あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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終局開幕最終章

やり直し革命譚 14

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 それはこの上なく想定外なことだった。
 今回の作戦で国王の首を取りに行くのは俺ただ一人のはずだった。にもかかわらず、俺よりも先に王の間へ行き首を暗殺しようとしている者がいる。
 王が死ぬのは問題ない。だがその首が誰の手にあるかが重要なのだ。万が一、その先に押し入った賊が王の首を持って行ってしまったとしよう。そうなれば今回の作戦は破綻。俺は戦場に王の首を持っていき革命の終結を示すことはできないし、メンテ・エスペランサはそのまま処刑される。たとえ王が死んだとしても、その首を奪取しなければならない。
 もはやなりふり構っていられず誰もいない廊下を疾走した。

 香りの強くなる廊下の奥から、点々と赤い染みが落ちている。当の部屋の入り口には夥しい血に濡れ、扉も破られていた。
 警戒しつつ部屋の中に飛び込む。けれどそこは賊が押し入ったとは思えないほど静かだった。
 扉は破られ、天蓋を覆うように幾重にも吊り下げられた布も無残に引きちぎられている。けれどそこは血の匂いで溢れているわけでもなく、ムッとするような香の匂いしかしなかった。誰の声も、足音もしない。
 複数人の賊で押し入ったにも関わらず、だ。しかもここまでの通路は今俺が通ってきた廊下しかない。王の私室には窓の一つもつけられていない。先ほどの使用人を襲った人間はこの部屋のどこかにいるはずだった。


 「……陛下、陛下御無事ですか!?」


 そう声を掛けながら背に負った剣を手に持つ。
 本来であれば暗殺者らしくただ殺すのみであった。けれどもはやそうも言っていられない。賊が今もいるのであればそれらを制圧したのち、王の首を取る、もしくは死体を回収する。賊がもしいないのであれば王の安否、身体の在り処を迅速に捜索する必要がある。
 しんとした部屋の中、俺の声だけが無様に響く。何の気配もしない現状に嫌な汗が流れた。
 もし押し入った賊に身体を奪われていたらそれこそ計画の遂行が危うい。


 「無礼者、誰の許可を得てこの部屋に足を踏み入れる。」


 凛とした声が部屋に響く。
 思わず息をのんだ。
 王であるメタンプシコーズ・ロワ。

 顔を見たことがなければ存在すら疑われていた男。
 しかしわかった。その声だけで男は国の頂点に立つ人間だと理解した。


 「も、申し訳ございません!先ほど陛下が賊に襲われたと聞き、駆け付けた次第にあります!」


 王は生きていた。しかしこの部屋は妙だった。
 部屋には確かに賊が押し入った形跡がある。襲われた使用人、破壊された扉、血の腥さ。
 にも拘わらずこの部屋には人の気配がない。


 「ふん、まあ良い。寄れ。貴様がどこにおるかわからん。拝謁することを許す。」
 「……はっ、恐悦至極にございます!」


 ひどく混乱していた。

 生きていたのであれば俺は今すぐ王を殺すべきだ。なのにどうしてか、俺はこの言葉遣いを一国の王に対してしてよいものかなどとくだらないことを考えていた。
 今この瞬間も戦場では人が死んでいる。多くの命が擦り減らされている。なのにそのことすら考えられないほど、身体が強張り、舌は乾いたように顎に貼りついていた。
 引き裂かれた布をよけながら、声の主の方へと歩み寄る。

 そして最後の一つの布を押し上げたとき、目を疑った。
 くらりとしそうなほどの香の匂いと噎せ返るような血の匂いの中に、豪奢な椅子に腰を掛けた男がいた。
 太陽のような金糸の髪、陶磁器のような肌、アメジストのような目はつまらなそうに俺のことを見ていた。

