胡蝶の夢

秋澤えで

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中等部編

電車

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皆様こんにちは。先日攻略キャラクターフルコンプリートを成し遂げた赤霧涼です。これほど誇れないことはない。いや、実際にゲームをプレイした人なら誇るかもしれないが、僕自身は別にプレイしたことないし大した思い入れもない上に、身近な人が近い将来まだ見ぬヒロインに攻略の危機に晒されている可能性があると思うと全く笑えない。

そもそも、攻略キャラクターとは関わらないと決めてから半年もたってない。まだ夏休みすら迎えてない。本当に拙いぞ、これ。こんなことで僕は果たして平和に高校生活を迎えられるのか。いや、迎えられるわけがない。攻略キャラクターから逃げられないのにどうして天下のヒロイン様を蓮様や黒海から引き離すことができようか。いや、ヒロイン様が一欠けらも恋愛を楽しむ気がないのなら安全安心だが、そんな可能性は低い。関わろうと思えばいくらでもイケメンたちと接触できるのだ、そんな機会をみすみす女子高生が見逃すだろうか。いまどきの女子高生など知らないが。私自身女子高生らしい女子高生を謳歌したことなどない。精神年齢についてはもはや考えたくないものだ。

とにもかくにも、無事とは言い難いが一学期、終了。

配られた成績表片手にため息を吐いた。




四月に乗った電車とは反対方向の電車に乗り込む。あの時と違うのは蓮様、黒海以外に日和がいることだ。とりあえず一学期が終わり、夏休みに入るため一年生の多くが一度実家に帰省することになっている。もちろん寮に残ることも許可されているため、多くの場合二年生三年生は夏休みには帰らず帰省するのは正月くらいだ。ただ春休みは学年が変わり寮の棟が変わるため問答無用で追い出される。

最も生徒でごった返していた車両を一本見送ったので、今乗っている電車は多少空いており流石に途中乗車であるため座ることはできずとも四人で固まって出入り口付近の広いスペースを確保することができた。


「日和も同じ方向の電車だったんですね。」
「うん、でもたぶん皆より先に降りると思うよ。お姉ちゃんの話を聞く限り。」
「……?涼と日和の姉は、知り合いなの、か?」


不思議そうな顔をする蓮様と黒海にふと思い出す。そういえば日和とさよさんが姉妹であることを二人にはまだ話していなかった。なんとなく寮でその話をした時点で自分の中では片付いてしまっていたのだ。


「すいません、つい言うの忘れてました。日和のお姉さんの進藤さよさんは蓮様の御家のお手伝いさんとして働いてるんです。」
「日和ってさよの妹だったのか!?」
「あれ、言ってなかったっけ?涼ちゃんや白樺君の話はたまにお姉ちゃんから聞いてたよ。」
「日和の姉は、日和と、似てるか?」
「全然似てませんね。言われなければ気づきませんでしたし、共通点と言えば色素が薄いくらいです。」
「色素……。」


 取り留めもない話を誰ともなく話していると、終点に向かうにつれて車内の人は少しずつ減り日は緩やかに落ち始めた。大きな窓から入る日は白い床を橙に染め上げる。ふと車両の前の方を見ると端に立つ翡翠が見えた。ほぼ条件反射的に青い頭を探すが見当たらず安堵の息を吐いた。こんな閉鎖的な空間で
青柳とは絶対に会いたくない。青柳と蓮様の二人がそろえばまず間違いなく面倒事が起こる。あの二人は全く犬猿というに相応しい。いがみ合ってくれるのは勝手だが、どうしたって周りに火の粉が飛ぶことを早めに気付いてほしい。

ガタン、と大きく揺れて電車が止まる。慣性の法則に振り回される日和を受け止めると何故か拗ねられた。


「……何で日和は、拗ねてるんだ?」
「だって!電車の揺れに耐えようと全力で力入れてたのに涼ちゃんにしれっとキャッチされたんだもん!……もしかしたら揺れに勝って倒れなかったかもしれないのに!」
「倒れるかもしれないっていう可能性がある時点で諦めろよ。」
「そうですよ。そんな生まれたての小鹿並みに不安定な貴方の足が揺れに耐えきれるはずないでしょう。」
「耐えれたかもしれないじゃん!?」
「文句があるようでしたら安全面を考慮して僕が貴方を抱きかかえるという選択肢もありますが?」
「ぶはっ……!」
「黒海くん笑わない!!」



無謀な挑戦を続行しようとする日和を説得しているうちに再び電車が出発した。結局日和は諦めることができず妥協案として、日和が倒れそうになった時は僕が受け止めるという形になった。日和は妥協せず僕だけが全面的に妥協している気がしてならない。

一定の間隔でガタガタと揺れる。失速し、緩慢に大きく揺れて次の駅で降りる人たちが席を立ち、ドアの前へ移動する。僕たちは彼らの邪魔にならないよう、反対側の扉へと避けた。がたがたと乗っていた人たちが降車し二、三人が新たに乗ってきた。チラリと視線をやりすぐにまたふらつきそうな日和の背中を支えられるように手を彼女の背後に添えた。


またゆっくりと電車が動き出し静かに加速していく。三人はさっきと変わらないように取り留めもない話を続けているが、僕はどうにもそれらが右耳から左耳へと抜けていくようだった。

先ほどから何か視線を感じる。

僕たちは決してうるさいわけではない。小さな声で話しているし、その声は少し離れれば電車の音にかき消される程度だ。だが、なんとなく視線が止まっている、といった風ではない。明確な悪意をその視線に感じた。僕らのうちの誰を見ているかまでは分からない。だが、その視線の主は特定できた。

