貴族令嬢の身代わりでお見合いしたら気に入られて輿入れすることになりました

猫男爵

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第11話 異変

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「エルナンド伯爵家のクリスティーン様、ですわね?アクアット卿の申される通り、無理に付き合わなくともよろしいのでは?今のゲスナー様は普通ではありません。危険ですわ」

 アクアット家の使用人がおっかなびっくりの態で持ってきた真剣を手にしたクリスにリーシェが囁きかける。ゲスナーはすでに自分の剣を手にし、それを振るいながら悦に入っていた。

「いえ、先ほども申し上げた通り、今のゲスナーを下手に刺激する方が危険かと。リーシェ様、仕合が始まりましたらここからお出で下さい。このままお帰りになるのがよろしいかと」

「ですが……」

「客人方が逃げるくらいの時間は稼ぎますよ。これでもアカデミーの授業ではゲスナーに負けたことはないので」

 さわやかに笑うクリスに対し、リーシェは不安に顔を曇らせる。そしてイライラした表情で息子を見つめるコスイナに近づき

「アクアット卿。万一の時は私の護衛をここに連れてきます。許諾していただけますね?」

「致し方ありませんな。ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。ちっ、あの不良品が」

 忌々し気に呟くコスイナを冷ややかな目で見つめ、リーシェは後ろに下がる。

「さあさあどうしたんですクリス先輩ぃ~!始めましょうよぉぉ!」

「ああ。お手柔らかに頼むよ、ゲスナー」

 本来ならダンスのために開けられた空間にゲスナーとクリスが向かい合って立つ。招待客たちはじりじりとテーブルの後ろに下がりながら緊張の面持ちで二人を見つめていた。

「楽団!僕の好きなあの曲をやれ!先輩ぃ~、演奏のスタートを仕合開始の合図にしましょう」

「いいだろう」

「ひひ、本当ならリーシェ様と踊る予定の曲だったんですがねぇ~。そうそう先日、お宅でも踊らさせていただきましたようぅ~。アンセリーナが付いてこれなくて転びそうになって……ぷぷ、無様でしたねえ~」

