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第40話 結婚
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べスター城の中に造られたイシュナル教の教会に厳かな音楽が流れる。この日のために集められた楽団が祝福の歌を演奏しているのだ。聖堂に並べられた長椅子には結婚式に招待された諸侯が座っているが、その最前列に座る人物を見て、彼らはざわついていた。
「おい、ハッサム王子だぞ」
「王家の方が臨席なさるとはさすが『四公』のご嫡男の挙式ですな」
周囲の貴族の囁きに気付かぬふりをしながらマルセ王国第二王子のハッサム・イロート・マルセイヤは心の中で苦笑する。「四公」の格式であれば王家の者が出席するのはさほど珍しいことではないのだが、父である国王ヘイルボーン三世が病床にあるうえに兄グマインが次期国王としてはあまりにもお粗末な出来であるため、ここ最近はこういった式典に王家の者が参加することが少なくなっていたのだ。
『王都にいても息が詰まるからな。こうして外に出られる機会は貴重だ』
ハッサムは心の中で呟く。ここ最近帝国の動きが活発だという噂は耳に入っているが、この北部への王国軍増派は見送られたままになっている。出費を嫌った八源家の横槍と叔父のキーレイは言っていたが、ハッサムはそれだけが理由ではないような気がしてならなかった。
『嫌な予感がするんだよな。外れてくれればいいが』
そう考えて顔をしかめていると、ジャーンという大きな音が響いた。新郎新婦の入場を知らせる銅鑼の音だ。
「サンクリスト公爵家ご嫡男ボナー様。エルモンド伯爵家ご長女アンセリーナ様。ご入場でございます!」
執事の声が聖堂に響き渡り、大きな扉がゆっくりと開かれる。振り返った出席者たちはその後ろに立つ二人を見て思わず感嘆の声を漏らす。
「おお、なんとご立派な」
「花嫁のなんと美しい事か」
白いタキシードに身を包んだボナーと、同じく純白のウェディングドレスを身に着けたアンセリーナ(に扮したパンナ)が腕を組み、ゆっくりと赤い絨毯の上を祭壇に向かって歩き出す。
「大丈夫ですか?パンナさん」
ボナーが小声でパンナに囁く。
「き、緊張で倒れそうです」
「あなたなら大丈夫です。綺麗ですよ」
「ボナー様の妻になると覚悟を決めた以上、あなたに恥をかかせるわけにはいきませんわね」
パンナは気を奮い立たせ、しっかりとした足取りでヴァージンロードを進む。祭壇の前には今日のためにわざわざ王都から派遣された司教が佇んでいた。
「今日の良き日に、女神イシュナルの祝福のあらんことを」
司教が腕を上に伸ばし、目の前に立つボナーとパンナに祝福の言葉をかける。
「ボナー・ウィル・サンクリスト。汝はこの者を妻とし、いついかなる時も彼女を慈しみ愛することを誓うか?」
「誓います」
「アンセリーナ・ネイヤー・エルモンド。汝はこの者を夫とし、いついかなる時も彼を支え愛することを誓うか?」
「誓います」
偽名で神に誓いを立てていいのかという思いはあったが、この場合は仕方ないだろう、とパンナは自分を納得させる。罰を当てるなら私だけにしてください、願いながら。
「イシュナルの名のもと、両名を夫婦と認める」
司教の宣言に続き、聖堂内に割れんばかりの拍手が起こる。ボナーはパンナを抱き寄せ、しばらく見つめ合った後、小さく頷く。パンナもそれに応えるように頷き、二人は顔を寄せそのまま唇を重ねた。
「わざわざのお越し、痛み入ります殿下」
挙式が無事に終わり、招待客はべスター城の大広間に移動して披露宴が始まった。ボナーはパンナと連れ立って招待客に挨拶に回っていたが、まず訪れたのがハッサムのところであった。丁寧に頭を下げるボナーの横でパンナは緊張で固まっていた。まさか自分が王家の人間と会うことになるとは少し前のパンナなら思いもしなかったろう。しかし今や自分はサンクリスト家の妻なのだ。喉がカラカラになりながら、何とかボナーに続いて挨拶をする。
