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ベルの世界
#3
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『と言っても、転生して暫くは何も覚えてなかったんですけどね。ただ毎年、悲しそうに見上げてくるあの子の顔を見るようになって、段々と思い出してきたんです。あの年齢で一人にしてしまったことへの心残りも。ずっと私の死を引きずっているようでしたから、なんとか乗り越えてくれて良かった』
「その子を作ったのも理由があるのかね?」
ジンジャーブレッドマンのオーナメントを指差したサンタに天使は万感を込めて頷いた。
『ほとんど私のエゴですよ。私が死に至る寸前、最後に考えたことがそれだったんです』
薄れゆく意識の中、遠ざかる息子の泣き叫ぶ声を聞きながら思った。
――ああ、帰ったらいつものクッキーを焼いてやる予定だったのに、と。
『あの子はクリスマスが大好きだったのに、私の死で最悪なイベントにしてしまった。力があるのならば振り絞ってでも、あの子にあの頃の気持ちを返してあげたかった……途中で何度もバテてしまいましたけど』
「仕方ないことじゃよ。世界を作るというのは通常、創世神が成すもの。あれだけの数を作り出せたのは愛の成せる業じゃの」
天使は微笑んだまま、前世での我が子に想いを馳せた。
雪雄はやんちゃで芯のある子だが、昔から可愛らしいものに滅法弱かった。銃の水鉄砲より、ふわふわな羊の人形を欲しがるような子だ。
けれどやはり男の子な面もあり、くるみ割り人形の絵本を読んでやると主人公クララが旅立つお菓子の世界よりも前半で王ネズミを倒す場面の方を気に入り、よくその章だけ何度も読まされたものだった。
『……きっとあなたが同行すれば指の一振りで終わらせられたのでしょうね。あの子のしがらみも……』
「ホッホッホ。ワシはサンタクロースじゃぞ。子供たちにプレゼントを贈るのが仕事じゃよ」
そう言うとサンタは、ごそごそと懐から古風な紙を取り出し、天使にそれを手渡した。
天使には大きすぎるサイズの紙に手間取りながらも、なんとか広げてみせる。そこには地域で一番良い子である、あの女の子が心から願う内容がしたためられていた。
『サンタクロースさんへ。せいBLを見せて下さい……?』
「それはな、なまBLと読むんじゃ」
『ああ、生ですね。生のベーコンレタストマトサンド…ではないですね、Tがないですし。これ、なんなんですか?』
「ホッホッホ。まあの、知らんなら知らんで良いのじゃよ」
『はあ』
「それに君の作った世界にワシは入れんよ。あの子への愛が詰まった世界にはの。実を言うとな、ワシも入ってみたかったんじゃぞ? 中々に見ごたえのある世界じゃ」
その言葉に、天使は苦笑した。
『喜んで……と言いたいところですが、そろそろ時間切れのようです』
視線を落とせば、天使の腹部はすでに陶器に変わっている。
「ワシの力を貸そうかの?」
『ふふ。このツリー、今年が最後なんです。去年のボヤ騒ぎで、やっぱり白熱灯と陶器は危険だと判断されたようでして。今年設営したスタッフが、来年からはデザインを一新してLEDをふんだんに使用したツリーになると話していました。世界を作るにはもう時間がありませんし、力をお借りしたところで廃棄されることに変わりありません』
「ふむ。ワシのキャビンに来るかね? このツリーを丸ごと納める余裕くらいあるぞい」
『……いえ、これでいいのです。あの子はもう前を向いて歩いて行ける。私は満足です』
天使の眼下では、止まった時間の中で金色の光に包まれた雪雄と一星が手を繋いで隣り合っている。
毎年、中庭で一途に雪雄を見つめていた少年は、すっかり大人になっていた。
