貴族令嬢の身代わりでお見合いしたら気に入られて輿入れすることになりました

猫男爵

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第78話 覚醒

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「あああああっ!!」

 広く薄暗い部屋の中に絶叫が響く。全身をガクガクと震えさせ、焦点のあっていない眼で天井を見上げる彼女はすでに正気を失っているようにしか見えない。それを目を細めて眺める男の顔は狂気の色に染まっていた。

「おおっ!ついにこの時が」

 全裸の少女の背中に亀裂が入り、流れる血と共に二枚の翼が生えてくる。それは折り畳まれた形から広がり、体の両側に白い羽根となって完成した。

「うああああっ!」

 苦し気な叫びを上げ、体を逸らす少女。豊かな胸が震え、徐々に体が光に包まれていく。そしてその光が全身を包んだ時、そこにかつての伯爵令嬢、アンセリーナの面影は無くなっていた。

「素晴らしい。これが完全な覚醒か。ミレーヌでもここまでにはなっていなかった」

 ブラベールが感動しながら呟く。

「さあアンセリーナ!天使として儂の力になるのだ。まずは町の者にその姿を見せて……」

 興奮して叫ぶブラベールの方をアンセリーナが振り向く。と、雄叫びを上げて鋭い爪の生えた手を振り上げブラベールに向かって振り下ろした。

「ぐああっ!な、何をする!?アンセリーナ!」

 腹部を爪で裂かれ、血を噴き出したブラベールが叫ぶ。

「ふむ。どうやら理性が飛んでしまっているようですな。やれやれ、期待していたのですが、お嬢様でもこの程度でしたか」

 いきなり部屋の片隅で聞こえた声にブラベールがぎょっとする。

「ハ、ハンス!?貴様いつからそこに」

「先ほどから。お嬢様の覚醒が近そうでしたので待機しておりましたが、この様子ではイシュナル教徒の崇拝を集まるのは難しいでしょうな」

「お、落ち着いている場合か!何とかアンセリーナを正気に戻さねば」

「ふむ、そう出来れば良いのですが、さて、一度覚醒した人工天使を制御出来ますかな?」

 理性を失ったアンセリーナが今度はハンスに襲いかかる。しかし鋭い爪の攻撃をハンスは柳が風を受け流すように最低限の動きで避けた。

「はしたないですぞお嬢様。伯爵令嬢ともあろうものがそのような荒々しい動きをなさるものではございません」

 続いて繰り出された反対側の腕の攻撃をハンスは片腕で受け止め、そのままアンセリーナの腕を捩じりあげるようにして体を回転させ、そのまま投げ飛ばす。アンセリーナは翼を羽ばたかせてバランスを取り、足から着地した。

「ご無礼をお許しください。お嬢様のしつけは爺の役目ですので」

「ハ、ハンス、貴様……」

「旦那様、イシュナル教徒の信奉を集めるのは無理でも、この力ならば役には立ちましょう。お嬢様は私がお預かりいたします」

「な、何を言っておる!?」

「ここまでお嬢様を育て上げたことは感謝いたします。新たなる秩序構築のため、この力、存分に使わせていただきます」

「ハ、ハンス!」

「お嬢様、少し痛みましょうがご辛抱くだされ」

 再び襲いかかってきたアンセリーナの懐に入り、ハンスが正拳突きを彼女の腹に放つ。「ぐおあっ!」という叫びを上げ、アンセリーナはその場に頽れ気を失った。

「打たれ弱さには懸念もございますな。まあおかげでお連れ申し上げることができますので良しと致しますか」

 ハンスは苦笑し、気絶したアンセリーナを肩に載せ歩き出す。

「ま、待てハンス!」

「今までお世話になりました。これを持ってお暇を頂きまする」

 ハンスは怪我で動けないブラベールをその場に残し、部屋を後にする。呆然とするブラベールはそれを見送るしかなかった。

「ウォルトは愚かにも奴らに付いたか。傍にいなかったとはいえ、育て方を間違えたな」

 ハンスはそう呟き、舌打ちをして伯爵邸を出て行った。



「ボ、ボナー様!」

 騎士が驚きの声を上げる。駿馬に鞭を打ちボナーたちを乗せた馬車は驚くべき速さでベストレームの南側の検問所にたどり着いた。その反動でイリノアとミラージュがかなり乗り物酔いをしてしまったが。

「気分が悪いならここで休んでいたらどうだ?」

 ボナーの言葉にイリノアとミラージュは気丈に首を振る。

「ここまで来てそんなこと出来ないわ」

「私の完全治癒があった方がいいはずよ。ここから少しゆっくり進んでくれれば大丈夫」

「町の様子はどうなっている?」

 ボナーが検問所の騎士に問いかける。

「住民の避難は八割方終わっています。今はゼノーバ団長を先頭に怪物と対峙しているようですが」

「このままゼノーバたちの加勢に行く。パンナ、ファングさん、よろしいですね?」

「はい」

「馬車の中でたっぷり休めたからな。思い切り暴れられるぜ」

 さっきまで、あれだけ揺れた馬車の中でファングは高いびきを掻いて寝ていた。尋常ではないとパンナは半ば感心し、半ば呆れていた。

「ボナー様が前線に立たれるのですか?それは……」
 
 騎士が不安そうな顔を見せる。

「心配するな。危険な真似はせん。こちらには頼もしい助っ人がいるからな」

 ボナーが言い、馬車を出させる。しばらく走ると逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえ始め、騎士が高台の騎士団駐屯地に誘導しているのが目に入るようになった。

「ボナー!あれ!」

 キャビンの窓から顔を出し、パンナが前方を指さす。視界に体長5mほどの異形の生物が目に入った。長い腕に鋭く長い爪が生え、背中には血に染まり半開きのような状態の翼が見える。目は赤く、牙も生えているようだ。

「暴走したギルバートを二回りほど大きくしたようだな」

 ボナーが御者に馬車を止めるよう指示して顔をしかめる。

「ボナー、あなたはここで待機して」

「何を言ってるんだ!?パンナ」

「あなたはサンクリスト公なのよ。自分の立場を考えて」

「しかし……」

「ボナー様、奥方様のおっしゃる通りです。奥方様もここでお待ちを」

 アレックスが馬上から言う。

「いいえ、私は行くわ」

「し、しかし」

「騎士さん、こいつはいいんだよ。戦力になる」

「貴様!奥方様に向かってこいつとは何事か!」

「おい、こいつ、お前のこと知らねえのか?」

「話は後よ。誰かここに残ってボナーの警護をお願い」

「必要ない。一人でも戦力は多い方がいい。僕もこれでも剣の腕には自信があるんだ」

「婿さん、こいつの言う通りにしな。奴の相手は俺たちがする」

「あなたにボナーを婿と呼ばせるつもりはないわ」

「へいへい」

 ファングが肩をすくめ、槍を手に取る。

「それじゃ行くか。ミラージュ、ファンタム。安全な距離を取って支援を頼む」

「分かった」

「無茶はしないで」

「お、心配してくれるのか?」

「母様以外の存在に殺されるのは許されない」

「クローにならいいのかよ!」

「先に行きますよ!」

 呆れながらパンナが馬車を飛び出す。

「壁役がアタッカーより先行してどうすんだよ!」

 ファングが慌てて続き、ミラージュとファンタムも二人に付いて走りだした。アレックスたちは既に馬を走らせている。

「気を付けろよ、パンナ」

 馬車の外に出たボナーは心配そうにパンナたちを見送りながら呟いた。


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