あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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終局開幕最終章

やり直し革命譚 6

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 ずっと前から、自分はこの世界において異質だと感じていた。

 文明のレベルは低く、自然災害に蹂躙され、第一次産業が多くの職を占め、ほとんどの子供が自分の親の職を継いでいる。非効率なことが多いのに、皆その非効率を受け入れ、疑うこともしない。もしこういう道具があったら便利なのに、こんな乗り物があったら効率的だろうにと、考えることさえもできない。いや考える者もいたかもしれない。けれどそれが台頭することはなかった。俺自身、知ってはいるものの、そんなものを作り出す技術も知識もなかった。いやむしろ学がなくとも腕っぷしがあれば職を見つけられるという点では助かった。

 鎖国。
 これは俺にとって絶望的なものだった。
 この国は閉じられている。

 外に世界があることすら多くの人間が知らず、広大な国土から出ることなく、ただただ地面とそれを囲む海と、龍が飛んで行ったという空ばかり見ている。
 この国は、一つの世界として完結していた。
 なんて馬鹿な国だろう。
 どうして外へ漕ぎ出さない。どうして進歩しようとしない。どうして常識を疑わない。
 けれど俺にできることは何もなかった。

 ずっとずっと前、俺はこの国に来た。正確には、流されてきた。メタンプジコーズ王国から北の海を越えたところにある国。よく雪が降る国だった。
 道はレンガで舗装され、鉄道が走り、線路が通されていた。街には電灯が灯り、遠くの人とは電話を使い連絡を取り、店では蓄音機が音楽を流していた。
 まるでタイムスリップでもした気分だった。

 両親と乗っていた蒸気船が嵐に巻き込まれ、俺とまだ幼かった妹は投げ出された。あっという間に流され、波に飲み込まれながらも、必死に妹を抱き込んでいたのを覚えている。気が付けば俺と妹はとある漁村に流れ着いていた。この時以上に自分の身体の丈夫さに感謝したことはない。死んでもおかしくなかったのに、俺と妹は奇跡的に大きな怪我も障害も負わなかった。
 小さな漁村の気の良い老夫婦が面倒を見てくれた。俺にはわからないことだらけだったのに、小さなことから何まで丁寧に教えてくれた。そして彼らは言った。


 「この国は鎖国している。君たちがどこか違う世界から来たことが知れるとまずいかもしれない。」


 二つのことを悟った。
 一つは俺たちは母国に帰れないこと。
 そしてもう一つはこの国で妹を守りながら生きていかなければならないこと。


 小さい漁村に来た俺たち兄弟はずいぶんと訝しがられていたが、文明レベルが低かったからこそなんとかなった。この国のはるか南の漁村から流されたのだ、と。この小さな漁村に住む人々は、この国がどれほどの大きさなのか、この国のどこにどんな人が住むのかすら知らなかった。彼らにそれを調べるすべもなかった。
 幸い体格もよく力も強かったため、仕事には困らなかった。船に乗り、網を引き、魚を漁る。その生活は正直それなりに楽しかった。食うに困らない程度の収入があり、兄妹二人での暮らしは村民たちから目をかけてもらえる。けれど焦燥がなかったといえば、嘘になる。まだ幼かった妹は、母国での暮らしを覚えていない。妹の家族は俺だけで、母も父もいない。

 不満はなかった。それなりに幸せだった。
 それでも俺は、いつか元の国に帰りたかった。
 この国では、俺の僕の存在を知る人間がほとんどいない。
 それだけで、まるで俺は別の世界からやってきた異物のように感じられて仕方がなかった。
 元の世界への帰り方が、わからない。

 今更嘆くほど子供ではなかった。
 今更と諦められるほど大人でもなかった。

 だから軍人になった。
 建前としては、妹が学をつけられるだけの収入が欲しかった。
 本音は、中枢に近づけば少しでも母国の情報を得られるんじゃないかって、実は国外に偵察に出ている部隊があるんじゃないかって。

 「王はこの国とともにあり続ける。」

 漏れ聞いた話だった。
 この国が、王が鎖国をするのはよそ者を入れないため。この国に国民以外の人間に足を踏み込ませないため。
 自らの地位を守るため。
 怒りを通り越して唖然とした。自らの王という地位を守るために、人々が豊かさを獲得する機会を奪い、文明を幼いままにし、まるで家畜でも囲うかのように国民たちを柵の中で囲い続ける。
 メタンプシコーズ王国各地での災害がある中、大した策も取らず、玉座でただ杯を傾けるうつけ。
 国民を守れずして何が王か。国民を食わすことができずして何が王か。栄えるすべを手折る者が、王と崇められるのか。
 これでは王の心中に付き合わされるも同然だ。

