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小学生
忌み花の音
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「っ……!?」
目の前の長身はうめき声一つ上げず倒れる。敵が一人減ったはずなのに喉が引き攣る。倒れこんだ男はピクリとも動かない。
なんだ、なんなんだこの男は……!先ほどとは比にならない寒気が襲う。熱を持った傷でさえも血の気が失せたようだった。
せめて長身の生死だけでも確認したいが、一瞬でも気を抜けばやられるのは僕だ。根拠などはないが本能が激しく警鐘をかき鳴らす。まるで僕を助けたように見えなくもないが、違う。それはない。
警棒を血が伝い、薄い雪に斑点をつける。咥え煙草の男は邪魔だとでも言いたげに、僕らの間に倒れる長身を端に蹴り飛ばした。視界の隅で咳き込むそれの姿を確認して一瞬だけ息を吐く。
が、その瞬間に警棒が振られる。なんとか緩慢な動きでそれを避けると、灰色の塀には赤い線が縦に一本引かれた。距離を三間ほどとり、相手を伺う。
妙だ。
自分のことながら、今の動きは隙だらけ。もし僕が襲う側なら今の隙は逃さずとどめを刺す。だがこいつはそうしなかった。反応しなかった……否、僕が距離を取るのを待っていた。
「なあ……お前は楽しませてくれよ……?」
そう、笑った。狂気染みたその笑みに全身が震える。
こいつは僕らを捕まえる気なんてない。確信を持って言える。
殺される。
「ははっ……ベルセルクですかっ……。」
「違ぇねぇ、なっ!」
もう、怯えている暇なんてない。乾いた笑いがこぼれる。
怯えても意味なんてない。恐れても意味がない。
烏合の衆なんて可愛いもんじゃなかった。一匹飛んでもないのが混じっていたようだ。
ベルセルク、こいつは要は戦えればそれでいいのだ。
北欧神話に登場する戦士。戦場において、軍神オーディンの力をつけたベルセルクは自らを忘れ、獣となり、鬼神のごとき働きをみせる。だが忘我状態のベルセルクは敵味方関係なく、動くものすべてを殺す。仲間であろうと、肉親であろうと。戦闘では決してベルセルクの側に兵を配置しなかったそうだ。
今このベルセルクの獲物はほかでもない僕。そのために長身は邪魔であった。だから潰した。至極シンプルで簡潔な理由に身震いする。
逆に言えば、僕が相手をしてる間はほかに目もくれない。僕が耐えている間、蓮様に手を出される心配はない。
詰められ打ち込まれる警棒をできるだけ正面から受けないように受け流す。たぶん、僕はこれに勝つことはできない。すでに満身創痍、気力でつなぎとめている危うい状態。時間稼ぎより確実な方法があるじゃないか。待っている、なんてできるほど僕は大人しくもない。
「蓮様っ!逃げてください!」
「だからそんなのっ!」
「っ……助けを呼んできてください!誰でも良いからっ僕は携帯を持っていません!今動けるのは貴方だけなんですよっ!!」
声を張り上げると、脇腹の出血が増した気がした。これならきっと蓮様も動いてくれるはず。これで動かないならもうどうしようもない。
蓮様がキュッと口を結び顔を歪めながらも僕の方を見る。
「……、わかった、誰か呼んでくるからっお前も隙を見て逃げろよっ!無事でいろよっ!」
「…………わかってますよ。」
最早無事でないし、逃げる気力など持ち合わせていない。それでも僕は返事をする。全ては小さな主のため。
「……死ぬなよっ!」
「死にませんよー。」
ヘラりと笑うと、苦しそうに唇を噛む彼が目に入る。ああ、そんなに噛んでしまうと切れてしまう。なんて考える。
くるりと踵を返し走り出す。彼の背中を見た。口元が緩む。
それで良い。それで良いのだ。
貴方さえ無事であるならば。
緩めた口を閉め、ご丁寧にも待っていてくれた咥え煙草に向き直る。その顔はひどく楽しげで、おもちゃを手に入れた子供のような笑みであった。
「最後のお別れはすんだか?」
「……ええ、すみました。」
上がらない右腕を無理やり動かしナイフを握る。一度だけ目を閉じる。瞼の裏に走馬灯などというものが流れるが、振り払う。
集中すればするほど、身体の痛みは消えていく。治っているわけじゃない。意識的に痛覚を排除する。実際は肩の骨はきっと折れているし、腕の傷も腹の傷も酷くなるばかりだ。それでも、僕はやらなければならない。
恐れても逃げられない。
恐れても勝てない。
恐れても助けは来ない。
信じられるのは自分の身体だけ。
ただそこにあるのは死だけだ。
あっさりと迎合することなど僕にはできない。
死ぬならばもがいてもがいて、死んでやる。
恐れなど切り捨てて。