「挑発のつもりか?そうだとしても、たとえホストとはいえ妹を侮辱されて僕が黙っているとは思わない方がいい」

 初めて怒りの表情を浮かべクリスがゲスナーを睨む。実際に転びかけたのはパンナだが、ゲスナーは紛れもなくアンセリーナに恥をかかせるつもりだったのだ。

「今度は先輩が無様に踊ってくださいよぉぉ~!おい!」

 ゲスナーが剣を突き上げ、それに応えるように楽団が演奏を始める。同時に中段に剣を構えたクリスの目に、猛スピードで突っ込んでくるゲスナーの姿が映った。

「何!?」

 予想以上の踏み込みで間合いに入ったゲスナーの横なぎに払った剣を、クリスはとっさに後ろに飛んでかわす。が剣先が服をかすめ、胸に小さな傷が付く。

『速い!』

 今まで見てきたゲスナーの剣とは桁違いだ。何とか態勢を立て直し剣を構えたクリスに、立て続けにゲスナーの剣戟が襲い掛かる。

「ひゃははははあ!どうしました先輩!防戦一方じゃないですかぁ~!!」

 狂ったように剣を振り回すゲスナー。何とかそれを受け続けるクリスだが、あまりの連撃の速さに反撃する暇がない。そして一撃一撃が腕に深刻なダメージを与えてきていた。

『重い!こいつ本当にゲスナーか!?速さも膂力もまるで別人だ』

 アカデミーの剣術の授業では何度か学年を越えた仕合があり、ゲスナーとは何回も剣を交えた。しかしこれほどの力はなかったはずだ。

「覚醒したというのか……じゃがあの状態では」

 じりじりと後退するクリスに剣を振り下ろし続けるゲスナーを見つめ、コスイナがぽつりと呟く。

「ははは!見ておられますか父上!クリス先輩を!エルナンド家の嫡子を!僕が!倒すのです!僕は……僕は……代用品なんかじゃないっ!!」

「何じゃと!?あやつ、なぜそのことを!?」

 ゲスナーの叫びにコスイナが驚愕し、それを見たリーシェが顔をしかめる。

「代用品?どういう意味ですか?アクアット卿」

「い、いえ……それは」

 言葉を濁すコスイナに疑念を抱きながらも、リーシェは徐々に押されていくクリスを見てこれ以上は危険と判断する。

「護衛を連れてきます。無理にでもゲスナー様を止めなければ、クリス様が危険ですわ。ご子息をお披露目の場で人殺しにはしたくございませんでしょう?それに他の客人方も避難させた方がよろしいかと」

「やむをえません。当家の兵も呼びましょう。あ奴は暴走しておる」

 使用人を呼び、客の誘導と兵士の招集を指示するコスイナを横目に、リーシェは広間を後にして控室に向かう。が、広間の扉を開けた途端、そこに目当ての人物を見つけ、息を呑んだ。

「ゼノーバ!控室にいたんじゃないの!?」

「万が一の事態に備え、ここの執事殿に頼んで扉の前で待機させていただいておりました。何やら中が騒がしいようですな」

「大手柄よゼノーバ!その万が一が起こってるの。ゲスナー様が暴走しててクリス様が危険なのよ。すぐに来て」

「暴走ですと?」

 眉根を寄せながらすぐさまリーシェに付き従うゼノーバだが、広間から避難してくる客の流れに邪魔され、中々中に入ることが出来ない。

「通して!お願い、通してください!」

 叫びながら前に進もうとするリーシェをか庇い、ゼノーバは人波を逆流して広間に入る。一方クリスはゲスナーの猛攻によって腕が痺れてきて相手のスピードについていけなくなってきていた。

「くっ、腕が……上がらん」

このままではまずい、と思ったその時、ゲスナーが大上段に剣を振り上げ、渾身の一撃を放った。最後の力でそれを横にした剣で受け止めるが、そのまま膝を付いてしまう。

『これ以上押し込まれたら……防ぎきれん』

 クリスの脳裏に自らの死が浮かぶ。と、その時

「ふ、はは……はあっ」

 ゲスナーの動きがいきなり止まった。クリスの剣を押す力が弱まり、口から涎を垂らしてうめき声を上げる。

「どうした!?いや、今しかない」

 クリスは痙攣する足に必死に力を込めて立ち上がり、ゲスナーの剣を押し戻すと、そのまま剣を振り上げ、ゲスナーの剣を払い落とした。カラン、という乾いた音を立ててゲスナーの剣が床に転がる。

「そこまで!勝負あった!」

 駆け寄ってきたゼノーバが宣言する。が、ゲスナーはまるで耳に届いていないようで、はあはあと荒い息をしながら血走った眼をクリスに向ける。

「がああああああああっ!!!」

 突如ゲスナーが獣のような唸り声を上げ、体を震わせる。と、前かがみになった姿勢のゲスナーの体が突如一回り膨らみ、服がはじけ飛ぶ。

「何だ!?」

 異様な事態にクリスとゼノーバが声を上げた。

「ぐあああああっ!!」

 さらに大きな叫びを上げたゲスナーがクリスを睨む。その目は血のように真っ赤に染まっていた。

「こいつ、一体!?」

 さらに大きく開いた口の中には牙のようなものが生えている。そして背中の左右二個所が盛り上がったかと思うとそこの皮膚が割れ、血が滲みだす。

「馬鹿な!」

 盛り上がった部分から何かが出てこようとしている。血に染まったそれは徐々に高さを増し、いきなり横に広がり始めた。

「翼……だと!?」

 クリスたちが息を呑んだ次の瞬間、

 ヒュッ!

