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第70話 逆転裁判

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『パンナ……』

 証人席から立ち上がったパンナを見つめ、ボナーが心の中で彼女の名を呟く。パンナもボナーを見つめ、小さく、しかし強い意志を秘めた瞳で頷いた。

「サンクリスト公ボナーの妻、アンセリーナでございます。これより夫の無実を証明いたします」

 思ったより力強い言葉にギルバートが眉根を寄せる。

「無実、とおっしゃいましたか?あなたは被告の無実を証明できるというんですね?」

 左側の席に座った裁判官が質問する。やはり彼が弁護人の役なのだろう。

「はい。夫の無実は明らかです。まずギルバート。義理とはいえ弟ですもの、こう呼んで構いませんよね?リーシェもそうしてくれと言っていましたし」

「構いませんよ、義姉上あなうえ

 ギルバートが少なくとも表面上は余裕を保ったままで答える。

「ボナーがあなたの屋敷を訪れてロベルタ様を殺害したと言いましたが、二人を会わすことを危惧していたと言っていたあなたがなぜ席を外したのです?」

「言ったでしょう。急ぎの用があったと」

「自分の母親の身の安全よりも優先すべきことだったのですか?何の用です?」

「我が領内に関することです。お話は出来ませんね」

「では質問を変えます。ボナーは以前にもあなたの屋敷を訪ねたことがありましたか?」

「いいえ、一度も。先ほども申し上げた通り兄上は母上を恨んでいましたから。それで母はベスター城を追い出されたのです。そんな母に兄上が会いたいと思うはずもありませんでしょう」

「一度も訪れたことがない。事件があった日が初めてだったと?確かですか?」

「ええ」

「それはおかしいですね。あなたは先ほどこう言いました。訪ねてきたボナーを応接室で待たせ、急ぎの用を済ませに行ったと。ボナーは屋敷に着いてすぐ応接間に通されたのですね?」

「そ、そうです」

 パンナの強い口調にギルバートに初めて焦りの色が浮かぶ。

「ならばボナーは何故?」

 パンナの言葉にギルバートの顔色が変わる。先ほど自分が失言したことにようやく気付いたようだ。

「そ、それはおそらくメイドか誰かに案内をさせて……」

「ですがあなたはこうも言いました。ボナーの怒鳴り声が聞こえ、急いで行ってみると胸を刺されたロベルタ様が倒れていたと。メイドがいたのなら、ロベルタ様が刺された時に悲鳴の一つも上げるのが普通ではありませんか?あなたの証言にはメイドが逃げてきたという話もまったくありませんでした」

「わ、私が行った時にはもうメイドは逃げていたのでしょう。そ、そんなことで兄上の無実を証明しようなどとても……」

「ならなぜその場にいたであろうメイドに話を聞かないのです?その者の証言があれば、あなたの主張はより強固なものになったはず。慌てていてそこまで考えが及びませんでしたか?偽の証人をでっちあげるという」

「い、いくら義姉上でも失礼ですぞ!」

「ギルバート殿の言う通りだ。アンセリーナ殿、決めつけの発言は控えられよ」

 右側の席の裁判官が釘を刺す。

「失礼いたしました。では次の証明に移ります。私側から提出した書類をご覧ください」

 そう言ってパンナは自分の手元の書類に視線を落とす。

「これはソシュートの検問所の出入記録です。ベストレーム側のものだけで十分なのですが、念のためミクリード側のものも添付しています。ギルバートが事件があったと主張する日付、及びその前後二日のソシュートに出入りした者の記録です。見てお分かりのようにボナーの、つまりサンクリスト家の馬車が出入りした記録が一切ありません」

 一同が目を通し、ギルバートとクリムト侯爵が息を呑む。

「事件があったとされる二日前、つまりは私とボナーの挙式があった翌日ですが、この日まで私はボナーといっしょにおりました。城内の全ての者が証言してくれるでしょう。そして事件があったとされる二日後、ボナーはこちらにいらっしゃるユーシュ様とノーラン城で対面しておられます。そうですね?」

「はい。確かに父キーレイと共にボナーと会いました」

「これもノーラン城の方全てが証言してくれるでしょう。つまり事件があったとされる当日及びその前後、ボナーはソシュートに行っていないのです」

「き、記録漏れだ!そもそもサンクリスト家の馬車を検問などできるわけが」

「貴族の馬車であっても一々検問はしなくても通行の記録は残すのが通例です。ましてや事件があった後なら検問所を閉じて犯人を逃がさないようにするのが当たり前ではないですか?あなたの証言ではボナーは窓から身一つで逃げたのでしょう?検問をすぐさま閉じれば逃げることは出来ぬはず。ましてあちこち逃げ回っていたら二日後にノーライアに行けるはずもありません。ボナーはちゃんとサンクリスト家の馬車でノーラン城を訪れています」

