善良なる山羊より、親愛なる悪党どもへ

秋澤えで

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 会場についてからは目まぐるしかった。どこの通路も人でごった返し、会場内は甘い香りでいっぱいだった祭りか何かのような賑わいの中、ユウゴは入場直後に受け取ったパンフレット片手にするすると人の合間を縫い歩いていく。


「ハイネ、製菓材料はこっちだ。そっちは乳製品。ついてこい」


何とか見失わないようにその小さな背中を追いかける。一度見失ったら見つけられる自信がない。


「ちょ、ちょっと待て……」
「どうした、大丈夫か。手でも繋いでやろうか」


 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべても、顔の造形が良いという理由だけで様になる。


「身体が大きいと動きづらいんだよ」
「本当に置いていくぞアンタ。調子乗んな」


 軽口をたたくと盛大に舌打ちされた。

「俺が普段使ってる小麦粉はこの辺。タンパク質含有量が多い薄力粉ほど初心者には扱いやすいし、汎用性も高い。タンパク質や灰分の分量で選ぶのも良いな。タンパク質9%前後のものはサブレやクッキーが向いてる。逆に6%前後の含有量少な目の薄力粉はシフォンケーキやスポンジケーキに使うとふわふわした軽い口当たりになる。産地で選ぶのもありだ。国産の薄力粉は香り高くてしっとりした仕上がりになる。まあちょっと扱いづらいところもあるが。ああでもカプラみたいな雰囲気の店ならオーガニックとかグルテンフリーとかでも人気がありそうだな。米粉も見てくか」
「ちょ、まて、ユウゴ、早い」
「砂糖もいろいろ試すと面白いぞ。和三盆とかきび糖とか使ったものがあると他の焼き菓子と差別化できるし、アクセントにもなる。作るものによって砂糖も使い分けると印象が変わるぞ」


 てきぱきと説明していくユウゴに置いていかれぬよう、言葉を頭に叩き込みながら小麦粉や砂糖の袋を手に取り積み上げる。どうせ経費で落とすのだからと遠慮なく試していくことにした。両手で抱えるのが難しくなったあたりで店員に声を掛けられ、店まで商品を発送できると聞き、抱えていた商品のほとんどを預けた。比較的少量購入した小麦粉と砂糖については手で持って帰り、すぐ店で試すことにした。

 渡された白い紙袋を下げてカフェスペースで休憩をする。先ほど展示されていたバターや小麦粉が各店舗窓口に置かれていて、その商品を使って作られたパンや焼き菓子だとすぐわかる。全体的に甘い匂いのする会場でさらに菓子パンやケーキを食べる気にならず、ライ麦の使われたハムとチーズのサンドイッチを買ってベンチに座った。一方隣に座るユウゴはコーヒー片手にウィークエンドシトロンに噛り付いている。


「この甘い匂いの中でよくそんな甘いもの食べようと思うな」
「匂いで腹は膨れねえ。普通旨そうな匂い嗅いでたら食べたくなるだろ」
「カレーとか焼き魚とかはわかるが……」


 夕方の帰り道にどこかの家から漂う晩御飯の匂いを嗅ぐと確かにそれが食べたくなることはあるが、甘いものとなると匂いだけで胃もたれがしてくるのはなぜだろう。


「そういやハイネ、あんたはこれからどうするんだ」
「どうって?」
「今は雇われ店長だろ。どっかで自分の店を持つだとか、そういうの」
「これから、なあ」


 なんでもない雑談だがなんと返したら良いものか皆目見当つかず食べかけのサンドイッチに視線を落とした。
 今回のように、店で出しているものの質を上げようとも、それが何かにつながるわけではない。カプラはテオドールの持つ小さなフロント企業だ。繁盛して賑わい目立つことは望まれていない。では俺が腕を上げてどこかに店を構えることは想像がつかなかった。そのためにはまず俺はテオドールから逃げなくてはいけない。どこか会社に就職するのも同じだ。

