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ボールの世界
#2
しおりを挟む体を床に打ちつけ落下したネズミたちは目を白黒させて逃げていく。他のネズミも忌々しげにこちらを見上げた後、自らもプレゼントやツリーをかじりに行った。
とりあえずの安全地帯を見つけ、ホッと胸を撫でおろす。
「助かったよ、ありがとう」
「お兄さんたち、悪い人じゃなさそうだったから。私クララ。よろしくね」
中腰になった雪雄のスニーカーの上に乗り、ネグリジェの裾をつまみあげてカーテシーを披露するクララに、雪雄と一星も挨拶をして名乗った。
聞けば、クララは寝室で眠っていたところ物音がしてリビングにあるツリーの様子を見に来たらしい。ツリーを見上げると同時に急激に体が縮み、そこにネズミたちが現れた。見つからないよう、こっそりこのチェストに上り、今に至る。
雪雄と一星は無言で顔を見合わせ、頷き合った。何をどう考えても「くるみ割り人形」の筋書きそのままだ。
もう突っ込まん。突っ込まんぞ。
クララにもこちらの事情を説明すると面白がって耳を傾けてくれた。
「じゃあ貴方たちはあの天使を捕まえたいのね」
クララの示した先にいる王ネズミを見た。ずんぐりした巨体は四足歩行による大仰な足並みでツリーに歩み寄り、しかめっ面で周りのネズミたちに指示を出している。
王冠の内側には相変わらず天使が寝ていた。もはや王冠がゆりかごに見えてくる。
羊の時はさっさと起きて逃げて行ったくせに、ずいぶんなディープスリーパーっぷりだった。
「お互い協力しましょ。このままじゃ明日のクリスマスが台無しだわ。クリスマスの朝は眠気眼でプレゼントを開いてから思いっきり奇声を上げるのが醍醐味なのよ」
風船のように頬を膨らませるクララに、そういうものなのかと一星が神妙に相槌を打った。
なんか思ってるクララのイメージと違えな……と内心複雑でいると、開いた緞帳の向こう側から高らかなラッパの音が突き抜ける。
歌うように抑揚をつけた高音と共に雪崩れ込んできたのは、やっぱりというかなんというか。
「おもちゃの兵隊だわ!」
兵隊帽の緞帳が開いたのだろう。
赤と黒を基調にした制服に身を包み、バケツを縦に伸ばしたような兵隊帽を被った兵隊たちは全て木製でできていた。キャンドルに照らされると、そのつるりとした質感が上からで見てとれる。
組織立った兵士たちは声を張り上げ剣を振り回し、有象無象のネズミどもを追いまわし始めた。
しかし数はネズミが圧倒している。おまけに木製だから端からかじられまくって、むしろ形勢は不利だ。おかげで絨毯の上は木くずと歯が飛び交う大混戦になった。
「あ、駄目っ」
クララが悲壮な眼差しで見つめる先は王ネズミと対峙する兵隊だった。
他の兵士と違い二回りほど大きく、巨体の大ネズミと並んでも引けを取らない。口の端から顎に向かってまっすぐ切れ込みの入った人形は勇ましく剣を振るい立ち向かっていた。
何度もやり合った後なのかその体は傷だらけになっている。
「ドロッセルマイヤーのおじさまから頂いた私のくるみ割り人形だわ……助けないと!」
縋るように見上げられた雪雄は、渋い顔で唸った。
くるみ割り人形の筋書き通りなら、この後クララが王ネズミにスリッパをぶつけて隙を作り、その間にくるみ割り人形が止めを差す流れだ。
しかしこのネズミと人形による危険な大混戦状態で、小さな女の子にさあ行って来いとはとてもじゃないが言えない。
「ユキ」
「……ブレッドは?」
「怖がってポケットに引きこもってる。だから大丈夫だ」
「しょうがねえな」
大丈夫だ、の声音がずいぶん頼もしげに聞こえ、自然と口角が上がった。
何も言わず差し出された一星の手の平をパン! と叩く。気合いは入った。
「手を繋ぐ意味だったんだが」
「えっ! なんかごめん」
「仲良しさんねえ」
少し作戦会議した後クララに意図を伝え、雪雄の両手に乗ってもらう。皮膚にスリッパの底とネグリジェが擦れてくすぐったい。
「いくぞ」
「クララ、大丈夫か?」
「準備万端、いつでも良いわ。よくも私のくるみ割り人形を傷つけてくれたわね。やっつけてやるんだから!」
スリッパの片方を握りしめて殺気立つクララに雪雄は苦笑いを零した。
一星がチェスト蹴り上げ、スタートを切る。
「兵隊たち、後退しろ! 王までの道を作れ!」
雪雄の声がけで兵隊たちは一斉に動き出した。
一星が着地と同時にネズミたちを蹴り上げて挑発する。怒ったネズミは一星にターゲットを絞った。
「こっちに来い!」
一星が駆けだすとその後をネズミの大群が追いかける。他に散らばったネズミたちには生き残りの兵隊たちが挑みかかっていった。
王ネズミはくるみ割り人形との戦いで精一杯なのか、こちらに気づいた様子はない。
「いくぞ。しっかり掴まってろよ!」
「うん!」
雪雄はチェストから飛び降りて走り出した。
一星と兵隊たちのおかげでなんとか空いたスペースが出来ている。今しかない。
向かう先は無論、王ネズミとくるみ割り人形の所だ。今はプレゼントボックスの上で死闘を繰り広げているが、足をやられたらしいくるみ割り人形の動きはぎこちない。
手の内にいるクララに反動がいかないよう、神経を尖らせながら走っていたのが悪かったのだろうか。
刺すような激痛が右足首に走った。後一歩、というところで。
「あっ!」
クララの悲鳴と共に、視界がブレる。
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