貴族令嬢の身代わりでお見合いしたら気に入られて輿入れすることになりました

猫男爵

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第20話 運命の晩餐

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「アンセリーナ様、ボナー様がお着きになりました」

 ドアがノックされ、メルキンがそう告げる。パンナは気を引き締め「分かりました」と言って大きく深呼吸する。

「さあ、行くわよ」

 最後にもう一度姿見を見て、問題がないかを確かめる。今日のドレスはお披露目の時に着たものとは比べ物にならないほど高級なものだ。それゆえ本来なら二、三人が手伝ってようやく着れるような代物なのだが、パンナはアンセリーナに許可をもらい、クリシュナの手を借りて一人でも着られるように改造した。メイクも我ながら完璧な出来だと自負する。ウィッグもぴったりフィットしていた。

「お待たせいたしました」

 静かにドアを開けて姿を見せたパンナに、メルキンは思わず目を奪われた。ここに到着した時も美しいと思ったが、召し替えをした彼女はまさに絶世の美少女と言ってよかった。

『これほどのお方なら旦那様もご安心なされるだろう』

 今回アンセリーナを見合いの相手に指定したのはボナー自身と聞いている。あの方のお眼鏡に叶ったのなら、外見だけでなく人柄もよいのだろう、とメルキンは安心した。

「で、ではご案内いたします。どうぞこちらへ」

 先導するメルキンに付いてパンナはしずしずと廊下を進む。やがて正面ロビーに出てそこから大階段を上がり、二階の通路を進むと一際大きな扉が目の前に現れた。メルキンがドアの前に立つ二人の侍従に目配せを送り、ゆっくりとドアが開かれる。

『うっわ』

 パンナはここに来て何度目かの衝撃に思わず声を上げそうになり、何とかそれを胸の中にしまい込む。ドアの向こうは広い広い空間が広がっていた。幾つかのテーブルと椅子が置かれ、その上には高級な燭台に火が灯っている。右手は一面がガラス張りになっており、夕暮れの空が見渡せる。床は鏡のように磨かれた真っ白な大理石だ。

「ようこそお越しくださいました、アンセリーナ嬢」

 テーブルの一つの脇に立ち、ボナーが微笑みながら言う。正装し、腰には短剣まで佩いていた。

「ほ、本日はお招きに預かり光栄でございます、ボナー様」

「そう硬くならず、気楽にしてください。わざわざお呼び建てして申し訳ありませんでした」

「い、いえ、そのような」

 席を勧められ、パンナは緊張しながら椅子に腰を下ろす。当然のように侍従が椅子を引いてくれ、パンナは恐縮しながら頭を下げた。

「いきなり本題に入るのもなんですから、まずは食事を楽しんでください」

 ボナーがパンパンと手を叩くと、メイド数人が次々に料理を乗せた皿を運んでテーブルに並べる。さすが公爵家のメイドだけあって美しい所作だ、とパンナは感心しながらそれを見つめる。

「まずは乾杯いたしましょう。お披露目も済んだし、軽い酒なら大丈夫ですね?」

 目の前に置かれたグラスを手に取り、ボナーが尋ねる。マルセ王国では16歳のお披露目を終えると貴族は一人前とみなされ、飲酒が許される。庶民ではそういった決まりは特になく、慣習として同じくらいの歳から飲み始めるのが普通だった。パンナはもう何度も飲酒を経験している。

