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第30話 策動

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 その夜は恐れていた襲撃はなく、パンナは屋敷を出てから初めて平穏な夜を過ごすことが出来た。翌朝、ミクリードを発つ際にはミッドレイとパンナ、ニケがオルトを通じて情報を共有することを確認し、パンナたちはコットナーへ、ニケとフェルムはベストレームを目指して別れた。

「またお会いいたしましょう」

 ニケの言葉に頷き、パンナは握手を交わす。そうしてパンナを乗せた馬車とミッドレイたちの騎馬は一路グレーキンへ向かってミクリードを出発した。

「このまま無事に帰りたいわね」

 キャビンの窓から街並みを見つめながらパンナは呟く。ニケが昨夜グレーキンの町に嫌な気配をずっと感じたという話を聞き、パンナは不安を感じていた。日頃からエルナンド家を目の敵にしているアクアット卿だ。行きは何事もなく通り過ぎたが、帰りもそうだとは限らない。

「ゲスナー様が亡くなられて流石に嫌がらせをしてくるとは思えないけど」

 それが全く的外れな考えであることをパンナは無論知る由もなかった。



「戻って来た!?エルナンドの娘がベストレームから戻って来ただと!?」

 自室でその報告を聞いたコスイナは放心し、ズルズルと椅子の背もたれからずり落ちた。

「失敗したのか!ボナーは?サンクリスト公の息子も無事なのか……」

「詳細は分かりかねます」

 執事の言葉にコスイナはいらいらとしながら爪を噛む。もしアンセリーナとボナー両方とも暗殺に失敗したとなればコスイナの立場はいよいよ危うくなる。

「ギーグは!?ソロスから何か連絡はないのか!」

「今のところは何も……」

「『不動のソロス』は始末しましたよ。ギーグは拘束されたようですな」

 執事の言葉を遮って、いきなり一人の男がドアの向こうから姿を現した。その顔を目にしてコスイナはギョッとする。

「ガ、ガルバリー!い、いつの間に!」

 黒いスーツに黒いシルクハット、ネクタイも靴も黒という黒づくめの格好。立派な口ひげを蓄えモノクルを付けたその男は手にしたこれまた漆黒の杖をコスイナに向ける。

「ちなみにソロスの始末はが直接指揮なさいました。確実な口封じのためでしょうな」

「や、やはり失敗したのか!話が違うぞガルバリー!お前が確実な戦力というから……」

「それは申し訳なかったと思っております。しかし事前に聞いていた情報が間違っていたとなれば、こちらだけの責任とも言い切れないのでは?」

「ま、間違いだと!?」

「はい。伺っていた情報通りの状況だったとすれば、失敗する可能性はほぼゼロだったでしょう。何か思いがけぬイレギュラーがあったとしか思えませんな」

「わ、儂に責任を押し付けるつもりか!?」

「そういうわけではありませんが、私としては六芒星ヘキサグラムを敵に回すわけにもいきませんので」

 ガルバリーはそう言ってゆっくり杖の持ち手を回す。と、杖の先がストンと落ちて、中から細い剣が姿を現した。

「旦那様!」

 執事が咄嗟にコスイナを庇うように前に出る。が、その直後、執事の首は胴体から離れ、床に転がっていた。

「ひっ!」

「悪く思わないでいただきたいですな。これからも依頼主クライアントからの信用は失いたくありませんので」

 ガルバリーはそう言って剣先をコスイナの首筋に向けた。




「まだ依頼人の正体は分からんのか!」

 サンクリスト家の騎士団長ゼノーバが報告書を机に叩きつけながら叫ぶ。ここは騎士団の詰所にある団長室だ。

「は、ボナー様とアンセリーナ様を襲った連中はどうやら暗殺者ギルドの手の者らしく」

 部下の騎士が緊張した面持ちで報告する。

「暗殺者ギルドだと!?そんな奴らをむざむざこのベストレームに侵入させたというのか!検問所は何をしていた!?」

「特段怪しい者が入り込んだという報告は受けておりません。さらに詳しくここ数日で出入りした人間の身元を洗っておりますが」

 ゼノーバは怒りが治まらぬまま机をトントンと指で何度も叩いた。暗殺者ギルドは依頼を受けて暗殺を行う闇の組織だ。王国のみならず帝国にも勢力を広げているという。実際に暗殺に携わる者たちは上の命令で動いており、依頼主の情報などは知らないことが多い。