「お、お初にお目にかかります殿下。ア、アンセリーナ・ネイヤー・エルモンド……いえ、アンセリーナ・ベスター・サンクリストでございます」
パンナは、というかアンセリーナには結婚に際し、サンクリスト家の人間であることを示すミドルネームが与えられていた。べスターはこの城の名前であると同時に、ここベストレームの旧名でもあった。
「初めましてアンセリーナ嬢。ハッサム・イロート・マルセイヤです」
「殿下にご臨席賜るとは光栄の極み。父も喜んでおります」
「いやいや。王都を抜け出す口実を与えてくれて感謝しているよ、ボナー君」
ハッサムは人懐こい笑顔をボナーとパンナに向ける。やや垂れ目だが整った顔立ちである。
「王都はどのような状況ですか?」
「君だから正直に話すがね。少し困ったことになっている。八源家が好き勝手にやっているからね。こちらへの増派が未だ出来ず申し訳なく思っているんだが」
「いえ、そのような。陛下のご容態はいかがですか?」
「やっぱり知っていたか。王都の外には漏らさないよう注意しているはずなんだが、人の口に戸は立てられんな」
「国王陛下はご病気なのですか?」
パンナが恐る恐る尋ねる。
「サンクリスト公爵夫人なら話してもよいかな。ああ。父上はかれこれ半年以上ベッドの上だ。医師の見立てでは回復の見込みはないらしい」
「そんな……」
「そういうわけで政務は八源家の独壇場だ。言いたくはないが、兄上はお飾りにすぎんからね」
ボナーが複雑な表情を浮かべる。第一王子のグマインが暗愚であることはボナーも父から聞いて知っていた。
「ハッサム殿下が舵を取ることは出来ないのですか?」
「僕は兄上に嫌われているからね。御前会議への出席も認められていない。叔父のキーレイ大公が根回しをしてくれてるようだが、どうにもね」
「そうですか……」
「そんな顔をするなよボナー君。せっかくのめでたい席だ。こんなに綺麗な嫁さんを貰ってそんな冴えない顔をしてたら罰が当たるってもんだ」
「で、殿下、お戯れを」
パンナが顔を真っ赤にする。
「いやいや、本当にお美しいですよアンセリーナ嬢。王都にも美人はたくさんいるが、これほどの女性はそう見当たらない。僕の見た中では王国で二番目に美しい」
「ご、ご冗談が過ぎます!」
「ほう。では国内一の美人とはどなたです?」
「決まってるだろ。僕の妻さ」
「これはご馳走様です」
「男なら誰だって自分の妻が一番だよ。ボナー君も僕の妻に会ったら同じことを言うさ。国内で二番目のお美しさです、とね」
「殿下の前でそれを言えましょうか?」
「否定はしないんだね。ふ、よほどぞっこんと見える」
「お二人ともそれくらいでお許しください」
赤くなるのを通り越してパンナは泣きそうな顔になる。ボナーはそんなパンナの方を抱き寄せ、満面の笑みを浮かべる。
「はい、それはもうぞっこんです。僕は国内一の幸せ者ですよ」
「これは大量にお返しを貰ってしまったな。おめでとう。幸せを祈るよ」
「ありがとうございます。それではこれで失礼させていただきます」
ボナーはあまりの恥ずかしさでのぼせ上ったパンナを連れてハッサムの元から去り、他の客への挨拶に回る。あまりに嬉しそうに自分を紹介するボナーにパンナはもう穴があったら入りたい気分になっていた。
「ボナー様。この度はおめでとうございます」
頭がクラクラして誰に挨拶をしたのかおぼろげになりながらパンナは何とかボナーに付き従っていた。そんな中で聞き覚えのある声が耳に届き、パンナははっとして前を見る。目の前にはウォルト・リック・フェルマー男爵が座っていた。
「フェルマー卿、お越しいただいてありがとうございます」
「とんでもございません。アンセリーナ様も本当におめでとうございます」
「あ、ありがとうございますフェルマー様。こちらこそお披露目の時は本当にありがとうございました」
「いえいえ。しかしあの場でお会いになられたお二人がこうして結婚とは。実に素晴らしい」
「あのパーティーに出て本当によかったですよ。こうして最愛の女性と巡り会えたのですから」
「ボ、ボナー様。本当にもうお許しください」
