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第13話 縁談

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「お先に休憩いただきました」

 パンナが厨房に入り、昼食の後片づけをしている他のメイドに声をかける。アンセリーナのお披露目から五日。ルーディアの伯爵邸に帰って来たパンナはメイドの仕事に復帰していた。

「はい、お疲れ様。じゃあ私、休憩に入るわね」

 赤毛のメイド、エンリが入れ替わりに厨房を出る。パンナは洗い終わった食器を棚に戻すためシンクに向かう。

「ねえ、聞いた?お嬢様のピアノの先生」

 洗い物をしていた別のメイド、カチューシャがパンナに小声で話しかける。背の高い年長のメイドだ。

「ピアノの?ああ、アシム先生ね。先生がどうかしたの?」

「お嬢様の講師を辞められたんですって。これで何人目かしら」

「ああ、また?無理もないわね。お嬢様のサボり癖は一向に治らないもの」

 そういえば伯爵にアンセリーナの身代わりを命じられたあの日も、アンセリーナはアシムのレッスンをドタキャンしていたっけ。顔を合わせづらくてエンリにキャンセルを伝えてもらったのよね。そのおかげであんな目に遭うことになったのだろ思うと、さすがにアンセリーナを恨めしく思う。

「それにしても本当に信じられないわね。あなたがお嬢様の身代わりになってたなんて。でも確かに改めて見ると似ている気がするわ」

 カチューシャはお披露目の時はここに残っていて、アンセリーナに扮したパンナを見ていない。今のパンナは以前と同じ、ただのメイドに戻っている。違うのは髪の長さくらいか。ちなみにもうかける必要もないが、何となく習慣になっているのか、伊達眼鏡は付けている。

「あんまり見ないで。あんなことはもうこりごりなんだから」

 ため息をつき、パンナは食器に手を伸ばす。いつも通りの日常が戻ってきたことに安堵するが、これはまさにひと時のやすらぎでしかなかったことを、彼女は間もなく知ることになる。

「おお、丁度よかった。パンナ、お客様がお見えだ。応接間にご案内を頼む」

 片付けを終えて厨房を出たパンナにハンスが声をかける。パンナは「かしこまりました」と頭を下げ、正面玄関へと向かった。

「お待たせいたしました」

 玄関にはがっしりした体格の執事らしき壮年の男性が待っていた。身なりといい立ち姿といいかなり上級貴族の執事に思える。

「突然お伺いして申し訳ありません。私、サンクリスト公爵家で執事を勤めておりますメルキンと申します」

「サンクリスト公の!?え、遠路ご足労いただきありがとうございます。先日はアンセリーナ様のお披露目にボナー様にご出席いただき、誠にありがとうございました」

「私はそのボナー様に仕えております。今日はエルナンド伯爵様に大切なお願いをさせていただきたく参りました。不躾の訪問をご容赦いただきたい」

「と、とりあえず応接間にご案内いたします。そちらでお待ちください」

 パンナは焦りながらメルキンを案内する。お披露目から時間を置かずしての訪問。パンナは何か嫌な予感を覚え、メルキンの目に触れぬようにして顔をしかめた。




「まさかゲスナーがな。クリスの見たものが確かならあ奴は『人工覚醒者イミテーション』だったということか。アクアットめ、教団と繋がっていたとはな。うちを目の敵にしている奴なら確かにあり得ることだが、そうなると……」

 自室のソファに座りワインを傾けながら、この屋敷の主ブラベール・ファン・エルナンドは思案に暮れていた。三日前の夜、グレーキンから馬を飛ばして帰って来たクリスから聞いた話に、ブラベールは衝撃を受けた。ゲスナーが死んだということより、彼に起きた異変、そしてその死に方、いや殺され方にだった。

『うちのパーティーの時と同じく教団の手の者が参加していたことは確実じゃな。しかも異能ギフト持ちとは……。我ら貴族に異能者ギフテッドはおらぬはず。教団の手はどこまで入り込んでおるというのだ』