風を切るような鋭い音が聞こえ、ゲスナーの体が床に倒れこむ。何が起こったのか分からず、呆然とする一同の前で倒れたゲスナーの周りの床が赤く染まっていく。ゲスナーの体から大量に出血しているのだ。

「い、医者を!早く!」

 いち早く我に返ったゼノーバが叫ぶ。

「ゲスナー!」

 コスイナが叫びながら息子に駆け寄る。冷静さを取り戻したクリスもゼノーバと共に倒れたゲスナーの元に使づいた。

「元に……戻っている?」

 ピクリとも動かないゲスナーの体は普通の状態に戻っていた。背中の皮膚は割れたままだが、翼のようなものは消え去っているし、背丈も元の大きさになっていた。

「……残念だがこと切れているな。うん?」

 ゲスナーの首筋に手を当てたゼノーバが顔をしかめる。うつ伏せに倒れたゲスナーの背中には皮膚が破れている二か所以外にもう一つ、直径数センチの丸い穴が空いていた。ゼノーバがコスイナに許可を取り体を仰向けにすると、血まみれで確認しにくかったがその穴は胸にも空いており、ゲスナーの体を貫通していることが分かった。

「これが死因か……。位置からして心臓を貫いているようだな」

「さっき聞こえた音はこれでしょうか?まるで見えない矢で貫かれたようだ」

 クリスも顔をしかめて息絶えた後輩の姿を見下ろす。

「そうですね。……アクアット卿、このようなことになりお悔やみを申し上げます。しかし酷なようですが、ここにいらっしゃっている方はリーシェ様を始め、周辺諸侯やそのご子息。まずは招待客の方々を無事にお帰しすることが肝要かと」

「その通りですな。……おい」

 コスイナは真っ青な顔でゲスナーの死体を遠巻きに見つめる使用人を呼び、招集した兵にも協力させて客たちを町の外まで送り届けるよう指示を出す。しかしすでにゲスナーの死が知れ渡ったらしく、客たちは悲鳴を上げながら出口に殺到して大混乱になっていた。

「押さないで!危険はありません!落ち着いて順番に出てください!」

 駆け付けたアクアット家の私兵が声を上げ、何とかパニックになった客を誘導しようとする。そんな中、冷徹な目でクリスやコスイナたちを見つめる人物がいることにその場の誰もが気付かなかった。

「所詮は紛い物、ということか。しかし不完全とはいえ、覚醒した者の姿を衆目にさらすとは。アクアットの不手際は看過出来んな」

 その人物は誰にも聞こえぬようにそう呟き、慌てふためく客たちに混じって広間を後にした。




「どう考えても異常ですね。これは」

 リーシェの控室でクリスが疲れた顔で言う。騒ぎが何とか落ち着き、招待客は自分の領地に帰ったり、町中の宿に入ったりした。ゲスナーの死体は使用人の手によってこの別館の一室に安置され、コスイナは一同に騒動の非礼を詫び、自室に引きこもった。ここにはクリスとゼノーバ、そしてリーシェが顔を合わせている。リーシェはゼノーバに宿に戻るよう言われたのだが、どうしても同席すると言って聞かなかったのだ。

「ゲスナーの姿、ご覧になりましたか?」

「背中のアレですね。どう見ても広げる前の翼のように見えましたね」

「私は正面から見ましたが、目が真っ赤になり、口には牙も生えていました。普通ではありません」

「目の錯覚、ではございませんの?」

 リーシェの問いにクリスは首を振る。

「目や牙はともかく、あの翼のようなものは私とゼノーバ殿が同時に目撃しています。目の錯覚とは思えませんね」

「でも亡くなられたゲスナー様のお体にはそんな異常は見当たりませんでしたわ」

「リーシェ様!死体をご覧になったのですか?」

「え、ええ。ゼノーバたちがしゃがみこんでいるときに後ろから」

「何という……ご令嬢が見るようなものではございません!」

「私を子供扱いしないでっていつも言ってるでしょ!」

「まあまあ、お二人とも。確かにリーシェ様のおっしゃる通り、ゲスナーの死体には異常なところはありませんでした。しかし翼が生えてきたと思しき場所は皮膚が破れ、血が滲んでいました。やはりあれは幻などではなかったのでしょう」

