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第32話 帝国の焦燥
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大陸北部に位置するダストン帝国。皇帝を元首とする君主国家であり、マルせ王国同様貴族が領地を統治しているが、軍の有り様は王国と大きく違っていた。王国における各家の騎士団がそのまま国家防衛を担う王国軍の一部であるのに対し、帝国の貴族の騎士団はあくまで領地を管理する警察的な役割が大きく、帝国軍そのものは独立した巨大な軍事組織であった。各地の領主は戦時においてその場所における指揮権を持ちはするが、最終的な作戦命令は帝都に置かれた参謀本部が担い、時にその命令は領主の権限を越える。
「何故未だに本隊を動かさんのだ!」
その参謀本部の大会議室でそう怒鳴りながら机を叩くのは帝国軍参謀本部作戦局局長、コーゼン・カールストフ少将だ。右目から左頬にかけて大きな傷跡を持つ強面の男である。
「落ち着きたまえ少将。今回の作戦は君も了承したはずだ。第一段階の先遣隊による兵站確保が失敗した以上、本隊を動かすわけにはいかんだろう」
そうコーゼンをたしなめたのは参謀本部統括次官、エライン・ボートレック中将だ。軍人にしては線が細く、眼鏡をかけて髪をオールバックにまとめている姿は事務方の人間に見えるが、帝国軍きっての切れ者と言われる男だ。
「だから小賢しい細工は抜きで全軍で攻め込めと言ったのだ!腑抜けた王国の騎士など、我ら帝国軍の敵ではないわ!」
「うっぷんが溜まっているのは分かるが、少し落ち着いたらどうかねコーゼン。昔もそれで痛い目に遭っただろう」
緊張感のない声でそう諭すのは参謀本部広報局局長、マーベル・トライシタン少将。コーゼンとは同期で、何かと縁があって同じ部署に配属され続けてきたため、暴走がちなコーゼンのブレーキ役を任されることが多い。
「新兵だったころの話だ!それにあの忌々しいサンクリストはもう爺だ!恐るるに足らん!」
「油断は禁物って話さ。現に送り込んだ先遣隊は精鋭ぞろいだったんだろ?それが全員音信不通とは尋常じゃあないよ」
「そんなことは分かっている!」
「こっちも国民にいい喧伝をしたいからさあ。初っ端からつまずきましたじゃ恰好がつかないんだよねえ」
「ふん!精々徴兵に応募する者が増えるようなキャッチコピーでも考えておけ!」
「しかしこのまま作戦中止という訳にもいかんでしょう。殿下の忍耐にも限界がありますしな」
のんびりした口調でそう言うのは参謀本部人事局局長、モーリス・ベルコート准将。参謀本部最高齢にして皇帝の血筋を引く男である。
「無論中止はありえん。だが実際問題、兵站線は確保しておかんといかん。これ以上国民から徴収を行えばそれこそ暴動に発展しかねんからな」
重々しい声でそう発言したのはエラインと同じ参謀本部統括次官、ウルベルト・ログスタイヤー大将。参謀本部の最高責任者である。
「しかし閣下。先遣隊が消息を絶った原因を明らかにしなければ、同じ事態を招く恐れが」
「それは当然だ。情報は何か入っておらんのか?」
「先遣隊に続いて王国に潜入した部隊は敵の駐屯地で全滅したとのことです。しかしその死にざまが……」
「どうしたというのだ?」
「明らかに異常な状態であったようです。王国軍の守備隊が明らかに斬殺されたとみられるのに対し、こちらの部隊は……まるで干からびたような状態であったと」
「干からびた?何だそれは」
コーゼンが不機嫌そうに言う。
「ふむ、もしかすると異能者の仕業、やもしれませんな」
エラインが顎に手をやりながら言う。