 こんなことが分かっているなら当然、この国にはいたくない。けれど逃げ出すすべもない。何よりまだ妹がいる。彼女がいる限り、俺一人で逃げ出すことは決してない。革命軍に入ることも考えた。けれどもし万が一のことがあれば妹の立場がない。彼女も国に帰りたがっているならともかく、物心つく前にこの国へと流れ着いた彼女に、母国への懐郷などないだろう。

 結局、俺一人でできることは何もない。
 国へ帰ることもできず、この国を変えることもできず、サン・テスプリ宮殿に住む王を引きずりおろすことさえもできない。


 「君、よければ私のところへ来ないか?」


 そう声をかけたのは当時宰相になったばかりのリチュエル・オテルだった。胡散臭い笑みを浮かべながる彼は不審さしかなかった。それも文官上がり宰相にも関わらず突然武官である俺に目を付けた。なぜ自分が、と思ったが、俺はその人についていった。失意でもうどうでもよかった。ただ強いて言うなら給料がよかった。その分妹に使えるなら、と。その程度だった。

 けれどリチュエル・オテルという人間は怪物だった。
 当の昔にこの国に、王に見切りをつけていた。

 正義漢ではない。ただ倒れ行く国と共に倒れていく気がサラサラないのだと。端から倒れると分かっているなら倒れた先で利を得よう、と。打算しかない人は嗤っていた。


 「この世に神も救いもない。どんなものでも、勝ち取っていくものだ。口を開けて餌を待つだけのひな鳥は、アッという間に食い潰される。」


 宰相閣下に腕っぷしはない。人を惹きつける輝かしい人徳はない。けれど彼はある意味どこまでも正直だった。誠実だった。
 自分が打算的だからこそ、相手に対し明確な実利を見せる。そのうえ部下にや位の下の人間に対しても対等な立場に立ってみせるのだ。


 「母国に帰りたくはないか?」


 だからこそついていく価値があると感じた。
 凡百の自分にはできずとも、この宰相には国をひっくり返すなどという偉業ができてしまうのではないかと思えたのだ。

 この国の人間でないと宰相閣下が気づいたのは名前だそうだ。「ヒムロ」という名前はこの国では聞かない。それだけでなく、彼は多少であれ、あちらの国のことについて知っていた。だからこそ俺を自らもとへ呼んだのだと。
 宰相のもとに来てからは懐かしいものを随分と見た。壊れたりかけたりしているものの、電話、蓄音機、電池、ラジオ。どれも俺には懐かしいものであり、宰相にとっては心躍るものだったのだと。



 そしていよいよ、世界がひっくり返る日が来た。
 自分が思っているよりずっと大事になっていた。いずれ壊れる世界のために準備でもするのかと思っていたのに、気がついたら全力でこの国を倒しにかかっていた。
 たくさんの顔すら見えない人間と組み、見えないシナリオ通りに動き、てんやわんやしている中、革命軍と王国軍の最終決戦が明日に迫っていた。たくさんの人間が死ぬだろう。人が死ぬのは悲しいことだ。けれどそれ以上に、どこかの誰かの命より、俺はあの国へ帰りたかった。

 俺にできることは何もないと思っていた。それなのに、我に返ると俺は舞台裏のど真ん中にいた。

 王国軍と革命軍がぶつかり合う中、俺はサン・テスプリ宮殿にいるだろう陛下、アルシュ・メタンプシコーズ・ロワの首を取りに行く。


 「…………、」


 考えるだけで眩暈がした。
 もし俺が失敗したら、戦争は止まらない。捕らえられているメンテ・エスペランサの首が斬り落されるまで。
 メンテ・エスペランサは一応、仲間である。敵であったが、すべての目をかいくぐり、”涙を流す者”と計画を企ててきた。
 国を倒しても、双方の頭がいなければ話はうまく進まないだろう。より多くの血が流れる。遅れただけでもいけない。
 俺は、サン・テスプリ宮殿から国王の首をもって戦場の真ん中へと走らなければならない。
 任務の完遂は、メンテ・エスペランサが首を斬られる前に、国王の首を衆目に晒すこと。
 国はもう倒れたのだと、知らせることだ。

