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逃した魚は俺のもの
しおりを挟む「おっ?お兄さん、見たことある気がするな」
ある雨の夜。
彼女を待っているいつもの店で、1番会いたくない奴に出くわした。
酔っ払った、彼女の元旦那。
「そうですかね?まあ、俺よくここ来てますし」
めんどくせえなと思いながらも適当に相槌をうつ。
「あーそうかあ。や、俺も最近ここに来てっから。それで見かけたかもしれないねえ。
で?ひとりかい?」
俺の苦々しい思いなんてお構い無しで彼は絡んできやがる。
「…いえ、待ち合わせです」
「へーえ、彼女とかい?いいねえ若いって」
若いっつったって俺とそう変わんねーだろ。
心の中で毒づきながらも愛想良くできるのは、この店でのバイト経験のたまものか。
「お兄さんこそ、彼女いるんじゃないですか?モテそうに見えますけど」
精一杯お世辞を使ってる。それに気づいてるのは向かいでカクテルを作るマスターだけ。
「んー?あーまあね、彼女はいるよ。嫁と引き換えに手に入れたんだけどね」
気づいてない彼は得意げに話し出した。
酒の力はすげえよな。聞いてもないのに彼女のことまで喋り出すんだから。
「それって、奥さん可哀想じゃないすか」
「いやあ、君も男ならわかると思うよー?
確かに元嫁は俺の言うとおりにして女を捨ててたし、アッチも淡白だったからねえ。そんな嫁と毎日過ごしてたら、他の女が魅力的に見えるって。
実際今の女は可愛いよー?」
ひと通り彼女と結婚していた頃の不満をぶちまけたあと、大して聞きたくもない2人の関係をぺらぺらと喋り始める。離婚して一緒になって、暇さえあればヤリまくりとか下世話な話。
その合間には必ず元嫁と比べてどれだけ今の女がイイかとかやっぱり若いから感度がどうとか。そんなことばっか。
あー酒が不味い。本当、離婚させてよかった。
「…で?君の彼女はどんな子なの」
一通り喋って満足した彼は、俺のことについて聞き始めた。
「そうですね…」
めんどくせえなって気持ちは変わらなかったけど。
遠回しに、教えてやろうかなって。
「…最高の人ですよ。年上なんですけど」
「おっ?年上?やるじゃん!もしや不倫かい?」
…年上の彼女と聞いて、なんでそこに結びつくんだか。自己紹介か?
一緒に思われたくなくて、即否定する。
「いえ、彼女はバツイチなんですよ。旦那さんに不倫されて。子供いないひとだったんで、
ちゃんと離婚した後に僕から告って、付き合い始めました」
「へーえ。真面目だねえ。そんなにいい女性かい?」
何も知らない彼は能天気に彼女のことを聞き出そうとするもんで。
「俺には勿体ないくらいですよ。
外で会う時ももちろんですけど、部屋でいる時も綺麗でいてくれて。あー、化粧してるとかではないんですけどね。
飯も上手いし、気もきくし、俺のことすごい理解してくれてるし。でも自分をちゃんと持ってて、仕事も頑張ってる人だから…愛してるし尊敬してるんです」
精一杯、惚気けてやる。
惚気ける相手の正体に気づいたら、このギラついた顔はどう変化するだろ。
「へえ…それで」
あたりを一瞬見回した彼は、俺にコソッと夜はどうなのと訊ねる。
結局そこが聞きてえのか。どこまで下品なんだか。
でも、せっかくだからな。
「…あんまり経験なかったみたいでしたけど、俺と寝てからはどんどん色っぽくなっていきましたよ。
体の相性も最高で、色んなこと2人で試して。全部上手くいってて。毎回こんなの初めてって、悦んでくれます。
…元旦那に感謝して自慢してやりたいぐらいです。あんたが放ったらかしにしてくれたおかげで、今じゃすっかり最高の女になりましたって。逃した魚はデカいぜって」
事実に事実を重ねて教えてやったら。
彼は自分のこととは思ってないもんだから興味津々に俺の話を聞く。
「…そうか…羨ましいな君は。その彼女の元旦那ってのも、惜しいことしたもんだね」
「ええ、本当に。まあ、今頃その不倫相手とよろしくやってるみたいで、あの人のことなんて忘れてるでしょうけど」
奴の答えに、マスターが笑いを堪えてる。俺だって盛大に吹き出しそうだった。
よくぞ耐えた俺。
「しかしそんないい女性だと、俺も会ってみたいねえ」
俺の話を羨望の眼差しで聞いた彼はニヤニヤしながらそんな寝言を言う。
…ふざけんな。誰が会わすか。
「いやいや、まあ、機会があれば」
そう言葉を濁したとき。俺の携帯が震える。
「あ、ちょっとすいません」
普段ならあんまりしないけど、わざとその場で着信を受けた。
「あ、もしもし?着きました?」
『うん、着いたよ。中入ろうか?』
「いえ、今日は混んでますから出ますね」
それだけ言って電話を切って。
「お、彼女さんかい?」
「ええ、外で待ってるんで」
会計を済ませ。
「そこのガラス越しなら、見えるかもしれませんよ?」
彼にそう告げて店を後にした。
「すみません、お待たせして」
「ううん、大丈夫」
仕事終わりの彼女は、今日も綺麗。
その手に持った傘を持ち替えて、窓の方へ歩く。
「良かったの?お店移っても」
「ええ、この後団体さんが入るみたいだから…」
そう言って彼女に気づかれないように、その窓から店の中を見やると。
「…………!?!?」
中に見えたのは。
彼の驚きに満ちた、間抜けな顔。
「……」
目が合った瞬間。
傘で通りの目を遮っておいて。
「ん!?」
奴に見せつけるように、彼女にキスをした。
「え、ちょっ…」
慌てる彼女に。
「…早くキスしたかったんです」
耳元でそう囁いて。
「……」
店の中へ向けて、ざまあの気持ちを込めて小さく手を振ってやった。
中でなんか騒いでたみたいだけど、知らね。
言ったろ?
逃した魚はデカいですよ…ってな。
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