「異能者だと?まさか亜人種……商国が王国側に味方しているというのか?」
「それは分かりませんが、王国の守備隊を殲滅したのはこちらの先遣隊でしょう。作戦通りだとすれば、その後後続の部隊が駐屯地に入ったことになります」
「だとするとそこに異能者が現れ、後続部隊を殲滅したと」
「そう考えるのが妥当でしょう。ただ先遣隊もその者が殺したというのは合点がいきませんが」
「何故だ?」
「我が軍の潜入を防ぐのが目的であれば、先遣隊を始末した時点でそれは果たしているからです。わざわざ後続部隊を駐屯地まで殺しに行くことは無い。後続部隊は陽動にかかった守備隊の帰りを待ち、適当に戦闘した後で撤退する予定でしたからな」
「敵はそんなことを知らんかったろう」
「なら初めから駐屯地で先遣隊を始末すればよかったのです。そうすれば後続部隊は先遣隊の死体を見て侵入を諦めたでしょう」
「情報が足りぬこの状況で問答していても始まらん。今度の作戦をどうするか、それを考えねばな」
ウルベルトの言葉に一同が頷く。そこで参謀本部兵務局次長のバーナード・ステイシー大佐がおずおずと手を挙げて発言した。エラインよりさらに線が細く、顔色が悪い男だ。
「閣下の申される通り、これ以上の非常徴収は民の不満を高めるというだけでなく、死活問題にまで発展しかねません。特に北方のミノタス州では餓死者も出ております。王国内での兵糧確保は絶対に必要です」
ダストン帝国はここ数年、異常な寒波と長雨により、農作物に甚大な被害が生まれていた。収穫量が例年の三割程度に落ち込む地域もあり、深刻な食糧不足が起きていたのである。備蓄の供出にも限界があり、国民の不満は日増しに高まっていた。そんな中で軍部が立案したのが数十年ぶりとなる今回の本格的な王国侵攻である。だが皮肉なことにその侵攻のために食料の非常徴収を行わなければならないという事態に陥っていた。
「もっと早く侵攻をしていればここまで窮することもなかったものを」
コーゼンが拳を握りしめて呟く。その思いは参謀本部全員が同じく持っていた。
「致し方あるまい。陛下と皇后様のご意向を無視してまでの侵攻はそれこそ国民に不和を産みかねん」
帝国軍は早くから現状のような近代的な組織化を進め、すでに十年前には今と同じ水準の整備を終えていた。軍部は一刻も早い王国侵攻を渇望していたが、ここに一つの問題が持ち上がった。長い間子供に恵まれなかった皇帝の妃エスメラルダに、待望の嫡男が誕生したのだが、その子が生まれつき体が弱く、常に死の危険と隣り合っていたのだ。
「どうすればこの子が無事に育つのか」
エスメラルダはそればかりを考え、帝国正教会の大司教、ラスニコフに伺いを立てた。ラスニコフは女神イシュナルの神託を聞くいわゆる「預言者」として知られ、国内のイシュナル教徒から絶大な信頼を集めていた。皮肉なことに彼らが忌避する神聖オーディアル教団の教主、イリノア・ファングと同じ役回りをしていたのである。
「流血を避けよ」
それがエスメラルダから相談を受けたラスニコフがイシュナルから聞いた神託だった。エスメラルダはそれを戦争の回避と捉え、さらに犯罪にも厳罰をもって当たるよう指示した。待望の嫡男を無事に育てたいと思うのは皇帝も無論同じで、軍部に王国侵攻を厳禁した。いくら軍部が独立した組織であっても国家元首の意向は無視できない。こうして帝国軍はありあまる兵力を有しながら、自衛を建前とした小機微な小競り合いしか出来なくなり、軍部の不満は溜まっていった。
「ようやく好機が訪れたのだ。今を逃すことは出来ん」
