あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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やり直し

覚悟 2

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なんとも妙な心地だった。あの時あれほどの怒りに身体を支配されていたというのに、今のおれの中には恨みつらみは微塵もなかった。しかしなくてよかったとも思う。もし今もそんな感情を持っていたとしたら、今すぐにでもきっと復讐に走っただろう。いまだ何も知らない子供相手に。

政府の決めた正義に従う軍人たちを、どこかで機械のような傀儡のような、情も涙も持たぬようなものだと思っていた。しかしこうして、未来の敵の養父を知り、途端に大将フスティシア・マルト―は人間味を帯び始めた。最期のあのときだけ、上からの命令に背き、メンテに話をさせたあの男は、人間だったのだ。だから、どうだと言うわけでもないけど。


前回一度たりとも顔を合わせたことのなかった、ラルジュ・マルト―は、初代革命軍総長アンタス・フュゼ率いる革命軍との戦い、大火炎の戦いで命を落とす。おれとメンテはまだ若かったため、戦いに参加することは許されなかった。大火炎の戦いは、王国軍、革命軍共に戦力の全てを注ぎ込み、結果双方主戦力を失った。王国軍は弱体化し国内の治安は悪くなり、革命軍は壊滅状態で解散してしまった。


以前の恩人である初代総長アンタス・フュゼ、彼もまたあと十年もしないうちに大火炎の戦いの中死ぬ。かつて力なく、救うどころか戦いにすら参加できなかったことに歯噛みし、崩壊し散り散りになる仲間たちの背中を、苦虫を噛み潰してただ見送った。力さえあれば、と思いながら。


だが今回、おれはかつての恩人を助けるために奔走しようとは思えない。


今から18年後のアサンシオン広場でメンテ・エスペランサの処刑は行われるだろう。例えおれが側にいなくとも、メンテは革命軍を再興し、二代目総長の席に収まる。あいつにはそれだけの器があった。


なぜあのとき、革命軍の長たるメンテが王国軍に拘束されたのかを、おれは知らない。
なぜ仲間に何一つ言葉を残さず、一人敵地に乗り込んだのかを。
しかし王国軍に在籍することで、その理由を知ることができるかもしれない。だが実のところ、理由なんてどうでもよかった。


おれにとって大切なのは、処刑のまさにその瞬間だけだ。


処刑の日まで、アルマ・ベルネットはメタンプシコーズ王国軍の軍人であり続ける。かつて肩を並べ戦った同士たちと戦うこともあるだろう。かつての仲間を手にかけることもあるかもしれない。だがそれ以上におれは、他の何を犠牲にしてでもあの日届かなかった手を、もう一度伸ばす。メンテに触れるために、あいつを救うために、その時をまるで飼いならされた忠実な犬のように、静かに待つのだ。噛みつく牙も引き裂く爪も、その本懐も暖めるように大事に隠して。

すこしでも気が逸れれば、より多くを望んでしまえば、本当に欲しいものはいとも簡単に手から逃れてしまうのだ。


一際大きな扉の前で、少し前を歩いていたカルムクールが足を止めた。


「ここが、執務室?」
「ああ……。その、アルマ。」


少佐はその扉に手を掛けることなく、先程の中将と同じようにおれの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせるような体勢だというのに、その琥珀の目とおれの目は交わらない。もごもごと何やら言い辛そうに口を動かすカルムクールに探るような視線を送るとそれに気が付いたようで誤魔化すように口の端だけで下手くそに笑った。


「何……?」
「連れてきておいて、おれが言うことじゃないっていうのはわかってるんだが、アルマ、本当に軍人になっても良いのか?」
「……どういうことだ?」


説明し辛そうに片手でガシガシと頭を掻く。相変わらずカルムクールの視線はあっちへこっちへ落ち着かないとかバツが悪いとかいうように泳いでいた。


「おれが軍人になるのは、だめなのか?大尉も、嫌がってた。」
「いや、そうじゃないんだ。ラパンはまあ、あれだ、子供慣れしてないだけでお前だからってわけじゃないぞ。……ただ今からここに入って、総統から許可が下りればもうお前は正式に軍に身を置くことが決まる。他の子供みたいに遊んだりできる時間は短いし、アルマにとって大変なこともあるかもしれない。」


ようやく合わされた目は微かに罪悪感に揺れていた。だがそれからは純粋に幼子を心配しているのが伝わる。中身が一応大人だということに関して後ろめたさや申し訳なさを感じるほどおれは殊勝ではない。ただ目の前の軍人は随分と真面目な大人だというのはわかった。


「軍人になったら戦わなきゃならない。危険な目にあうことも多い。……最悪任務で死ぬかもしれない。……今ならここまでの話をなかったことにして安全なとこに連れていける。アルマは本当に、軍人になってもいいのか。」


じっと真っ直ぐと訴えるように向けられる目から、おれは逸らせなかった。似ていないはずなのに、この男はどこか似ているように思えてしまう。重ねてしまうことに苛立ちを感じるはずなのに、それを打ち消すようにその眼に惹かれてしまう。
あの琥珀は、いけない。


「良い。もう決めた。」
「……そうか、アルマが良いならいいんだ。」


少し困った風に笑っておれの頭を撫でた。遠慮がちなその手付きに困惑する。どうでも良いはずなのに、脳裏にはあいつが過ってしまい、なぜそんな顔をするのかと思わずにはいられなくする。

立ち上がり次こそ扉を開けようとするカルムクールをグイ、と引っ張る。頭では違うとわかっているのに、その瞳の底に憂いの色を残したままにするのが、何でか嫌だった。よろめく男を気にすることなくデルフト・ブルーのコートにしがみ付く。


「アルマ……?」
「……あんたは何も気にしなくていい。」


見上げた先の双眸が丸くなる。


「おれは死なない。絶対に。」


絶対に死なない、絶対に死ねない。少なくともメンテを助けるその日まで。

言う必要などないのにわずかに零した言葉は、目の前のカルムクールに対するものだったのか、瞳の奥のずっと奥、透かすように見えるメンテに対するものだったのか俺自身にもわからなかった。


「……そうか、死なないか。」


コートにしがみ付く手をやんわりと上から大きな手で包み、支部で見たときのようにカルムクールは快活に笑って見せた。それこそ自身の組織のトップの執務室前と言うこともあり、笑い声は控えめだが憂いや罪悪感など吹き飛ばすような笑顔だった。ただ男が思い切り笑うとき目元に皺が寄ることに気づいて、やはり別人なのだと、現実に引き戻されるような感覚を味わった。あの琥珀を抉り取ればあいつになるのかと一瞬そんな考えが浮かぶがそんなはずもない。
今あいつは生きているのだから。


「じゃあ行くぞ。覚悟は良いな?」
「……ああ。」


革命軍のアルマ・ベルネットは、王国軍のアルマ・ベルネットになる。
なぜ死んだはずの自分がこうして生きて、やり直しているのかわからない。だがそんなことはいくら考えてもわかるはずもない。人智を超えた力などといえば胡散臭いが、その表現以外ふさわしい言葉をおれは知らない。どんな理由であろうと、零れ落ちた水を再び盆に返す機会が与えられた。ならば後悔を雪ごう。

すべては18年後あの日をもう一度やり直すために。
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