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第27話 眠れる賢人
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エルモンド伯爵領ルーディアは南を同じエルモンド伯爵領のコットナーに、北を王国最北端の町モースキンに、西をアーノルド男爵領のイオットに接している。東はメキア大森林の先端が延びており、その先は東部商業連合(商国)である。
「よお、変わりはないかい?」
ルーディアの北側、つまりモースキンとの境にある検問所の扉が叩かれ、一人の男が入ってくる。茶髪で細身の若い男だ。部屋の中にいた人物はナイフを磨いていた手を止め、赤く光る眼をドアの方に向ける。
「ザックか。何の用だ?」
そう言ってザックと呼ばれた若い男を睨むのは兎の頭を持った獣人族、戦兎である。特徴的なのはその右頬に走る大きな傷跡と、右の耳が半分くらいの長さで欠けていることだった。
「そう怖い顔すんなよ、″片耳″」
「俺を″片耳”と呼ぶなと言ったはずだぞ、ザック」
「おお、悪い悪い。そう怖い顔すんなって言ってんだろ。只でさえおっかねえんだからよ。子供が見たらひっくり返るぜ、ネムム。でもそっちの方が箔が付くってもんだぜ?戦兎の″片耳”って言やあ、震え上がるやつも多かろうによ」
「とにかくその呼び方は止めろ。で、何の用だ?」
「それなんだが、面倒なことになってよ。あのぐうたらは?」
「いつもの通りだ」
ネムムと呼ばれた戦兎はそう言って奥のドアを親指で指す。ザックはちっ、と舌打ちをしてずかずかとそのドアへ向かって進んだ。
「だから起きろって!一日何時間寝りゃ気が済むんだ、おめえは!」
しばらくするとドアの向こうで怒鳴り声が聞こえた。続いて扉が乱暴に開けられ、ザックが何かをズルズルと引きずって来た。
「おい、まだ目を覚まさねえのか?」
ネムムが呆れたように言うと、ザックが引きずって来たものの頭をはたく。よく見ると毛むくじゃらの体をした動物のように見える。しかしシャツとズボンを身に着けているところを見ると、普通の動物ではないようだ。
「痛いなぁ~。乱暴は止めてくれないかザック」
ザックに引きずられたそれが寝ぼけたような声を出し、のろのろと体を起こすと長い手を大きく上に伸ばして欠伸をする。
「いくらナマケモノだからって寝すぎだろ、ボボル」
ボボルと呼ばれたその男は手の先に長い鉤爪があり、潰れたような低い鼻に今にも落っこちそうな鼻眼鏡を掛けていた。見た目はナマケモノそのものである。
「これが僕たちの普通なんだけどな~。で、どうしたんだいザック?」
「面倒なことになってよ。こないだの帝国軍の件で」
「帝国軍の件って、ネムムの同族が葬った先遣隊のことかい?」
「ああ。それだけならよかったんだが、フルルの奴、後続の部隊まで弟子に始末させやがってよ。その死体が駐屯地に残ってたから、団長が不審に思って調査を始めちまったんだよ」
「ああ。あれは僕も予想外だったね~。後続の部隊はちょっと小競り合いをしたら撤退するだろうから放っといてもいいって言ったんだけどな。団長っていうと『白銀の剣姫』さんかい?」
「ああ。麗しのミリアネル・ノーラン・セクリプス第三騎士団長さまだよ。ふるいつきたくなる美人だが、厳しいったらありゃしねえ。体は柔らかそうなのに頭と性格はカッチカチだぜ」
「ふ、そんな軽口が叩けるなら心配なさそうだがな」
ネムムが呆れたように言う。
「本人の前で言ったら真っ二つにされちまわあ!で、このまま調査が進むと、俺が守備隊の隊長に進言したのがバレちまいそうでよ」
「帝国が最近不審な動きをしてるからって、陽動に大半の兵を連れ出した件か。隊長が事情聴取されたらバレそうだな」
「そうだろ?お前が犠牲は少ない方がいいって言うから、進言したんだぜ。責任取ってくれよ、ボボル」
「だって実際犠牲は少ない方がいいだろ?君は上手くやったよ」
