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第10話 波乱のお披露目
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「足元にお気を付けください、リーシェ様」
馬車を降りた美少女の手を取り、甲冑を身に着けた若い男が声をかける。白いドレスに身を包んだ少女は十代半ばといったところだ。鮮やかな金髪を肩先まで伸ばし、赤いリボンがアクセントとしてよく似合っていた。男の方も金髪で、少し縮れている。
「ありがとうゼノーバ。大丈夫よ」
サンクリスト公爵家の長女、リーシェ・ドナ・サンクリストは微笑みながら信頼する騎士団長に答える。ベストレームを出て二日。ゆっくりとした道程でグレーキンに着いた彼女たちはゲスナーのお披露目パーティーに参加すべくここ、アクアット家の別館に入っていた。
「ようこそお出で下さいました、リーシェ様」
白いひげを蓄えた執事が深々と頭を下げ、一行を出迎える。リーシェに同行した騎士は十名を数えたが、当然大半の者は屋外での待機となる。騎士団長のゼノーバだけがリーシェに付き添い、館の中に入った。
「リーシェ様には控室を御用意させていただきました。こちらの部屋でパーティーが始まるまでおくつろぎ下さい」
執事に案内された部屋に入ったゼノーバはほう、と声を上げた。室内の調度品は豪華すぎるほどではないが一級の品が揃っており、テーブルには花が飾られ、飲み物も用意されている。主賓とはいえ一人のゲストのためにここまで準備するというのはかなり気合が入っているといえよう。
「豪勢ですね。控室にこれだけのものを用意して下さるとは」
リーシェが飾られた花の匂いを嗅ぎながら言う。
「ですな。子爵は今日のためにかなりの金をかけていると見えます」
「ではあの噂も本当なのでしょうね」
そう言うリーシェの顔は一見微笑んでいるように見えるが、その目は決して笑ってはいない。
「特別税の徴収、ですか。領主の権限とはいえ今回は負担が重すぎると訴え出た商人もいると聞きます」
「それだけの投資をする価値が嫡子のゲスナー様におありだとよろしいのですけど」
「リーシェ様?」
「忘れてくださいゼノーバ。少し口が過ぎましたわ」
いつものことだがな、とゼノーバは心の中で呟く。聡明で人当りも優しい少女なのだが、歯に衣着せぬ物言いが玉に瑕だ。そこが魅力的だという者もいるが、護衛の身としては不用意な発言は避けてもらいたいものだ。
「お待ちくださいリーシェ様、お毒見を」
テーブルに用意された飲み物に手をかけたリーシェにゼノーバが声をかける。城外では公爵家の人間が口をつけるものは全て護衛の者が毒見をすることになっている。
「必要ありませんわ。アクアット卿が私に毒を盛る道理がないでしょう?」
「それはそうですが、決まりですので」
「相変わらず固いわねゼノーバ。そんなだからまだ独り身なのですよ?城内にはあなたに懸想しているメイドがたくさんいるというのに、あなたったらそっちの方は全然積極的ではないんですもの」
「勘弁してくださいリーシェ様。ことあるごとにメイドにあることないこと吹き込むのはやめていただきたい」
「あら、だってしょっちゅう訊かれるんですもの。『ゼノーバ様はどんなタイプがお好みなのでしょう?』とか『好きな食べ物は何でございましょう?』とかね」
「それで杏の蜂蜜漬けが好きだと答えられたのですか?この間瓶詰の杏が大量に送られてきて大変だったのですよ。私はそんなものを好きだと言った覚えはないのですが?」
「私の好物なのよ。でもお父様が太るからって中々食べさせてくださらないの。あなたのところに届いたら食べきれなくって私のところに持ってくると思ったのよ。狙い通りだったわね」
やれやれ、とゼノーバは頭を抱える。こうやっていつも振り回されるのだが、不思議に嫌な気持ちにはならない。リーシェという少女には人を惹き付ける妙な魅力があった。
「うん?」
気を取り直し、グラスに注いだ水を口に入れたゼノーバが顔をしかめる。
「どうしたの?」
「いえ、炭酸水だと思ったのですが、どうやらわずかにアルコールが入っているようです」
「シャンパン?」
「いえ、それほどしっかりした酒ではありませんが」
