貴族令嬢の身代わりでお見合いしたら気に入られて輿入れすることになりました

猫男爵

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第92話 サムライと魔女

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 グランダ大陸のほぼ全土を支配するクアマリン皇国。その中心たる聖都ウルディエネのさらに中央、皇帝が住まうエリアス城は、聖都のどこからでも見える巨大なものであった。

「陛下、失礼いたします」

 エリアス城の玉座の間。その名の通り皇帝が座するその部屋に、一人の男が入って来る。白髪交じりの頭をオールバックに固め、刺繡の入った上等な礼服に身を包んだ五十がらみの男。皇国の最高政務機関「元老院セナートゥス」のメンバーであり、軍事大臣を務めるミッシェル・ボーアである。

「どうした?ミシェル」

 玉座の間に座る妙齢の女性が退屈そうな顔でミッシェルを見つめる。クアマリン皇国の現皇帝、アルティア・オーナ・クアマリンである。父であった前皇帝ガルアスが崩御した時、クアマリン家には彼女の上に一人、下に三人の男子がいた。しかし兄ロンディウスは病弱でしかも政務を嫌っていたことから家臣からの信用が無く、ガルアスが存命の時から帝位は下の三人の誰かが継ぐと噂されていた。だが生まれつき苛烈な性格をしていたアルティアは次々に弟たちにすり寄る家臣を粛清し、あっという間に権勢を手に入れた。ガルアスの崩御から僅か三か月で彼女は有能な家臣を味方に付け、帝位を継ぐことに成功したのだ。この時アルティアは若干二十歳だった。弟たちがまだ子供だったことも彼女に有利に働いたと言えた。

「扶桑、いえ九頭竜国から使者が到着いたしました」

 恭しく頭を下げ、ミッシェルが報告する。

「九頭竜から?何の用だい?」

「表向きは陛下へのご挨拶とのこと。即位十周年を寿ぎたいと」

「即位十年?まだ半年も先じゃないか。鎖国を解きもしないで白々しいね。こっちの動きを察して偵察に来たか」

「将軍家の跡目を巡って幕府内で揉めているとの噂も聞き及んでおります。こちらに余計なちょっかいをかけるなと暗に釘を刺しに来たのやもしれませんな」

「そんな余裕はこっちにゃないよ。まあどっちにしろ歓迎したい用向きじゃなさそうだね」

 アルティアは赤ワインの入ったグラスを傾け、不機嫌そうな顔をする。帝位に就くためにあらゆる手を使った彼女のことを世間や他国の人間は「皇国の魔女」と呼んで恐れている。しかし轟雷帝と呼ばれ、大国になりすぎた故に国威の失墜が明らかになりつつあった皇国を強いリーダーシップでまとめ上げ見事に立て直した前皇帝ガルアスの後を継げたのは彼女しかいなかったであろうこともまた事実であり、少なくとも元老院セナートゥスの大臣たちはそれを認識していた。