年上には無意識下で相手に合わせてしまう雪雄には、少し粗野でも正面から雪雄を見つめて本音を引きずり出す彼の方がお似合いだ。
最初に彼までツリーの中に入ってしまったのは計算外だったが、結果的に彼らの絆を育むことになった。
前世での可愛い息子が男の恋人を連れてきて仰天しなかったと言えば嘘になる。しかも大して幸せそうに見えないのなら尚更だ。年上の男と寄り添う雪雄の顔には、どこか追い立てられるような焦りが見えた。連れてくる恋人は、遊びの延長で付き合うような輩ばかり。
ならば物陰からずっと懸想しているあの少年とくっついた方が、よほど幸せになれるだろうに。
そんな歯痒い思いを抱いていたのだが、まさかこんな形で収まるとは思わなかった。
もし自分が死なず雪雄の父として生き続けていれば、仮に彼を連れて来られても“息子をたぶらかすな”と怒って追い出しただけだっただろう。
けれど今となっては、そんな気持ちはひとつも湧いてこない。女性の身になったから、というのも理由の一つかもしれない。
けれど、何より。
「君がただのモノに返れば、あの子たちのここでの記憶も少しずつ消えていくじゃろう。ただツリーの下で惹かれ合ったという体で記憶が定着するはずじゃ。君はそれでもいいのかね?」
『忘れられてしまうのは少し寂しいですけれど……でも』
身体が動かなくなってしまう前に、天使は夜空に祈りを捧げた。
何を祈るかは明白だ。一度だけ、眼下を見やり、そして顔を上げる。
手を繋ぎ、向かい合う雪雄たちの姿。イルミネーションの煌めきに包まれ、聖歌隊の歌声が彼らの生きる夜空に広がっていく。
もう、それで十分だった。
『男は父親を越えていくものですから』
降り出した淡雪が水滴となって陶器の頬を伝った。
全てを見届けたサンタクロースは赤い帽子をかぶり直し、そして微笑みを湛える。
「さぁて、仕事はまだまだこれからじゃの」
ぽよんと膨らんだ腹を揺らし、宙を蹴った。高い位置に待たせていたソリに飛び乗り、星空を駆け抜ける。
数多の祈りが満ちる聖夜。
眼下に広がる街は、人々の営みで眩く光り輝いていた。
「その子を作ったのも理由があるのかね?」
ジンジャーブレッドマンのオーナメントを指差したサンタに天使は万感を込めて頷いた。
『ほとんど私のエゴですよ。私が死に至る寸前、最後に考えたことがそれだったんです』
薄れゆく意識の中、遠ざかる息子の泣き叫ぶ声を聞きながら思った。
――ああ、帰ったらいつものクッキーを焼いてやる予定だったのに、と。
『あの子はクリスマスが大好きだったのに、私の死で最悪なイベントにしてしまった。力があるのならば振り絞ってでも、あの子にあの頃の気持ちを返してあげたかった……途中で何度もバテてしまいましたけど』
「仕方ないことじゃよ。世界を作るというのは通常、創世神が成すもの。あれだけの数を作り出せたのは愛の成せる業じゃの」
天使は微笑んだまま、前世での我が子に想いを馳せた。
雪雄はやんちゃで芯のある子だが、昔から可愛らしいものに滅法弱かった。銃の水鉄砲より、ふわふわな羊の人形を欲しがるような子だ。
けれどやはり男の子な面もあり、くるみ割り人形の絵本を読んでやると主人公クララが旅立つお菓子の世界よりも前半で王ネズミを倒す場面の方を気に入り、よくその章だけ何度も読まされたものだった。
『……きっとあなたが同行すれば指の一振りで終わらせられたのでしょうね。あの子のしがらみも……』
「ホッホッホ。ワシはサンタクロースじゃぞ。子供たちにプレゼントを贈るのが仕事じゃよ」
そう言うとサンタは、ごそごそと懐から古風な紙を取り出し、天使にそれを手渡した。
天使には大きすぎるサイズの紙に手間取りながらも、なんとか広げてみせる。そこには地域で一番良い子である、あの女の子が心から願う内容がしたためられていた。