「ふうん、私を酔わせるつもりだったのかしら」
「未成年のリーシェ様にアルコール入りの水を用意するとはけしからん。アクアット卿には抗議を……」
「いいわよゼノーバ。そんな弱いアルコールで酔っ払ったりしないわ。私、ワインくらいは飲んだことあるのよ」
「ですが、明らかに悪意、とはいいませんなにかしらの意図があるとしか思えません」
「少し判断力を鈍らせてゲスナー様に会わせるつもりなのでしょう。……そうか、そういうことね。ねえ、ゼノーバ、少し気分が高揚してきてるんじゃない?」
「そう言われると……確かに」
「フロウの実ね。アルコールに似た成分があって、興奮作用があるの。媚薬に使われるなんて噂もあるわね」
「び、媚薬ですと!?リーシェ様!ど、どこでそうような……」
「私を世間知らずの箱入り娘だとでも思ってるのゼノーバ?」
「そうは……思いませんが、しかしそのようなこと、公爵様がお聞きになれば」
「はっきり否定されるとそれはそれで腹が立つわね。まあいいわ。私だってそれくらいの知識はあるってことよ」
「し、しかしそのようなものをリーシェ様に飲まそうなどとやはり看過できません。今からでも出席を取りやめて公爵様からの抗議を……」
「そんなに目くじら立てないの。可愛いじゃない。あわよくば私にゲスナー様を気に入ってもらおうと必死なのよ。それくらい積極的な方が好感が持てるわ。ゲスナー様本人じゃなく、アクアット卿の方にね。あまり出世にどん欲な男も引くけど、そういう欲がないような男にも魅力は感じないわ」
「そういうお話はまだリーシェ様には早すぎます。ちなみに私の印象は最悪ですがね。アクアット卿も、その企みに乗じようとする子息も」
「嫉妬?そうねえ、ゼノーバなら私の相手として合格点はあげられるけど」
「お戯れもいい加減になさいませ。とにかくこれはお飲みにならないように」
「勿論よ。父親に媚薬を盛ってもらってまで媚を売ろうとする坊ちゃんには興味がないもの」
リーシェはそう言って小悪魔的な笑みを浮かべた。
「こ、これはこれは……クリス殿。まさかあなたがお出で下さるとは」
パーティー会場である別館の広間でクリスの顔を見たコスイナ・チャーチ・アクアット子爵の顔が引きつる。アンセリーナが来るか、もしくは誰も来ないと予想していたコスイナにとってクリスの参加はまさに想定外であった。
「お久しぶりですアクアット卿。父の代理で地方会議に出席して以来ですね。先日は妹のお披露目にゲスナー殿がご参加いただき、感謝の念に堪えません。本来であれば妹がこちらに伺うのが筋とは思いますが、何せ人見知りの激しい妹なので、慣れないパーティーで疲れたらしく熱を出してしまいましてね。私が代理でまかりこしました。失礼の段は平にご容赦を」
「い、いえいえとんでもない。クリス殿にはゲスナーがアカデミーで日ごろからお世話になっておると聞き及んでおります。よくおこしくださいました。愚息も喜びましょう」
「だといいのですがね。……おや、主役がご登場のようだ」
クリスの視線を追ってコスイナが振り向くと、広間の前方に置かれたステージの上にゲスナーが上がるとこだった。この広間は長方形で吹き抜けではなかったが、天井からは豪勢なシャンデリアがいくつも下がっている。
「み、皆様。ほんじ……つはようこそおいでく、くださいました。ゲ、ゲスナー・ケッチ・アクアットでございます。ほ、本日ここに社交界の仲間入りをさせていただくことは存外のほぅ……まれぃでありぃますぅ……。王国貴族として恥じない働きをすりゅ所存でありましゅ……のでぇ、ご指導、ご鞭撻のほどなにとぞよろしくお願い……い、いたしましゅ」
「緊張されておられるのかな?お顔の色が優れないようですが」
呂律の回らない挨拶をするゲスナーを見つめクリスが顔をしかめる。どうも様子がおかしい。そう思ってふと隣を見ると、コスイナも顔をしかめ、何やらぶつぶつと呟いていた。
「まさか……今日に限って」
コスイナはクリスを無視するようにステージに向かって歩き出す。ステージと料理の並べられたテーブルの間には広い空間が開いている。ダンスのためのスペースだ。楽団は広間の左右の隅に配置されていた。
「様子が変ね。ご自分も何か飲まれてるのかしら?」