 クリスの話を聞いてからずっと同じ考えが頭を巡っている。現時点で打てる手は全て打っているつもりだが、不安は拭いきれなかった。ちなみにクリスはさすがにこれ以上はアカデミーを休講出来ないということで王都に戻っていた。

「旦那様」

 ハンスがドアをノックし、ブラベールは思考を中断した。グラスを置き、一つ大きく息を吐く。

「どうした?」

「サンクリスト公爵家から使者の方が来られました」

「サンクリスト家から?」

「はい。大切なお話があるようでして。応接間にお通ししております」

「分かった。すぐに行く」

 ブラベールは腰を上げ、鏡の前で身なりを整えた。



 パンナがメルキンを応接間に案内し、それから日課の庭の手入れを終えたのはもう日暮れ時だった。メルキンを応接間に通し、お茶を運ぼうと思っていたら、すぐにカチューシャがお茶を持ってきた。ハンスが伯爵を呼びに行く前に厨房に寄って指示していたのだろう。相変わらず仕事のそつがない。パンナが道具を片付けながらそう感心していると、

「パンナ、旦那様がお呼びだ」

 当の本人にいきなり声を掛けられ、パンナは驚いて飛び上がりそうになった。考え事をしていたとはいえ、気配を感じさせず近づいていたことにまず驚く。この人はただの執事ではないな、とパンナは改めて思った。

