15 / 107
第15話 幼き教主
しおりを挟む
「下卑た街だな。領主の品性が窺えるというものだ」
箱馬車の窓から外を見やり、男は呟いた。痩せた長身の体に頬のこけた顔。隈が目立つ目は淀んだ色を湛えている。実年齢はまだ二十代後半なのだが、それよりもはるかに老けて見えた。
「お疲れではありませんか?教主様」
男が隣に座る少女――幼女といってもいい年頃だ――に話しかける。くすんだ金髪を左右で結び肩先まで伸ばしたその少女はしかめ面で小さく頷く。前髪を上げ広くなった額には不思議な紋様が描かれており、深い藍色の瞳が微かに揺れ動く。
「間もなく宿に着きます。もうしばらくのご辛抱を」
慇懃にそう言って笑う男の方を見向きもせず、少女は男と反対側の窓に視線を送った。
「お待ち申し上げておりました、教主様」
馬車が宿に着き、男に先導されて二階の部屋に入ると、白髪の老人が出迎えて少女に頭を下げる。少女は彼に視線を向けることもなく興味なさそうに部屋の奥に歩いていき、ベッドに腰かけた。
「お疲れのようでございますな」
老人の言葉に男が頷く。
「今日はこのままお休みいただく。食事はここへ運ばせてくれ」
「かしこまりました。辺境伯様がご心配しておられましたが、到着をご報告しても?」
「ああ。くえぐれも内密にな」
「心得ております」
老人は深々と頭を下げ部屋を後にする。男は荷物をクローゼットにしまうと、ベッドの向かいの籐椅子に腰かけた。
「キドナー、なぜこんなところまで来ねばならなかったのだ」
ベッドに腰かけても床に届かない足をブラブラさせながら少女が初めて口を開く。
「先日もご説明したはずですが?」
「戦争が起こるのならどちらの国にいても同じではないか。私は帝国は好かん。食事も美味しくないし」
「そう申されますな。帝国の方が我らの信徒は多くございます。無論帝国軍内にも。教主様をお守りするにはこちらの方がより安全かと」
「だがお告げによれば降臨は聖地で行われるのだぞ。あちらにいた方がよいのではないか?」
「かの地が聖地かどうかは分かりません。ここである説もございます」
「お主らがそう思いたいだけであろう?どうも『六芒星』の連中は教義を曲解しておるように思えてならん」
「これはこれは。教主様ともあろうお方がそのようなことをおっしゃられては困ります。我らこそ教義に最も忠実たる存在でございますのに」
キドナーと呼ばれた男が笑いながら言う。だがその目は鋭く少女を睨みつけていた。
「まあよい。私は疲れた。夕食まで休む。一人にしてくれ」
「かしこまりました」
キドナーは頭を下げ、隣に取った自分の部屋へと下がった。
神聖オーディアル教団。
この大陸ではほとんどの人間がイシュナル教という宗教の信徒である。イシュナルとは創世神アーシアの娘であり、光と生命を司る女神と言われる。正しき行いをして生きた者は死後、彼女から光の道を指し示され、天界へ導かれると信じられている。大陸全土にはイシュナルを祀る教会が建てられ、王国と帝国それぞれにそれらをまとめる「王国大教会」と「帝国正教会」が存在していた。
一方神話ではアーシアにはもう一人娘がいたとされている。それがイシュナルの双子の姉、オーディアルである。アーシアは世界を創造する前にあった原初の闇でそれ(伝承が不確かで正式な名称が不詳)と交わり、双子を授かったとされる。女神たちを生んだのは闇の存在だったのだ。オーディアルはその母の属性を受け継ぎ、闇と死を司るとされ、イシュナル教の教義では忌避すべき存在とされた。
だがいつしか原初の闇の属性を受け継ぐオーディアルこそが世界を統べる神であるべきだと考える人間が現れ、彼らはイシュナル教に対してオーディアル教を立ち上げた。だが大多数のイシュナル教徒にとって彼らは異端であり、王国、帝国双方で弾圧を受けてきた。
そんな中でより過激な教義を持ち、密かに勢力を拡大していったのが神聖オーディアル教団であった。イシュナル教の聖典「神託唱」には次のような一節がある。