コーゼンの言葉に今度は誰も異を唱えなかった。不作が続き、国民が困窮に喘ぎだした昨年、大きな転機が訪れた。エスメラルダが病死し、それを悲しんだ皇帝までが体調を崩したのだ。嫡男がまだ子供であるため、皇帝は退位したあとの玉座を弟の息子であるギランドに譲ると宣言した。ちなみに弟は早くにギランドを設けたが、数年前にやはり病没している。
「ギランド殿下の即位までに一定の戦果を挙げねば、近衛局の連中が騒ぎ立てるのは目に見えておるからな」
モーリスの言葉にウルベルトが「分かっている」と不機嫌そうに答える。ギランドはイシュナル教徒ではあるものの独自に権力と財を集める正教会を毛嫌いしており、ラスニコフの神託など歯牙にもかけていない。それどころか国民の窮状を打破するため一刻も早く王国に攻め入れと軍部に発破をかけていた。
「一年がかりで準備してきたのだ。今更後へは退けん。何としても最低限王国北部は手中にせねば」
「ますは兵站だ。一気に国境近辺の村を制圧するしかない」
「大規模な部隊移動は街道を使わねばならん。モースキンの城塞を突破するには時間がかかる」
「危険だがまた小規模な先遣隊を森から送るしかないのではないか?」
意見が紛糾し、参謀本部に重苦しい空気が流れる。そんな中、エラインが一つ咳払いをして皆の注目を集める。
「我が軍の先遣隊を再び派遣して同じ轍を踏むことは避けねばならん。ならば森に棲む亜人どもを利用してはどうかな?」
「亜人種を?」
「先遣隊はすでに全滅したとみてよかろう。それをやったのが異能者だったとすれば、王国に亜人種を使う者がいるということになる。あやつらが自分の意志で我が軍を殺すとは思えんからな」
「商国の亜人たちは王国、帝国どちらにも加担しないという条件で商売をしているのだぞ」
「だからメキアの森に棲む者の仕業だろう。奴らは自分たちの居住区拡大を悲願にしている。王国の貴族の中にそれを餌にして奴らを雇っているものがいるとすれば、今回の件も納得がいく」
「ふん、王国北部は商国に接している上、メキアの森にも近いからな」
「その餌を今度はこちらが蒔くのだ。国境近辺の村を占領すれば、我が軍が王国北部を手中にしたとき、森のみならず町への居住も認めるとな」
「そんなことを勝手に約束していいのか?正教会がいい顔をせんだろう」
「背に腹は代えられん。司教だって飯を食わねば生きて行けまい?それにどの程度まで認めるかはことが終わってから考えればよい」
「わが国には『純血派』は少ないからな。大きな抵抗はない、か」
「では早速メキアの森に交渉の者を向かわせよう。誰がよい?」
「ふむ、ケダモノ相手の交渉となれば、うってつけの男がいるな」
エラインはそう言って、にやりと笑った。
「と、いうわけだ。エライン閣下直々のご指名とあれば断ることも出来まい?」
そう言ってからかうように笑うのは帝国軍第十一歩兵大隊隊長を務めるランディ・ソーン少佐。ウェーブのかかった明るい茶髪に垂れ目。いかにも軽薄そうな印象を与える優男だ。
「獣人族を味方に引き入れ、国境近辺の村を占領させろ、か。参謀本部も無茶を言いやがる」
「その後のわが軍の先遣隊潜入の道案内まで付けてだ。そこで近辺の食糧をかき集め、さらにモースキンを内側から混乱させる」
「そこまで亜人どもにやらせる気か?奴らが素直に従うとは思えんぞ」
そう言って渋い顔をするのは帝国軍特任機動大隊第二中隊長、バーガット・ロビンソン大尉。顔の下半分を黒いひげで覆った熊を連想させる大男だ。ランディとは入隊以来の仲で、コーゼンとマーベルの関係に似ていた。
「王国北部を占領したら奴らを町に住まわせてやるって餌を蒔け、ということだ」
「商国が黙っているとは思えんがな」
