貴族令嬢の身代わりでお見合いしたら気に入られて輿入れすることになりました

猫男爵

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第7話 サンクリスト家の兄弟

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「皆様、本日は本当にありがとうございました。未熟者の私ですが王国貴族の一員として王家と民のために尽力していただく所存です。今度とも当家と共によろしくお願い申し上げます」

 最初の挨拶の時と同じように二階のバルコニーからそう客たちに告げ、パンナが深々と頭を下げる。集まった貴族たちが盛大な拍手を送り、アンセリーナのお披露目パーティーは無事幕を閉じた。

「はぁ~、終わった」

 カーテンの裏に引っ込むと同時にパンナはへなへなと床にしゃがみこんだ。緊張の糸が切れ、体に力が入らない。みっともない格好だが、少しくらいは許してほしい、とパンナはため息を吐いた。

「ご苦労だった。よくやってくれたな」

 ブラベールが満足気にそう言ってパンナの肩を叩く。パンナは文句の一つも言いたかったが、それより先に報告すべきことがあると思い、気合を入れて立ち上がる。

「旦那様、もう少しお嬢様に厳しくして頂かなければ困ります。まあ今日のことはもういいですが……それより気になることが」

「うん?」

 パンナは先ほど感じた視線についてブラベールに報告する。

「観察されていた?お前、いやアンセリーナをか?」

「はい。あれは貴族の方が向けられるようなものではありません。むしろ私のようなものが使う視線でした」

「ふむ……」

「旦那様、もしかして心当たりがおありなのでは?」

 先ほど抱いた疑念を思い切ってぶつけてみる。

「何?……いや、そんなものはない。お前の気のせいではないのか?ここには周辺諸侯しかおらなかったのだぞ」

「私が旦那様もご承知のはずです」

「それはそうだが……極度の緊張による勘違い、ということもありえるのではないか?ん?」

 そう言われると言い返せない。確かに今日のパンナは正常な精神状態ではなかった。だがあれほどの危険な気配を勘違いするとは自分では考えられなかった。

「まあよい。招待した方々はもうお出になった。今からお前やましてアンセリーナに危害が及ぶなどとは思えん」

「はい。それはそうですが」

「今一度招待した者を洗い直してみよう。それは別のものにやらせる。お前は今日と明日は休め。ご苦労だった」

 人使いの荒い伯爵にしては破格の計らいだ。まあそれくらいのことをしてもらっても罰は当たらないだけの仕事をしたと、パンナ自身も思ってはいるが。

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 丁寧に頭を下げ、パンナは与えられた自分の部屋へ向かった。素敵なドレスだが、やはりこういうものは着慣れていないせいか体に負担を感じる。クリシュナには申し訳ないが、早く脱いで楽になりたかった。




 パンナのお披露目パーティーから二日後、ボナーは公爵家の領地であるベストレームに着き、居城であるベスター城へ帰った。護衛の騎士が一足先にそれを伝えに城へ向かっていた。

「ボナー様がお帰りになりました!」

 召使が叫び、十数人の執事やメイドが玄関の両側に列をなす。ボナーが正門のドアを潜ると同時に彼らは一斉に頭を下げ、「お帰りなさいませ、ボナー様!」と声を合わせる。下げた頭の角度まで完全に一致している。いつもの光景ながら、ボナーはやれやれ、と心の中で苦笑する。完全主義の父上にも困ったものだ、と思いながら。

「留守中、何か変わったことは?」

「特段ございません。騎士団の動きが少々慌ただしくはあるようですが」

ボナー付の執事、メルキンが答える。伯爵家のハンスと同年代の、がっちりとした体格の男だ。代々サンクリスト公爵家の執事を務めてきた家の出身で、ボナーが生まれてすぐに彼の専属としてやってきた。ボナーにとっては父親より長く一緒の時間を過ごしてきた間柄だった。

『ふむ、パーティーであれだけ群がってきたわけだ』

 アンセリーナのお披露目を思い出し、ボナーは歩きながら考え込んだ。面倒なことにならなければよいが。

「父上は?」

 そうメルキンに尋ねると、答えは意外なところから帰ってきた。

「父上なら大会議場です。相変わらず守備兵どもが騒いでいるようでして」

 その声に視線を上げると、正面の大階段から二人の人物が下りてくるところだった。一人はボナーより年下の、少し太り気味な男。そしてもう一人はメルキンと同年代の執事服の男だ。

