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第16話 出立

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「ではお嬢様、行ってらっしゃいませ」

 ハンスが丁寧に頭を下げ、アンセリーナは箱馬車の中でつまらなそうに頷く。彼女はルーディアの伯爵邸を出てコットナーの別館に向かうところだった。

「よいな、自分の我儘なのだから少しの間辛抱するのだぞ」

 父ブラベールの言葉を思い出してアンセリーナはため息を吐く。前回のお披露目の時と違い、今回の見合いについてはハンスを始めとした極一部の使用人にしかパンナが身代わりを務めることは知らされていない。そのため表向きアンセリーナは伯爵邸を出ていく必要があったのだ。

「あっちは物が少なくて退屈なのよね」

 窓から外を眺めアンセリーナが呟く。事情を知る少数の使用人をコットナーに集め、パンナがベストレームに行っている間、目立たぬように館に潜ませる計画だ。パンナはベストレームに随行してアンセリーナの世話をする、という建前でまた休みをもらっていた。

「お待ちしておりました、お嬢様」

 別館に着くと、ハンスの片腕たる副執事長のセイグンがアンセリーナを出迎える。不機嫌そうに馬車を降り、案内されるままに二階の一室に入ると、アンセリーナは息を呑んだ。

「び、びっくりした。鏡があるのかと思ったわ。この間よりさらに私に似てるんじゃない?」

 自分に扮したパンナを見つめながらアンセリーナが感嘆の声を上げる。

「ありがとうございます。何せサンクリスト公のところに赴くわけですから、カチューシャが気合を入れてメイクしてくれました」

 アンセリーナのドレスを身にまとい、金髪のウィッグを被ったパンナが丁寧に頭を下げる。その所作は貴族令嬢として十分通用するものだった。

「これならもし今度ボナー様にお目見えする機会があっても、身代わりだったと気づかれずに済みそうね。出来るだけそういう事態は避けたいけど」

「以前も申しましたが、いつまでもそういうわけにはいきませんよ、お嬢様」

「私の顔で説教しないで!とにかく今回も頼んだわよ。上手に断れてきてね」

「努力いたします。お嬢様が本当に嫁入りせずすむように」

「お願いね」

 手を握って懇願するアンセリーナにパンナは内心でため息を吐く。どうしてこうなったのだろうと思いながら。

「パンナ、そろそろ騎士団が来る。出立の準備を」

「かしこまりました」

 セイグンの言葉に頷き、パンナは「では行ってまいります」とアンセリーナに挨拶をして部屋を出る。貴族の家はそれぞれ私兵を雇っており、その大半は有事の時のみに招集される一般市民だが、一部は常勤の騎士団となっている。領地の大きさと税収によりその規模は決まっており、エルナンド伯爵家は非常勤の者も含めると七百名の兵を擁していた。そのうち三十名余りが騎士団として常駐している。

「お待たせしました、団長殿」

 アンセリーナ(に扮したパンナ)の荷物を馬車に運び入れたセイグンが白馬に乗る甲冑姿の男に声をかける。エルナンド伯爵家騎士団の団長、ミッドレイ・アクセリータだ。王都の傭兵をしていた四十過ぎの剣士である。今回は彼を含めた六名の騎士がベストレームまでの護衛を仰せつかっていた。

「いや、今着いたところです。アンセリーナ様はもう?」

「うむ、今来られる」

 セイグンが視線を送ると同時に正面玄関からアンセリーナに扮したパンナが姿を現し、騎士の一人がそれを見て思わず声を漏らす。

「いや、久々にお目にかかりましたが、相変わらずお美しいですな」

「うむ。サンクリスト家のご嫡男に見初められるのも分かるというもの」

 騎士団の囁きが耳に入り、パンナは赤面した。彼らには身代わりの件は伝えていない。あくまで本物のアンセリーナを護衛するのだと思っている。だから彼らが褒めたのは無論アンセリーナのことなのだが、実際に今見ているのは自分なのだ。美貌を褒められて悪い気はしない。パンナは緩みそうになる顔をなんとか堪えて馬車に乗り込んだ。

「今日はこのままミクリードまで行き、そこで一泊します」

 馬車の横に馬を付けたミッドレイがそう告げる。パンナは平静を装いながらゆっくり頷いた。ミクリードはグレーキンの先にあるロットン子爵の領地で、そこから南下してソシュートを抜けるとサンクリスト公爵家があるベストレームだ。明後日の昼前にはそこに着く予定だった。

「通行許可は取ってあるが油断はするなよ。出発!」

 ミッドレイが声を上げ、パンナを乗せた馬車を囲むようにして騎士団の馬が動き出す。パンナは無事に見合いが終わるよう祈りながら馬車の揺れに身を任せた。





「通行許可……エルモンドの娘に騎士が六名。行先はベストレームだと?」

「は。伯爵家に加えてサンクリスト家からも通行を許可するよう通達が来ております」

 執事の報告にコスイナ・チャーチ・アクアットは眉を顰めた。貴族の家の者が他の貴族の領地を通る際は前もって許可を求める通達が行われるのが通例だ。しかし通常それは当事者の家同士で行われるもので、行先である家からも通達が来ることは珍しい。