「アンセリーナ様。差し出がましいようですが、こうして夫婦になった以上、夫をいつまでもボナー様とお呼びするのはいかがかと思いますよ」
「え?し、しかし」
「フェルマー卿の言う通りだ。パ、アンセリーナ、僕のこともボナーと呼んでくれよ」
「そ、そのような!」
パンナは焦って息を呑んだ。「四公」になる人を呼び捨てになど出来るはずがない。いくら夫とはいえ、自分は身分を隠した偽りの花嫁なのだ。
「これから多くの諸侯の前で挨拶することになるんだ。いつまでも様なんか付けてたら変に思われるよ」
「で、ですがいきなり呼び捨ては……せめて他の言い方は……」
「じゃあ、『あなた』でどうだい?人に話すときは『夫』でも『主人』でもいい」
「は、はあ」
顔を真っ赤にしながらパンナは落ち着こうと深呼吸をする。誰かを「あなた」などと呼ぶ日が来るとは少し前まで思いもしなかった。
「こ、これからも主人の力になって下さいませ、フェルマー様」
「勿論ですよ。お二人の幸せを邪魔するようなものがあったら不肖このウォルト・リック・フェルマー、全力でそれを排除いたします」
「心強いことだ。なあ、アンセリーナ」
「え、ええ。本当ですわね。あ、あなた」
「まだぎこちないが、まあ及第点としよう。それではフェルマー卿、ごゆるりと。……そういえばアーノルド卿の姿が見えませんね」
「ああ、それなんですが、先ほどちょっとアーノルド卿の様子がおかしかったのですよ」
「というと?」
「式の始まる前、アンセリーナ様が到着された時なのですが、馬車から降りたアンセリーナ様を見てアーノルド卿がひどく動揺しまして」
「え?」
「それで急用が出来たと言って帰ってしまわれたのです。式を目前に急用もないと思うのですが」
パンナは嫌な予感を覚え、表情を曇らせた。お披露目の時会ったアーノルド卿はやたらと纏わりついてきたが、不審なそぶりは見せなかった。しかし今日彼が見たのは本物のアンセリーナだ。それを見て動揺したということは……
『お披露目の時感じたあの視線……まさか』
「そうした?アンセリーナ」
パンナの様子がおかしいことに気付き、ボナーが心配そうに尋ねる。
「い、いえ、なんでもございません」
動揺を隠し、パンナは精一杯の笑みを浮かべて見せた。
「おい、ハッサム王子だぞ」
「王家の方が臨席なさるとはさすが『四公』のご嫡男の挙式ですな」
周囲の貴族の囁きに気付かぬふりをしながらマルセ王国第二王子のハッサム・イロート・マルセイヤは心の中で苦笑する。「四公」の格式であれば王家の者が出席するのはさほど珍しいことではないのだが、父である国王ヘイルボーン三世が病床にあるうえに兄グマインが次期国王としてはあまりにもお粗末な出来であるため、ここ最近はこういった式典に王家の者が参加することが少なくなっていたのだ。
『王都にいても息が詰まるからな。こうして外に出られる機会は貴重だ』
ハッサムは心の中で呟く。ここ最近帝国の動きが活発だという噂は耳に入っているが、この北部への王国軍増派は見送られたままになっている。出費を嫌った八源家の横槍と叔父のキーレイは言っていたが、ハッサムはそれだけが理由ではないような気がしてならなかった。
『嫌な予感がするんだよな。外れてくれればいいが』
そう考えて顔をしかめていると、ジャーンという大きな音が響いた。新郎新婦の入場を知らせる銅鑼の音だ。
「サンクリスト公爵家ご嫡男ボナー様。エルモンド伯爵家ご長女アンセリーナ様。ご入場でございます!」
執事の声が聖堂に響き渡り、大きな扉がゆっくりと開かれる。振り返った出席者たちはその後ろに立つ二人を見て思わず感嘆の声を漏らす。
「おお、なんとご立派な」
「花嫁のなんと美しい事か」
白いタキシードに身を包んだボナーと、同じく純白のウェディングドレスを身に着けたアンセリーナ(に扮したパンナ)が腕を組み、ゆっくりと赤い絨毯の上を祭壇に向かって歩き出す。
「大丈夫ですか?パンナさん」
ボナーが小声でパンナに囁く。
「き、緊張で倒れそうです」
「あなたなら大丈夫です。綺麗ですよ」