 そして玉座の周りには4人の男が倒れていた。


 「こ、これは……、」


 4人とも身じろぎ一つしない。一目見てこと切れていることはわかった。
 無傷で悠然と座る王とその足元で死ぬ4人の賊。
 それはあるはずのない光景だった。


 「……陛下は武の心得をお持ちだったのですね。」


 辛うじて絞り出した言葉はそんなものだった。
 4人の男は死んでいるがひどく矢鱈に傷つけられているわけでなく、ほぼ一撃で殺されていたことが見て取れる。
 この怠惰の王が戦えるなどという話は宰相からも”涙を流す者”からも聞いていなかった。剣を振るえば数秒で殺せるはずだったのに、それが難しい可能性がある。一人で四人を相手取り、汗一つかかず傷一つ負わず一撃で仕留める。果たしてそんな化け物の首を取ってアサンシオン広場まで行くのにどれほどの時間が必要とされることだろうか。


 「ふははは、随分と面白い冗談を言う。我が剣など持つと思うか。武を振るうのは我の役目ではない。」


 王は何でもなさそうに笑った。


 「そ奴らが勝手に刺し違えたまでよ。我は何もしてはおらん。」
 「……それは、」
 「信じられぬか?そのようなことはありえぬと?」


 なんと返すべきかと逡巡していると、唐突に王は笑いだした。


 「なんだ、貴様。リチュエルの奴から聞いておらんのか。あ奴の部下だろう?名前は確か、ヒムロ、と言ったか。」


 汗が伝う。
 顔を合わせるのはこれが初めてのはずだ。なのになぜ顔を見ただけでここまで特定できるだろうか。
 よもや警戒されていたかと今までの自分や宰相の行動を振り返る。しかし我々は常に隠れて行動してきた。表向きは忠臣でありながら、何年もの間水面下でこの日のために行動してきた。ばれているはずがない。いや、ばれていたとして、ここまで泳がされている理由はないはずだ。


 「私のような下の者の名まで覚えていてくださるとは、光栄です。」
 「はっ、我にわからぬものなどない。王たるもの、すべてを知り、見通さねばならぬ。期待も、不満も、絶望も何もかもを。知ったうえで我は立たねばならぬのだ。」


 言葉の通り、何もかも分かったように口を開いた。


 「例えば、貴様がリチュエルの文官でありながら、この宮の使用人の服を着ていることであったりな。」
 「お話が早くて何よりです。それではさようなら。ご覚悟を。」


 もはや誤魔化すこともせず、背に隠したままであった剣を手に取った。すべて無駄だ。どうしてか死んでいる賊も、王たる風格を崩さぬ男も、無意味だ。緊張の糸が途切れたかのように本来の目的を思い出した。

 用があるのはこの男にではない。

 この男の首だ。


 「我を、殺せるとでも?貴様が切っ先を向けたとて、その刃は我をかすめもせんだろう。そこに落ちている賊どもと同じように。無意味だ。貴様が何をしても、リチュエルが何を企んでいても何も変わらん。この国がる限り、我もまた同様にあり続ける。そしてまた、この国の血肉である国民、ひいては貴様自身が我の一部である。主たる我を殺すことはできん。」


 いつか、宰相閣下から聞いた話を思い出した。
 西の島に住む魔女が言ったのだと。
 この国の者は、王たるメタンプシコーズ・ロワを殺すことは決してできないと。
 ゆえにこの国の王は国交を封じ、他国からの侵入の一切を禁じたのだと。
 そのようなお伽噺、あるわけがない。けれどそれが今現実としてまかり通っている。原因などわからずとも、互いに殺し合った賊の遺体、傲岸不遜でありながら今の今まで傷つけられることすらなかった、という結果がすべてだ。


 「この国の国民である限り、我を殺すことは貴様にはできん。貴様が有能だと聞いている、馬鹿なことをしなければ、出世の道とてあったろうに。」
 「出世の道などないでしょう。この国はもう終わりだ。」
 「……なんだと?」
 「この国に先はない。あとは死んでいくだけの国で、どうして上を目指す理由がある。」
 「ならば死ね。我がいる限り、この国は死なん。終わるのは貴様だけだヒムロよ。」