「このベストレームでボナー様が襲われるなど、我らにとって最大の恥辱だ!何が何でも依頼主を突き止めて処罰せねばならん!」

「はっ!」

「一階でエルモンド家の騎士団長殿が制圧した連中は?」

「こちらは野盗どもと思われます。ですがリーダー格と思われる男はどうやら傭兵崩れのようです。依頼主を知っているとすればこの男だけでしょう」

「ならとっとと吐かせろ!」

「色々痛めつけてはいるのですが、頑として口を割りません。相当肝が据わっておるようで」

「生ぬるい!私が直々に尋問してやる!」

 ゼノーバがそう言って立ち上がった時、団長室のドアが激しく叩かれ、騎士が返事も待たずに入ってくる。

「だ、団長!今ソシュートから連絡があり、エルモンド家のご令嬢がソシュート内で再び襲撃を受けたとのこと!」

「「何だと!?それでご令嬢は!?」

「ご無事とのことです。ギルバート様が直々に騎士を率いて賊を殲滅されたとのこと!」

「ギルバート様が?そうか、分かった」

「首謀者と思われる者の死体が運び込まれてきております。ボナー様に首実検をしていただくためかと」

「そうか。ボナー様には私がお伝えに行く。お前たちはその傭兵崩れを何としても落とせ」

「はっ!」

 ゼノーバは一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、それから慌ただしく部屋を後にした。




「いてて……くく、さすがは『四公』の騎士団、容赦がねえぜ」

 その傭兵崩れ、ギーグは騎士団詰所内にある拘留所で、全身に出来たミミズ腫れを撫でていた。かなりひどい拷問を受けたが、ギーグは一言も口を割らなかった。仕事に失敗したうえ、情報まで漏らすなどプライドが許さなかったのだ。

「しかしミッドレイの野郎、あんな力を隠していたとはな。今度会ったら必ずお返ししてやるぜ」

 ギーグはそう言って不敵に笑う。体が回復したらこんなところはすぐに逃げ出してやる。騎士の拷問など屁でもない。それよりミッドレイの神速剣で受けたダメージの方がはるかに深刻だった。

「残念だが、それは出来ないよ」

「ああん?」

 いきなり声が聞こえ、ギーグは訝し気に鉄格子の外に目をやる。いつの間にか見張りの騎士の姿がなく、代わりに若い男が立っていた。

「何だお前は?恰好からして貴族か?依頼人のことが訊きたいのか?貴族様だからって俺が口を割ると思ったら大間違いだぜ」

「いや、教えてもらう必要はない。からな」

「何だと?」

 ギーグは男の顔を見てゾッとした。そこには今まで傭兵として何度も経験してきた冷たい死の気配が漂っていたのだ。

「今まで口を割らなかったのは褒めてあげる。でもこの先もそうだとは限らないからね。迂闊に依頼人のことをしゃべってもらっちゃこちらも困るのさ」

「お、お前は……」

 顔を引きつらせるギーグの視線に、若い男の後ろから現れた別の人間の姿が映る。それがギーグがこの世で目にした最後の光景だった。



 パンナたちは何事もなくグレーキンを通り、コットナーへ帰って来た。ニケの言った通り、グレーキンではずっと嫌な気配を感じていたが、何者かが襲ってくることもなく、無事に通過できた。

「ただいま戻りました、旦那様」

 ミッドレイたちに礼を言って別館に入ったパンナは早速報告のためブラベールの元に向かった。ブラベールはパンナを労いワインを勧めたが、パンナはそれを辞退してこれまでの出来事を要領よく伝える。

「何だと!?教団の奴ら、ミクリードの町中にまで入り込んで来おったのか!」

「はい。ニケ様が来て下さらなければ危ないところでした」

「それにまさかベストレームにまで刺客が来るとは……それでお前の正体がボナー様にバレたのじゃな?」

「申し訳ございません」

「いや、ボナー様をお守りできたのだ。上出来だ。しかしお前の素性を知った上で求婚とはの。ボナー様ももの好きじゃな」

「ボナー様のお気持ちはこの上なく嬉しいのですが、やはり私などがお嬢様の代わりに嫁ぐなど無理でございます。どうか旦那様からボナー様にお断りを……」

「いや、ボナー様のおっしゃることは正鵠を射ておる。さすがは次期サンクリスト公じゃ。お前がアンセリーナとして嫁げば、我が家はサンクリスト家と縁続きとなり、周囲の家から一目置かれる。そして儂は可愛いアンセリーナを手放さずに済む」

