胡蝶の夢

秋澤えで

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高等部編

物語は加速する

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持て余すように意味もなく缶をくるくると回し僕に言おうか言わまいか逡巡する緑橋の言葉を急かすことなく待った。彼が逡巡する間に僕もまた、彼へかける最善の言葉を静かに探す。おそらく僕が何も言わなくてもきっと物語通りにことは進む。ただ僕が止めさえしなければ問題ないのだ。逆に彼は今話すか銅貨悩んでいるが、結果僕に何も話さなくとも相談などしなくても彼は自分自身で正しいであろう答えを選択する。一瞬だけ、では僕がここにいる意味とは何なのだろう、と思ってしまったがそれは甘ったるい液体と共に喉へと流し込んだ。そんなことはどうでも良いし、わざわざ意味を問うのはナンセンスだ。


「その、桃宮さんに言われたんだ。……眼鏡をはずして、前髪もきった方が良いって。僕は目が見えてる方が良いって。」
「……へえ、桃宮さんが。」
「うん。桃宮さんのおかげで、僕は少し変われたんだ。今までずっと、自信がなくて人と話す勇気もでなくていつも緊張してうまく話せなかった。でも桃宮さんのアドバイスで多少自信を持てるようになったし、しっかり話せるようにもなった。昔みたいにどもったりもあんまりしないし、声も大きくなって聞き返されることもほとんどなくなった。」


予想通りの話に、さてなんと返そうと考えながら緑橋の話に時節相槌を返しながら聞く。いきいきと彼女の話をする緑橋に目を細めた。

僕はずっと彼女のことを邪険に扱ってきた。面倒くさいと、類稀なる危険因子として見てきた。だがその一方で、彼女が人の、攻略キャラクターの悩みを解決していることも気が付いていた。顕著なのがこの緑橋と会長の黄師原だ。緑橋は背筋を伸ばして歩き、しっかりとした口調で話すようになり、黄師原もまた以前より高圧的に話すこともなくなり、夏祭りの時のように素直に謝罪するようになった。彼らの持っていた欠点が彼女によって解決されたのだ。

彼女は堂々と、ヒロインの仕事をこなして見せたのだ。


「それでも、僕はあんまりこの目を出したくないんだ。……髪を染めてる人はいるけど、この目の色をした人は少ないし、今は隠してるけど、昔目を出してた時はやっぱり気味悪がられたし……。」


そういい俯く彼の目は僕からは見えない。分厚い眼鏡と覆う緑の髪によって遮られる両の緑目を見たのは随分と前のことだった。若草色の髪も随分嫌がっていたが、校内で帽子をかぶるわけにもいかなかったため意識改善しやすかったのだろう。だが翡翠色の目は隠しやすいため、その分根も深い。

いくら僕はその色を褒めても緑橋は変わらず、それに自信を持つことはなかった。さらさらと微かな風に吹かれては日を反射し色を緩やかに変える若草色の髪を盗み見る。それでも、桃宮は変えて見せたのだろう。劣等感の塊である、彼のコンプレックスを乗り越えさせ、背筋を伸ばし胸を張り歩けるようにした。きっとそれは、後一歩で。


「君のその眼の色は、綺麗です。」
「……でも、馬鹿にされることはないにしても、変わったものを見るような目で見られるのは、嫌なんだ。涼くんは、初めて会ったときも中等部の時も僕の髪と目を褒めてくれて、すごくうれしかった。だけど、それ以上に、他の人の目が、怖いんだ……。」
「他の人、ねえ……。」


ちびりと缶を煽り中身を少しずつ減らす。相変わらず俯いている緑橋の缶の中身は、減らずただ彼の心の揺れを表すように静かに黄色い液を揺らしていた。

思えば、僕は他人の目が怖い、と思ったことは一度もなかったな、と今までの赤霧涼としての人生を思い返した。僕はいつだって自意識過剰と言えるレベルの自信を持っていた。だがそれは僕の中身が大人であったことが最大の理由だ。僕は僕自身の割と恵まれていた容姿を自覚していた。力のある体質と血筋を自覚していた。中身が大人の私は自身に与えられたアドバンテージのほとんどを自覚し、それをすべて活用していた。