「は、はい」

 同じようにグラスを取りパンナが答える。グラスの中は薄い黄金色の液体が入っている。泡が出ているのでおそらくスパークリングワインの類だろう。

「では今日の良き日に乾杯」

「乾杯」

 ボナーとパンナがグラスをカチンと合わせる。そのままグラスを口に運び、一口飲みこむ。

「美味しい」

 思わず声が漏れてしまった。今まで飲んだ酒とは比べ物にならないくらい上品で美味しい。

「城のセラーから良いものを見繕わせたのですが、お気に召していただけたようですね」

「は、はい。それはもう……」

「よかった。さ、遠慮なさらず食事も召し上がってください」

 爽やかに微笑みながらボナーが皿を勧める。パンナは緊張でガチガチになりながら、叩きこまれたテーブルマナーを思い出し震える手でスプーンを手にする。

「い、いただきます」

 声も震えてしまっている。音を立てないよう気を付けながらゆっくりとスープを掬い、口に運ぶ。

「美味しい……」

 一口飲み干し、思わず感想が漏れる。決して濃い味付けではないが、しっかりとした旨味が口の中に広がる。飲み込んだ後の鼻に抜ける香りも素晴らしい。

「うむ、いい味だ。今日は城のコックを連れてきていましてね。ご満足いただけると嬉しいのですが」

 ボナーもスープを口にして満足げに頷く。

「大変美味しいです。素晴らしいですわ」

 これは嘘偽りないパンナの感想だった。昨夜の宿の料理も美味しかったが、これはさらにワンランク、いやツーランク上の味だ。

「気に入っていただけでよかったです」

 優しい笑みを浮かべるボナーに思わず見惚れてしまい、パンナは慌てて皿に目を落とす。料理はどれも素晴らしいものだった。サラダには彼女が目にしたこともない珍しい野菜が使われていたし、ドレッシングも初めて経験するものだ。分厚いステーキはその見た目からは信じられないほど柔らかく、何の抵抗もなくナイフが沈み込む。

「本当に素晴らしいお料理ばかりですわ。さすがはサンクリスト家のコックさん。一流の腕でございますわね」

「ありがとうございます。アンセリーナ嬢さえよろしければ、これを毎日食べていただけるのですがね」

 来た、とパンナは身構える。料理のあまりの美味しさに忘れそうになっていたが、これは見合いなのだ。

「夢のようなお話ではございますが……」

 どう答えるべきか、パンナは頭を巡らす。こちらから断るなどということは出来ない。相手は「四公」なのだ。

「今回のお話、突然でさぞ驚かれたと思います」

 真面目な顔になってボナーがパンナを見つめる。

「は、はい。正直なんと申しますか……驚きました」

「困惑させてしまい申し訳ありません。私もまだ身を固める気はなかったのですが、やむを得ない事情が起きまして」

「と、申されますと?」

「もう王家に届け出をしているようですのでお話しますが、実は父が隠居すると言い出しましてね」

「え?サンクリスト公が?」

「はい。最近帝国の動きが怪しいという話はお聞き及びですか?」

「は、はい。何となくですが」

「父は近々帝国との間で大きな戦になると考えているようです。それでこの王国北部はその最前線となります。父はその事態に対応するには歳を取りすぎたと言っているのです。私はそうは思っていないのですが、父の決意は固いようでして」

「そうですか。ということはボナー様がサンクリスト家のご当主に」

「父はそう言っています。まだまだ家を継ぐには早いと言ったのですが」

「そ、それでは今回のお話は……」

「父が家督相続と同時に結婚しろとせっつきましてね。伴侶がいた方が領民が安心すると。まあそれは分かるのですが、いきなりのことで私も困りまして」

「それはそうでございましょう。で、でもだからといって私などに……」

 パンナはボナーの言葉に青ざめた。その話が本当なら、アンセリーナは結婚と同時にサンクリスト公の妻になる。「四公」の伴侶ともなればどれだけの責任を負うか分かったものではない。あの我儘令嬢に務まるとはとても思えない大役だ。これはますますこの縁談を受けるわけにはいかなくなった。

「お恥ずかしながら今まで女性とまともにお付き合いをしてこなかったもので、ほとほと困りましてね。女性に興味がないわけではないのですが、鍛錬や勉学に割く時間の方がどうしても多くなってしましまして。それに正直に打ち明けますが、自分の身長が低いのもコンプレックスになっています」

「そ、そのような。ボナー様のような素敵な男性が」

 確かにボナーは下手をするとパンナより身長が低いかもしれない。しかし顔は二枚目だし、物腰も柔らかくて好印象だ。それに何より「四公」の嫡子なのだ。身長が低いくらい何のハンデにもならないだろう、とパンナは思った。まあアンセリーナは嫌がっていたが。

「それで今回の話が持ち上がった時、どうしようかと悩みまして。父は王都でよい家柄の娘を探すと言ったのですが、私はその……笑わないで聞いて下さいますか?」

「も、勿論です」

「私は会ったこともない女性と一緒になるのにはどうも抵抗がありまして。貴族の家に生まれた以上、政略結婚は当たり前ですし、我儘を言える立場でないことも理解しています。しかしやはり自分は好きになった女性と添い遂げたいと思ってしまうのです。子供じみた我儘と笑われても仕方がありませんが」

「い、いえ。お気持ちはよく分かります」

「それで父に結婚を命じられた時、真っ先に頭に浮かんだのがあなただったのです」

「お、お待ちください。この上もなく勿体ないお言葉ですが、わ、私にはとてもサンクリスト家の……ましてご当主の妻など務まりません。ボナー様のお顔に泥を塗るようなことになります」