『世、乱れし時、天使地上に降りて神の意志を示さん。光る羽根に触れしもの、神の意志によりて光の道を歩み、世を正しき姿に導かん。それ神の祝福なり』
世が乱れた時、神の使いである天使が地上に降臨し、その羽根に触れたものが世界をまとめ上げる、という意味にとれる。実際、古い伝承によると現在の二大国が成立する前、大陸各地で力を持った豪族たちが土地を巡って争い世が混とんとしていた時、羽根を持った者が現れ、争いを鎮めたという。その時にその者がまとめて創り上げたのが今の国であると、王国と帝国の双方が主張していた。お互い相手は天使が作った国を侵略しようとする蛮族だと言い合っているのである。そのためその天使が降臨した地がどこかという点においても両国は反発していた。王国は北部のルーディア付近であると主張し、帝国は南部のオネーバー近辺と喧伝している。
そして神聖オーディアル教団はこの一節をある意味曲解し、オーディアルが地上に天使を人間として遣わしており、その者は天使の羽根を宿して生まれてくるとしていた。彼らはその者を見つけ出し、ご神体として担ぎ上げ自分たちが世界を統治しようと考えていたのだ。しかしそんな人間など見つかるわけもなく、時が経つにつれ、彼らの一部はより歪んだ方向へ暴走を始めた。
自らの手で天使を作り上げようと考えたのだ。
それで彼らが目を付けたのが異能だった。異能は限られたものに発現する特殊能力の総称で、主に亜人種にその持ち主が多かった。異能者と呼ばれる彼らはその未知の力ゆえに危険視され、同じ種族の間でも疎外されることが多かった。まして人間で異能を顕現した者は国家から監視対象とされ、酷い時には監禁されることすらあった。だから我が子に異能があると分かると、育児を放棄してしまう親も後を絶たず、問題となっていた。教団はそんな家から追い出された異能者の子供を集め、人工的に天使を創るという狂気の実験を行った。
もちろん異能には様々な種類の能力があり、目的には無意味とされるものも多かった。だが教団はそういう子供を天使の宿主として利用したのである。そして今から数十年前にそれは起こった。
それがどういう経緯で誕生したのか、詳しいことは分かっていない。当時の研究施設は消滅し、資料も紛失していたからだ。とにかく当時の生き残りの教団信者によると、複数の異能を混成する実験中にそれは偶然出来たらしい。―光り輝く羽根。目撃者はそう証言した。普通の物質ではなく、いうなれば目に見える形を持ったエネルギーの塊のようなものだったらしい。それが実験に使われた子供の体に入り込み、しばらくすると苦しみながら姿を変貌させたという。それは羽根の生えたまさに天使のような姿だった。
悪魔のような牙と真っ赤な目を持つ顔がなければ。
異形の姿に変貌したその者は常人離れした力を発揮して周囲の人間に襲い掛かった。教団の研究員が次々に殺され、異能者の子供も犠牲になった。しばらく暴れまわった後その者は絶命し、その体から羽根が出て、別の子供に入り込んだ。そしてその子も変貌し暴れまわった。そしてまたすぐ絶命して次の子へ。その施設はあっという間に血の海と化し、ランプの灯が倒れて火災となった。
教団本部から幹部が駆け付けた時、そこは瓦礫と化していた。そして燃え上がる施設をバックに泣きじゃくる数名の子供が確認された。
光る羽根がどうなったのか。本部に伝令に走った生き残りの教団員の話から、幹部たちは羽根が誰かの子供の中に入り込んだままなのだと結論付けた。生き残った子供たちの誰かが、羽根に適合したのだ。しかし殺戮と破壊の混乱の中で、最終的に誰の中に羽根が入ったのか当事者の子供たちも分からなかった。自分の中に羽根が宿っているという自覚を持つ者も現れず、生き残った子供たちはお互いが他の子に不思議な力を感じ取っていた。羽根のエネルギーのようなものを間近で浴びた彼らは宿主となった本人以外も影響を受けていたのだ。