 テオドールに飼われている。その前提がある限り俺はどこにも行けないし何者にもなれない。
 ある意味こうして製菓材料を買いに来ていることも現実逃避なのかもしれない。用意された箱庭の中で、できる限り適応して生きようとしているような。


「……何も考えられてない。今はとにかくカプラで楽しく過ごすよ。……カプラが潰れたら、次を考えるさ。ユウゴは? なんでも屋って話だが何か目指したりしてるのか」


 ごくごく一般人のユウゴに話せることなど一つもなく、お茶を濁してとっとと話を切り上げた。


「あんたと似たり寄ったりだよ。俺もなんでも屋だけど雇われだ。雇用主が別のとこに行くって言うならついていくし、他の仕事を頼まれたらそれをする。とにかく、弟と満足に暮らしていけるならそれでいい」


 料理人やってたのも今の雇用主の指示だしな、と付け加えるユウゴを意外に思う。


「雇用主についていくのか。別のところに行くから転職するとかではないんだな」
「まあなあ……今の雇用主は待遇それなりに良いし。便利に使われるところに思うことがないわけじゃないが、評価はされてる。それに弟がそいつによく懐いているんだ」


 境遇は違うはずだが、未来への選択肢が自分にないという点は俺と同じだ。俺はテオドールに、ユウゴは弟に縛られている。もっとも前者は恐怖で縛られているだけで、後者は親愛と尊重ありきなのだから雲泥の差なのだが。


「弟以外に家族はいないし、長く付き合うような友達もいない。帰る実家もないし、住む土地に愛着があるわけでもない。ずっと続ける仕事もないし、目標もないし、志もない」
「ああ……」
「恋人もいないし結婚もしてないしライフプランもないしロールモデルもない。手の届く範囲のことしかわからないし、見えない。明日は生きてるが来年生きてるかもわからない」
「うん……?」


 喋りながら急激にトーンダウンしていくユウゴに目を向ける。先ほどまで元気にウィークエンドシトロンを頬張っていたのに今では半分になったそれを持ったまま項垂れていた。形のいいつむじを見下ろす。


「自分じゃ何も選べないしどこにも行けない。弟が元気ならそれでいいって思えるのにしばらく先の漠然とした不安に振り回されてる。雇用主も今は気に入ってくれているがどこで切られるかわからない。あいつに切られたとき俺たちは次、どうしたらいいのか……。そうでなくともあいつが死んだら俺は……」
「ゆ、ユウゴしっかりしろ! どうした!? 急に鬱になるな! 大丈夫、お前は有能だ! その雇用主がいなくてもお前はやっていける!」


 しおしおと萎れた青菜のようになっているユウゴの背中をさする。戸惑いつつもユウゴの悲痛な叫びのほとんどに身に覚えがある。むしろ俺のことを言っているのかと思うほどだ。

 ユウゴと雇用主ほど、俺はテオドールに依存していない。あいつが俺を切れば俺は自由になれるし、あいつが死んでも同様だ。そうなれば俺はまた一般人として生きていける。目の前に死体が転がることなく、ヤクザとつるむこともない。スーツを着て被用者として労働に勤しみ生きていく。メインストリームの中、用意された普通と言う名のライフプランをなぞって生きていけるだろう。

「ハイネ」

 もしそういう生活に戻ったなら、俺の名前をどこか変わったイントネーションで呼ぶ彼らには、会わなくなるのだろう。
 俺はテオドールが嫌いだ。あんな男死んでしまえばいい。俺のことなどとっとと飽きてしまえばいいと心から思っている。

「ハイネ」

 だが柔らかく俺の名前を呼ぶあの声が、細められるあの灰色の瞳が、理不尽で大きなあの手が、永遠に去ったなら俺は本当に歓喜することができるのだろうか。
 そこに、ほんの少し寂しさや虚しさがあるだろうと想像できてしまうことに、ひどく腹が立った。あの男の存在が、俺の日常になりつつあった。