胸に抱えるのは対抗するベルセルク。
生き残るために死を願おう。
せめて、小さき主人との約束を破らぬよう。
笑う。笑う。
笑ったのは男だったのか、僕であったのか。僕にはすでに分からなかった。
「さあ、やろうか。」
***********
雪が降る勢いは、増していた。
それでもほとんど冷たさなど感じない。身体中が熱い。
声など出す必要も余裕もない。ひたすらに息遣いと金属がぶつかる音だけが空気を振動させる。
苦しさも痛みもない。ただ身体の重みがじわじわと増していく。それとともに傷が増える。
ふと思う。ピンを引き抜いてからいったい何分たっただろうか。期待をしているわけではないが、もし次瀬川さんに会ったら一発殴らせてもらわなければとても気が済まない。でもきっと瀬川さんと一緒にいる神楽様には僕が殴られる気がする。
刀がナイフの刃と交わる。
思わず苦笑いが浮かべた。
警棒の中に金属が仕込まれているのはわかっていた。
でも流石に小ぶりの日本刀が内蔵されているとか、聞いてない。リーチが違いすぎる。
これ、本当に死ぬかも。
蓮様は安全なところにいてくれるだろうか。それとも誰かを呼びに行って、こちらに戻ろうとしているだろうか。
ああ、彼が成長するのを見守るって決めてたのにな。
頭はいやに冷静で、身体と思考は完全に分離しているようだった。
痛覚を失った身体は限界など知らぬように動き続ける。生きるために。
感じる。
切られた腕は力を今にも失いそう。
刀を突き立てられた足は気を抜けば嗤う。
今すぐ何もかも投げ出してしまいたくなる。
それでも身体が動くのは、これ以上嘘を重ねたくはないから。
それでも身体が動くのは、また彼の声が鼓膜を揺らすのを望むから。
薙ぐ刀が、僕の手からナイフを浚う。それとともに、操り人形の糸が切れたように力を失う身体。雪に落ちる身体は場違いなまでに柔らかく白い粉を舞い上がらせた。
どこか遠くから諦めかけていた音が響き渡るのを聞いたが、それは最早無意味なものだろう。それが遅いのか早いのか、今の僕には計りかねた。
「っはあ、じゃあなっ…………!!」
声をあげるでも涙を流すでもなく、僕は無感動に歓喜に染まった男の顔を見上げた。
終劇。
意味もなく反らした視界の隅で、伸びすぎた椿の木から耐えきれない、とでも言うようにパタリ、と白に一点の赤を散らす。
穢れない白雪に、静かに首を落とした。
目の前の長身はうめき声一つ上げず倒れる。敵が一人減ったはずなのに喉が引き攣る。倒れこんだ男はピクリとも動かない。
なんだ、なんなんだこの男は……!先ほどとは比にならない寒気が襲う。熱を持った傷でさえも血の気が失せたようだった。
せめて長身の生死だけでも確認したいが、一瞬でも気を抜けばやられるのは僕だ。根拠などはないが本能が激しく警鐘をかき鳴らす。まるで僕を助けたように見えなくもないが、違う。それはない。
警棒を血が伝い、薄い雪に斑点をつける。咥え煙草の男は邪魔だとでも言いたげに、僕らの間に倒れる長身を端に蹴り飛ばした。視界の隅で咳き込むそれの姿を確認して一瞬だけ息を吐く。
が、その瞬間に警棒が振られる。なんとか緩慢な動きでそれを避けると、灰色の塀には赤い線が縦に一本引かれた。距離を三間ほどとり、相手を伺う。
妙だ。
自分のことながら、今の動きは隙だらけ。もし僕が襲う側なら今の隙は逃さずとどめを刺す。だがこいつはそうしなかった。反応しなかった……否、僕が距離を取るのを待っていた。
「なあ……お前は楽しませてくれよ……?」
そう、笑った。狂気染みたその笑みに全身が震える。
こいつは僕らを捕まえる気なんてない。確信を持って言える。
殺される。
「ははっ……ベルセルクですかっ……。」
「違ぇねぇ、なっ!」
もう、怯えている暇なんてない。乾いた笑いがこぼれる。
怯えても意味なんてない。恐れても意味がない。
烏合の衆なんて可愛いもんじゃなかった。一匹飛んでもないのが混じっていたようだ。
ベルセルク、こいつは要は戦えればそれでいいのだ。
北欧神話に登場する戦士。戦場において、軍神オーディンの力をつけたベルセルクは自らを忘れ、獣となり、鬼神のごとき働きをみせる。だが忘我状態のベルセルクは敵味方関係なく、動くものすべてを殺す。仲間であろうと、肉親であろうと。戦闘では決してベルセルクの側に兵を配置しなかったそうだ。
今このベルセルクの獲物はほかでもない僕。そのために長身は邪魔であった。だから潰した。至極シンプルで簡潔な理由に身震いする。
逆に言えば、僕が相手をしてる間はほかに目もくれない。僕が耐えている間、蓮様に手を出される心配はない。