「ギルバート、来ていたのか」

「はい。エルモンド伯爵のご令嬢はいかがでしたか?噂通りの世間知らずの我儘娘でしたか?」

 ギルバートと呼ばれた男は薄笑いを浮かべてボナーに近づく。彼、ギルバート・ソシュート・サンクリストはサンクリスト公の側室が生んだボナーの弟、つまり公爵家の次男である。

「それがな。素晴らしく聡明で美しい令嬢だったよ。やはり人の噂などというものは当てにならんな」

「ほう、それはそれは。私も是非お目にかかりたいものですね」

 我が弟ながら、どうもこの笑顔には慣れないな。ボナーはギルバートの顔を見つめながらそう思う。小さい頃からそうだった。人懐こい笑顔を浮かべているのだが、いつも目が笑っていないのだ。本心を決して表に出さない、というのが偽らざる弟への感想だった。

「今日はアクアット卿のパーティーでしたな。そちらの主役も来られていたので?」

「ゲスナ―殿か?ああ、来ていた。領地が近いとはいえ連日パーティーに参加では彼も大変だろうな」

 アンセリーナのパーティーで一悶着あったことはわざわざ言わなくてもいいだろう。ボナーはそう考えてそれだけ答えた。

「リーシェが気に入りそうな男でしたか?」

「さあ……どうだろうな」

 そんなボナーの心中を見透かしたかのようにギルバートが訊いてくる。ボナーは内心苦虫を噛みしめながら言葉を濁した。リーシェ・ドナ・サンクリストはボナーと同じくサンクリスト公の正室が生んだ長女で、二人の妹である。今日はアクアット家のパーティーに出席するためグレーキンに行っていた。

「あの性格ですからパーティーをかき乱さなければよいのですがね」

 ギルバートが笑い、後ろに控える彼の執事セルバンテスが咳払いをして暗にギルバートをたしなめる。しかし当の本人はそんなことはどこ吹く風と言った調子で軽口を続ける。

「まさか成り上がりの庶民出貴族の血が我が家に入ることは無いと思いたいですがね」

「口を慎め、ギルバート。アクアット子爵家もこの王国北部を統治する大事な貴族なのだぞ」

「事実を申し上げたまでですよ。実際子爵の地位を大分散財したそうではないですか。元々大商人でかなりの財を蓄えていたようですが、それの大半をつぎ込んだと、領民はもっぱら噂しているとか」

「人の噂は当てにならぬと今しがた言ったばかりだぞ。それより今日はなぜここにいる?父上のお召か?」

 ギルバートは普段はこのベストレームの北にあるソシュートという町の屋敷に住んでいる。ボナーは公爵位を継ぐ身なので今は正式な爵位を持たないが、次男のギルバートは王家からソシュート男爵の爵位を授かっていた。ボナーが爵位を継いだ後はもっと大きな領地に移り、侯爵に任じられる予定だ。「四公」の子息の特権である。

「いえ、単なるご機嫌伺いですよ。兄上とリーシェが立て続けに城を空けるので、顔を見せようかと思い立ったまでです」

 ボナーはその言葉に思わず顔をしかめた。それだけの理由でわざわざソシュートから出てきたというのは俄かには信じがたい。だが薄笑いを浮かべ続ける弟の心根はやはりどうにも読めなかった。

「それはご苦労なことだな。お前にはどちらからも招待状が来なかったのか?」

「ええ。ソシュート男爵などといっても我がサンクリスト家の次男坊であることは周知の事実。兄上がご出席なさるのであればエルナンド家としては私を呼ぶ必要もないでしょうし、アクアット家にしても息子のお披露目ですから参加するのは娘の方が好ましいに決まってます。しがない次男坊の男爵は寂しいものです」