他人の目に悪く映るかもしれない、なんてほとんど考えたことはなく、どうすれば他人の目によく映るかを気にして、同時によく映るように優等生をうまく演じてきた。

なんとなく、劣等感の塊である緑橋優汰を僕が変えられなかった理由がわかった気がした。

自信に満ち完璧な赤霧涼は、自信のない緑橋優汰の憧れにはなれても、理解者になることは決してできないのだ。

いや、僕は理解者になれたとしても、僕らは共感者になることはない。それほどまでに、僕らは違う。


「僕は、生まれてこの方他人の目を恐れたことはほとんどありません。」
「……涼くんはそうだろうね。」
「ええ。僕は客観的に見てもほぼ完璧といって過言ではありません。僕はそれなりに見れる容姿をしている自覚があります。僕はやることなすこと、大抵のことがそつなくできる自覚があります。基本的に他人からどう見えるかを、自分の意識下で変えることもできますし、信頼の得方や心の動かし方も多少知っています。」


また、緑橋はいっそう深くうつむいた。きれいな形をしたつむじが僕の前に晒される。

基本的な心の動かし方は知っている。でも僕は決定的に心を動かすことが難しい。

完璧な『赤霧涼』を他人に演じて見せる僕は、他人にとっての他人にしか成り得ないのだ。

ほとんど完璧な桃宮と僕は幾度か似ていると評された。しかし僕らには決定的な違いがある。


「でも僕は大事な人にそれを当てはめることができません。」
「大事な人……?」
「ええ。他人の心への干渉の仕方は知っていますが、大事な人達に対する関わり方が態度が正解だという自信を、僕は持っていません。何より僕は他人にどうみられるか、これについては全くと言っていいほど、興味がありません。」
「…………、」
「でも、僕は大事な人達、蓮様や黒海、日和、僕が胸を張って友人だと言えるような人達からの目を、思いをずっと、気にしています。」


僕は他人など、どうでもよかった。どんな話をしようとどんな行動をしようと、僕には微塵も関係ないと完全に切り離していた。だがきっと彼女は、桃宮は違ったのだろう。どこで話を聞いてみても、彼女の言葉は、行動は、真摯だった。彼女がどんなことを考えていても、何を最上の目的としていたとしても、客観的な評価として、彼女は誠実だった。僕の上っ面だけの対人関係よりもずっと、真剣だった。


「彼らから、奇異の目で見られたり恐れるような目で見られることを、僕は心底恐れています。他人にどう思われようとかまいません。ただ僕は、僕の大事な人達さえ笑顔で僕の側にいてくれることが、何より大切なんです。」
「涼くん……、」


今、この瞬間でさえ目の前の緑橋優汰を攻略キャラクターとして見て、既知の相談内容に真剣に頷いてみせる僕はきっと誰よりも不誠実で、滑稽だ。


桃宮天音と赤霧涼の最大の違いは、生身の人間としてこの世界で生きているか、否か。まさにそれだった。


いつまでたっても、この世界をゲームとして見ている僕は決してこの世界で生きる人間に対して誠実ではいられない。


「君の大事な人は、君の若草色の髪を、翡翠色の目を、奇異の目で見ますか?君の生まれ持った姿を見て、接し方を変えるような方なんですか?」
「それは……、」


不誠実であることを、彼を通して自覚した今だけでも、彼に対して僕は誠実な心からの言葉を贈ろう。
たとえ本来の物語に一切の変化を与えないような、他人が聞けば安い耳障りの良い言葉だと感じられるようなことでもいい。他人ではない、目の前の悩む青年に嘘偽りのない僕の本心で接してみせよう。

缶の底に残った最後の一口を飲み干す。ひたすらに甘かったが、残滓が沈殿しているようなことはなく存外あっさりしているものだと思った。


「ま、結局は君の自由にしていいんです。」
「え?」
「きっと君の大事な人は、君が目を隠していても出していても、態度や目の色を変えることはないと思いますよ。僕は君の大事な人が誰なのか知りません。でもきっと君が大事だと思うなら相手もそう思ってくれていますよ。」