ふらふらとした足取りでステージを降りるゲスナーを見ながらリーシェが独り言つ。この会場には護衛といえども同席は出来ず、ゼノーバは控室で待機している。
「これはこれはリーシェ様ぁ……よくお出でくださいました、ぁぁ」
酔っ払ったような足取りで、ステージを降りたゲスナーが最前列のテーブルにいるリーシェに近づく。本能的に嫌悪感を感じながらも精いっぱいの笑顔を作り、彼女は本日の主役に挨拶する。
「初めましてゲスナー様。本日はおめでとうございます」
「ふうぅ……お噂で聞いていたよりもはるかにお美しいぃぃ……お目に掛かれてぇ、光栄でございますぅ」
ゲスナーの目はとろんとして焦点が合っていない。どう見ても様子がおかしい。何とかその場を逃げようとするリーシェだが、その手をゲスナーががっちりとつかんでしまう。
「何卒一曲お付き合いをぉぉ~。こう見えてダンスには少々じ、じ、自信がぁございましてぇぇ」
「そ、それは素晴らしいですわ。ですがわ、私はダンスは不調法でして、とてもお相手が務まるとは」
「そ、そのようなことはぁ……ございません」
「おいゲスナー!どうした、しっかりせんか!」
息を切らせて近づいてきたコスイナがゲスナーの肩を掴む。と、のろのろと父親を振り向いたゲスナーはにやりと顔を歪めてぞっとするような笑いを浮かべる。
「ち、父上ぇ……お言いつけ通りぃ……公爵様のぉご令嬢を……く、口説いておりますぅ」
「ば、馬鹿者!な、何を言っておる!も、申し訳ございません、リーシェ様。こやつ少し緊張で混乱しておるらしく」
「そ、そのようですわね。少しお休みになられた方が……」
「ご心配にはおよ、及びませんん~。ど、どうか一曲お付き合いおぉぉぉ……」
「ひっ!」
恐怖のあまり手を引っ込めようとしたリーシェだが、ゲスナーは予想以上に強い力でそれを許さない。ぐいっとリーシェの体を引き寄せようとした時、その手をクリスが押さえた。
「おいおい、そんなふらついた足で踊れるのかゲスナー?ダンスが得意なのは知ってるが、そんな状態じゃリーシェ様に恥をかかせることになるんじゃないか?」
「ク、ク、クリス先輩ぃ……な、なぜここに!?」
「妹の代理さ。先日はアンシーのためにき来てくれたそうだね。それには礼を言おう。しかしそんな状態で無理やりレディーをダンスに誘うのは感心しないな。お父上も心配しているようだし、おとなしく休んではどうだい?」
「あ、あなたという人はどう……どうしていつも僕の邪魔をぉぉ~」
胡乱とした表情から一変し、殺意のこもったような目でクリスを睨むゲスナー。いつもつっかかってくるのはそっちだけどな、と思いながらもクリスはホストの顔を立てて黙っておく。
「ひ、ひひひ、そ、そうだぁ~。ちょ、丁度いいぃ~!ち、父上、エルモンド家にぃぃ目にもの見せる絶好の機会ですよぉ~」
「な、何を言っているのだ!さっきからお前は!」
コスイナが焦りの表情を浮かべる。普段からこの子爵様が何を言っているのか、クリスにはたやすく予想がつくが、人前、ましてや本人の目の前でこれほどあからさまに口にされてはさすがに面目が立たないだろう。
「ク、クリス先輩。仕合ましょうよぉ~。剣技の仕合をしましょう。お客様たちにもよい余興となりますよ。ひ、ひひひ!もちろん真剣ですよ!し・ん・け・ん」
「いい加減にせんか!み、皆様申し訳ございません。愚息は少し疲れているようでして」
「どうしてお止めになるのです父上!日頃の恨みを晴らす絶好の機会ではないですかぁ~!!ねえ、いいでしょう先輩ぃ~!真剣で斬り合いましょうよぉおおおおお!!」
もう完全にまともではない。クリスは困惑しながらちらりと横を見る。怯えるリーシェの青ざめた顔が映り、彼はふう、と息を吐く。
「いいだろう、相手をしよう。しかしそんなふらついた状態でまともに剣が振れるのかな?」
「ク、クリス殿。こやつは今おかしいのです。無理にお相手してくださらなくとも……」
「いえ、アクアット卿。今のご子息は確かに普通ではありません。それゆえここで僕が申し出を断れば彼が暴れ出さないとも限りません。サンクリスト公のご令嬢に万が一怪我でもさせたら卿も只では済みますまい」
「む、う。申し訳ございません、クリス殿」
クリスの言う事はもっともだ。敵視するエルナンド家の嫡子に助けられる形となり、コスイナはほぞをかむ。