 パンナの言葉にユーシュが大きく頷く。

「て、手引きをしたものがいるのだ!そ、その場にいた僕が言ってるんだ!兄上がやったんだ!」

 ギルバートが震えながら喚き散らす。人前で自分を「私」と言う余裕さえ無くなっているようだ。

「では最後にボナーが無実だという決定的な証拠をお目に掛けましょう。裁判官の皆様、調査官が提出したロベルタ様の検死報告書をご覧ください」

パンナはそう言って証人席から一歩前に出る。

「先ほどそちらの裁判官の方がおっしゃったように、そこにある短剣が凶器であることは間違いありません。そして報告書の傷口のところを見てください。胸の上部、肩甲骨の少し下から斜めに傷が付いているとありますね?」

 裁判官たちが検死報告書を読み、頷く。

「肩甲骨の下から心臓へ向けて、つまり

 パンナは歩を進めてボナーの近くまで行き、裁判官に同意を促す。

「アンセリーナ殿、被告にあまり近づくのはおやめいただきたい」

「ボナーの無実を証明するのに必要なのです。どうかご容赦ください」

 そう言ってパンナはボナーと対峙する。

「ボナー。不愉快な質問をするけど許してちょうだい。あなた、背はいくつ?」

 身長が低いことを気にしているボナーに対しては確かに失礼極まりない質問だ。しかしボナーは気を悪くする様子もなく素直に答える。

「156㎝だよ」

「そう。検死報告書によるとロベルタ様の身長は173㎝とあります。私より10㎝も上。女性にしては背の高い方だったのですね」

 パンナの言わんとしていることを理解し、裁判官が息を呑む。

「この中に173㎝位の方はいらっしゃいますか?」

 私が1㎝違いだ」

 左側の席の裁判官が答える。

「申し訳ありませんがこちらに来ていただけますか?」

「い、いい加減にしろ!こ、こんな茶番を!」

 クリムト侯爵が焦ったように叫ぶ。

「弁護に必要な事と認めます。原告は黙りなさい」

 ローヤーが静かに、しかし有無を言わせぬ迫力で言う。

「ギルバート、あなた正式な裁判でボナーを陥れようとして随分馬鹿正直に検死に協力したのね。報告書では安置されていた遺体の傍に血の付いたヒールの靴があったそうよ。殺害された時、ロベルタ様はその靴を履いていたのね。……ご足労をおかけして申し訳ありません。ボナーの前に立っていただけますか?」

 パンナの言葉に裁判官が頷き、ボナーの前に立つ。

「ボナー。手首を縛られたままで窮屈でしょうけど、腕を振り上げて。裁判官さん、少し爪先立ちをしていただけますか?殺害された時のロベルタ様の高さを再現していただきたいのです」

 裁判官が頷き、素直に言う事に従う。

「ボナー。裁判官さんめがけて腕を振り下ろして」

 ボナーがパンナの言う通りにする。手首を縛られたボナーの両手は裁判官の胸の下、腹の辺りに当たった。

「ご覧のとおりです。ボナーが短剣を振りかざしてロベルタ様に振り下ろしたら、肩甲骨の下に刺さることはあり得ません。無理に刺そうと思ったら、傷口は斜めに入って行かなければ理屈に合いません」

「は、母上は椅子に座っていたんだ!」

「ロベルタ様はボナーの家督相続を認めていなかった。ボナーに良い感情を抱いていたとは思えません。そしてボナーもロベルタ様を恨んでいたとあなたは言いました。そんな相手が短剣を振りかざしたのに、呑気に椅子に座っているものでしょうか?そんな状況になったらロベルタ様は悲鳴を上げて逃げ出したでしょう。それなら傷は背中に無ければおかしいのではありませんか?」

「そ、想像に過ぎん!どこに証拠が……実際凶器はサンクリスト家の……」

「ええ。確かに凶器はサンクリスト家の家紋が入った短剣です。でもこれは実戦用と言うより儀礼の際の礼装の役割が強いのではないですか?実際私が挙式前ベストレームでボナーと見合いをした時、彼はこの短剣を付けていました。そしてその見合いの場で私とボナーは刺客に襲われました」

 パンナの言葉に裁判官が驚く。

「ギルバートは知っているわよね?私たちを襲った賊を翌日皆殺しにしてくれたんだもの」

 パンナの言葉にギルバートがガタガタと歯を鳴らす。

「その襲撃の際、ボナーは私を守って賊と戦ってくれました。その時に

「なっ!?」

「でもその凶器の短剣の刃には傷一つ付いていないように見えるわ」

「で、でまかせだ。そんな……」

「さっき証明した通り、ボナーはソシュートに行っていない。でもあの短剣を持っている者がもう一人いるわよね?ソシュートの屋敷の中に。ギルバート、あなた身長はいくつ?見たところ180㎝はありそうね」

「き、貴様。ギ、ギルバートが犯人だとでも……」

 クリムト侯爵が堪らず叫ぶ。

「ええ。ギルバート、あなたがロベルタ様を殺した真犯人よ」

パンナがギルバートをきっと指差し、法廷内の空気が凍りついた。




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