胡蝶の夢

秋澤えで

文字の大きさ
上 下
16 / 149
幼少期

風邪と確執(2)

しおりを挟む
「さよさん、今からお粥ってお願いできますか?」
 「あ、大丈夫ですよ、涼ちゃん。そろそろだと思っていたので、後少しでできますよ。」


 台所に行くとお手伝いのさよさんが既にお粥を作っているところだった。

さよさんは数年前から白樺家で働いている24歳の可愛らしいお姉さんだ。尤もさよさんの存在を知ったのは今年になってからの話だ。

 大きな家なのでもっとお手伝いがいるものだと思っていたのだが、今働いているのはさよさんの一人だけだ。まあ、よく考えると家にいるのは嘉人様と雲雀様、蓮様の三人だけの上に雲雀様も料理をしたりするので、さよさんの仕事はそこまで多くない。僕としては雲雀様や両親よりも話しやすい人だ。今は蓮様と同じくらいの僕の癒やしだ。


 「よく分かりましたね。もしかしたら寝てるかも知れないのに。」
 「ふふふ、蓮様が食べられないようなら私が食べちゃいますから。」


 小さく笑いながら着々と作っていく。


 「ところで、涼ちゃんは蓮様の側にいて大丈夫なんですか?」
 「大丈夫です。離れに入るときはちゃんと消毒してますので、離れに菌を持ち込むことはありません。」

 「いえ、そうじゃなくて涼さんの方ですよ。病気移ったりしちゃうかもしれませんよ?」
 「問題ありません。病原菌に負けるような白血球は持ってませんから。」

 「……根拠は?」
 「特にありません!」


ドヤァ、としてみるもののさよさんに軽くため息を吐かれた。
 少なくとも化け物じみたDNAを受け継いでいる僕はこの方風邪を含めた病気になったことがない。


 「蓮様の体調はどうですか?」
 「熱は高いですがもうこれ以上上がらないと思います。多分ただの風邪だったのでしょう。」
 「そう、大事無くて良かった……。」


 心底安心したように息を吐いた。

そんなさよさんを見てふと尋ねてみた。


 「さよさんは蓮様とはよく話したりするんですか?」


ピクリと茶色がかったポニーテールが震える。


 「さよさん?」


こちらからはさよさんの後ろ姿しか見えないので今彼女がどんな表情をしているかは分からないが何か不味いことを聞いてしまっのかもしれない。何か話題を変えないと、とワタワタしているさよさんが口を開いた。


 「いえ……殆ど話したことがないのです。初めの頃はよく話しかけていたのですが、目も合わせてもらえなくて……。私は蓮様に嫌われているのかもしれません……。」


 僅かに見えた彼女の横顔には悲しみが浮かんでいた。


 「そ、そんなことありませんよっ!さよさんは素敵な方ですし、僕も最初は蓮様と全然話なんて出来ませんでしたし!!」


さよさんの袖をクイクイと引っ張りなんとか慰めようとする。


 「そうかな……?」
 「そうですよっ!そもそも蓮様は人と話すのが苦手な方なので寛大な心で付き合ってやってくださいっ」


あれ、と我に返る。気づけばさよさんを慰める話から蓮様にフォローを入れる内容にすり替わっていた。


 「ふふふ、そうね、ありがとう涼ちゃん。それにしても涼ちゃんは本当に蓮様が大好きね。」
 「ん?何でそう思うんですか?」
 「だってこんなに必死で表情のある貴方なんて初めて見たもの。表情が出るときは大抵蓮様が関係したことだし。」


 何となく自分の顔をペタペタと両手で触ってみる。


 「ていうか普段の僕はそんなに表情ありませんか?」
 「ん~そうね。たまに笑う時もあるけどどちらかと言えば、微笑むって感じだし……。」


もっと笑って~、と僕の頬を掴んで口角を上げさせようとする。今確実に僕の顔は酷いだろう。


 「むうぅ……。」


 良い笑顔で僕の顔を弄り倒すさよさん。笑顔が素敵です。だがそろそろ離してほしい、という思いを込めてペチペチと軽くさよさんの手を叩く。


 「ああ、ごめんなさいね。柔らかいからつい……。」
 「五歳ですから。」


まあ何にせよ元気を出してくれて良かった。少々納得がいかないが。


 「僕だって笑顔くらい作れますよ~。」
 「本当?見せてください。」
 「いきますよ……」


ニコッ!