詰められ打ち込まれる警棒をできるだけ正面から受けないように受け流す。たぶん、僕はこれに勝つことはできない。すでに満身創痍、気力でつなぎとめている危うい状態。時間稼ぎより確実な方法があるじゃないか。待っている、なんてできるほど僕は大人しくもない。
「蓮様っ!逃げてください!」
「だからそんなのっ!」
「っ……助けを呼んできてください!誰でも良いからっ僕は携帯を持っていません!今動けるのは貴方だけなんですよっ!!」
声を張り上げると、脇腹の出血が増した気がした。これならきっと蓮様も動いてくれるはず。これで動かないならもうどうしようもない。
蓮様がキュッと口を結び顔を歪めながらも僕の方を見る。
「……、わかった、誰か呼んでくるからっお前も隙を見て逃げろよっ!無事でいろよっ!」
「…………わかってますよ。」
最早無事でないし、逃げる気力など持ち合わせていない。それでも僕は返事をする。全ては小さな主のため。
「……死ぬなよっ!」
「死にませんよー。」
ヘラりと笑うと、苦しそうに唇を噛む彼が目に入る。ああ、そんなに噛んでしまうと切れてしまう。なんて考える。
くるりと踵を返し走り出す。彼の背中を見た。口元が緩む。
それで良い。それで良いのだ。
貴方さえ無事であるならば。
緩めた口を閉め、ご丁寧にも待っていてくれた咥え煙草に向き直る。その顔はひどく楽しげで、おもちゃを手に入れた子供のような笑みであった。
「最後のお別れはすんだか?」
「……ええ、すみました。」
上がらない右腕を無理やり動かしナイフを握る。一度だけ目を閉じる。瞼の裏に走馬灯などというものが流れるが、振り払う。
集中すればするほど、身体の痛みは消えていく。治っているわけじゃない。意識的に痛覚を排除する。実際は肩の骨はきっと折れているし、腕の傷も腹の傷も酷くなるばかりだ。それでも、僕はやらなければならない。
恐れても逃げられない。
恐れても勝てない。
恐れても助けは来ない。
信じられるのは自分の身体だけ。
ただそこにあるのは死だけだ。
あっさりと迎合することなど僕にはできない。
死ぬならばもがいてもがいて、死んでやる。
恐れなど切り捨てて。
胸に抱えるのは対抗するベルセルク。
生き残るために死を願おう。
せめて、小さき主人との約束を破らぬよう。
笑う。笑う。
笑ったのは男だったのか、僕であったのか。僕にはすでに分からなかった。
「さあ、やろうか。」
***********
雪が降る勢いは、増していた。
それでもほとんど冷たさなど感じない。身体中が熱い。
声など出す必要も余裕もない。ひたすらに息遣いと金属がぶつかる音だけが空気を振動させる。
苦しさも痛みもない。ただ身体の重みがじわじわと増していく。それとともに傷が増える。
ふと思う。ピンを引き抜いてからいったい何分たっただろうか。期待をしているわけではないが、もし次瀬川さんに会ったら一発殴らせてもらわなければとても気が済まない。でもきっと瀬川さんと一緒にいる神楽様には僕が殴られる気がする。
刀がナイフの刃と交わる。
思わず苦笑いが浮かべた。
警棒の中に金属が仕込まれているのはわかっていた。
でも流石に小ぶりの日本刀が内蔵されているとか、聞いてない。リーチが違いすぎる。
これ、本当に死ぬかも。
蓮様は安全なところにいてくれるだろうか。それとも誰かを呼びに行って、こちらに戻ろうとしているだろうか。
ああ、彼が成長するのを見守るって決めてたのにな。
頭はいやに冷静で、身体と思考は完全に分離しているようだった。
痛覚を失った身体は限界など知らぬように動き続ける。生きるために。
感じる。
切られた腕は力を今にも失いそう。
刀を突き立てられた足は気を抜けば嗤う。
今すぐ何もかも投げ出してしまいたくなる。
それでも身体が動くのは、これ以上嘘を重ねたくはないから。
それでも身体が動くのは、また彼の声が鼓膜を揺らすのを望むから。
薙ぐ刀が、僕の手からナイフを浚う。それとともに、操り人形の糸が切れたように力を失う身体。雪に落ちる身体は場違いなまでに柔らかく白い粉を舞い上がらせた。
どこか遠くから諦めかけていた音が響き渡るのを聞いたが、それは最早無意味なものだろう。それが遅いのか早いのか、今の僕には計りかねた。
「っはあ、じゃあなっ…………!!」
声をあげるでも涙を流すでもなく、僕は無感動に歓喜に染まった男の顔を見上げた。
終劇。
意味もなく反らした視界の隅で、伸びすぎた椿の木から耐えきれない、とでも言うようにパタリ、と白に一点の赤を散らす。
穢れない白雪に、静かに首を落とした。
応援ありがとうございます!
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