「でも先遣隊が急襲してくるのが分かってたんなら、最初から全員で待ち伏せしときゃよかったんじゃないか?奴らが陽動を仕掛けることまで完全に読んでたんだからよ、お前は」
「相手は予想通り精鋭部隊だったんだろ?正面からぶつかったら被害はもっと大きくなってたと思うよ~。それに先遣隊には消息不明になってもらうことが重要だったんだ。その方が帝国側が警戒して次の動きをしにくくなるだろうからね~。伯爵の依頼は帝国をけん制することだったしね」
「ふ、さすが叡智樹懶。頭が回るな」
ネムムがナイフ研ぎを再開しながら言う。ボボルは叡智樹懶という獣人族の中でも個体数の少ないレアな種族だ。見た目と名前の通り一日の大半を寝て過ごすというぐうたらぶりだがその知能はかなり高く、帝国軍では軍師に叡智樹懶を採用しているという噂まであった。
「だけど森の中に生首が一つ残っちまってて、それも団長が不審がってるんだぜ」
「死体の処理をし損なうとはフルルにしては凡ミスだな」
「それも予定外だったね~。で、僕にどうしろと?」
「だ・か・ら!団長に詰問されても言い訳できるように話を創ってくれって言ってんだよ!」
「ああ~、そういうことか~。素直に帝国の動きが脅威だったって言えばいいんじゃない?」
「それであの『白銀の剣姫』さまが納得するとでも思うのか?駐屯地じゃそれこそ陽動を警戒して何かあっても、普通は三分の一程度の兵士しか一度には動かさないんだぜ?それを八割強の数を陽動のボヤ騒ぎの方に動員させたんだからよ。団長が不審に思わねえはずねえだろ」
「よく隊長を丸め込んだね~」
「前日から帝国兵らしき影を国境付近で見たって嘘付いたんだよ。数も相当数いたってな」
「じゃあ団長さんにもそう言えばいいさ」
「今回はそれで押し通しても、団長に目を付けられたら今後動きにくくなるだろ。お前らのことだって公にされたら伯爵も困るんじゃないか?」
「そうだね~。どう思う?ネムム」
「ふん、俺たち獣人族が町中に住むには許可が必要。それも領主だけじゃなく、そこを統括する『四公』の許しがいる。だが伯爵はサンクリスト公への許可は取ってないだろうな、おそらく」
「団長は王家直属の聖騎士団だからな。バレたら伯爵の立場もまずいだろ?」
「ふ~ん、伯爵と言えば彼の教団への警戒は異常だよねえ~。何か隠してるのは間違いないだろうけど……そうだ!教団を利用しよう」
「何?」
「教団の強硬派、六芒星と呼ばれてるらしいんだけど、奴らがメキアの森からルーディアに侵入しようとしたとこの検問所の人間から聞いたって言うのさ。帝国軍では最近教団の信徒が増えてるらしいからね。帝国と教団が共謀して国境線を急襲する恐れがあったから、多くの兵を動員したってことにするのさ」
「ほとんど寝てるくせにどこからそういう情報を仕入れるんだ?お前は」
「情報の収集は時間じゃなくて効率さ。これなら実際帝国軍にいる教団の信徒へのけん制を守備隊に認識させることも出来るだろ?」
「だけどそれじゃ団長がここに聞き取りに来るかもしれないぜ」
「構わないさ。ここには人間だっているんだよ?」
「そりゃそうだが……まあそれで行ってみるか」
ザックは頭を掻きながらそう言い、ボボルに礼を言って検問所を去っていった。
「体の具合はどうだ?アンセリーナ」
コットナーの別館の地下にある広く薄暗い部屋でブラベールが目の前に立つアンセリーナに声を掛ける。魔法陣のような紋章の描かれた石床の上に立つアンセリーナは全裸で目を閉じていた。
「体が少し熱いです、お父様」
「そうか。ルーディアを離れている間はこの部屋で体を癒すのじゃ。少しは楽になろう」
「お父様……背中の傷はどうですか?まだ少し痛むのですが」
「うむ、心配はいらん。大きく変化はないぞ」
ブラベールはそう言って笑みを浮かべる。その視線の先にはアンセリーナの後ろ姿があった。その陶器のように白い肌の背中の一部が盛り上がっており、そこからわずかに血が滲んでいる。
「ならいいのですが」