渾身の作り笑顔。


 「…………。」

 無言で僕の肩に手を置くさよさん。


 「……?」
 「涼ちゃん…今度暇なときに笑顔の練習しましょうか。」
 「そんなに酷かったのですか?!」


 確かに、確かに鏡を見てやったことも無いし、今まで作り笑顔を活用する場面もなかったけれども。さよさんの素敵な笑顔が引きつるレベルだったことに愕然とせざるを得ない。


「さ、さあ、お粥も丁度良いくらいに冷めてきたので持って行ってあげてください!」
 「はい、ありがとうございます……。」


 若干へこみながらお粥を受け取り、再び離れへ向かった。




 「失礼します。」
 「ああ、おかえり。……何かあったのか?元気なさそうに見えるぞ?」


 部屋に入ると開口一番に蓮様に言われた。そんな見るからにへこんでるように見えただろうか。



 「ご心配傷み入りますが、現在進行形で明らかに貴方の方が元気ないように見られます。」
 「うるさい、屁理屈言うな。……で、どうした?」

 「いえ、ただ上手く作り笑顔ができないな、と思いまして。」
 「別に良いじゃないか?涼はそのままで十分だろ。」


ありがとうございます。最高に癒される。本当に可愛いなこの子。

 他意のない褒め言葉を噛みしめていると蓮様がしばらくして自分がなかなか恥ずかしいことを言ったことに気づき、顔を真っ赤にしてしどろもどろに弁明する主人に更に癒された。


 「……いらない。」
 「食べてください。」
 「いらない。」
 「食べてください。」
 「いらない。」
 「食べてください。」
 「いらないっ!」
 「食べてください。」
 「食べたくない!」
 「僕は食べてほしいです。」
 「知らないっ!」


お粥を片手に蓮様と問答する。

 冷めるまで母屋で待っていたのだが多分冷まさなくとも蓮様と言いあっている間に十分冷めていただろう。
 一向に食べようとしない蓮様。

どうしようか。

お腹が空いていないのに食べなくてはいけないのは辛いとは思うが食べなくては体力が持たない。免疫も下がるばかりで再び症状が悪化するのは避けたい。


ここは幼子おさなごの良心に訴えかけてみよう。


まずはわざとらしくため息を吐く。蓮様がチラリととこちらを見た。


 「あーあ、もったいないですね。蓮様が食べないならこの卵粥は捨てるしかありませんねー。」


 視界の端で蓮様が居心地悪そうに身じろぐ。僕の演技が大根で棒読みなのは気にしないでほしい。


 「せっかくお手伝いさんのさよさんが作ってくれたのになー。一口も食べられないまま捨てられたらきっと悲しむでしょうね、ねぇ蓮様。」

 「……。」


 嘘だけど。多分蓮様が食べなかったらさよさんが食べる。
 蓮様は相も変わらず黙り(だんまり)だが僅かに顔を歪める。


 彼に良心が有って良かった。もう一押し。


 「農家の人も可哀想だなー。時間をかけて大切に作ったお米が食べられないまま捨てられるなんて。卵なんて本来可愛いヒヨコが生まれる筈だったのに、食べられもせず無駄死にだなんて、ああなんて可哀想なんでしょうね、ねぇ蓮様。」