「は、はい。旦那様はどちらに?」

「広間だ。片付けはこちらでしておくからすぐに行きなさい」

「かしこまりました。申し訳ありませんがお願いいたします」

 頭を下げ、パンナはここから近い勝手口の方へ走っていく。それにしても伯爵が自分を呼ぶときに広間というのは珍しい。大抵は自室か書斎なのだが。

「失礼いたします」

 ドアをノックして広間に入ったパンナはおや、と少し驚いた。窓際のテーブルの近くにブラベールが立っているのだが、その隣のソファにアンセリーナが座っていたのだ。

「お嬢様もお出ででしたか」

 パンナの言葉に、アンセリーナは答えず、不機嫌そうな顔でティーカップを口元に運ぶ。ブラベールはそんな娘を見ながら眉間にしわを寄せていた。

「おお、来たか。まあ座れ」

 そう言ってアンセリーナの向かいのソファを指さし、自分は娘の隣に座る。

「何かございましたか?」

 二人の様子から何か只ならぬことが起きたのではないかと不安になりながらパンナが尋ねる。

「うむ、実は先ほどサンクリスト家から執事が見えられてな」

「存じております。私が応接間にご案内いたしましたので」

「そうであったか。メルキン殿と申して、先日お見えになったサンクリスト公の嫡男、ボナー様のお付きだそうでな」

「はあ」

「それで今日来られた要件と言うのがな。ボナー様がな、その……アンセリーナを気に入ったらしくてな」

「はあ!?」

「早い話、アンセリーナを嫁に迎えたいということらしいのだ」

 あまりのことにパンナは言葉を失った。「四公」の世継ぎがアンセリーナを!?いや、待て。ボナーは実際はアンセリーナとは会っていない。つまりは……

「それで都合がよければ来週にでもベストレームでアンセリーナと会いたいというのじゃ。早い話が見合いじゃな」

「ちょ、ちょっとお待ちください!そんな急な……あ、いえ、そうじゃない。そ、それでどうするおつもりなのですか?」

 一瞬自分が見合いするような気持になってしまい、パンナは慌てて言い直す。何せボナーが気に入ったのは

「それで困っておるのじゃ。念のため、にも訊いてみたのじゃがな……」

 そう言ってブラベールは隣の娘に視線を向ける。

「私は嫌よ!こないだも言ったでしょ!?私、お嫁になんて行きたくないの。それにおチビさんは好みじゃないし」

「お嬢様、『四公』のお世継ぎにそのような物言いは……」

「爺と同じような事言わないで!とにかく私は嫌!」

 取り付く島もないとはこのことだ。しかし確かにこれは困ったことになったとパンナは思う。

「この調子でな。まあ儂もアンセリーナを嫁には行かせたくないが、『四公』からの縁談をこちらから断るというわけにもいかん」

 少なくとも今はまだな、とブラベールは心の中で付け加える。

「はい。お嬢様が出向かれなくては当家のお立場が……」

「そこでじゃ」

 ブラベールの意図を察し、パンナが機先を制する。

「お待ちください!この間のパーティーならまだしも、縁談ですよ!?無理です!」

「ふん、分かっておるではないか。お前に見合いに行ってもらう」

「ですから……」

「そもそもお披露目でボナー様が気に入られたのはお前であろう?」

「そ、それはそうですが、だからこそ私が行けばますますややこしいことに……」

「ボナー様は優秀なお方と聞いておる。もし本物のアンセリーナが行けば、パーティーで会った娘と別人だと気付かれるやもしれぬ。そうなっては当家の立場が無かろう?」

「それで本当にお嬢様が侯爵家に嫁がれることになったらどうするのです!?それこそ当家のお立場が……」

「じゃからお前にこの話を壊してもらいたいのじゃ」

「は?」

「見合いの席でアンセリーナがとても侯爵家の妻など務まらぬと思わせ、あちらからこの話をなかったことにさせるのじゃ。そうすれば礼を失することなく、破談に持っていける」

「し、しかしそれではお嬢様……ひいては当家の評判が……。周辺諸侯にお嬢様が嘲られることになりましょう」

「アンセリーナ本人が行ってもそうなるのは火を見るより明らか。ならお披露目の身代わりがバレないだけ、そちらの方がよいというものであろう?」

「お父様!それはどういう意味ですか!?」

 頬を膨らませて怒るアンセリーナを無視し、ブラベールは愉快そうに笑う。

「それにそうなれば他家からの縁談も持ち込まれなくなろう。アンセリーナが嫁に行ってしまう心配がなくなって一石二鳥じゃ」

 親バカもここまで来ると病気だ、とパンナは呆れ果てた。が、同時に疑念も湧く。いくら娘が可愛くてもここまでするだろうか?家の名誉が傷つくというのは貴族にとって最も忌避することだ。伯爵家、そしてなにより最愛の娘の評判を落としてまで嫁に行かせたくないというのは少し異常に思える。

『この間のお披露目の事といい、旦那様は何か隠しているのでは……』

 そう感じてブラベールを見つめるが、娘の肩に手をやって相好を崩す様はやはりただの親バカにしか見えない。しかしこの男が見た目以上に曲者であることはパンナも理解していた。

「そういうわけでお前は演じて来い。それで向こうからこの話は無かったことにされる。それにお前自身もこの間ハンスにしごかれたようじゃが、まだまだ貴族としての立ち居振る舞いは身に付いておるまい?お前自身の素を出せばさらに確実じゃろうて」

 アンセリーナにもパンナにも失礼極まりないセリフをブラベールは楽しそうに吐く。これにはさすがの両名も憤慨したが、使用人の立場で主人に面と向かって文句も言えない。

「これでも貴族の家で働く身として、最低限の知識と礼儀作法は身につけておるつもりでございます」

 そう言い返すのがやっとっだった。アンセリーナは怒りのままに父の肩をポカポカと叩いていたが。

「はあ……そこまでおっしゃられるなら致し方ございません。でも本当によろしいのですね?お嬢様や伯爵家が周辺諸侯の笑いものになるようなことになっても」

「構わん。お披露目の時も申したが、お前に責任を負わせるようなことはせん」

 そうまで言われては断りきれない。どうやら観念するしかなさそうだ。

「よし、それでは決まりじゃ。実はメルキン殿を待たせておってな。これ以上返事が遅れればそれこそ失礼にあたる。来週ベストレームでボナー様にお会いするとお伝えするぞ、よいな」

 いいも悪いもこうなっては仕方がない。パンナは胃がキリキリと痛むのを感じながら、呆然と頷いた。


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