 紙袋を提げて電車に揺られる。
 すっかり鬱になっていたユウゴだったが間もなく正気を取り戻し、色白の顔を真っ赤にさせながら俺に謝り倒すと仕事へと向かっていった。どこかぼうっとしながらユウゴの言葉を反芻する。彼との会話の大半は製菓に関する話のはずだったのに、頭の中でループするのは彼の吐き出した漠然とした不安だった。人生の舵を他人に取らせているという不安。
 ユウゴは舵を取る主がいなくなることを不安に思うが、俺は舵を取られていること自体が不安で、帰ってくるのなら恩の字だ。だがその舵を取っている人間がいなくなったとき、ただせいせいしたと思えないのではないかというその自覚に苛立った。

 日常が、人生が浸食されている。いつかユウゴのように、なくてはならないものと思ってしまう日が来るのではないかと思えてくる。そうなれば思う壺のような気がした。

 平日の中途半端な時間、少し揺られていればすぐに座席に空きができる。小麦粉や砂糖の入った重い紙袋を置く。少しでも楽しいことを考えようと、その材料で作れる焼き菓子に思いを馳せた。
 乗り換えがないのはありがたかったが、あまりに長時間乗っていたせいで気が付けば少しうたた寝していたようだった。両隣もすでに埋まっている。スマホを取り出して位置情報を確認すると、最寄り駅まではあと5駅ほどだった。軽く背筋だけ伸ばすと背中からぱきぱきと軽い音がした。足元を見ると自分の紙袋以外にも荷物が置かれているのが見えた。ビニール袋が有料化してから、紙袋を使っている人が増えた気がする。そんなとりとめもないことを考えているとまた微睡んでしまい、次に起きた時にはもう最寄り駅で電車が停まり扉が開くところだった。慌てて荷物を持って電車から降りる。駅前は授業が終わった高校生たちの姿がちらほらと見え始めるころだった。

 「Closed」の札が出された扉を開けてカウンターに紙袋を置く。勢いで大量に小麦粉やら砂糖やらを買ってしまった。持って帰って来たのはほんの一部だが、来週にはしまい切れないほどの小麦粉たちが届くだろう。今のうちに片づけをしてスペースを確保しなければならない。

 紙袋から中身を出そうとして、硬直した。


「なんだ、これ」


 白い紙袋の中には見覚えのない袋が入っていた。袋の中には白い粉が詰まっている。もちろん、俺が購入した小麦粉のパッケージではない。
 慌てて紙袋をひっくり返すと白い粉の詰まった袋がいくつか転がり出た。どれも俺が購入したものではない。


「電車の中で取り違えた……!?」


 慌てて電車を降りたときか、と思うがあのとき足元に置かれた紙袋はこれ一つだった。隣に座っていた男は俺が気づかない間に電車を下車していたらしい。つまり先に下車した男が紙袋を取り違えて俺の小麦粉や砂糖を持って帰ったのだ。
 この白い粉の詰まった袋、好意的に見るならばホットケーキミックスが250gずつパッケージされているものにも見える。だが俺の本能が違うと叫んでいた。


「け、警察、警察か? いや電車内での取り違えならとりあえず駅員に行って預かってもらう?」


 とにかく俺は悪くない、不穏な事件にただ巻き込まれただけなのだ。警察は極力関わりたくない。探られて痛い経歴はないが、探られて痛い所属の店なのだ。ならば荷物の取り違えとして最寄り駅の駅員に申し出よう。そうすれば一旦この怪しげな紙袋は預かってもらえるだろう。
 紙袋をひっつかんで店から出ようとしたとき、はっとする。一握りの希望を込めてポケットや財布の中を確認する。だがそこには目当てのものはなかった。みるみる血の気が引いていく。

 運びきれなかった小麦粉や砂糖、バターをカプラまで配送してくれるよう依頼していたのだ。そしてその控えは手に持っていた紙袋の中に適当にいれた。
 つまり非合法な薬と小麦粉を取り違えた男の手元には、カプラの住所と俺の名前が書かれた配送依頼の控えがあるのだ。
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