 自虐的にそう言って楽しそうに笑うギルバート。ボナーは弟のそういうところが好きになれなかった。

「ふ、侯爵になればいくらでも招待状が来るだろうよ」

「そうですね。そのためにも兄上に早く家を継いでいただかなくては」

「父上が聞いたら激怒するだろうな、今の言葉は」

「くっくっ、くれぐれも内密にお願いしますよ。これ以上父上の勘気に触れるのは御免です」

 ボナーの前に立ち、馴れ馴れしく肩を叩いたギルバートが口元を歪ませる。背の低いボナーに対して、ギルバートはかなりの長身だ。並んで立つとどちらが兄か分からない。上から兄を見下ろしながらギルバートは愉快そうに笑う。

「そうそう、パーティーでは弱小貴族たちが列をなして懇願してきたのではないですか兄上?兵役の免除など許されるはずもありますまいに」

「だからそのような物言いはやめよ、ギルバート。我ら『四公』といえど彼らと同じ王家に忠義を尽くす一貴族なのだ。他の家を見下すことは統治において不和を生む」

「承りました。しかし家格の差というものははっきりさせねばなりません。いくら開拓派が国に対して有意義な働きをしたとはいえ、古くからの名家をないがしろにするようなことになれば、王家の尊厳が傷つきましょう」

「彼らがそのような不遜な真似をするはずがなかろう。お前のような物言いは不要な軋轢を生むだけだ。逆に混乱を生もうとしているようにさえ思えるぞ」

「これはしたり。私ほど王家のことを考えている者はおらぬというのに。いくら兄上でもそのお言葉はいただけませぬな」

 そう言いながら少しも怒っている様子のない弟にボナーは警戒感を抱く。今の自分の発言は無論本心からのものではないが、存外真実を突いているのかもしれない、と。

「まあいいでしょう。これ以上兄上の諫言を聞くのも辛いですし、帰るとしましょう」

「もうか?久しぶりに夕食を共にと思ったのだが」

「ええ。父上の顔も見ましたし、少し残っている仕事もありますので。それでは兄上もお体をお大事に」

 そう言ってギルバートは玄関へ歩いていく。その姿を見送りながら、ボナーは何か嫌な予感を感じ大きく息を吐いた。



「坊ちゃま、旦那様がお呼びです」

 自室に戻り着替えをしていたボナーにメルキンがノックをしてそう告げる。長い会議が終わったらしい。

「分かった、すぐ行く」

 着替えを済ませたボナーはそのまま部屋を出、父の書斎へ足を運ぶ。父が自分を呼ぶときは決まってそこにいるのだ。

「父上、失礼いたします」

 書斎のドアをノックし、ボナーは室内に入った。父、オールヴァート・レーム・サンクリスト公爵はいつものようにがっしりとした自分の机の後ろに座り、分厚い本を開いていた。肩まで伸びた髪や太い口ひげは真っ白で顔には深い皺が無数に走っている。長男が二十歳であることを考えればかなり老けているといえよう。しかし椅子に座るその背はピンと伸びきっており、肌艶はかなりいい。

「ご苦労だったボナー。エルナンド家のお披露目はいかがであった?」

 サンクリスト公は本をパタンと閉じ、鋭い眼光で息子を見つめる。

「は。エルナンド伯のご令嬢は思ったよりずっと聡明であられました。中々の盛会でございましたし」

「そうか。それは何よりであった。ところで他の客たちは?」

 やはり予想済みか。ボナーは暫し逡巡した後、正直に事実を述べる。

「やはりな。表立った動きはしておらぬのだが、人の口に戸は立てられぬか」

「父上、それほど国境付近は危ないので?」

「今のところ大きな動きはない。が、わしの経験からして間もなく何か起こると思うな」

「王家の方は何と?」

「静観の一点張りじゃ。王国軍の増派も先延ばしとなった。今はどうしても事を起こしたくないらしい」

「王都内で何か?」

「予想はつくが、今はそれを気にかけている余裕はない。儂らだけでも万が一の事態に備えねばならんじゃろう」

「は」

「そこでじゃ、お前に伝えておくことがある」

「はい」

「儂は隠居する。速やかにお前がこの家を継ぐのじゃ」

「え?ええっ!?」

 普段は冷静なボナーであったが、父の言葉に思わず取り乱して声を荒げた。
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