「ボナー様の妻になると覚悟を決めた以上、あなたに恥をかかせるわけにはいきませんわね」
パンナは気を奮い立たせ、しっかりとした足取りでヴァージンロードを進む。祭壇の前には今日のためにわざわざ王都から派遣された司教が佇んでいた。
「今日の良き日に、女神イシュナルの祝福のあらんことを」
司教が腕を上に伸ばし、目の前に立つボナーとパンナに祝福の言葉をかける。
「ボナー・ウィル・サンクリスト。汝はこの者を妻とし、いついかなる時も彼女を慈しみ愛することを誓うか?」
「誓います」
「アンセリーナ・ネイヤー・エルモンド。汝はこの者を夫とし、いついかなる時も彼を支え愛することを誓うか?」
「誓います」
偽名で神に誓いを立てていいのかという思いはあったが、この場合は仕方ないだろう、とパンナは自分を納得させる。罰を当てるなら私だけにしてください、願いながら。
「イシュナルの名のもと、両名を夫婦と認める」
司教の宣言に続き、聖堂内に割れんばかりの拍手が起こる。ボナーはパンナを抱き寄せ、しばらく見つめ合った後、小さく頷く。パンナもそれに応えるように頷き、二人は顔を寄せそのまま唇を重ねた。
「わざわざのお越し、痛み入ります殿下」
挙式が無事に終わり、招待客はべスター城の大広間に移動して披露宴が始まった。ボナーはパンナと連れ立って招待客に挨拶に回っていたが、まず訪れたのがハッサムのところであった。丁寧に頭を下げるボナーの横でパンナは緊張で固まっていた。まさか自分が王家の人間と会うことになるとは少し前のパンナなら思いもしなかったろう。しかし今や自分はサンクリスト家の妻なのだ。喉がカラカラになりながら、何とかボナーに続いて挨拶をする。
「お、お初にお目にかかります殿下。ア、アンセリーナ・ネイヤー・エルモンド……いえ、アンセリーナ・ベスター・サンクリストでございます」
パンナは、というかアンセリーナには結婚に際し、サンクリスト家の人間であることを示すミドルネームが与えられていた。べスターはこの城の名前であると同時に、ここベストレームの旧名でもあった。
「初めましてアンセリーナ嬢。ハッサム・イロート・マルセイヤです」
「殿下にご臨席賜るとは光栄の極み。父も喜んでおります」
「いやいや。王都を抜け出す口実を与えてくれて感謝しているよ、ボナー君」
ハッサムは人懐こい笑顔をボナーとパンナに向ける。やや垂れ目だが整った顔立ちである。
「王都はどのような状況ですか?」
「君だから正直に話すがね。少し困ったことになっている。八源家が好き勝手にやっているからね。こちらへの増派が未だ出来ず申し訳なく思っているんだが」
「いえ、そのような。陛下のご容態はいかがですか?」
「やっぱり知っていたか。王都の外には漏らさないよう注意しているはずなんだが、人の口に戸は立てられんな」
「国王陛下はご病気なのですか?」
パンナが恐る恐る尋ねる。
「サンクリスト公爵夫人なら話してもよいかな。ああ。父上はかれこれ半年以上ベッドの上だ。医師の見立てでは回復の見込みはないらしい」
「そんな……」
「そういうわけで政務は八源家の独壇場だ。言いたくはないが、兄上はお飾りにすぎんからね」
ボナーが複雑な表情を浮かべる。第一王子のグマインが暗愚であることはボナーも父から聞いて知っていた。
「ハッサム殿下が舵を取ることは出来ないのですか?」
「僕は兄上に嫌われているからね。御前会議への出席も認められていない。叔父のキーレイ大公が根回しをしてくれてるようだが、どうにもね」
「そうですか……」
「そんな顔をするなよボナー君。せっかくのめでたい席だ。こんなに綺麗な嫁さんを貰ってそんな冴えない顔をしてたら罰が当たるってもんだ」
「で、殿下、お戯れを」
パンナが顔を真っ赤にする。
「いやいや、本当にお美しいですよアンセリーナ嬢。王都にも美人はたくさんいるが、これほどの女性はそう見当たらない。僕の見た中では王国で二番目に美しい」
「ご、ご冗談が過ぎます!」
「ほう。では国内一の美人とはどなたです?」
「決まってるだろ。僕の妻さ」
「これはご馳走様です」