こんなことを言うつもりはなかったのだが、結局はこれが僕が真剣に考えた答えだ。自分に当てはめて考えると、やはり大事な人が最大の指針だ。それ以外の人間に何を言われても痛くもかゆくもないのだから。ようやく空になった缶をゴミ箱に投げるときれいな弧を描いて吸い込まれていった。桃宮がいないのであれば図書館で勉強するのもやぶさかではない、と鞄を持ちそちらへ足を向けた。


「あの、涼くん。話聞いてくれて、ありがとう。」
「いえ、はっきりした答えが出せずにすいません。……じゃあ僕はもう飲み終わったのでこれで。妙なもの買わせてすいませんでした。」


途中から一向に減らなくなった缶を指さすと、緑橋は意を決したようにそれを大きく煽った。目を見開いてその甘ったるい飲み物を喉へと流し込む彼を見る。飲み干したらしい彼は大きく息を吸ってそのあとげほげほと少しむせた。


「だ、大丈夫ですか……?」
「涼くんに聞きたいこと、もう一個あるんだけど、いいかな?」
「……せっかくですから、どうぞ。」


俯いていたせいで全く見えなかった彼の顔はしっかりと上げられ、分厚いレンズと前髪の奥からこちらを真っ直ぐ見据える翡翠色と視線がかち合った。


「僕は、涼くんにとって……他人?」


真っ直ぐと、でも少し不安げに澄んだ翡翠色が揺れた。
彼は他人だった。攻略キャラクターであり少々の警戒を抱いていた、緑橋優汰という0と1で構成された他人だった。でも今ならたぶんもう少しまともなことが言える。赤霧涼という人間の本心を話した相手なのだから。


「いえ……僕の大事な友人ですよ。」


僕はきっと、愛想笑いを浮かべていない。



******



図書館へと向かう足は軽い。必要のないことを話してしまった、そう考えれば足取りは重たくなるだろうに今はそれも悪くないかと思い始めている。生まれた懸念が軽く感じられるほどに。

このゲーム、『Ricordi di sei colori』はヒロインの入学してくる4月に始まり、バレンタインデーの2月に終わる約一年のストーリーだ。ヒロイン、桃宮天音はこの一年を通して学園生活を過ごしながら攻略キャラクターの抱える問題を解決し親密度を高め恋をする。だがどうだろう。今まで逆はーイベントの一回以外確認のしようがなかったが、緑橋と話すことで多少把握できた。緑橋のルートでは、最終的に顔を隠している前髪と眼鏡を取っ払うものだ。それによって周りも良い意味で目の色を変える。仮にも攻略キャラクターだ、顔を隠しているだけでそれを取れば現れるのは優し気なイケメンである。周りも目の色を変えるものだ。そしてそれは筋書き通り2月に行われるはずだった。しかし彼はすでに目を晒す直前まで来ている。もうすでに桃宮の説得も済んでいるようだし、彼が目を出すまでもう数か月とはかからない。だが今はまだ秋の11月初めだ。イベントのフライングにもほどがある。さらに読めないのがヒロインの動きだ。つい最近まで逆ハーレム一直線のように見えたのに、会長からの生徒会の誘いは蹴るわ緑橋とテスト勉強はしないわ、しかもあれだけ邪険にされていた赤霧翡翠に今はついて回っているという。


「どういうことだかわかりませんが、」


ふと上げた視界の隅、窓越しに見えたのは足早に歩く双子の兄とその数メートル後ろを小走りに追う桃宮だった。
図ったようなタイミングだと嘆息する。こちらの視線に気づくことのない双子の兄をじっと見つめた。


「まあ、なるようにしかなりませんね。」


物語は完全に誰の手からも離れてしまった。もはや記憶というアドバンテージの価値は0。

だがそれでもかまわないと思った。
生身の人間でいるのも、悪くない。
コンクリートの図書館への道を革靴が軽快な音を立てた。
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