 こちらから断らないということを忘れてパンナは思わず語気を強めてしまった。自分がボナーに気に入られたというのは大変光栄なことだが、彼が好意を持ったのはあくまでも伯爵令嬢のアンセリーナなのだ。このままアンセリーナがボナーに嫁ぎでもすれば、自分とのギャップに戸惑い、身代わりがバレる可能性は非常に高い。仕える相手を悪く言いいたくはないが、「四公」の妻の務めなど彼女に果たせるとは到底思えない。サンクリスト家の怒りを買い、下手をすればエルモンド家が取り潰される恐れさえあった。

「ご謙遜を。お披露目の場であなたが見せた姿は実に立派なものでした。私は心から感銘を受けたのです」

「そ、それは、その……」

 パーティーの時抱いた不安が的中してしまった。身代わりを見事に務めたのはいいが、それがこんなことになろうとは。今からポンコツなところを見せても不自然だろうし、縁談を断るためにふざけて居いると思われたら、どんな怒りを買うか分からない。焦りばかりが先走り、ボナーに自分を見限らせる方法が思い浮かばずにパンナは眩暈がしそうだった。

「勿論、強制するようなつもりはありません。嫌いな相手と結婚するなど我慢できないでしょう。僕がサンクリスト家の者だからと遠慮することはありません。気に入らないならはっきり断っていただいて結構です」

「そ、そんな!ボナー様を気に入らないなどと。私などにはあまりにも勿体ないお方と思っております」

「それでは私と一緒になっていただけませんか?」

 真剣な目でボナーがパンナを見つめる。どうする?どうすればいい?ああ、食事の時スプーンの一つでも落っことして呆れさせるんだった。パンナは混乱する頭で必死に考える。ここに来るまでは自分を見限らせるため、みっともないところを見せようとあれこれ考えていたのだが、館の見事さとボナーという男の魅力にすっかり委縮してしまい、何も出来なくなってしまった。食事が美味しすぎて夢中になってしまったのも失敗だ。

「お、お父上は……サンクリスト公はご承知なのですか?当家は伯爵とはいえ、成り上がり者。そのような卑しい血筋の者を『四公』の家にいれるなど」

 パンナの言葉通り初代エルモンド卿は元々、武威を認められ貴族の騎士団に取り立てられた平民だった。それが次々と武功を上げ、特に約百年前の帝国との史上最大の戦争において比類なき働きをし、王家から特別に爵位を賜ったのだ。アクアット家がエルモンド家をライバル視する理由はここにある。同じ成り上がりでありながら、家格に大きな差が出来ているのだ。

「ええ。父は僕の人を見る目を信用してくれていますし、元より能力主義な人ですから。まあ家の中にはあれこれいう者もいるやもしれませんが、心配には及びません。当主として絶対に何も言わせません。僕があなたを守ります」

 ああ、本当になんて素敵な男性ひとなんだろう。パンナは思わずうっとりとボナーを見つめてしまう。もし自分自身が口説かれているのなら、一も二もなくOKしているだろう。だが自分はただのメイド。しかも「まつろわぬ一族」なのだ。貴族に、まして「四公」に嫁ぐなど万が一にもあり得ない。それに自分は今、主家を守るためにここに来ているのだ。その務めを果たさなければならない。しかし……

「何と……何と申し上げたらよいのでしょう。私ごときが……」

 胸が苦しい。いけないと分かっていても、ボナーに対する愛しさが体中にあふれてしまう。ああ、お嬢様がもう少しまともであれば、自分がこんなに苦しむこともなかったのに。パンナは今更ながらにアンセリーナを恨んだ。

「そんな苦しそうな顔をしないでください。僕はあなたを困らせたくはないのです。嫌ならはっきりとそう申してください。心配なさらずともエルモンド家に罰を与えるようなことは決して致しません」

「そうではないのです。そうでは……ボナー様はとても、とても素敵なお方です。でも私は……」

「今すぐ答えを、というのは酷ですね。少し話題を変えましょう。お返事はどうあれ、僕はもう少しあなたとお話がしたい。いけませんか?」

「いえ、とんでもございません」

 とりあえず返答が先延ばしになり、パンナはホッとした。何とか無理やり話題を探し、印象に残っている事柄を口にする。

「そういえば私のお披露目の直後にゲスナー様のお披露目もございましたわね。ボナー様のお家からもどなたかご参加を?」

「アンセリーナ嬢。もしかしてお聞きになっていないのですか?」

「何をでしょう?」

「エルモンド卿があえてお話しされなかったのなら、僕の口からお伝えするのはどうかと思うのですが」

「構いません。お教えください」

「ゲスナー殿は亡くなりました。お披露目の会場で何者かの手によって殺されたということです」

 ボナーの言葉にパンナは絶句した。
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