胡蝶の夢

秋澤えで

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小学生

自由

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「貴方のことを大切に思っている方は貴方の思っている以上にいるんです。……それなのに貴方自身が自らを軽んじる、というのは大変頂けません。それは同時に大切に思っている方を軽んじるというものです。」

「ん……。」


もう二度とそんなことを言わないで下さいと良いながら白い頬をつつくとバツの悪そうな顔をしつつも返事を返してくれた。


「んじゃ、貴方にも話してもらいましょうか?」

「ええっもう良くないか?俺がちゃんと向き合えば済む話し、ちょ、痛い痛い痛い。」


今更ながら聞くだけ聞いて逃げようとする蓮様の頬をキュッと摘まむ。


「……僕だって貴方のことが知りたいんです、もっと。」

「うっ……。」


拗ねたような声色で言えば目を泳がせながら言葉を探すが、結局諦めたように項垂れた。それを見届けてから頬から指を離す。白い頬は赤くすらなっていなかった。


「その、だ……俺も何から話せば良いのかよくわかんねえけど、良いか?」

「はい、できる範囲で良いので聞かせてください。」



躊躇うように駿巡したのち真っ直ぐ僕を見て辿々しいながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく彼を僕は一言一句聞き逃さぬよう反芻しては胸に落としていった。


話は時系列もバラバラでとんでいるところも多々あったがそれも彼の意識の中での印象に残ったところや記憶に残った感情が主体になっているからだろう。その全てが今の彼を作ってきたもの。

初めて聞く、僕たちと会う前の話、僕たちと会ったときの話、それから二年の間の話、そして僕が側に居るようになってから今までの話。


それは僕の知っているところや推測していたこともあったが、全く預かり知れぬものもまた多くあった。
話し始めてから何分経ったのかは分からないが、話はあの雪の日のことに差し掛かる。知れず身を固くさせると、先程とは変わり不器用ながらも蓮様は僕の背中をゆっくりと撫でた。その一方でまた、彼の声が僅かに揺れるのを耳にする。


「俺は……今までずっと涼に助けられてきた。本当に小さなときから、ずっと。お前は強くてしっかりしてて、頭も良かった。俺と比べて、いや同年代の誰と比べてもお前に匹敵するような奴はいない。それくらい涼、お前は完璧だった。だからお前の決めたことはきっと俺が考えて出す答えよりも良いものだと思ってた。俺が決めたことよりもお前が決めたことの方が正しいって信じてきた。」


過去形で話される僕のことに、思わず視線が下がる。情けなく、居たたまれない。失われた信用を取り戻す方法を探すも何も出てきはしなかった。


「あの時も、涼があの背の高い男と話をしているときも、お前に考えがあってそれが最善で、俺はそれの足を引っ張らないようにしようって思ってた。……でもさ、言う通りに逃げようとしたとき本当にこれで良いのかって。」


背に回された腕に力がこもる。


「お前が言うなら大丈夫って何の確信もないのにそう楽観視してたけど、あの時初めて俺はお前の判断を疑った。……ごめん、今のは少し違うな。うまく言えなくてごめん。……本当はずっと逃げてたんだ、自分で決めることから。自信がなくて、それで判断を間違えたら耐えられる気がしなくて。お前に聞けば必ず正しい答えを教えてくれた。それにたまに俺に判断させた。……それがあったから気づかなかったんだ、涼に任せっぱなしだってことに。あの時俺が疑ったのは、責任を全てお前に負わせて逃げようとした自分自身だ。」


重ねて震える声で言う。


「誰よりも側にいて、誰よりも側にいたいと思ってた、何より大事なお前を何も考えずに置いて逃げようとした……俺自身だ。」


何かが首筋に落ちるのを感じたが、まるで彼の言の葉に縛られたように身体を動かすことも、声を発することも出来なかった。


「……大事だとか思ってる癖に、あっさり逃げようとした自分が、嫌だった。だから俺はそのまま逃げずに落ちてた鉄パイプであの男の脳天を殴り付けた。勝算があった訳じゃない、でもそれが俺に出来ることだと思った。俺があの男を殴ったときにお前何で戻ってきたのかって、怒ってただろ?……でもその前、車から涼を引っ張ろうと手を掴んだときお前見たことない顔してた。……嬉しそうな、安心したような、そんな顔。その顔見て、俺の決めたことは間違ってなかったって思った。ずっと助けられてばっかりで支えられっぱなしだったお前を、初めて助けることが出来たって、浮かれて、調子のった。」


また小さな声でごめん、と呟く。


「だから思っちまったんだ。……今の俺なら涼を助けられるって。過信した。いつも通り意気地無しな俺なら、さっさと逃げるだけ現実が見えてたなら、お前がこんなに怪我することもなかったのに……。」


苦しそうにそう言って包帯で固定された僕の右肩を細い指先でほんの僅かに触れた。壊れ物に触れるように、力なく触れられた肩に痛みが走ることはなかった。


ごめん、ごめん、ごめん―――

繰り返される謝罪を否定したいのに、僕の声帯は仕事をしてくれない。


「……お前が寝てる間に父さんや光さんと話をした。それで言われた、涼の判断は間違いなく最善だったって。俺は選択を誤った。さんざん迷惑かけて怪我までさせて……無い頭で精々考えた。俺には絶対、お前が守るほどの価値なんか無い。誰かを傷つけてまで生き残る必要のある人間じゃないんだ。お前が俺に相応しくないんじゃない、俺はお前の主人に相応しくないっ……!」


ぼろぼろと涙を零しながら言う蓮様を、僕は呆然と見ることしかできなかった。白いシーツにハタハタと染みを作る。


「じゃあ、僕は…………、」

「……お前は、自由にすると良い。今まで俺の所為で涼を縛ってきた。……前に神楽が言ってただろ?」  


『もし涼ちゃんが蓮のお側付にならなかったらさ、普通の女の子たちみたいに髪を伸ばして、スカートをはいて、かわいい小物を集めて、ほかの女の子たちと遊んで、クラスの男子に恋をして……でも、お側付になっちゃった涼ちゃんはどう?』



「自由、に…………?」

「そう、お前がやりたいことをしろ……、」


「お前はもう、自由・・だ。」
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