貴族令嬢の身代わりでお見合いしたら気に入られて輿入れすることになりました

猫男爵

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第56話 凶行

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「教主様が行方不明だと!?」

 キドナーが目の前の信徒に向かって怒鳴る。彼は今マードック辺境伯の城に出向いていた。そこでイリノアの世話をしていた信徒から彼女の失踪を聞かされたのだ。

「お付きの者は何をしていたのだ!」

「それがお休みになる際にご挨拶した後、翌朝までお部屋へはいかなかったとのことで。おそらく深夜に館を出られたものと……」

「入り口は誰も見張っていなかったのか!?」

「そ、それがその夜は厨房の方でボヤ騒ぎがあったそうで、その対処に全員が追われていたと」

「なんという失態だ!教主様に何かあったらどうするつもりだ!」

「も、申し訳ございません。只今信徒総出で教主様をお探ししております」

「そんなことは当然だ!」

「困ったことになったわねえ。お飾りの教主様とはいえ不在となれば問題でしょう?」

 オネーバーの領主、ギルティス・ダイア・マードック辺境伯は白塗りされた顔に手を当て、首を傾ける。ガタイのいい男がやるにしては気色悪すぎる仕草だった。

「口が過ぎるぞ、マードック卿」

「だって事実でしょ?あんただってあんな小娘に心か忠誠を誓ってるわけじゃないでしょ?」

「教主様のお力で教団が信徒を増やしたのは事実だ。今や彼女は教団の精神的支柱になっているのだ」

「それにしてはぞんざいな扱いだったんじゃない?天使の確保に気を取られすぎてほっぽらかしにされたら逃げたくもなるってもんよね」

「それ以上言うと貴様でも許さんぞ!」

「何よやる気?言っとくけど、あたしはここの主なのよ。あたしに手を出したらいくら六芒星ヘキサグラムだって只じゃ済まないわよ?」

 暫しキドナーとギルティスは睨み合ったが、結局キドナーがちっ、と舌打ちをして部屋を後にした。

『ふん、ガキの力を借りなきゃ威厳を保てない奴が偉そうな顔をするなってんのよ。あたしはオーディアルなんて辛気臭い女神を心から信奉してるわけじゃないんだから』

去っていくキドナーの背中を冷たい目で見ながらギルティスは心の中で呟く。しかしそういうギルティス自身も他力本願であることに違いはない。ギルティスは教団が天使の羽根フェザーの宿主を確保したら、このオネーバーで天使降臨を喧伝する約束で彼らに協力していた。教団が天使を奉じてイシュナル教会を凌ぐ権勢を持った暁には、聖地の領主として帝国内で一目も二目もおかれる存在になれるだろう。参謀本部の命に唯々諾々と従う必要もなくなるかもしれない。

『あんな戦闘狂どもの露払いなんてまっぴらよ。王国と戦争になったらここが最前線医なるんだから。帝都でぬくぬくしてる連中に好き勝手させて堪るもんですか!」

 ギルティスは内心でそう毒づき、グラスのワインを一息にあおった。



一方、教団から逃げ出したイリノアは馬車に乗り、バーガットとグララと共に帝国を出てモースキンへと向かっていた。

「そういえばまだ名前を聞いていなかったな」

 バーガットがそう言い、イリノアは一瞬返答に詰まる。教団に詳しくない者にもイリノアという名前は帝国内ではかなり流布されていると以前キドナーに聞いていたからだ。

「イ、イリス、です」

「イリスか。本当に大丈夫か?一人で王国のどこにいるかもわからん姉を探すなど」

「だ、大丈夫です。とりあえずは昔住んでいた町に行き、情報を集めようと思っています」

「しかし俺が渡した金額じゃすぐに金が尽きるだろう」

「ど、どこか宿屋ででも働かせてもらって路銀を稼ぎます」

「しかしまた教団に攫われる危険もあるしな」

「随分と優しいこったな」

 二人の会話を聞いていたグララが思わず口を挟む。故郷の村を帝国軍に蹂躙された彼から見ればバーガットの言葉は偽善にしか思えなかった。

「特別優しいってことはないさ。ただ女子供が傷つくのは見たくないだけだ」

「どの口が!」

 グララは思わず激高して叫ぶのをかろうじて堪えた。目の前で殺された妹の姿が脳裏に浮かび、血が出るほど拳を強く握りしめる。だがここで怒っては元も子もない。それにどんな国にも悪人はいる、とは自分自身の言葉だ。それは裏返せばどこの国でも悪人しかいないなどということはないということでもある。

『それでも俺は帝国軍おまえらを絶対に許さん』

 グララは必死に怒りを堪え、イリノアの心配をするバーガットを睨んだ。



「ああ!腹が立つわ!あの下級貴族が生んだボナーがサンクリスト公だなんて!ギルバート、悔しくないの!?」

ソシュートの屋敷でロベルタがイライラしながら叫ぶ。ボナーの挙式と家督相続が済んでからほぼ毎日こんな調子だ。

「うるさいですよ母上。私だって腹に据えかねているんです」

 ギルバートがうんざりしたように言う。ずっとこんな愚痴ばかり聞かされて彼の精神もかなり不安定になっている。しかも今日はロベルタの自室に呼ばれ、説教じみた話を延々と聞かされているのだ。アシムを使ったアンセリーナの身代わり暴露も失敗に終わり、ただでさえ苛立っているところにこれでは堪ったものではなかった。

「今からでも旦那様に陳情するべきよ!由緒ある『四公』の地位にふさわしい血筋が誰なのか、理解していただかねばならないわ!」

「父上が私の言葉に耳を貸すとは思えませんがね」

「何を弱気な!あなたがそんなだから……」

 その言葉がギルバートの堪忍袋の緒を切らせた。反射的に立ち上がり、ロベルタに憤怒の形相で怒鳴る。

「ふざけるな!!誰のせいでこうなったと!」

 あまりのギルバートの怒声にロベルタがひっ、と息を呑む。するとギルバートの顔がいきなり変わり、邪悪な笑みを浮かべる。

「そうか。そうだな。母上、私にサンクリスト家を継いでもらいたいんでしょう?」

「え、ええ。勿論よ」

「なら良い手がありますよ」

「本当!?」

「ええ。しかしそれには母上の協力が必要なのです」

「勿論よ。私が出来る事なら何でもするわ」

「そうですか。それはありがたい」

 ぞっとするような笑みを浮かべ、ギルバートは懐から短剣を取り出す。それはボナーがパンナとの見合いの際に佩いていたのと同じ、サンクリスト家の家紋が柄に刻まれたものであった。

「ギルバート!?」

 ギルバートのただならぬ雰囲気にロベルタが思わずたじろぐ。ギルバートは邪悪な笑みを浮かべたまま短剣を振りかざした。

「ギルバート!何を!?」

 背を向けて逃げようとしたロベルタだが、それより早くギルバートの振り下ろした短剣が彼女の胸に深々と突き刺さる。

「ギ……」

 あまりに突然の出来事に大きく目を見開いたロベルタの体が崩れ落ち、床に大きな血だまりを作る。それを見下ろしながらギルバートは愉快そうに笑った。

「くく、これで僕がサンクリスト家を継ぐことが出来る。母上も本望でしょう?僕の役に立てたのですからね。はは……ははははははっ!!」

 恐怖と驚愕の入り混じった表情をしたまま息絶えた母親を見下ろし、ギルバートは狂ったように笑い続けた。






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