「そうこなくっちゃあぁぁ~!さあ!僕の剣を!先輩にも剣を持ってこいぃぃっ!!」
狂ったように笑いながら、本日の主役は困惑する客の見守る中で叫び声を上げた。
馬車を降りた美少女の手を取り、甲冑を身に着けた若い男が声をかける。白いドレスに身を包んだ少女は十代半ばといったところだ。鮮やかな金髪を肩先まで伸ばし、赤いリボンがアクセントとしてよく似合っていた。男の方も金髪で、少し縮れている。
「ありがとうゼノーバ。大丈夫よ」
サンクリスト公爵家の長女、リーシェ・ドナ・サンクリストは微笑みながら信頼する騎士団長に答える。ベストレームを出て二日。ゆっくりとした道程でグレーキンに着いた彼女たちはゲスナーのお披露目パーティーに参加すべくここ、アクアット家の別館に入っていた。
「ようこそお出で下さいました、リーシェ様」
白いひげを蓄えた執事が深々と頭を下げ、一行を出迎える。リーシェに同行した騎士は十名を数えたが、当然大半の者は屋外での待機となる。騎士団長のゼノーバだけがリーシェに付き添い、館の中に入った。
「リーシェ様には控室を御用意させていただきました。こちらの部屋でパーティーが始まるまでおくつろぎ下さい」
執事に案内された部屋に入ったゼノーバはほう、と声を上げた。室内の調度品は豪華すぎるほどではないが一級の品が揃っており、テーブルには花が飾られ、飲み物も用意されている。主賓とはいえ一人のゲストのためにここまで準備するというのはかなり気合が入っているといえよう。
「豪勢ですね。控室にこれだけのものを用意して下さるとは」
リーシェが飾られた花の匂いを嗅ぎながら言う。
「ですな。子爵は今日のためにかなりの金をかけていると見えます」
「ではあの噂も本当なのでしょうね」
そう言うリーシェの顔は一見微笑んでいるように見えるが、その目は決して笑ってはいない。
「特別税の徴収、ですか。領主の権限とはいえ今回は負担が重すぎると訴え出た商人もいると聞きます」
「それだけの投資をする価値が嫡子のゲスナー様におありだとよろしいのですけど」
「リーシェ様?」
「忘れてくださいゼノーバ。少し口が過ぎましたわ」
いつものことだがな、とゼノーバは心の中で呟く。聡明で人当りも優しい少女なのだが、歯に衣着せぬ物言いが玉に瑕だ。そこが魅力的だという者もいるが、護衛の身としては不用意な発言は避けてもらいたいものだ。
「お待ちくださいリーシェ様、お毒見を」
テーブルに用意された飲み物に手をかけたリーシェにゼノーバが声をかける。城外では公爵家の人間が口をつけるものは全て護衛の者が毒見をすることになっている。
「必要ありませんわ。アクアット卿が私に毒を盛る道理がないでしょう?」
「それはそうですが、決まりですので」
「相変わらず固いわねゼノーバ。そんなだからまだ独り身なのですよ?城内にはあなたに懸想しているメイドがたくさんいるというのに、あなたったらそっちの方は全然積極的ではないんですもの」
「勘弁してくださいリーシェ様。ことあるごとにメイドにあることないこと吹き込むのはやめていただきたい」
「あら、だってしょっちゅう訊かれるんですもの。『ゼノーバ様はどんなタイプがお好みなのでしょう?』とか『好きな食べ物は何でございましょう?』とかね」
「それで杏の蜂蜜漬けが好きだと答えられたのですか?この間瓶詰の杏が大量に送られてきて大変だったのですよ。私はそんなものを好きだと言った覚えはないのですが?」
「私の好物なのよ。でもお父様が太るからって中々食べさせてくださらないの。あなたのところに届いたら食べきれなくって私のところに持ってくると思ったのよ。狙い通りだったわね」
やれやれ、とゼノーバは頭を抱える。こうやっていつも振り回されるのだが、不思議に嫌な気持ちにはならない。リーシェという少女には人を惹き付ける妙な魅力があった。
「うん?」
気を取り直し、グラスに注いだ水を口に入れたゼノーバが顔をしかめる。
「どうしたの?」
「いえ、炭酸水だと思ったのですが、どうやらわずかにアルコールが入っているようです」
「シャンパン?」
「いえ、それほどしっかりした酒ではありませんが」
「ふうん、私を酔わせるつもりだったのかしら」
「未成年のリーシェ様にアルコール入りの水を用意するとはけしからん。アクアット卿には抗議を……」