結局、羽根はその場の誰かの中で落ち着いたとみなされ、教団は彼らを隔離し、宿主となった子供が覚醒するのを待った。だがその中の誰かが天使となれば、他の子供は用済みとなる。その場にいなかった子供は猶更で、すぐに処分されてしまう恐れがあった。当時教団に連れ去られた子たちの中にはそれを十分わかっている賢明な者もおり、彼らは自分たちが処分される前に教団を逃げ出すべく反乱を起こした。教団の歴史上最大の汚点といわれる「シーザーズの反乱」である。
結局多数の犠牲者を出したものの、首謀者の少年を含め数十名の子供たちが教団から脱走することに成功した。異能者の力を利用しようとした教団は逆にその能力によってしっぺ返しを食ったのである。教団にとって最悪だったのは、その脱走者の中に、「天使の羽根」と名付けられたあの羽根をを宿しているであろう例の生き残りの子供たちが含まれていたことだった。
イリノア・ファングは王国北部の貧しい村に生まれた。彼女の母は「半端者」と呼ばれる亜人種と人間の間に生まれた半獣人であり、小さい頃から迫害を受けて生きてきた女性だった。彼女自身もそうだったが、半獣人の大半が人間と外見的にはほぼ変わりがなく、しかも彼女は相当の美人だったため、子供のころから男たちの慰み者にされてきた。そうした中で生まれたのがイリノアだった。そうした経緯から彼女も村での差別を受ける身となったのだが、さらに不幸なことに、イリノアは異能を発現したのだ。
イリノアの異能はいわゆる未来予知だった。時々、近未来で起きることが脳裏に浮かんでくるのである。物心がついたばかりの頃は悪気なくその予知を周りに話していたが、そのことで村人から気味悪がられ、母でさえ彼女を疎んじるようになった。そういうことが理解できるようになってからはイリノアは予知が浮かんでも黙っていようとしたのだが、この能力には副作用があり、予知したことを他人に伝えないと耐え難い激痛に襲われたのだ。それは到底幼子が耐えられる苦痛ではなく、イリノアは不本意ながらも予知が見えるたびにそのことを母や村人に話すしかなかった。
そして八歳を迎えたある日、イリノアは村で火事が起こることを予知した。焚火の不始末が原因だったが、村の者はイリノアが自分で火を付けたのだと言いがかりをつけた。異能を持つイリノアを以前から恐れていた彼らはこれを口実に村から追い出すか最悪殺してしまおうと考えていたのだ。村人が家にやってくると、母はイリノアをかばうどころか、娘を差し出すから自分は助けてくれと言い出した。絶望の中、あわや暴徒と化した村人に殺されそうになったイリノアだったが、そこに現れて彼女を助けたのが神聖オーディアル教団の人間だった。彼らは密かに王国中に張り巡らせた情報網を使い、イリノアの予知能力の噂を嗅ぎつけていたのだ。
教団はイリノアの予知の力を独占して利用するため、その場で村人を皆殺しにした。その中にはイリノアの母も含まれていたが、イリノアは目の前で母が殺されるところを見ても何も感じなかった。むしろ地獄のような環境から助け出してくれた教団の人間に感謝すら覚えていた。
教団は自分たちの力をより拡大するため、そして逃げた「天使の羽根」の宿主を探し出すためイリノアをさらい、「シーザーズの反乱」の失態で失脚して以来空位であった教主の座に彼女を据えた。元々行くあてのなかったイリノアは彼らの思惑に乗ることを了承し、彼女は僅か八歳で神聖オーディアル教団の教主に即位した。教団はイリノアの予知を女神オーディアルからの神託であると喧伝し、予知が当たるたびに信者を増やしていった。特に当時政情が不安定であった帝国内で、教団の力は目覚ましい成長を遂げることとなった。
そしてそれから二年が経ち、十歳となったイリノアは今、帝国南部の町、オネーバーに連れてこられていた。