『サンタクロースさんへ。せいBLを見せて下さい……?』
「それはな、なまBLと読むんじゃ」
『ああ、生ですね。生のベーコンレタストマトサンド…ではないですね、Tがないですし。これ、なんなんですか?』
「ホッホッホ。まあの、知らんなら知らんで良いのじゃよ」
『はあ』
「それに君の作った世界にワシは入れんよ。あの子への愛が詰まった世界にはの。実を言うとな、ワシも入ってみたかったんじゃぞ? 中々に見ごたえのある世界じゃ」
その言葉に、天使は苦笑した。
『喜んで……と言いたいところですが、そろそろ時間切れのようです』
視線を落とせば、天使の腹部はすでに陶器に変わっている。
「ワシの力を貸そうかの?」
『ふふ。このツリー、今年が最後なんです。去年のボヤ騒ぎで、やっぱり白熱灯と陶器は危険だと判断されたようでして。今年設営したスタッフが、来年からはデザインを一新してLEDをふんだんに使用したツリーになると話していました。世界を作るにはもう時間がありませんし、力をお借りしたところで廃棄されることに変わりありません』
「ふむ。ワシのキャビンに来るかね? このツリーを丸ごと納める余裕くらいあるぞい」
『……いえ、これでいいのです。あの子はもう前を向いて歩いて行ける。私は満足です』
天使の眼下では、止まった時間の中で金色の光に包まれた雪雄と一星が手を繋いで隣り合っている。
毎年、中庭で一途に雪雄を見つめていた少年は、すっかり大人になっていた。
年上には無意識下で相手に合わせてしまう雪雄には、少し粗野でも正面から雪雄を見つめて本音を引きずり出す彼の方がお似合いだ。
最初に彼までツリーの中に入ってしまったのは計算外だったが、結果的に彼らの絆を育むことになった。
前世での可愛い息子が男の恋人を連れてきて仰天しなかったと言えば嘘になる。しかも大して幸せそうに見えないのなら尚更だ。年上の男と寄り添う雪雄の顔には、どこか追い立てられるような焦りが見えた。連れてくる恋人は、遊びの延長で付き合うような輩ばかり。
ならば物陰からずっと懸想しているあの少年とくっついた方が、よほど幸せになれるだろうに。
そんな歯痒い思いを抱いていたのだが、まさかこんな形で収まるとは思わなかった。
もし自分が死なず雪雄の父として生き続けていれば、仮に彼を連れて来られても“息子をたぶらかすな”と怒って追い出しただけだっただろう。
けれど今となっては、そんな気持ちはひとつも湧いてこない。女性の身になったから、というのも理由の一つかもしれない。
けれど、何より。
「君がただのモノに返れば、あの子たちのここでの記憶も少しずつ消えていくじゃろう。ただツリーの下で惹かれ合ったという体で記憶が定着するはずじゃ。君はそれでもいいのかね?」
『忘れられてしまうのは少し寂しいですけれど……でも』
身体が動かなくなってしまう前に、天使は夜空に祈りを捧げた。
何を祈るかは明白だ。一度だけ、眼下を見やり、そして顔を上げる。
手を繋ぎ、向かい合う雪雄たちの姿。イルミネーションの煌めきに包まれ、聖歌隊の歌声が彼らの生きる夜空に広がっていく。
もう、それで十分だった。
『男は父親を越えていくものですから』
降り出した淡雪が水滴となって陶器の頬を伝った。
全てを見届けたサンタクロースは赤い帽子をかぶり直し、そして微笑みを湛える。
「さぁて、仕事はまだまだこれからじゃの」
ぽよんと膨らんだ腹を揺らし、宙を蹴った。高い位置に待たせていたソリに飛び乗り、星空を駆け抜ける。
数多の祈りが満ちる聖夜。
眼下に広がる街は、人々の営みで眩く光り輝いていた。
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