「ほ、本気でおっしゃっているのですか?そんなことをすればお嬢様はもう表に出られなくなります!」

「出ろと言っても外に出る娘ではなかろう?」

「そ、そうですが、一生そのままというわけには……」

「心配ない。先のことは儂が考える。お前はアンセリーナの身代わりとして立派にサンクリスト家の妻を演じるのじゃ」

「わ、私には無理です」

「ボナー様が納得しておるなら問題ない。頼むぞ、パンナ。早速挙式の日取りなど、向こうと協議せねばならぬな」

 パンナは眩暈がしそうになり、床に手を付いた。まさかこんなにあっさりブラベールが承認するとは思わなかった。やはりお披露目の件もそうだが、単なる親バカでは片づけられない不自然さを感じる。だが一方でボナーの傍にいられるという喜びが心にあるのも事実だった。

「で、ですが家中の者には何と説明を?使用人にも一切顔を合わさないというのは不可能でございましょう」

「それだがな、これからアンセリーナにはここで暮らしてもらい、身の回りを世話をする者は一新する。無論ここにアンセリーナがいることを口外無用にする条件でな。そして今回お前が身代わりとして見合いしたことを知る者はハンスを除き全員に暇を出す」

「そ、そんな!それはあまりにも……」

 それではカチューシャや副執事長のセイグンがクビになるということではないか。

「心配せずともしばらく暮らしに困らんくらいの金は与える」

 それでも仕事を失うということは辛いことだ。簡単に別の家に採用されるとは限らない。

「一新すると言っても、こう申し上げては何ですが、あのお嬢様のお世話をするとなると一筋縄ではいかないと存じますが」

「ふ、それはそうじゃな。こう言うとるが、自信はどうじゃ?」

 ブラベールがいきなり首を後ろに向け、にやりと笑う。と、背後のドアが音もなく開き、一人の女性が静かに部屋に入ってくる。

「問題ございません。パンナに務まった仕事……務まらぬはずはございませんわ」

「なっ!?」

 その女性を見てパンナは言葉を失い、硬直した。汗がドッと噴き出る。

「オリアナ……姉様」

「久しぶりねパンナ。元気そうで何よりだわ」

 腰まで伸びたサラサラの黒髪に思わず息を呑む見事なプロポーション。吊り目の整った顔立ち。そして見る者を圧倒するオーラを放つ美女だ。もう五十に近い歳のはずだが、どう見ても二十代後半にしか見えない。パンナが育った「まつろわぬ一族」のグループのリーダー、オリアナ・グレイスである。

「姉様……姉様がお嬢様のお世話を?」

「ええ。伯爵様に声を掛けられてね。ミーナやモリーナも一緒よ」

 二人ともパンナと一緒に育ち、オリアナに鍛えられた少女だ。パンナは驚くと同時に疑念を抱いた。あまりにも用意周到すぎる。ボナーが自分をメイドと知りながら求婚するなどブラベールは予想していなかったはずだ。それなのにすでにアンセリーナをここで世間から隠すように暮らさせ、使用人も一新する準備が整っていたなど信じがたいことだ。

『最初からお嬢様を表に出さないつもりだった?でもどうして……』

 混乱するパンナにオリアナが近づき、そっと頬に手を当てる。オリアナの手は冷たく、パンナは思わずビクッと身を震わせた。

「後ろでお話を聞いていたけど、すごいわねパンナ。『四公』のご子息に求婚されるなんて。玉の輿もいいところだわ」

「わ、私などがそのような……こ、混乱しています」

 緊張しながらパンナが答える。息が荒い。幼いころから厳しい訓練を施されたことで、オリアナに対しての恐怖感が体に染みついてしまっている。

「謙遜しなくていいわよ。あなたは立派だわ。とても美しくなったし」

「あ、ありがとうございます、姉様」

 そういえばそのフェルムという少年もニケを「姉様」と呼んでいたな、とパンナは冷や汗を掻きながら心の隅で考える。彼のニケに対する感情はもっと純粋な憧れや親愛だろうと思うが。

「そういうわけじゃ。こやつらならお前も安心じゃろう?パンナ」

「は、はい」

 ブラベールの言葉に頷きながら、パンナは自分のあずかり知らぬところで周囲の状況が大きく動き出そうとしているのを感じ、不安に胸を曇らせた。
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