箱馬車の窓から外を見やり、男は呟いた。痩せた長身の体に頬のこけた顔。隈が目立つ目は淀んだ色を湛えている。実年齢はまだ二十代後半なのだが、それよりもはるかに老けて見えた。
「お疲れではありませんか?教主様」
男が隣に座る少女――幼女といってもいい年頃だ――に話しかける。くすんだ金髪を左右で結び肩先まで伸ばしたその少女はしかめ面で小さく頷く。前髪を上げ広くなった額には不思議な紋様が描かれており、深い藍色の瞳が微かに揺れ動く。
「間もなく宿に着きます。もうしばらくのご辛抱を」
慇懃にそう言って笑う男の方を見向きもせず、少女は男と反対側の窓に視線を送った。
「お待ち申し上げておりました、教主様」
馬車が宿に着き、男に先導されて二階の部屋に入ると、白髪の老人が出迎えて少女に頭を下げる。少女は彼に視線を向けることもなく興味なさそうに部屋の奥に歩いていき、ベッドに腰かけた。
「お疲れのようでございますな」
老人の言葉に男が頷く。
「今日はこのままお休みいただく。食事はここへ運ばせてくれ」
「かしこまりました。辺境伯様がご心配しておられましたが、到着をご報告しても?」
「ああ。くえぐれも内密にな」
「心得ております」
老人は深々と頭を下げ部屋を後にする。男は荷物をクローゼットにしまうと、ベッドの向かいの籐椅子に腰かけた。
「キドナー、なぜこんなところまで来ねばならなかったのだ」
ベッドに腰かけても床に届かない足をブラブラさせながら少女が初めて口を開く。
「先日もご説明したはずですが?」
「戦争が起こるのならどちらの国にいても同じではないか。私は帝国は好かん。食事も美味しくないし」
「そう申されますな。帝国の方が我らの信徒は多くございます。無論帝国軍内にも。教主様をお守りするにはこちらの方がより安全かと」
「だがお告げによれば降臨は聖地で行われるのだぞ。あちらにいた方がよいのではないか?」
「かの地が聖地かどうかは分かりません。ここである説もございます」
「お主らがそう思いたいだけであろう?どうも『六芒星』の連中は教義を曲解しておるように思えてならん」
「これはこれは。教主様ともあろうお方がそのようなことをおっしゃられては困ります。我らこそ教義に最も忠実たる存在でございますのに」
キドナーと呼ばれた男が笑いながら言う。だがその目は鋭く少女を睨みつけていた。
「まあよい。私は疲れた。夕食まで休む。一人にしてくれ」
「かしこまりました」
キドナーは頭を下げ、隣に取った自分の部屋へと下がった。
神聖オーディアル教団。
この大陸ではほとんどの人間がイシュナル教という宗教の信徒である。イシュナルとは創世神アーシアの娘であり、光と生命を司る女神と言われる。正しき行いをして生きた者は死後、彼女から光の道を指し示され、天界へ導かれると信じられている。大陸全土にはイシュナルを祀る教会が建てられ、王国と帝国それぞれにそれらをまとめる「王国大教会」と「帝国正教会」が存在していた。
一方神話ではアーシアにはもう一人娘がいたとされている。それがイシュナルの双子の姉、オーディアルである。アーシアは世界を創造する前にあった原初の闇でそれ(伝承が不確かで正式な名称が不詳)と交わり、双子を授かったとされる。女神たちを生んだのは闇の存在だったのだ。オーディアルはその母の属性を受け継ぎ、闇と死を司るとされ、イシュナル教の教義では忌避すべき存在とされた。
だがいつしか原初の闇の属性を受け継ぐオーディアルこそが世界を統べる神であるべきだと考える人間が現れ、彼らはイシュナル教に対してオーディアル教を立ち上げた。だが大多数のイシュナル教徒にとって彼らは異端であり、王国、帝国双方で弾圧を受けてきた。
そんな中でより過激な教義を持ち、密かに勢力を拡大していったのが神聖オーディアル教団であった。イシュナル教の聖典「神託唱」には次のような一節がある。