「そこはそれ、やってから考えるしかないんじゃないか?我が国に猶予がないのはお前も分かってるだろう?」
「無論だ。俺はミノタス州の出身だしな」
「ああ。あそこは今酷いらしいね」
「どちらにせよ参謀本部の命令とあれば嫌も応もない。数はどれくらい連れていける?」
「それは君の判断に任すってさ」
「分かった。では人員を選定したのち、直ちに向かう」
バーガットはそう言って巨体を椅子から持ち上げた。
「何故未だに本隊を動かさんのだ!」
その参謀本部の大会議室でそう怒鳴りながら机を叩くのは帝国軍参謀本部作戦局局長、コーゼン・カールストフ少将だ。右目から左頬にかけて大きな傷跡を持つ強面の男である。
「落ち着きたまえ少将。今回の作戦は君も了承したはずだ。第一段階の先遣隊による兵站確保が失敗した以上、本隊を動かすわけにはいかんだろう」
そうコーゼンをたしなめたのは参謀本部統括次官、エライン・ボートレック中将だ。軍人にしては線が細く、眼鏡をかけて髪をオールバックにまとめている姿は事務方の人間に見えるが、帝国軍きっての切れ者と言われる男だ。
「だから小賢しい細工は抜きで全軍で攻め込めと言ったのだ!腑抜けた王国の騎士など、我ら帝国軍の敵ではないわ!」
「うっぷんが溜まっているのは分かるが、少し落ち着いたらどうかねコーゼン。昔もそれで痛い目に遭っただろう」
緊張感のない声でそう諭すのは参謀本部広報局局長、マーベル・トライシタン少将。コーゼンとは同期で、何かと縁があって同じ部署に配属され続けてきたため、暴走がちなコーゼンのブレーキ役を任されることが多い。
「新兵だったころの話だ!それにあの忌々しいサンクリストはもう爺だ!恐るるに足らん!」
「油断は禁物って話さ。現に送り込んだ先遣隊は精鋭ぞろいだったんだろ?それが全員音信不通とは尋常じゃあないよ」
「そんなことは分かっている!」
「こっちも国民にいい喧伝をしたいからさあ。初っ端からつまずきましたじゃ恰好がつかないんだよねえ」
「ふん!精々徴兵に応募する者が増えるようなキャッチコピーでも考えておけ!」
「しかしこのまま作戦中止という訳にもいかんでしょう。殿下の忍耐にも限界がありますしな」
のんびりした口調でそう言うのは参謀本部人事局局長、モーリス・ベルコート准将。参謀本部最高齢にして皇帝の血筋を引く男である。
「無論中止はありえん。だが実際問題、兵站線は確保しておかんといかん。これ以上国民から徴収を行えばそれこそ暴動に発展しかねんからな」
重々しい声でそう発言したのはエラインと同じ参謀本部統括次官、ウルベルト・ログスタイヤー大将。参謀本部の最高責任者である。
「しかし閣下。先遣隊が消息を絶った原因を明らかにしなければ、同じ事態を招く恐れが」
「それは当然だ。情報は何か入っておらんのか?」
「先遣隊に続いて王国に潜入した部隊は敵の駐屯地で全滅したとのことです。しかしその死にざまが……」
「どうしたというのだ?」
「明らかに異常な状態であったようです。王国軍の守備隊が明らかに斬殺されたとみられるのに対し、こちらの部隊は……まるで干からびたような状態であったと」
「干からびた?何だそれは」
コーゼンが不機嫌そうに言う。
「ふむ、もしかすると異能者の仕業、やもしれませんな」
エラインが顎に手をやりながら言う。
「異能者だと?まさか亜人種……商国が王国側に味方しているというのか?」
「それは分かりませんが、王国の守備隊を殲滅したのはこちらの先遣隊でしょう。作戦通りだとすれば、その後後続の部隊が駐屯地に入ったことになります」
「だとするとそこに異能者が現れ、後続部隊を殲滅したと」
「そう考えるのが妥当でしょう。ただ先遣隊もその者が殺したというのは合点がいきませんが」