「ゲスナー殿の身に何が起きたのか……アクアット卿はご存じなのでしょうか?」

「おそらくは。ゲスナー様がクリス様と剣の仕合を始められたころから様子が変でしたもの」

「しかし今問い詰めるというわけにもいきませんね。仮にもご子息を目の前で失ったのですから」

 そう言いながらクリスは胸に言いようのない気持ち悪さを感じていた。目の前で息子が死んだ、しかも恐らくはというのに、コスイナにはまるで取り乱したり怒ったりという様子が見られない。というより、ように見える。いくら不出来な息子だったとしてもあまりにも不自然だ。

「ゲスナー殿の死因ですが」

 ゼノーバが核心を突く。

「あの傷。何者かによる攻撃、とみてよいでしょうか?」

「考えたくはありませんが、そうとしか思えませんな。しかしあのような攻撃、見たことも聞いたこともありません」

「不可視の矢……まあ矢かどうかは分かりませんが、とにかく見えない武器によるもの、ということですね」

「まさか……異能者ギフテッド?」

「可能性は高いでしょう。通常ではありえない攻撃ですからね」

「馬鹿な。あそこには招待客の諸侯しかいなかったはず」

「いえ、ここの使用人や楽団の演奏者もいましたわ」

「この家の使用人が主人を殺すとは考えにくいですが……楽団の者という線は……」

「自分で言っておいてなんですが、ないと思いますわ。当家もそうですが、出入りの者は全て身元を徹底的に調べます。アクアット卿がゲスナー様の異変のことを知っておられたのならなおのこと、怪しいものをあの会場に入れるとは思えません」

「最初からゲスナーを始末するつもりだった、というのはさすがに考えすぎですね」

「はい。ゲスナー様の変調はアクアット卿も予想外だったとお見受けしました。とてもそんなことは考えられませんわ」

「ここでこれ以上議論していても始まりませんね。いずれ改めてアクアット卿には説明を求めるしかありますまい。あのゲスナーの異変、放っておいてよいとは思えません」

「同感です、クリス様。リーシェ様、お戻りになったらサンクリスト公に正式に詰問の使者を立てるようお願いしてくださいませんか」

「勿論ですわ。でも今日は疲れました。宿に戻りましょう。クリス様は?」

「この件を急いで父に伝えねばなりません。幸い今日はまだ隣のコットナーにいるはず。馬を飛ばして帰ります」

「そうですか、お気をつけて。これを縁に、これからも良しなにお付き合いを」

「こちらこそ。サンクリスト公にもよろしくお伝えください。では」

 そう言って二人に一礼し、クリスは控室を後にした。





「はあ……はあ……」

 夜の森は暗い。まして月が雲に隠れがちなこんな日は、夜目に慣れた特殊部隊の兵であっても先を見通すのは難しい。男は後ろを振り向きながら下草が絡みつく森の中を駆ける。死線をくぐって来た彼のような兵士でも、こんな状況では冷静ではいられなかった。

「ちくしょう!何なんだ、は!」

 ガサッ、という音がして、男はビクッと体を震わせ足を止める。慎重に辺りを見渡し、ナイフを握りしめる手に力を込める。

 ガサッ、とまた草を掻き分ける音。息を呑み、じっと音のした方を見つめる。と、一羽のウサギが草むらから姿を見せた。

「な、何だ、野兎か。驚かせやがって」

 じっとりと脂汗が浮かんだ額を手で拭う。と、その手にいきなり激痛がj走った。

「ぎゃああっ!」

 悲鳴を上げた男の目の前に、。切断された手首から鮮血が噴出し、男はパニックになって地面を転がりまわる。

「鬼ごっこは終わりだよ、兄ちゃん」

 頭上から声がして、男は恐怖に染まった瞳で天空を見上げる。そこには雲から顔を出した三日月を背景に、真赤に光る二つの目があった。
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