 この男は信じていたのだろう。
 西の魔女が言った通り、自分は決してこの国の人間に殺されることはないと。
 この国とは王そのものであり、失われることなどないのだと。
 同時に恐れていたのだ。この国の者に殺されることはないと信じていながら、他国の者であれば命を奪われる可能性があるのだと。
 恐れ戦き、怯えた。故に鎖国をし、この国に他国の者が入ることの一切を禁じた。


 「アンタがもう少し、海の向こうの国について知っていれば、きっとこうはならなかったんだろうな。」
 「なにを、」
 「俺はこの国の人間なんかじゃない。」


 振り降ろされる剣に、男が短剣を袂から出そうとしたのを見て、この男の余裕とは所詮演じたものにすぎないのだと知った。


 宰相閣下がいつかに笑った、俺のヒムロという名前はこの国にはない名だと。

 もしこの男がもう少し俺の国のことについて知っていれば、俺をこんなにも近づけることはなかっただろう。
 もしこの男が鎖国などをしていなければ、俺とヒルマは早々にこの国から出て、母国に帰っていたことだろう。
 国を閉じていたから俺という不穏分子を残すことになったのか、国を閉じていたから今の今まで生き永らえることができていたのか。答えなど誰ももっていない。


 けれどこの男の選択のすべての先には、俺に殺されるという結末があったのは確かだ。


 「……意外と、」


 存外にあっけないものだった。
 天井から吊るされていた布を一枚引きちぎり、ソレをくるんだ。

 一番の仕事は片付いた。けれどこれで終わりではない。戦場へ戻るまでが俺の仕事だ。




*************************************




 布に包んだ首を抱え、来た道を全力で走る。もはやなりふり構っていられなかった。
 いつアサンシオンでの惨劇が終わるかといえば、それは俺が戦場についた時だ。俺が到着しない限り、終止符を打つことができず、無意味に互いの戦力を削り合うだけとなる。

 賊が侵入し致命傷を負った使用人が行き倒れ、廊下には点々と赤黒い染みが落ちている。にも拘わらず、どうしてかこの宮はまるで誰もいないかのように静かだった。数多いるはずの使用人の姿は一人としてなく、出入りしているはずの文官の誰とすれ違うこともない。
 不審に思いながらも好都合ではある。何より自分のささやかな頭脳ではきっと答えを叩きだすことができない。

 しかしその静けさも途中で途切れる。どこからか複数人の足音が聞こえてきた。その足音は緊急事態に慌てふためく使用人のものでも、押し入った賊を捕えようと奮起する衛兵のものでもない。押し殺すような擦るような足音。ここにいることを人に知られることを望まない者の足音だ。
 この押し入り結果的に返り討ちになった賊の仲間である可能性が高いが、このタイミングで追加投入する理由はないはずだ。しかしそこまで考えて、そもそもこの国の中枢がぐらついているめったにない機会、散々恨みを買っているだろう元王の首を狙うものは掃いて捨てるほどいるだろう。

 そして敵の敵は味方ではない。
 なんにせよこの先から来る者は俺にとって歓迎するべき者でないのは確かだった。


 「……くそ、」


 王の私室から出口に向かう通路へ行くにはこの一本道を通らざるをえない。どうあがいてもこの通路の先の闖入者を対面しなければならないのだ。
 幸い返り血はそう浴びていない。使用人の格好をしていることからただの使用人だと思われて見逃される可能性もある。だがもし俺の正体が何であれ始末する気でいられれば間違いなく俺が不利だろう。武器は使い慣れた剣が一本あるが、左腕には適当な布に包んだ王の首がある。


 「躊躇するくらいなら突破したほうがましか……」


 対面が避けられないのであれば押し通るほかに道はない。
 歩を緩めることなく、走り続けた。

 鬼が出るか、蛇が出るか。


 「なっ、貴様何を!」
 「ぐあああ!」


 覚悟を決めた俺の出鼻をくじくように、通路の先からは怒声とうめき声が響いてきた。
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