「何故だ?」
「我が軍の潜入を防ぐのが目的であれば、先遣隊を始末した時点でそれは果たしているからです。わざわざ後続部隊を駐屯地まで殺しに行くことは無い。後続部隊は陽動にかかった守備隊の帰りを待ち、適当に戦闘した後で撤退する予定でしたからな」
「敵はそんなことを知らんかったろう」
「なら初めから駐屯地で先遣隊を始末すればよかったのです。そうすれば後続部隊は先遣隊の死体を見て侵入を諦めたでしょう」
「情報が足りぬこの状況で問答していても始まらん。今度の作戦をどうするか、それを考えねばな」
ウルベルトの言葉に一同が頷く。そこで参謀本部兵務局次長のバーナード・ステイシー大佐がおずおずと手を挙げて発言した。エラインよりさらに線が細く、顔色が悪い男だ。
「閣下の申される通り、これ以上の非常徴収は民の不満を高めるというだけでなく、死活問題にまで発展しかねません。特に北方のミノタス州では餓死者も出ております。王国内での兵糧確保は絶対に必要です」
ダストン帝国はここ数年、異常な寒波と長雨により、農作物に甚大な被害が生まれていた。収穫量が例年の三割程度に落ち込む地域もあり、深刻な食糧不足が起きていたのである。備蓄の供出にも限界があり、国民の不満は日増しに高まっていた。そんな中で軍部が立案したのが数十年ぶりとなる今回の本格的な王国侵攻である。だが皮肉なことにその侵攻のために食料の非常徴収を行わなければならないという事態に陥っていた。
「もっと早く侵攻をしていればここまで窮することもなかったものを」
コーゼンが拳を握りしめて呟く。その思いは参謀本部全員が同じく持っていた。
「致し方あるまい。陛下と皇后様のご意向を無視してまでの侵攻はそれこそ国民に不和を産みかねん」
帝国軍は早くから現状のような近代的な組織化を進め、すでに十年前には今と同じ水準の整備を終えていた。軍部は一刻も早い王国侵攻を渇望していたが、ここに一つの問題が持ち上がった。長い間子供に恵まれなかった皇帝の妃エスメラルダに、待望の嫡男が誕生したのだが、その子が生まれつき体が弱く、常に死の危険と隣り合っていたのだ。
「どうすればこの子が無事に育つのか」
エスメラルダはそればかりを考え、帝国正教会の大司教、ラスニコフに伺いを立てた。ラスニコフは女神イシュナルの神託を聞くいわゆる「預言者」として知られ、国内のイシュナル教徒から絶大な信頼を集めていた。皮肉なことに彼らが忌避する神聖オーディアル教団の教主、イリノア・ファングと同じ役回りをしていたのである。
「流血を避けよ」
それがエスメラルダから相談を受けたラスニコフがイシュナルから聞いた神託だった。エスメラルダはそれを戦争の回避と捉え、さらに犯罪にも厳罰をもって当たるよう指示した。待望の嫡男を無事に育てたいと思うのは皇帝も無論同じで、軍部に王国侵攻を厳禁した。いくら軍部が独立した組織であっても国家元首の意向は無視できない。こうして帝国軍はありあまる兵力を有しながら、自衛を建前とした小機微な小競り合いしか出来なくなり、軍部の不満は溜まっていった。
「ようやく好機が訪れたのだ。今を逃すことは出来ん」
コーゼンの言葉に今度は誰も異を唱えなかった。不作が続き、国民が困窮に喘ぎだした昨年、大きな転機が訪れた。エスメラルダが病死し、それを悲しんだ皇帝までが体調を崩したのだ。嫡男がまだ子供であるため、皇帝は退位したあとの玉座を弟の息子であるギランドに譲ると宣言した。ちなみに弟は早くにギランドを設けたが、数年前にやはり病没している。
「ギランド殿下の即位までに一定の戦果を挙げねば、近衛局の連中が騒ぎ立てるのは目に見えておるからな」