アンセリーナは自分の背中に傷があることを気にしていた。だが彼女が最後に自分の背中を直接見たのはまだ盛り上がりが出来る前であり、彼女は自分の背中にゲスナ―と同じような異様な変化が起こっていることに気付いてはいなかった。
『そう、心配はない。そのまま順調に育つのだぞ、アンセリーナ』
ブラベールはそう心の中でそう呟き、娘の見えないところで邪悪は笑みを浮かべ続けた。
「よお、変わりはないかい?」
ルーディアの北側、つまりモースキンとの境にある検問所の扉が叩かれ、一人の男が入ってくる。茶髪で細身の若い男だ。部屋の中にいた人物はナイフを磨いていた手を止め、赤く光る眼をドアの方に向ける。
「ザックか。何の用だ?」
そう言ってザックと呼ばれた若い男を睨むのは兎の頭を持った獣人族、戦兎である。特徴的なのはその右頬に走る大きな傷跡と、右の耳が半分くらいの長さで欠けていることだった。
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ネムムと呼ばれた戦兎はそう言って奥のドアを親指で指す。ザックはちっ、と舌打ちをしてずかずかとそのドアへ向かって進んだ。
「だから起きろって!一日何時間寝りゃ気が済むんだ、おめえは!」
しばらくするとドアの向こうで怒鳴り声が聞こえた。続いて扉が乱暴に開けられ、ザックが何かをズルズルと引きずって来た。
「おい、まだ目を覚まさねえのか?」
ネムムが呆れたように言うと、ザックが引きずって来たものの頭をはたく。よく見ると毛むくじゃらの体をした動物のように見える。しかしシャツとズボンを身に着けているところを見ると、普通の動物ではないようだ。
「痛いなぁ~。乱暴は止めてくれないかザック」
ザックに引きずられたそれが寝ぼけたような声を出し、のろのろと体を起こすと長い手を大きく上に伸ばして欠伸をする。
「いくらナマケモノだからって寝すぎだろ、ボボル」
ボボルと呼ばれたその男は手の先に長い鉤爪があり、潰れたような低い鼻に今にも落っこちそうな鼻眼鏡を掛けていた。見た目はナマケモノそのものである。
「これが僕たちの普通なんだけどな~。で、どうしたんだいザック?」
「面倒なことになってよ。こないだの帝国軍の件で」
「帝国軍の件って、ネムムの同族が葬った先遣隊のことかい?」
「ああ。それだけならよかったんだが、フルルの奴、後続の部隊まで弟子に始末させやがってよ。その死体が駐屯地に残ってたから、団長が不審に思って調査を始めちまったんだよ」
「ああ。あれは僕も予想外だったね~。後続の部隊はちょっと小競り合いをしたら撤退するだろうから放っといてもいいって言ったんだけどな。団長っていうと『白銀の剣姫』さんかい?」
「ああ。麗しのミリアネル・ノーラン・セクリプス第三騎士団長さまだよ。ふるいつきたくなる美人だが、厳しいったらありゃしねえ。体は柔らかそうなのに頭と性格はカッチカチだぜ」
「ふ、そんな軽口が叩けるなら心配なさそうだがな」
ネムムが呆れたように言う。
「本人の前で言ったら真っ二つにされちまわあ!で、このまま調査が進むと、俺が守備隊の隊長に進言したのがバレちまいそうでよ」
「帝国が最近不審な動きをしてるからって、陽動に大半の兵を連れ出した件か。隊長が事情聴取されたらバレそうだな」
「そうだろ?お前が犠牲は少ない方がいいって言うから、進言したんだぜ。責任取ってくれよ、ボボル」
「だって実際犠牲は少ない方がいいだろ?君は上手くやったよ」
「でも先遣隊が急襲してくるのが分かってたんなら、最初から全員で待ち伏せしときゃよかったんじゃないか?奴らが陽動を仕掛けることまで完全に読んでたんだからよ、お前は」
「相手は予想通り精鋭部隊だったんだろ?正面からぶつかったら被害はもっと大きくなってたと思うよ~。それに先遣隊には消息不明になってもらうことが重要だったんだ。その方が帝国側が警戒して次の動きをしにくくなるだろうからね~。伯爵の依頼は帝国をけん制することだったしね」
