

 また一歩、死から遠ざかった。

 眼球を下に動かせば、人参のソテーはまだ片方を残している。食事は終えなければならない。食事を終えるには、この一連の動作を続けなければならない。なのでフォークを持たねばならない。
 
 外で強風に煽られ揺れる、木の音。赤い窓を叩く、雨粒の音。足元ですすり泣く、子供の音。
 それらを漠然と聞きながらカリスは食事を続けた。

「ど……どうして……」

 眼球を足元に滑らせる。
 小刻みに震える子供の両目からは涙が溢れ、その途中で頬の血と混ざり合い、赤く染まった液体は顎を伝って、小さな両腕が抱えたものに落ちた。

「どうして……僕を殺さないの。お父さま以外誰も僕のこと知らなかったけど……僕、この人の息子なんだよ。殺さなきゃいけないんじゃないの。こっ、殺して……いいんだよ……」

 カリスは眼球を皿に戻して食事を続ける。

 具体的な質問に答える義務はない。
 自身以上の身分には「はい」「なるほど」「了解しました」、自身以下の身分には「ああ」「そうか」「分かった」、それ以外は沈黙。それで物事は勝手に動いていく。

 騎士団長の命令は「屋敷内の領主・侍従・侍女・下男すべての掃討」だったので「領主の息子」は目標の対象に入っていない。なのでこの子供を殺す義務はない。そしてそのことを伝える義務もなかった。

「お父さま……」

 動かなくなった領主の体に、シャツを引っかけただけで裸同然の小さな体が覆いかぶさる。子供の白い股から血液ではない、白濁した液体が流れているのを見ながら、最後のソテーを喉に通した。

 太腿に乗せていたナプキンを手に取り、口許を拭って立ち上がる。これで領主の「夕食を食べていけ」という命令は完遂した。

 瞬間、稲光が贅を尽くした食堂を照らし出す。
 事切れた男女の遺体が絨毯の上に散らばっていた。無数の遺体は廊下まで及び、台所、客間、応接間、庭先、倉庫、便所に至るまで。動きを止めた侍従や侍女、下男達をゆらゆらと揺れる蝋燭の灯火だけが見つめていた。

 稲光に遅れて雷の轟きが追いかける。
 涙に濡れた子供の両目が、逆光で佇む幽鬼のようなカリスを見止めた。暗がりの中、表情さえ見えないカリスはほぼ漆黒に包まれている。

 ただ、何の感情も浮かばない瞳だけが、金色に輝いていた。



 
「よくやった」

 事後処理を他の騎士に任せて詰所に帰り着くと、団長がカリスの肩を掴んだ。
 上司の誉め言葉も労りもカリスの行動に何の影響も及ぼさないことを団長は知っている。それでも言うのは周りに示しをつける為だ。

 他の騎士は知らないが、少なくともカリスは今回の命令に至った経緯を何も聞かされていない。団長がやれと言ったからやった。それだけだ。何の疑問も抱きはしないし、もし疑問を持てるような人間性があればカリスはこの場にいない。

「今回は返り血すら浴びていないな。いつもやり合う魔物とは違って簡単すぎたか?」
「はい」
「躊躇いもなしか。相変わらずの人形だな、お前」
「はい」

 いつも通りの回答に、団長は鼻白みながらも口角を歪ませた。

「……まあいい。その綺麗な顔が汚れなかったのは幸いだ」

 団長の節くれ立った人差し指がカリスの頬をゆっくりと撫でる。

「俺はまだ事後処理と報告が残っている。先に部屋で待っていろ。気が向いたら二、三人連れて行く。準備は丹念にしておけよ」

 指先は頬を過ぎ去り、項を撫で上げる。カリスの指通りのいい金髪がふわりと舞った。
 舌なめずりする団長のギラついた目が蛇のようにカリスの全身を這いまわる。

 それでもカリスの表情筋はピクリともしない。

 他の騎士ならば即刻拒否するであろう命令だとは人形と称されるカリスでも分かっていた。しかし他にやることもない。

 身寄りのないお前を騎士団が拾ってやったのだから感謝しろ、とカリスは当時の団長に抱かれながら命令されていた。感謝というものは未だに理解できないが、ただこの体が朽ち果てるよりは消費する方が遥かに有効なのだろうと認識する。

 幼少のカリスはある一時から、人間ではない何かになってしまった。ただ生きているから続けている人形の命。
 自ら投げ出したこととはいえ、ここ二十年、何も感じない生はカリスに生きる意味を失わせていた。

 カリスは騎士団に欲望の捌け口にされても何の感慨も湧かない。触れられても快感を得ることはない。どれほど揺さぶられても、嬲られても、ぶたれても、声を上げることすらしない。
 カリスの内側は常にがらんとした空洞で、外側の分厚い殻がどこか遠くで響いていた。

 ただ、抱かれている時だけ、男の肩越しに揺れる天井を見ながら考えることがある。

 こうして人の体温を迎え入れていれば、いつか悲しみや苦しみが生まれるのだろうか。快感に咽ぶことが出来るようになるだろうか。
 自分以外の人間と同調できる何かを、一片でも取り戻せるのだろうか。

 最早そんな自問自答だけがカリスに残された最後の、且つちっぽけな人間性だった。

 有り余る欲望を垂れ流す団長の目を透明な眼差しで見つめ返す。
 唯一自身の人間らしい断片に触れる為、いつも通りカリスは唇を開いた。

「了解しました」
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