「いいわよゼノーバ。そんな弱いアルコールで酔っ払ったりしないわ。私、ワインくらいは飲んだことあるのよ」
「ですが、明らかに悪意、とはいいませんなにかしらの意図があるとしか思えません」
「少し判断力を鈍らせてゲスナー様に会わせるつもりなのでしょう。……そうか、そういうことね。ねえ、ゼノーバ、少し気分が高揚してきてるんじゃない?」
「そう言われると……確かに」
「フロウの実ね。アルコールに似た成分があって、興奮作用があるの。媚薬に使われるなんて噂もあるわね」
「び、媚薬ですと!?リーシェ様!ど、どこでそうような……」
「私を世間知らずの箱入り娘だとでも思ってるのゼノーバ?」
「そうは……思いませんが、しかしそのようなこと、公爵様がお聞きになれば」
「はっきり否定されるとそれはそれで腹が立つわね。まあいいわ。私だってそれくらいの知識はあるってことよ」
「し、しかしそのようなものをリーシェ様に飲まそうなどとやはり看過できません。今からでも出席を取りやめて公爵様からの抗議を……」
「そんなに目くじら立てないの。可愛いじゃない。あわよくば私にゲスナー様を気に入ってもらおうと必死なのよ。それくらい積極的な方が好感が持てるわ。ゲスナー様本人じゃなく、アクアット卿の方にね。あまり出世にどん欲な男も引くけど、そういう欲がないような男にも魅力は感じないわ」
「そういうお話はまだリーシェ様には早すぎます。ちなみに私の印象は最悪ですがね。アクアット卿も、その企みに乗じようとする子息も」
「嫉妬?そうねえ、ゼノーバなら私の相手として合格点はあげられるけど」
「お戯れもいい加減になさいませ。とにかくこれはお飲みにならないように」
「勿論よ。父親に媚薬を盛ってもらってまで媚を売ろうとする坊ちゃんには興味がないもの」
リーシェはそう言って小悪魔的な笑みを浮かべた。
「こ、これはこれは……クリス殿。まさかあなたがお出で下さるとは」
パーティー会場である別館の広間でクリスの顔を見たコスイナ・チャーチ・アクアット子爵の顔が引きつる。アンセリーナが来るか、もしくは誰も来ないと予想していたコスイナにとってクリスの参加はまさに想定外であった。
「お久しぶりですアクアット卿。父の代理で地方会議に出席して以来ですね。先日は妹のお披露目にゲスナー殿がご参加いただき、感謝の念に堪えません。本来であれば妹がこちらに伺うのが筋とは思いますが、何せ人見知りの激しい妹なので、慣れないパーティーで疲れたらしく熱を出してしまいましてね。私が代理でまかりこしました。失礼の段は平にご容赦を」
「い、いえいえとんでもない。クリス殿にはゲスナーがアカデミーで日ごろからお世話になっておると聞き及んでおります。よくおこしくださいました。愚息も喜びましょう」
「だといいのですがね。……おや、主役がご登場のようだ」
クリスの視線を追ってコスイナが振り向くと、広間の前方に置かれたステージの上にゲスナーが上がるとこだった。この広間は長方形で吹き抜けではなかったが、天井からは豪勢なシャンデリアがいくつも下がっている。
「み、皆様。ほんじ……つはようこそおいでく、くださいました。ゲ、ゲスナー・ケッチ・アクアットでございます。ほ、本日ここに社交界の仲間入りをさせていただくことは存外のほぅ……まれぃでありぃますぅ……。王国貴族として恥じない働きをすりゅ所存でありましゅ……のでぇ、ご指導、ご鞭撻のほどなにとぞよろしくお願い……い、いたしましゅ」
「緊張されておられるのかな?お顔の色が優れないようですが」
呂律の回らない挨拶をするゲスナーを見つめクリスが顔をしかめる。どうも様子がおかしい。そう思ってふと隣を見ると、コスイナも顔をしかめ、何やらぶつぶつと呟いていた。
「まさか……今日に限って」
コスイナはクリスを無視するようにステージに向かって歩き出す。ステージと料理の並べられたテーブルの間には広い空間が開いている。ダンスのためのスペースだ。楽団は広間の左右の隅に配置されていた。
「様子が変ね。ご自分も何か飲まれてるのかしら?」
ふらふらとした足取りでステージを降りるゲスナーを見ながらリーシェが独り言つ。この会場には護衛といえども同席は出来ず、ゼノーバは控室で待機している。