先ほどの駅に乗り込んできた客のうちの一人だ。よれた灰色のパーカーに黒のウエストポーチ。ギラギラとした目つきで僕らを見ている。顔を見てみたものの、僕にはその男が誰か分からなかった。少なくとも見覚えはない。

見覚えはない、が割と身に覚えがというかそんな目で見られる心当たりはある。蓮様だ。すでにおそらく詳しく調べたものには彼の顔は割れているだろう。彼に恨みはなくとも、彼の親の会社には恨みがある、そんなことはごまんとあるに違いない。嘉人様は家族思いの優しい人だ。だがそれは身内であるからだ。敏腕と言えば聞こえは良いが一部では彼が『剃刀』などと揶揄されているのを知っている。それほど仕事に関しては容赦のない人、いやそのような家柄なのだろう。そのための、赤霧からか、と気を引き締めた。

僕らの後ろに立つ男の様子を伺う。目は血走り、顔色は土気色、顎には剃り残された髭、どこという訳でもなくみすぼらしい。みすぼらしく、疲れ切っていいるにも関わらず目だけは生気を失っていない。それはとても異様であるが、他に特に気付いた者はいないように見えた。

息が少し荒くなり、身体の全体がワナワナと震え始める。

不味いな、と思うものの僕はまだ動けない。本当に男が蓮様を狙っているのか否か。危害を加える気があるのか否か。僕にはまだ分からない。男が動いたとき、すぐに取り押さえる。そう決めて神経を集中させた。小さく何かをブツブツと呟いている。何を言っているかは聞き取れない。だがその呟きと電車の音、ざわざわとした人々の声に混じり、カチカチと何か音が聞こえた。

こんなことは初めてではないが、慣れない。ジワリと汗がにじみ、小さく息を吐いた。これに慣れるべきか、慣れてはいけないのか僕には分からない。大丈夫、大丈夫。そう言い聞かせた。相手はおそらくカッターを使う。車内は込み合っているわけではない。男にもっとも近い位置に立っているのは僕だ。しかし、とふと目を日和にむける。次に近いのは日和だ。巻き込みたくはない。彼女も、黒海も僕らといたせいで怪我をするなど、彼らにどんな顔をすれば良いか、見当もつかない。


「……ちゃん?涼ちゃん?」
「へ……、ああ、すいません。少し……、」


かけられた日和の言葉に意識が一瞬彼女へと戻る。その瞬間、ごとん、と一層大きく電車揺れた。背後の気配も大きく動いた。

すぐに振り向き、大きく見開かれた男の視線の先は、蓮様だった。

やはり、と思うと同時に隣の日和を蓮様の方へ突き飛ばし、大きく足を踏み出し三人と男の間に身体滑り込ませる。


「あああああッ、どけぇっ小僧!!」
「うるさい……!」


一直線に降ろされるカッターに一種の安堵を覚える。フッと短く息を吐いてカッターを軽く握り真横に力を加えそのままへし折った。

 武器を唐突に失い、なおかつ標的にすら手が届かなかったことに気付き一瞬男は思考が停止した。それを見逃すはずもなく、前方に傾いた男のパーカーをそのまま掴み自分の方へ引き寄せ、右の掌底を男の乳様突起に叩き込んだ。


骨と骨がぶつかる鈍い音が車内に響く。


平衡感覚を失った男はなすすべもなく、ずるりとそのままその場に座り込んだ。取り落されたカッターの柄を回収したところで、耳に周囲の音が戻った。そう多くない乗客だが、みな一様に何が起こったのかとざわつき、こちらに身を乗り出す。張りつめていた緊張感が解け、ゆっくりと息を吐いた。急所を打ったためそう簡単には立ち上がれないだろうと思いつつも、万が一のことを考えネクタイで男の手首を縛った。


「涼、今のは……、」
「さあ、わかりません。前の駅で乗り込んできた男です。様子がおかしかったので警戒していました。」
「蓮、か?」
「ええ、おそらく。何の恨みかは知りませんが、蓮様を狙っていたのは確かです。」


足元でもぞもぞと身を捩っていた男がうわごとのように何かをぼそぼそと何かを呟いている。死なないようにと、頭の片隅での配慮は一応功を奏したらしいが、やはり意識があるのは鬱陶しい。本来は人中に叩き込んでやりたかったが、確実に歯が折れ歯茎から出血し電車内が汚れるため自重したのだが若干後悔しつつある。何より出血させてしまうと状況がおそらく僕たちにとって不利になる。自己防衛とはいえ流血させてしまうと外聞が悪い。人が少ないのが救いだろう。警察に連絡しようと携帯電話を取り出したところで男の呟きに手を止めた。


「お前らが、お前らさえいなければ、俺たちはあんな苦痛を味わうことはなったのにっ……!」
「……それは、どういうことですか?」


僕の疑問に突然顔を上げ水を得た魚の様にしゃべりだす。先ほど急所に一撃を喰らったものとは到底思えない。やはり入れるのが甘かったかと目を細めた。


「お前らがっお前らがいなければ俺たちは仕事を失くすこともなかったし拷問を受けることもなかったんだ!!」
「要領を得ませんね。……お前らがお前らが、と仰いますが、どこかでお会いしたことがありましたか?」


警察に通報するのをやめたのはもし白樺が内々に制裁を下していた場合だ。父様たちのことだからボロがでないようにするだろうが、もし警察にばれて困るようなことがあればことだ。その場合はできればまたこちらで処理しておきたい。


「ハッ、それすら覚えてねぇとは幸せだな!ぬくぬくと金持ちの家で育ってよお!?」
「…………、」
「俺はあの日から、半年前の雪の日からお前らのことを忘れたことはねえ!!」


ぷちっと頭のどこか奥の糸がちぎれるのを感じた。
ほぼ脊髄反射的に靴先を男の鳩尾に減り込ませた。
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