「ふ、さすが叡智樹懶。頭が回るな」
ネムムがナイフ研ぎを再開しながら言う。ボボルは叡智樹懶という獣人族の中でも個体数の少ないレアな種族だ。見た目と名前の通り一日の大半を寝て過ごすというぐうたらぶりだがその知能はかなり高く、帝国軍では軍師に叡智樹懶を採用しているという噂まであった。
「だけど森の中に生首が一つ残っちまってて、それも団長が不審がってるんだぜ」
「死体の処理をし損なうとはフルルにしては凡ミスだな」
「それも予定外だったね~。で、僕にどうしろと?」
「だ・か・ら!団長に詰問されても言い訳できるように話を創ってくれって言ってんだよ!」
「ああ~、そういうことか~。素直に帝国の動きが脅威だったって言えばいいんじゃない?」
「それであの『白銀の剣姫』さまが納得するとでも思うのか?駐屯地じゃそれこそ陽動を警戒して何かあっても、普通は三分の一程度の兵士しか一度には動かさないんだぜ?それを八割強の数を陽動のボヤ騒ぎの方に動員させたんだからよ。団長が不審に思わねえはずねえだろ」
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「じゃあ団長さんにもそう言えばいいさ」
「今回はそれで押し通しても、団長に目を付けられたら今後動きにくくなるだろ。お前らのことだって公にされたら伯爵も困るんじゃないか?」
「そうだね~。どう思う?ネムム」
「ふん、俺たち獣人族が町中に住むには許可が必要。それも領主だけじゃなく、そこを統括する『四公』の許しがいる。だが伯爵はサンクリスト公への許可は取ってないだろうな、おそらく」
「団長は王家直属の聖騎士団だからな。バレたら伯爵の立場もまずいだろ?」
「ふ~ん、伯爵と言えば彼の教団への警戒は異常だよねえ~。何か隠してるのは間違いないだろうけど……そうだ!教団を利用しよう」
「何?」
「教団の強硬派、六芒星と呼ばれてるらしいんだけど、奴らがメキアの森からルーディアに侵入しようとしたとこの検問所の人間から聞いたって言うのさ。帝国軍では最近教団の信徒が増えてるらしいからね。帝国と教団が共謀して国境線を急襲する恐れがあったから、多くの兵を動員したってことにするのさ」
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「情報の収集は時間じゃなくて効率さ。これなら実際帝国軍にいる教団の信徒へのけん制を守備隊に認識させることも出来るだろ?」
「だけどそれじゃ団長がここに聞き取りに来るかもしれないぜ」
「構わないさ。ここには人間だっているんだよ?」
「そりゃそうだが……まあそれで行ってみるか」
ザックは頭を掻きながらそう言い、ボボルに礼を言って検問所を去っていった。
「体の具合はどうだ?アンセリーナ」
コットナーの別館の地下にある広く薄暗い部屋でブラベールが目の前に立つアンセリーナに声を掛ける。魔法陣のような紋章の描かれた石床の上に立つアンセリーナは全裸で目を閉じていた。
「体が少し熱いです、お父様」
「そうか。ルーディアを離れている間はこの部屋で体を癒すのじゃ。少しは楽になろう」
「お父様……背中の傷はどうですか?まだ少し痛むのですが」
「うむ、心配はいらん。大きく変化はないぞ」
ブラベールはそう言って笑みを浮かべる。その視線の先にはアンセリーナの後ろ姿があった。その陶器のように白い肌の背中の一部が盛り上がっており、そこからわずかに血が滲んでいる。
「ならいいのですが」
アンセリーナは自分の背中に傷があることを気にしていた。だが彼女が最後に自分の背中を直接見たのはまだ盛り上がりが出来る前であり、彼女は自分の背中にゲスナ―と同じような異様な変化が起こっていることに気付いてはいなかった。
『そう、心配はない。そのまま順調に育つのだぞ、アンセリーナ』
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