「わざわざサンクリスト家からということは……例の噂、真であったか」

 不機嫌そうにコスイナはテーブルを叩く。ゲスナーを失ったあのお披露目からコスイナはふさぎ込んでいた。息子を失ったせい、というより教団からの信頼を失ったことの方が大きかった。

「それもこれもあの不良品の……そしてエルモンドの子倅のせいだ。サンクリスト公の娘も気に食わん!」

 歯ぎしりをしながらコスイナは窓から外を眺める。いっそのこと通行を禁止してやろうか。それくらいの意趣返しをしなければ気が済まない。

「旦那様、お気持ちは分かりますが、サンクリスト公からの通達を無視するとなりますとと当家のお立場が……」

「そんなことは分かっておる!」

「そ、それから今朝郵便受けにこのようなものが……」

 怯えながら執事が一通の封筒を差し出す。それは真っ黒な紙で差出人の名前も書いていなかった。

「何じゃ、これは?」

 訝し気にコスイナは封筒を受け取り、封を切る。中には便せんが一枚入っており、そこに書かれた文字に目を走らせたコスイナは驚愕の色を浮かべた。

「な、何とこれは!?」

「いかがなさいました?旦那様」

「おい、すぐに馬車の用意をせい!それから通行許可の申請書を作れ。行先はソシュートだ」

 震える手で封筒を握りしめ、コスイナは邪悪な笑みを浮かべた。





「久しぶりだねクリス。妹さんのお披露目はどうだった?」

 王都の王立アカデミー。その二階の廊下でクリスは声を掛けられ振り向いた。そこに立っていたのは王国西部を統括する「四公」の一つ、キシュナー公爵家の嫡男、オランド・メール・キシュナーだった。クリスとは同級生である。

「オランド様、お久しぶりです。それが間抜けなことにパーティーに間に合わず、妹の晴れ姿を見損ないました。本人にはその後会いましたが」

「それは残念だったね。それから様は止めてくれと何度も言ってるだろう?クラスメートなんだからオランドと呼んでくれよ」

「『四公』のお世継ぎを呼び捨てにするなど、秩序を守るためにも出来かねます、と私も何度も申し上げたはずですが?」

「君は相変わらず固いなあ。ブレアなんかは呼び捨てにしてくれてるのに。君ほどの色男に浮いた噂一つないのはそれが原因じゃないかい?そんなことじゃ妹君に先を越されるぞ」

「はあ。……妹?妹が何か?」

「いや、じつはついさっき小耳に挟んだんだがね」

 オランドはクリスに近づき、耳元で囁く。

「サンクリスト公が陛下に家督譲渡の願いを出したらしい」

「サンクリスト公が?ではボナー様がサンクリスト家のご当主に……」

「そうなるだろうね。それでもう一つ面白い噂を耳にしたんだが、サンクリスト公は家督を譲ると同時にボナー殿に嫁を取らせたがっているらしいんだ」

「家督を継ぐのに伴侶がいるのといないのとでは民の信頼感が違いますからね」

「だろう?それでボナー殿は先日の君の妹君のお披露目に参加したんだろ?」

「ま、まさかアンシーをボナー様の嫁に?それはさすがに……」

 ない、と言いかけてクリスは言葉を詰まらせた。お披露目でボナーと会ったのはアンセリーナに扮したパンナだ。話を聞く限りパンナはかなりしっかりと身代わりの役目を果たしららしい。ボナーの心象がよかったことは十分ありえる。

『そんなことになったら大変だぞ』

 すでにそういう事態になっていることを知らず、クリスは不安で顔を曇らせた。




「アクアット家への詰問の使者はどうしても送れないのですか?」

 そのサンクリスト家ではボナーが父、オールヴァートに詰め寄っていた。

「今は敵国の動きに対応するため領内を固めねばならぬ。いたずらに諸侯の足並みを乱れさせるわけにはいかぬのだ。分かってくれボナー」

「ですがリーシェの話を聞く限り、ゲスナー殿の様子は明らかに異常だったったと言わざる負えません。何か容易ならざる事態が起こっていたのは確実です。それにお披露目の場に異能者ギフテッドが入り込んでいたことも看過出来ません。仮にも子爵家の世継ぎが殺されたのですよ?」

「調査はする。だがアクアット卿は目の前で息子を失ったのだぞ?日を空けずして傷口に塩を塗り込むような真似はしたくなかろう?」

「それはそうですが……」

「それにお前は家を継ぐ大事な時だ。見合いも控えておるのであろう?エルナンド家の娘とは少々意外だったがの」

「我儘をお聞き入れ下さり感謝しております」

「ふ、お前が珍しく自分で望んだのだ。さぞよい娘なのであろうな」

「はい」

 相手が断らせようとしているのも知らず、ボナーは少しはにかんで答えた。

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