『世、乱れし時、天使地上に降りて神の意志を示さん。光る羽根に触れしもの、神の意志によりて光の道を歩み、世を正しき姿に導かん。それ神の祝福なり』
世が乱れた時、神の使いである天使が地上に降臨し、その羽根に触れたものが世界をまとめ上げる、という意味にとれる。実際、古い伝承によると現在の二大国が成立する前、大陸各地で力を持った豪族たちが土地を巡って争い世が混とんとしていた時、羽根を持った者が現れ、争いを鎮めたという。その時にその者がまとめて創り上げたのが今の国であると、王国と帝国の双方が主張していた。お互い相手は天使が作った国を侵略しようとする蛮族だと言い合っているのである。そのためその天使が降臨した地がどこかという点においても両国は反発していた。王国は北部のルーディア付近であると主張し、帝国は南部のオネーバー近辺と喧伝している。
そして神聖オーディアル教団はこの一節をある意味曲解し、オーディアルが地上に天使を人間として遣わしており、その者は天使の羽根を宿して生まれてくるとしていた。彼らはその者を見つけ出し、ご神体として担ぎ上げ自分たちが世界を統治しようと考えていたのだ。しかしそんな人間など見つかるわけもなく、時が経つにつれ、彼らの一部はより歪んだ方向へ暴走を始めた。
自らの手で天使を作り上げようと考えたのだ。
それで彼らが目を付けたのが異能だった。異能は限られたものに発現する特殊能力の総称で、主に亜人種にその持ち主が多かった。異能者と呼ばれる彼らはその未知の力ゆえに危険視され、同じ種族の間でも疎外されることが多かった。まして人間で異能を顕現した者は国家から監視対象とされ、酷い時には監禁されることすらあった。だから我が子に異能があると分かると、育児を放棄してしまう親も後を絶たず、問題となっていた。教団はそんな家から追い出された異能者の子供を集め、人工的に天使を創るという狂気の実験を行った。
もちろん異能には様々な種類の能力があり、目的には無意味とされるものも多かった。だが教団はそういう子供を天使の宿主として利用したのである。そして今から数十年前にそれは起こった。
それがどういう経緯で誕生したのか、詳しいことは分かっていない。当時の研究施設は消滅し、資料も紛失していたからだ。とにかく当時の生き残りの教団信者によると、複数の異能を混成する実験中にそれは偶然出来たらしい。―光り輝く羽根。目撃者はそう証言した。普通の物質ではなく、いうなれば目に見える形を持ったエネルギーの塊のようなものだったらしい。それが実験に使われた子供の体に入り込み、しばらくすると苦しみながら姿を変貌させたという。それは羽根の生えたまさに天使のような姿だった。
悪魔のような牙と真っ赤な目を持つ顔がなければ。
異形の姿に変貌したその者は常人離れした力を発揮して周囲の人間に襲い掛かった。教団の研究員が次々に殺され、異能者の子供も犠牲になった。しばらく暴れまわった後その者は絶命し、その体から羽根が出て、別の子供に入り込んだ。そしてその子も変貌し暴れまわった。そしてまたすぐ絶命して次の子へ。その施設はあっという間に血の海と化し、ランプの灯が倒れて火災となった。
教団本部から幹部が駆け付けた時、そこは瓦礫と化していた。そして燃え上がる施設をバックに泣きじゃくる数名の子供が確認された。
光る羽根がどうなったのか。本部に伝令に走った生き残りの教団員の話から、幹部たちは羽根が誰かの子供の中に入り込んだままなのだと結論付けた。生き残った子供たちの誰かが、羽根に適合したのだ。しかし殺戮と破壊の混乱の中で、最終的に誰の中に羽根が入ったのか当事者の子供たちも分からなかった。自分の中に羽根が宿っているという自覚を持つ者も現れず、生き残った子供たちはお互いが他の子に不思議な力を感じ取っていた。羽根のエネルギーのようなものを間近で浴びた彼らは宿主となった本人以外も影響を受けていたのだ。