「これはこれはリーシェ様ぁ……よくお出でくださいました、ぁぁ」
酔っ払ったような足取りで、ステージを降りたゲスナーが最前列のテーブルにいるリーシェに近づく。本能的に嫌悪感を感じながらも精いっぱいの笑顔を作り、彼女は本日の主役に挨拶する。
「初めましてゲスナー様。本日はおめでとうございます」
「ふうぅ……お噂で聞いていたよりもはるかにお美しいぃぃ……お目に掛かれてぇ、光栄でございますぅ」
ゲスナーの目はとろんとして焦点が合っていない。どう見ても様子がおかしい。何とかその場を逃げようとするリーシェだが、その手をゲスナーががっちりとつかんでしまう。
「何卒一曲お付き合いをぉぉ~。こう見えてダンスには少々じ、じ、自信がぁございましてぇぇ」
「そ、それは素晴らしいですわ。ですがわ、私はダンスは不調法でして、とてもお相手が務まるとは」
「そ、そのようなことはぁ……ございません」
「おいゲスナー!どうした、しっかりせんか!」
息を切らせて近づいてきたコスイナがゲスナーの肩を掴む。と、のろのろと父親を振り向いたゲスナーはにやりと顔を歪めてぞっとするような笑いを浮かべる。
「ち、父上ぇ……お言いつけ通りぃ……公爵様のぉご令嬢を……く、口説いておりますぅ」
「ば、馬鹿者!な、何を言っておる!も、申し訳ございません、リーシェ様。こやつ少し緊張で混乱しておるらしく」
「そ、そのようですわね。少しお休みになられた方が……」
「ご心配にはおよ、及びませんん~。ど、どうか一曲お付き合いおぉぉぉ……」
「ひっ!」
恐怖のあまり手を引っ込めようとしたリーシェだが、ゲスナーは予想以上に強い力でそれを許さない。ぐいっとリーシェの体を引き寄せようとした時、その手をクリスが押さえた。
「おいおい、そんなふらついた足で踊れるのかゲスナー?ダンスが得意なのは知ってるが、そんな状態じゃリーシェ様に恥をかかせることになるんじゃないか?」
「ク、ク、クリス先輩ぃ……な、なぜここに!?」
「妹の代理さ。先日はアンシーのためにき来てくれたそうだね。それには礼を言おう。しかしそんな状態で無理やりレディーをダンスに誘うのは感心しないな。お父上も心配しているようだし、おとなしく休んではどうだい?」
「あ、あなたという人はどう……どうしていつも僕の邪魔をぉぉ~」
胡乱とした表情から一変し、殺意のこもったような目でクリスを睨むゲスナー。いつもつっかかってくるのはそっちだけどな、と思いながらもクリスはホストの顔を立てて黙っておく。
「ひ、ひひひ、そ、そうだぁ~。ちょ、丁度いいぃ~!ち、父上、エルモンド家にぃぃ目にもの見せる絶好の機会ですよぉ~」
「な、何を言っているのだ!さっきからお前は!」
コスイナが焦りの表情を浮かべる。普段からこの子爵様が何を言っているのか、クリスにはたやすく予想がつくが、人前、ましてや本人の目の前でこれほどあからさまに口にされてはさすがに面目が立たないだろう。
「ク、クリス先輩。仕合ましょうよぉ~。剣技の仕合をしましょう。お客様たちにもよい余興となりますよ。ひ、ひひひ!もちろん真剣ですよ!し・ん・け・ん」
「いい加減にせんか!み、皆様申し訳ございません。愚息は少し疲れているようでして」
「どうしてお止めになるのです父上!日頃の恨みを晴らす絶好の機会ではないですかぁ~!!ねえ、いいでしょう先輩ぃ~!真剣で斬り合いましょうよぉおおおおお!!」
もう完全にまともではない。クリスは困惑しながらちらりと横を見る。怯えるリーシェの青ざめた顔が映り、彼はふう、と息を吐く。
「いいだろう、相手をしよう。しかしそんなふらついた状態でまともに剣が振れるのかな?」
「ク、クリス殿。こやつは今おかしいのです。無理にお相手してくださらなくとも……」
「いえ、アクアット卿。今のご子息は確かに普通ではありません。それゆえここで僕が申し出を断れば彼が暴れ出さないとも限りません。サンクリスト公のご令嬢に万が一怪我でもさせたら卿も只では済みますまい」
「む、う。申し訳ございません、クリス殿」
クリスの言う事はもっともだ。敵視するエルナンド家の嫡子に助けられる形となり、コスイナはほぞをかむ。
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