モーリスの言葉にウルベルトが「分かっている」と不機嫌そうに答える。ギランドはイシュナル教徒ではあるものの独自に権力と財を集める正教会を毛嫌いしており、ラスニコフの神託など歯牙にもかけていない。それどころか国民の窮状を打破するため一刻も早く王国に攻め入れと軍部に発破をかけていた。
「一年がかりで準備してきたのだ。今更後へは退けん。何としても最低限王国北部は手中にせねば」
「ますは兵站だ。一気に国境近辺の村を制圧するしかない」
「大規模な部隊移動は街道を使わねばならん。モースキンの城塞を突破するには時間がかかる」
「危険だがまた小規模な先遣隊を森から送るしかないのではないか?」
意見が紛糾し、参謀本部に重苦しい空気が流れる。そんな中、エラインが一つ咳払いをして皆の注目を集める。
「我が軍の先遣隊を再び派遣して同じ轍を踏むことは避けねばならん。ならば森に棲む亜人どもを利用してはどうかな?」
「亜人種を?」
「先遣隊はすでに全滅したとみてよかろう。それをやったのが異能者だったとすれば、王国に亜人種を使う者がいるということになる。あやつらが自分の意志で我が軍を殺すとは思えんからな」
「商国の亜人たちは王国、帝国どちらにも加担しないという条件で商売をしているのだぞ」
「だからメキアの森に棲む者の仕業だろう。奴らは自分たちの居住区拡大を悲願にしている。王国の貴族の中にそれを餌にして奴らを雇っているものがいるとすれば、今回の件も納得がいく」
「ふん、王国北部は商国に接している上、メキアの森にも近いからな」
「その餌を今度はこちらが蒔くのだ。国境近辺の村を占領すれば、我が軍が王国北部を手中にしたとき、森のみならず町への居住も認めるとな」
「そんなことを勝手に約束していいのか?正教会がいい顔をせんだろう」
「背に腹は代えられん。司教だって飯を食わねば生きて行けまい?それにどの程度まで認めるかはことが終わってから考えればよい」
「わが国には『純血派』は少ないからな。大きな抵抗はない、か」
「では早速メキアの森に交渉の者を向かわせよう。誰がよい?」
「ふむ、ケダモノ相手の交渉となれば、うってつけの男がいるな」
エラインはそう言って、にやりと笑った。
「と、いうわけだ。エライン閣下直々のご指名とあれば断ることも出来まい?」
そう言ってからかうように笑うのは帝国軍第十一歩兵大隊隊長を務めるランディ・ソーン少佐。ウェーブのかかった明るい茶髪に垂れ目。いかにも軽薄そうな印象を与える優男だ。
「獣人族を味方に引き入れ、国境近辺の村を占領させろ、か。参謀本部も無茶を言いやがる」
「その後のわが軍の先遣隊潜入の道案内まで付けてだ。そこで近辺の食糧をかき集め、さらにモースキンを内側から混乱させる」
「そこまで亜人どもにやらせる気か?奴らが素直に従うとは思えんぞ」
そう言って渋い顔をするのは帝国軍特任機動大隊第二中隊長、バーガット・ロビンソン大尉。顔の下半分を黒いひげで覆った熊を連想させる大男だ。ランディとは入隊以来の仲で、コーゼンとマーベルの関係に似ていた。
「王国北部を占領したら奴らを町に住まわせてやるって餌を蒔け、ということだ」
「商国が黙っているとは思えんがな」
「そこはそれ、やってから考えるしかないんじゃないか?我が国に猶予がないのはお前も分かってるだろう?」
「無論だ。俺はミノタス州の出身だしな」
「ああ。あそこは今酷いらしいね」
「どちらにせよ参謀本部の命令とあれば嫌も応もない。数はどれくらい連れていける?」
「それは君の判断に任すってさ」
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