「ですが無下に扱うわけにもいきますまい」

「当然さね。皇帝としてのメンツもある。まあいい、例の部屋へ案内してやりな。度肝を抜かせてやるさね」

 アルティアが意地悪そうな笑みを浮かべ、ミッシェルは内心で苦笑する。傍にいれば案外可愛い面もあることが分かるのだ。本人には口が裂けても言えないが。

「かしこまりました。それからノア大陸への派兵の準備が整いました。ご下命があればいつでも出航出来ます」

「そうかい。まさに見計らったようなタイミングだね。鎖国しているくせに諜報活動はしっかりしてるってわけか」

「しかしあそこは完全な島国ですからな。どうやってこちらの動きを調べているのか」

「調査をする必要がありそうだね。まあいい。それで派兵の規模は?」

「正規兵2000、ワール人3000、クーナ人5000です」

「まあまあの数だが、正規兵が少なすぎやしないかい?蛮族どもが海上で反乱を起こしたら面倒だよ」

「2000のうち100名は百人隊長ケントゥリオ、さらにその中の10名は筆頭百人隊長プリムス・ピルスです。反乱など無駄だと連中も分かっておりましょう」

「ならいいけどね。下ごしらえの方はどうなっている?」

「思うように進んでいないようです。帝国は未だ王国に侵攻を果たせておりません」

「帝国内に妨害している奴らがいるのは間違いなさそうだね。HLOか、まさか天使どもの末裔か?」

「何しろ海の向こうですので細かい情報が掴みきれておりません」

「だからさっさと派兵してしまえばよかったんだよ。野蛮人どもを利用しようなんて姑息な真似をせずにね」

「ガルアス前陛下の治世時は国の立て直しに手一杯でそのような余裕はありませんでしたからな」

「だから父上がそれをやった後、少なくともあたしが即位してからは出来たろう」

「その結果が扶桑大戦でしたな」

「嫌なことを思い出させるねえ。ノア大陸よりは簡単だと思ったんだよ。癪だがサムライを舐めてたね」

「あれで今回の派兵が遅れたのも事実かと」

「分かったよ。そのサムライ様をあまりお待たせするのもなんだ。精々もてなしてやんな。あたしも後で顔を出す」

「はっ」

「頼んだよミシェル」

 ミッシェルは深々と頭を下げて玉座の間を後にする。彼を「ミシェル」と呼べるのは皇国でもごく僅かしかいない。その全員がミッシェルが敬意を払う人物であった。



 エリアス城の広い廊下を一人の男がメイドに先導されながら進む。五十がらみのやせ形。顎鬚を蓄えており、眼光は鋭い。この大陸ではまずお目に掛かれない和服という着物を着て編み笠を被るこの男は腰に和刀わとうと呼ばれる長い片刃の剣を佩いている。通常であればこのエリアス城は武器の持ち込みが禁止されているのだが、サムライにとって和刀は魂であるという理由で彼はそれをかたくなに拒み、特例として佩刀が許されていた。

「こちらでございます」

 メイドが恭しく頭を下げ、廊下の先にあるドアを開ける。一歩中に足を踏み入れた男は思わず目を見開き、「ほお」と感嘆の声を上げた。

「まさか城の中に和室とはな」

 ドアを入って1mほどは廊下と同じ毛の長い絨毯が敷かれているが、その先は広い部屋の中央だけが完全な和室となっていた。畳が敷かれ、一段高くなった奥の床の間の後ろには掛け軸までかけてある。その右手には障子が立っていたが、中途半端な大きさでいかにも後から付けられたように見える。それでもここまで和室を再現していることに男は少なからず驚いた。

「こちらでしばしお待ちください」

 メイドがそう言い、部屋の後ろにあるテーブルで慣れない手つきで茶を淹れる。素焼きの茶碗に緑茶が注がれ、男の前に置かれる。

「皇国で茶が飲めるとはな」

 男は正座をして編み笠を傍らに置くと、感謝しつつ茶を口に運ぶ。決して良い茶碗とは言えなかったが、茶葉は中々高級のようだ。

「待たせたの」

 茶の香りを楽しんでいると、男が入ってきたのとは別のドアからアルティアが入ってきた。妖艶な笑みを浮かべ、上座に座る。傍には執事と思しき男が立ち、じっと男を見つめた。

『ほお、椅子を使わず畳にそのまま座すか。とことん我が国の風習に合わせて見せるか』

 男が心の中で呟く。

「皇帝陛下におかれましてはますますご健勝のご様子。心よりお慶び申し上げます」

 男が深々と頭を下げる。

「堅苦しい挨拶はよい。遠路はるばるよう参られた」

「恐れ入ります。九頭竜家筆頭家老、浅利 籐右衛門 兼定あさりとうえもんかねさだにございます。本日は幕府の名代としてまかりこしました」

「兼定か。浅利家といえば元々神皇しんのう家の摂政を務めた名家と聞くが、将軍家に乗り換えたか?」

「よく御存じで。しかし乗り換えたとは人聞きが悪うございます。神皇様をお支えするため、家臣筆頭であられる上様にお仕えしているだけのこと」

 兼定が不機嫌さを隠しもせずに言い返す。九頭竜国は元々扶桑国と呼ばれる極東の島国である。神代の昔から神皇と呼ばれる帝を頂く朝廷が支配していたが、徐々に武力を持って土地を奪う者が増え、その対策として生まれた武士(海外ではサムライと呼ばれた)が権力を握るようになっていった。その結果朝廷の力は衰え、各地に有力な武家が現れて戦国の世となった。それを統一したのが今の幕府を創った九頭竜頼義よりちかである。頼義は朝廷より武士の統領である将軍の地位を与えられ、実質扶桑国を支配した。そして後を継いだ二代目の将軍、頼広よりひろが国名を九頭竜国に変更したのである。それから数十年、九頭竜家は将軍職を継承し、幕府を支配してきた。今の将軍は四代目の頼矩よりかねである。

「それで本日は何用かな?鎖国をしておる中、わざわざあたしのご機嫌を取るために海を渡ってきたわけじゃあるまい?」

「いえいえ、その通りでございます。上様は今の鎖国政策を見直し、海外に門戸を開くことをお考えです。つきましてはクアマリン皇国とも良き関係を築いておきたいとのことでして」

「へえ、鎖国をね。どういう風の吹き回しだい?今までこっちが誘っても見向きもしなかったくせにさ」

 誘ったんじゃなく、脅してきたんだろうが、と兼定は内心で毒づくが、それをおくびにも出さず淡々と答える。

「本音を申しますと、こちらの大陸の事情も関係がございまして。近年、こちらから我が国へ亡命してくる者が増えております」

「亡命?ここから九頭竜国へ?」

「はい。多くがオーディアル信徒、もしくはHLO、でしたか。そういう集まりの人間でして」

「異教徒たちか。なんでまた。あたしたちゃ連中を迫害してるわけじゃないんだけどね」

「そちらの主観ではそうなのでしょうが、彼らは皇国を恐れているのですよ。轟雷帝と呼ばれた陛下の父君の施政に圧力を感じ、国を出たものが多いようで」

「あたしはそんなことはしてないけどね」

「ご無礼を承知で申し上げれば陛下の場合は玉座に付いた時の印象が影響しているのかと」

「皇国の魔女か。あたしゃ気にしてないけど、周りの人間の方が過剰にビビっちまってるようだね」

「左様ですな。それゆえ貴国と国交を持たぬ我が国に逃げてきているのでしょう」

「我が軍を打ち破ったサムライの力を当てにしておるという訳じゃな?」

「打ち破ったなど。強引な開国を迫る礼儀知らずを教育して差し上げたまで」

「言ってくれるのう。サムライ一人に百人隊長ケントゥリオ数人が斬られ、我が軍はしばらくトラウマになったのじゃぞ」

「自衛のためでございます。あの時の兵団は陛下の与り知らぬ者が暴走したものと聞き及んでおります。上様も貴国に恨みを抱いてはおりませぬ」

 言ってくれる、とアルティアは心の中で舌打ちをする。皇帝の命なく、数千の兵が動くなどありえない話だ。兼定もそれを重々知ったうえで知らぬふりをしているのだ。実際、扶桑大戦と呼ばれたその戦いは力技で帝位に就いたアルティアが国内の反発から目を逸らさせるために半ば強引に推し進めたもので、彼女の唯一の失政と言ってよかった。

「それはこちらも同じこと。我が意を曲解し、貴国に圧力をかけようとしたことは慙愧の念に堪えぬ。だがあたしはあんたらと事を構える気はない。この部屋が証拠さね。正式な国交のない貴国の客が来た時のためにわざわざ造らせたんだ。どうだい?感想は」

「正直言って驚きました。ここまで我が国の文化をご理解いただけていたとは」

 敵を知り己を知れば百戦危うからず、ってね。アルティアは心の中で呟く。

「貴国が開国して下さるというのであればこちらは大歓迎さ。それで国交を正式に開いてこの大陸からの亡命者を無くそうってことだね?」

「正直に申し上げればそうです。我が国は島国ゆえ、多民族の流入に慣れておりません。貴国の民が増えることに不安を覚えている国民も多くなっておりますので」

「こっちも出来るだけ異教徒を刺激しないよう気を付けるさ」

「そうしていただけますと助かります。遅くなりましたが上様……頼矩公よりの親書にございます」

 兼定が懐より手紙を取り出して差し出す。それを執事が受け取り、アルティアに渡した。

「後で拝見しよう。兼定殿はこのまま国交についてもこちらと談判するおつもりかな?」

「上様からは大筋の話し合いを付けてくるよう申し付かっております」

「ならば宿泊の部屋を用意しよう。そうだな、明日にでもこちらで担当の大臣を差し向ける。それまでゆるりとするがよい」

「ありがたき幸せ」

 兼定が頭を下げ、アルティアが立ち上がる。

「茶はいかがであった?ちょっとした伝手で貴国の物を手に入れたのだが」

「大変美味でございました。我が国でも一級の品かと」

「それはよかった。部屋の準備が整うまでもうしばらくここでお待ちあれ。……茶のお代わりを差し上げよ」

 メイドにそう命じ、アルティアが部屋を去る。恭しく茶碗を取りに来たメイドがお代わりを淹れに向かう。湯を沸かし直すのだろう。

「さて、これでしばらく外はおとなしくなるかな」

 独りごち、兼定はふう、と息を吐いた。
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