 俺のような凡夫にできる気がしなかった。けれど宰相閣下は笑い飛ばした。

 「お前のような奴が凡夫だというなら、この国の9割5分が凡夫以下だ。」

 信頼されているのは、ただ単純にうれしい。けれどそれ以上に投げ出したくなってしまう。俺は思うだけで、大抵行動が伴わない。帰りたいと思いながら、何もできない。

 「国王を殺すのは、この国以外の人間でなければならない。」

 魔女の予言の話だろう。神も何も信じていない彼らしからぬ、ゲン担ぎのような決定だった。
 けれどなんとなく、本当になんとなく感じてしまったのだ。
 俺があの男を殺すべきなのだと。

 彼の王は、自分が国であると言った。国とは自分のことであり、自分は国なのだと。
 この国は、神龍が作ったという。まとも覚えてもいない神話だ。龍が降り立ち、この国を、大地を作ったという。この国はいまだに神龍などというものを信じている。
 龍の作った大地に生き、未発達な文明に暮らし、疑うことなく王の下賜を待つ世界。
 神が作ったこの国を壊すならば、神など信じず文明を望む、異界から来た俺が壊すべきだ。
 何も知らないこの国を、俺が壊してしまおう。

 馬鹿馬鹿しいこの国に、終焉を。


 「お兄?」
 「ん、ああ、どうした。」
 「大丈夫?」


 随分とぺらぺらと話す子だったのに、しばらく会わないうちにすっかりおとなしくなった。あのねあのねと話したがりだったのに、今では立派なスパイ、否情報局局員だ。


 「……大丈夫だ。明日でもう全部終わる。この国は変わるんだ。」


 自由な国になる。誰も縛られない。誰もが好きにどこへでも行ける。止まった時間は動き出す。
 神の国は終わりを告げる。


 「お兄、あんまりこういうの得意じゃないでしょ。」
 「え、」
 「自分が―っていうタイプじゃなくて、誰かの力になる、縁の下の力持ち、みたいな。」


 リチュエル宰相の下にいるみたいなさ。
 つまらなそうにベッドに寝ころんだまま書類を眺めるヒルマに目を瞠った。


 「緊張するのが苦手だし、プレッシャーかけられるのも苦手。それでもって奮起してから回るタイプ。」
 「う、」


 息が詰まる。身に覚えがありすぎた。自分なんか自分なんかって思って緊張を和らげるのに、宰相閣下からはがっつり発破をかけられてしまった。そのうえ任務が遅れれば多くの人間が余計に死ぬ。戦争が止まるのは遅くなる。
 吐き気が、していた。


 「誰かのためとか、向いてないよ。自分のためにって思っておけば?」
 「……自分のために、」
 「お兄は北の国に帰りたいんでしょ?それでいいじゃん。国に帰るために、お兄は戦うの、走るの。」


 思わず妹を凝視していた。書類を見ていたはずのヒルマも、俺を見ていた。
 今までの人生を振り返る。今まで俺が帰りたいとこの子の前で行ったことがあっただろうか。いや、ないはずだ。何も知らない妹に対してそんな弱音を吐いては、混乱させてしまう。この子は母国の子じゃない、メタンプシコーズ王国の子だ。


 「なんで、それを知ってるんだ?」
 「……いっぱいいろんな人を見てきた。たくさんのことを調べてきたから。仕事に必要なこともそうじゃないことも。情報はあるだけいい。どんなことでも、どこかで役に立つかもしれない……って局長が言ってた。」


 見ないうちに、本当に立派になった。局長、というチシャ猫のように笑う彼女を思い出すとやや複雑だが、ヒルマはきっともう守られる立場じゃない。
 いや今までも守れてなかったかもしれない。とにかく彼女が不自由しないようにと頑張って稼いできた。けど傍にはいられなかった。


 「私たちのいた国は、いい国だったんだね。」
 「…………ああ、いい国だった。技術の進んだ国だった。その分、問題もあったけど、それでもちゃんと前に進んでた。」


 この国と違って、とは言わない。


 「お兄は結構ビビりだし、無責任だし、緊張しいだしお腹も弱い。」
 「……散々な評価だな。俺結構頑張ってるよ?」
 「うん、ビビりで無責任でも頑張ってる。だから自分勝手でいいよ。昔住んでた素敵な国に帰りたい、って。十分じゃない?たぶんそれ以上お兄背負えないよ?」


 おしゃべりだった可愛い妹がおとなしくなって帰ってきたと思ったら随分と毒舌になって帰ってきた。きっと情報局という魔窟のせいだ。
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