「男なら誰だって自分の妻が一番だよ。ボナー君も僕の妻に会ったら同じことを言うさ。国内で二番目のお美しさです、とね」
「殿下の前でそれを言えましょうか?」
「否定はしないんだね。ふ、よほどぞっこんと見える」
「お二人ともそれくらいでお許しください」
赤くなるのを通り越してパンナは泣きそうな顔になる。ボナーはそんなパンナの方を抱き寄せ、満面の笑みを浮かべる。
「はい、それはもうぞっこんです。僕は国内一の幸せ者ですよ」
「これは大量にお返しを貰ってしまったな。おめでとう。幸せを祈るよ」
「ありがとうございます。それではこれで失礼させていただきます」
ボナーはあまりの恥ずかしさでのぼせ上ったパンナを連れてハッサムの元から去り、他の客への挨拶に回る。あまりに嬉しそうに自分を紹介するボナーにパンナはもう穴があったら入りたい気分になっていた。
「ボナー様。この度はおめでとうございます」
頭がクラクラして誰に挨拶をしたのかおぼろげになりながらパンナは何とかボナーに付き従っていた。そんな中で聞き覚えのある声が耳に届き、パンナははっとして前を見る。目の前にはウォルト・リック・フェルマー男爵が座っていた。
「フェルマー卿、お越しいただいてありがとうございます」
「とんでもございません。アンセリーナ様も本当におめでとうございます」
「あ、ありがとうございますフェルマー様。こちらこそお披露目の時は本当にありがとうございました」
「いえいえ。しかしあの場でお会いになられたお二人がこうして結婚とは。実に素晴らしい」
「あのパーティーに出て本当によかったですよ。こうして最愛の女性と巡り会えたのですから」
「ボ、ボナー様。本当にもうお許しください」
「アンセリーナ様。差し出がましいようですが、こうして夫婦になった以上、夫をいつまでもボナー様とお呼びするのはいかがかと思いますよ」
「え?し、しかし」
「フェルマー卿の言う通りだ。パ、アンセリーナ、僕のこともボナーと呼んでくれよ」
「そ、そのような!」
パンナは焦って息を呑んだ。「四公」になる人を呼び捨てになど出来るはずがない。いくら夫とはいえ、自分は身分を隠した偽りの花嫁なのだ。
「これから多くの諸侯の前で挨拶することになるんだ。いつまでも様なんか付けてたら変に思われるよ」
「で、ですがいきなり呼び捨ては……せめて他の言い方は……」
「じゃあ、『あなた』でどうだい?人に話すときは『夫』でも『主人』でもいい」
「は、はあ」
顔を真っ赤にしながらパンナは落ち着こうと深呼吸をする。誰かを「あなた」などと呼ぶ日が来るとは少し前まで思いもしなかった。
「こ、これからも主人の力になって下さいませ、フェルマー様」
「勿論ですよ。お二人の幸せを邪魔するようなものがあったら不肖このウォルト・リック・フェルマー、全力でそれを排除いたします」
「心強いことだ。なあ、アンセリーナ」
「え、ええ。本当ですわね。あ、あなた」
「まだぎこちないが、まあ及第点としよう。それではフェルマー卿、ごゆるりと。……そういえばアーノルド卿の姿が見えませんね」
「ああ、それなんですが、先ほどちょっとアーノルド卿の様子がおかしかったのですよ」
「というと?」
「式の始まる前、アンセリーナ様が到着された時なのですが、馬車から降りたアンセリーナ様を見てアーノルド卿がひどく動揺しまして」
「え?」
「それで急用が出来たと言って帰ってしまわれたのです。式を目前に急用もないと思うのですが」
パンナは嫌な予感を覚え、表情を曇らせた。お披露目の時会ったアーノルド卿はやたらと纏わりついてきたが、不審なそぶりは見せなかった。しかし今日彼が見たのは本物のアンセリーナだ。それを見て動揺したということは……
『お披露目の時感じたあの視線……まさか』
「そうした?アンセリーナ」
パンナの様子がおかしいことに気付き、ボナーが心配そうに尋ねる。
「い、いえ、なんでもございません」
動揺を隠し、パンナは精一杯の笑みを浮かべて見せた。
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