結局、羽根はその場の誰かの中で落ち着いたとみなされ、教団は彼らを隔離し、宿主となった子供が覚醒するのを待った。だがその中の誰かが天使となれば、他の子供は用済みとなる。その場にいなかった子供は猶更で、すぐに処分されてしまう恐れがあった。当時教団に連れ去られた子たちの中にはそれを十分わかっている賢明な者もおり、彼らは自分たちが処分される前に教団を逃げ出すべく反乱を起こした。教団の歴史上最大の汚点といわれる「シーザーズの反乱」である。
結局多数の犠牲者を出したものの、首謀者の少年を含め数十名の子供たちが教団から脱走することに成功した。異能者の力を利用しようとした教団は逆にその能力によってしっぺ返しを食ったのである。教団にとって最悪だったのは、その脱走者の中に、「天使の羽根」と名付けられたあの羽根をを宿しているであろう例の生き残りの子供たちが含まれていたことだった。
イリノア・ファングは王国北部の貧しい村に生まれた。彼女の母は「半端者」と呼ばれる亜人種と人間の間に生まれた半獣人であり、小さい頃から迫害を受けて生きてきた女性だった。彼女自身もそうだったが、半獣人の大半が人間と外見的にはほぼ変わりがなく、しかも彼女は相当の美人だったため、子供のころから男たちの慰み者にされてきた。そうした中で生まれたのがイリノアだった。そうした経緯から彼女も村での差別を受ける身となったのだが、さらに不幸なことに、イリノアは異能を発現したのだ。
イリノアの異能はいわゆる未来予知だった。時々、近未来で起きることが脳裏に浮かんでくるのである。物心がついたばかりの頃は悪気なくその予知を周りに話していたが、そのことで村人から気味悪がられ、母でさえ彼女を疎んじるようになった。そういうことが理解できるようになってからはイリノアは予知が浮かんでも黙っていようとしたのだが、この能力には副作用があり、予知したことを他人に伝えないと耐え難い激痛に襲われたのだ。それは到底幼子が耐えられる苦痛ではなく、イリノアは不本意ながらも予知が見えるたびにそのことを母や村人に話すしかなかった。
そして八歳を迎えたある日、イリノアは村で火事が起こることを予知した。焚火の不始末が原因だったが、村の者はイリノアが自分で火を付けたのだと言いがかりをつけた。異能を持つイリノアを以前から恐れていた彼らはこれを口実に村から追い出すか最悪殺してしまおうと考えていたのだ。村人が家にやってくると、母はイリノアをかばうどころか、娘を差し出すから自分は助けてくれと言い出した。絶望の中、あわや暴徒と化した村人に殺されそうになったイリノアだったが、そこに現れて彼女を助けたのが神聖オーディアル教団の人間だった。彼らは密かに王国中に張り巡らせた情報網を使い、イリノアの予知能力の噂を嗅ぎつけていたのだ。
教団はイリノアの予知の力を独占して利用するため、その場で村人を皆殺しにした。その中にはイリノアの母も含まれていたが、イリノアは目の前で母が殺されるところを見ても何も感じなかった。むしろ地獄のような環境から助け出してくれた教団の人間に感謝すら覚えていた。
教団は自分たちの力をより拡大するため、そして逃げた「天使の羽根」の宿主を探し出すためイリノアをさらい、「シーザーズの反乱」の失態で失脚して以来空位であった教主の座に彼女を据えた。元々行くあてのなかったイリノアは彼らの思惑に乗ることを了承し、彼女は僅か八歳で神聖オーディアル教団の教主に即位した。教団はイリノアの予知を女神オーディアルからの神託であると喧伝し、予知が当たるたびに信者を増やしていった。特に当時政情が不安定であった帝国内で、教団の力は目覚ましい成長を遂げることとなった。
そしてそれから二年が経ち、十歳となったイリノアは今、帝国南部の町、オネーバーに連れてこられていた。
10
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる