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第89話 虐殺

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「動きました!」

 モースキンの城塞の上で見張りの騎士が叫ぶ。メキアの森の中に造られた王国と帝国を結ぶ唯一の街道に帝国軍の姿が確認できたのだ。しかしその数は少ない。先鋒部隊と思われた。

「予測通りの時間ですね。グララさんからの連絡では大砲の一斉発射が門を開ける合図でしたね?」

 ミリアの言葉にネムムが頷く。

「ああ。しかし鉄の球を弾き飛ばすとは恐ろしい武器を持ってるな、帝国は」

「火器と呼ばれる兵器は王国ではほとんど使われていませんからね。もしかしたらグランダ大陸から持ち込まれた技術なのかもしれません」

「ありうるな。片方の国にだけ技術を伝えて軍事的優位を作るのは有効な手だ。支配するためにはな」

「まともに火器を使われてはこちらが不利です。帝国軍がこちらの罠にかかってくれればいいんですが」

「そうでなければ困る。……思ったより進軍のスピードが遅いな。大砲を運ぶのに手間取ってるのか」

 ネムムが遠くに目をやりながら呟く。

「大砲の射程に入る前に牽制をしたいですね。一斉に攻撃されたら門を開ける前に壁が破壊されるかもしれません」

「あれくらい遠くにいればこちらから出て行ってもまだ大丈夫か……」

「騎士を向かわせた後で中で騒ぎを起こしましょう。それで帝国側はあなたたちが動いたと思うでしょう」

「そうだな。それで騎士に慌てて戻ってもらえば、奴らは合図の大砲を打つだろう」

 ミリアはすぐさま踵を返し、階段を下りて部下に指示を与える。副団長を務めるロレアが数十名の騎士を即座に編成し、三個小隊に別れて正面の門から打って出た。



「大佐!敵が門より出てきました!」

 帝国軍の先鋒を務める歩兵大隊の隊長がグランツに報告する。

「数は?」

「三個小隊と思われます」

「少ないな。本隊が来る前に大砲を潰すつもりか?モースキン内で動きはまだないか?」

「はっ!今のところ」

「何をもたもたしているんだ、ケダモノどもめ。とはいえ予定時刻ではないか。まだ合図をするには早い。三個小隊なら適当にあしらっておけ」

「た、隊長!」

 そこへ歩兵の一人が駆け込んでくる。

「どうした!?」

「モ、モースキンの中で煙が上がりました!それを見て王国の騎士たちが踵を返して戻っております!」

「ふん、やりおったか、ケダモノどもめ。前言撤回だ。合図の大砲を撃て!それから本隊に進軍を開始するよう伝えろ」

「はっ!」

隊長が慌てて駆け出していき、グランツは歪な笑いを浮かべる。

「さて、狩りの始まりだ」

 しかし自分たちの方が狩りの標的であることに彼は気付いていなかった。



「大砲だ!」

 騎士たちが鳴り渡る轟音に息を呑む。やや遅れて門の少し前に砲弾が着弾し、派手な爆発音を上げた。騎士が戻るのがもう少し遅れていたら直撃を受けていたかもしれなかった。

「とんでもねえな。あんなのを食らったらひとたまりもねえぜ」

 ザックが身震いしながら呟く。

「狙い通り射程距離の外で撃ってくれましたね。作戦通り門を開けてください。中で喧騒が起きているように見せかけるのも忘れずに」

 ミリアの指示で城塞正面の巨大な門がゆっくり開かれる。騎士たちはわざと声を上げ、混乱しているような振りをした。



「大佐!門が開きました。中は混乱している模様です」

「よし、先鋒隊を突っ込ませろ。すぐさま本隊が続く」

 隊長が敬礼をし、歩兵大隊をモースキンに向かって進ませる。砲撃部隊はその後から大砲を運んでゆっくり前進した。



「先鋒隊が来ます!数、約300!」

 見張りの騎士が叫ぶ。

「作戦通り先鋒隊は門の中に引き入れろ!スピードが勝負だ。ぬかるな!」

 ミリアの檄に騎士たちが無言で腕を上げる。しばらくすると帝国軍の歩兵大隊が門の中になだれ込んできた。

「射て!」

 先鋒隊300余名がほぼ門の中に入り切ったのを見計らい、ロレアが合図する。それに応えて門の左右に控えていた弓兵が一斉に矢を放った。

「ぐはあっ!」

 思いがけない急襲に先鋒隊がバタバタと倒れる。それを目隠しするように、ネムム達獣人族ワービーストが素早く帝国軍の旗を奪い、門の前に立ってそれを大きく振る。遠目には先鋒隊の侵入が成功したように映るだろう。

「一斉にかかれ!一人も逃がすな!」

 ミリアが目にも止まらぬ剣さばきで先鋒隊を斬り付けながら叫ぶ。騎士たちがそれに続き、不意を突かれた先鋒隊は瞬く間に総崩れとなった。



獣人族ワービーストが我が軍の旗を振っているぞ!」

 先鋒隊に続いて進軍してきた帝国軍の本隊で先頭の兵が叫ぶ。

「よし!一気にモースキンを落とす!続け!」

 各大隊の隊長が口々に叫び、本隊が速度を速める。その顔は戦果を挙げようという興奮と、豊富な食料を手に入れられるという安堵感に満ちていた。

「王国軍を殲滅した後、勝手な略奪をせぬよう、各大隊の責任者に厳命しておけ。食糧は我々参謀本部で管理するからな」

 グランツも内心で舌なめずりをしながら命令を下す。王国の前線都市を落とし、兵站を確保したとなれば出世は間違いない。参謀本部の中枢に入れるチャンスだ。

「抵抗する者は女子供でも容赦するな!奪った食糧は1か所に集めろ!」

 興奮しながらグランツは騎乗する馬の速度を上げた。




「本隊接近!数、や、約2万!?」

 見張りの兵が驚きの声を上げる。

「2万だと?予想よりかなり多いな。帝国め、本気で王国北部を占領する気か」

 ミリアが眉根を寄せる。罠は万全だが、さすがにこの数は苦労しそうだ。

「ありったけの矢を用意しておけ!射手は五列縦隊!逃げる兵を射ち漏らすな!」

 距離、約2000!」

「先頭が門に入ったと同時に作戦開始!」

 ミリアの言葉に応え、全騎士団と獣人族ワービーストが配置に就く。興奮した本隊が門にかかったその時、

「今だ!」

 ミリアの号令が飛び、街道の脇に待機していた騎士が土で覆ってきた太いロープを切る。それは門の前に掘っておいた巨大な落とし穴を支える丸太を繋いでいたものであった。先鋒隊の重みに何とか耐えていた丸太は支えを失い、布で覆っていた土と共に落とし穴に落下する。その上を通っていた帝国軍の兵士も当然同じように落ち、悲鳴が上がる。

「うわああああっ!」

 穴は広さこそ20m四方ほどもある大きなものだが、深さは大したことがない。だが思いもよらぬ事態に兵たちは大混乱に陥った。しかも穴の底には布が敷かれ、その上に油が撒かれてあった。そして丸太自体にも油が塗られていた。

「射て!」

 ミリアの合図で城塞の上から火矢が放たれ、落とし穴の油に引火して巨大な炎を上げる。火に包まれた兵たちが断末魔の叫びを上げる。

「ぎゃああああっ!」

 パニックになり、我先にと逃げだそうとする兵たち。仲間を足蹴にし、穴の底から出ようとするが、まとわりつく炎と滑る丸太のせいで身動きが出来なくなる。

「な、何だ、これは!?」

 目の前の阿鼻叫喚の光景を目にしてグランツが呆然とする。その間に城塞の上と街道の脇から無数の矢が帝国兵めがけて降り注ぐ。

「射て!射て!」

 まさに豪雨のように降り注ぐ矢に前方の兵たちが次々に斃れる。さらに森に逃げ込もうとした兵にはさらなる悲劇が待ち受けていた。

泳ぐ糸ストリングス・フィッシュ!」

 かつて帝国の先遣隊を全滅させたフルルの異能ギフトが容赦なく帝国兵の体を切り刻む。さらにネムムの殺人剣が次々とパニックになった兵を葬っていった。

「て、撤退!撤退!」

 恐怖に慄いた隊長たちが叫ぶ。しかし2万という大軍が仇となった。後方の兵たちは城門の方で何が起きているのかまだ把握しきれていなかったのである。それもボボルの計算の内だった。

「罠だ!兵の一部が裏切ったぞ!」

突然兵の中で声が上がった。それは先鋒部隊の装備を奪い、いち早く森を通って帝国軍に紛れ込んだオルトだった。その言葉に兵たちの間に動揺が走る。

「先鋒部隊は全滅だ!裏切者がこっちに攻めてくるぞ!」

 オルトがさらに声を上げる。それに呼応するかのように逃げてきた前方の兵士が鬼のような形相で走って来た。

「あれが裏切った部隊だ!気を付けろ!」

 とどめを刺すように街道の脇にいた弓兵が後方の兵に向けて火矢を放つ。あらかじめ街道の脇の草には油が撒かれており、逃げてくる兵の傍で火の手が上がる。

「うわああああっ!」

 逃げてきた兵を裏切者と勘違いした後方の兵が彼らに剣を向ける。あっという間に帝国軍は大混乱になり、同士討ちが始まった。

「バカ野郎!罠だ!撤退しろ!」

 逃げてきたぜ脳の兵が叫ぶが、混乱のさ中でかき消されてしまう。

「まず砲撃部隊を潰してそれから追撃!だが深追いはするな!国境当たりまで追えばいい!」

 ミリアの声に応え、精鋭の騎士が駿馬を駆り、落とし穴を避けて横の門から飛び出す。 逃げる歩兵を斬り伏せ、騎兵に矢を放つ。騎乗しているのは指揮官クラスの兵だ。優先的に排除する必要があった。それから慌てて大砲に弾を込めようとする兵を見つけ、矢で射ぬく。

「鎮まれ!敵の讒言だ!落ち着いて隊列を組み直せ!」

 瓦解していく大軍を見ながら悲壮な顔でグランツが叫ぶ。しかし一度崩壊した秩序は簡単に元に戻るものではない。冷静になれば圧倒的な戦力差があるのだ。後方の部隊が落とし穴を迂回して攻め込めば王国側に勝ち目は無かっただろう。しかし完全に想定外の事態に兵たちは平静さを失っていた。

「あまり気持ちのいいものではありませんね。仕方ないことだと分かってはいても」

 火だるまになって倒れる兵や何本もの矢に貫かれて立ったまま絶命している兵を見下ろしながらミリアが呟く。

「そうですね。しかし国を守る使命を帯びた者として、この業を背負わねばなりません」

 ボナーが隣でそう言い、パンナを連れて来なくてよかったと心の中で呟いた。
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