胡蝶の夢

秋澤えで

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幼少期

決着(2)

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木刀を拾い上げ構え直す。

 負ける訳にはいかない、絶対に。どんな手を使ってでも。

 食いしばった歯がキシリ、と鳴った。


 「両者、礼。」


 同時に飛び退く。策は無いわけでは無いがそれは虎の子、出来れば三本目まで取っておきたい。きっとそれは一度しか通用しないから。


なら、
 「一か八か…」


 打ち込まれる刀を受け流しながらもう一度飛び退き、踏み込んで来る父様の左足の外側に翡翠の時と同じように踏み込む。


 「……ふっ」


 父様は僕が翡翠と闘った時と同じような動きをしているのに気づいただろう。そして僕の攻撃に乗ってやろうとばかりに切り上げようとする僕の木刀を受け止めた。
 予想通りの動き。
 おそらく父様なら僕が馬鹿の一つ覚えのような動きに気づいた上で誘いにのり、同じ手は通用しない、とでも教えようとするはず。予想通り、父様は僕の誘いに乗り小馬鹿にするように笑った。


そしてきっと父様は僕に避けられる事を前提にして横に木刀を振るうだろう。

ブゥンッ!

さっきまで僕がいた場所を木刀が通過する。

そして父様は僕に胴着を掴まれ投げられると思い、ほんの少しだけ退きそれを避けようとする。

タンッ

 やはり父様は軽く飛び退いた。


僕が懐に入り投げようとするだろうと思った父様は後ろに注意が回っていない。

 確かに僕は父様の木刀をしゃがんで避けた。しかしただしゃがんだだけではなく一歩だけ踏み込み父様の斜め後ろでしゃがんでいたのだ。


そして父様が飛び退く、この瞬間を狙っていた。


 左足を軸に勢い良く父様の膝裏を右足で蹴りすぐに立ち上がり、僅かに上体が後ろに傾いたところを胴着の後襟を掴み引き倒す。此方も必死なため手加減などしない。

  ダァァンッ!!

 そのまま馬乗りになり素早く木刀を首にあてがった。


 「一本!」


その声に息をつく。

 正直父様が僕の誘いに乗らなければ負けていただろう。僕の誘いに乗ったのは僕に教えたいと思ったから。その優しさが仇となった。


 「はははっやられたよ。まさか膝かっくんで引き倒されるなんてな…」


ガシガシと頭を掻いて起き上がる。笑い声をあげているが目が笑っていない。その赤い両目は酷くギラついていた。闘いを好むのも赤霧の血の特徴なのだろうか。


 「なあ涼、最後の一本だ、正々堂々やらないか?」

 「お断りします。」


 間髪入れずに断るとキョトンとしていた。


 「場数が違います。正々堂々なんてやっていたらまず勝てません。普通に負けます。そんな不利なものが飲めるわけありません。」

 「…それもそうだな。だが何にしても負けるのはお前だ、涼。」

 「……お好きに。」


そう言って位置についた。


 「両者、礼。」

 最後の一本。これで決まる。


 互いに既に満身創痍。今頃になって翡翠に打たれた左肩が痛みだす。しかし父様もまた体力はもう大して持たないだろう。

 時間がない。
この短時間で勝つためには隠し弾を出すしかない。


 成功するかはわからない。豪さん相手にしかやったことがない上にタイミングを一度外して不発になれば、きっと警戒してそれで動きを止めるのは不可能。そうなれば僕は勝てない。



だから僕は一発できめなくてはいけない。


キュッダンッガッ!
ガッ、ドン、ヒュッガツン!


打ち合う音だけが道場内に響く。鍔迫り合いになったとき、父様が小さな声で言った。


 「次で終わらせる…!」


その言葉と同時にお互い大きく飛び退いた。その瞬間道場内にはなんの音もなかった。睨み合う。


 先に父様が動いたそれに合わせて僕も走り間合いを詰める。


 「「はああぁぁぁあ!!」」


この瞬間、この瞬間だけを待っていた。互いに上段の構え、同時に振り下ろし木刀どうしがぶつかりあう瞬間、勢いを殺される前に床を蹴り力任せに押す。そしてそのタイミングで父様だけに集中させた殺気をぶつけた。

 僕如きの殺気をぶつけたところで父様にはなんの問題もないだろう、だからこそ極限まで距離を縮め、鍔迫り合いの直前で凝縮された殺気をぶつけなければならない。相手を怯ませ動きを止める。その時間は一秒にも満たない、だがほんの一瞬でも隙ができるならば重畳。豪さんならできた。父様にできるかはわからない。

  だがこれ以外に策はない。


 「なっ!?」


 一瞬だけ隙ができたのを見逃さず、素早く木刀を引き鳩尾を突いた。

ドオッ!

音を立てて父様が倒れた。


 「一本!」
 豪さんの声が響いた。



深しんとした空気の中嘉人様が振り払うように手を叩いた。


 「良い様だな、光。」


 倒れている父様を面白がるように覗き込んだ。


 「…うるさい。」


 顔を腕で顔を隠そうとする父様を見てクツクツと笑い、座り込んでいた僕の左腕を引っ張って父様の横に立たせた。


 「へっ?ちょっ」
 「光よ、俺が二年前お前に言ったことを覚えているか?」
 「…涼を御側付にしたいって言ってたことか?」

 「まあそれもだな。俺はお前に自分の首を絞めることになる、と言った。今その意味が分かったか?」
 「……わからん。俺がいつ俺の首を絞めたっていうんだ?」


 嘉人様は僕の頭をグシャグシャと撫で回して言った。


 「お前は涼に厳しくして諦めさせようとした。弱音を吐かないならより厳しく、更に厳しく、な。だがそれがお前と翡翠が涼に負けた理由だ。」

 「………。」


もう理解しただろうに嘉人様は続けた。


 「お前はずっと涼に英才教育を受けさせていたのも同然なんだよ。だから涼はここまで強くなった。」

 「…………。」


 父様は何も言わなかった。


 嘉人様が僕に向き直る。


 「蓮の御側付は涼に決まりだ。蓮のことを頼んだぞ。」
 「はい、ご期待に添えるよう努力致します。」


ふとずっと寝っ転がっていた父様が立ち上がり、そして僕を抱きしめた。


 「父様…?」

 「…強くなったな、涼。本当に、強く……。」


 父様の両目から溢れる涙と僕の心の奥底で燻る(くすぶる)何かには気がつかないフリをした。
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