 卵の件は嘘だけど。スーパーで売られてる卵は無精卵だから温めてもヒヨコは生まれない。


 「~~~~っ!分かったよ、食べれば良いんだろ!」

 「お分かり頂けて嬉しいです。」


 勝った。


 蓮様は渋々と椀を受け取るがなかなか食べようとしない。


 「……食べないならアーン、てしましょうか?」
 「しなくて良いっ!子供扱いするなっ!」


 子供ですよ、僕も貴方も。


 「じゃ、どうして食べないんですか?」


じっ、と椀の中に視線を落とす。


 「……俺が食べるから卵はヒヨコになれなかったから。」
 「……ま、まぁそうですね。」


……今度は僕の良心が痛む。その卵からはヒヨコは生まれません。


 「生き物が生きるために、他の生き物の命をもらっているんです。だから僕たちは食べるときに『いただきます』というのです。」


せっかくなので少し道徳教育をしてみることにする。


 「そう、か。」


 小さくいただきます、と言ってスプーンを持ってそして呟いた。


 「……卵の黄色はヒヨコの黄色なのかな。」


ジワリと蓮様の目に涙が浮かんだ。


 「すいませんでしたっ!違うんです!卵の黄色とヒヨコの黄色にはなんの因果関係もありませんし、そもそもお粥に使われた卵は無精卵であって……!」


 僕の良心が耐えられなかった。

ていうかここで事実を言わなければ泣きながらお粥を食べる主人という大変シュールかつこちらが泣けてくる惨状になるに違いない。

 道徳の授業から生物の授業になってしまった。とりあえず、この卵粥でヒヨコは犠牲になっていないことを全力で伝えた。


 「良かった……。」

 少し顔が明るくなる。

この子本当に鳥類好きだな。




ようやく食べ始めた蓮様を後目しりめに所狭しと置かれた本棚を見る。

 本棚の大部分は絵本で数冊図鑑も置かれていた。『シンデレラ』『白雪姫』『グリム童話集』『日本昔話』『三国志』『酒呑童子』この微妙な絵本のチョイスは間違いなく雲雀様だろう。ていうか『三国志』って。絵本で三国志を書こうと思った作者に感服だ。普通に興味ある。

どの本を開いてみても、開かれた様子は無く、新品同様で僅かに背表紙が日焼けしているだけだった。

図鑑の『鳥類』は例外だったが。何度も読まれたらしく折り目がついている。本棚って持ち主の趣向が明らかだから面白い。


 「何か面白いものでもあったか?」


いつの間にか食べ終わっていたらしく僕の隣に座る。


 「ええ、少し。食べ終わったなら寝ますか?」
 「お腹いっぱいのときには寝れない。」
 「そうですか。何か読みますか?……あ、図鑑以外でお願いします。」


 提案したところいそいそと図鑑『鳥類』を持ってきたのでサラッとお断りさせていただく。


 「たまにはお話を読んだ方が良いと思いますよ?つまらないものもあるかとは思いますが、有名所は常識として一応知っておいた方が……あれ?」


 本棚を見ていると一冊どこか雰囲気の違うものを見つけた。

 他のものと比べ読まれたようなあとがあるが、材質が違い尚且つ日焼けしているのが背表紙だけではなかった。


 「どうかしたか、ん?なんだそれ?」
 「ご存知ないのですか?」
 「ああ、初めて見たぞ?」


 蓮様が読んだことがないということはこの本を読んだのは、これらの本をここに置いた雲雀様だろう。


 「開いてもよろしいですか?」
 「うん、俺も見たい。」
 「……失礼します。」


 誰に言うわけでもなくなんとなく断りを入れた。

 厚めの表紙を開く。


 「これは、アルバム……?」


 白い台紙に写真が貼られている。ページを捲っていくと写真に写っている子供は少しずつ大きくなっていった。

 数ページいったところで、今度は赤ん坊が写されている。次のページには先程の少年と赤ん坊、そして彼らの両親が写っていた。

 父親と少年、赤ん坊の髪は白く、目は赤色であった。


 「この写真に写っているのは蓮様ですか?」
 「……多分そうなんだろうな。覚えてない。」
 「じゃあ前半の写真は神楽様ですかね?」
 「……知らん。」


 興味を失ったように僕の手からアルバムを引ったくり、本棚へ戻した。


 「神楽様はどんな方でしたか?」
 「覚えてない。」


 少し突っ込んで聞いてみるが取り付く島もなくピシャリと返される。


 「……神楽様がお嫌いですか?」

 「あいつの名前を出すなっ!!」


 淡々とした返答から一変し叩きつけるように叫んだ。

ぎゅっと僕の着物の袖を掴む。


 「涼といるときにまで、あいつの事を思い出したくないんだ……。」


 重ねられた言葉はひどく弱々しく、懇願するようで、僕はもう何も尋ねられなかった。踏み込み過ぎた、と後悔するがおそかった。


 「すいません……。」

 俯いた彼の頭をただ撫でた。


それから蓮様が寝るまで僕たちの間に会話はなかった。
 寝ている蓮様を見て、僕は先程のアルバムに写る神楽様を思い返す。

どことなく似ている兄弟。だが決定的に違う何か、違和感のようなものを感じた。
 何であろうかと考えるも今ひとつ、納得できるようなものは見つけられない。

クイッと袖を引かれる。

 小さな白い手は未だに僕の袖を握っていた。

 寝ている彼に意識はないが、まるで神楽様のことを考えるな、と言われたようだった。
 神楽様のことは雲雀様に聞いてみよう、と心に決め瞼まぶたを閉じた。
しおりを挟む

処理中です...