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ダンスパーティ事変2

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 煌びやかなドレスに豪奢な会場、学園の大ホールはいつになく華やいでいた。皆にこやかに歓談しながら、パーティが始まるの待つ。その腹の底が何であれ。


 「シャングリア、もう少しその顔何とかしろ。」
 「このイケメンフェイスをどうしろと?」
 「表に出たら猫を被れ。その無表情は前に立つ顔じゃない。」


 時計を見ながらパーティが始まる時間をホールの裏で待っていた。全学年合同であり、王族である私たちはほかの生徒たちと違い最後に入場することになっていたため、兄上とそのパートナーとで待機している。兄上はすでに猫を被り終えすました顔をしているが、ほんのつい数分前までパトラさんを褒めちぎっていた。パトラさんはいまだそれが引かず頬の血色がよく、パタパタと手で扇いでいる。


 「シャングリア様、パートナーがわたくしで申し訳ありません……、」
 「あ、いえこちらこそすみません。むしろマーガレットさんにはパートナーになっていただいてとてもありがたいです。私は婚約者もいませんので、誰を誘おうか悩んでいたので。ただこういった華やかな場は正直得意でなくて……」


 他の人には内緒ですよ?と微笑めば、さっと目を伏せてしまう。けれどその耳は真っ赤で恥ずかしがっているのをまるで隠せていない。愛らしい、と思いつつ先ほど堂々とイケメンフェイスだのと宣っていた口で猫被っても遅すぎるだろうに、少々ちょろくて不安になる。


 「マーガレットさんこそ、マートンが馬鹿をしたようで申し訳ありません、パーティーが始まったらすぐに連れてきますので。どうか一曲だけお付き合いください。」
 「いえ……いえ、もういいんです。婚約は家の取り決め、マートン様はきっとご納得されていなかったのでしょう。それなのについ彼の優しさに甘え、余計な期待をしてしまっていたのです。……いずれ結婚するようになるのなら、せめてこの学生である間だけでもマートン様の自由にしていただきたいのです。」
 「マーガレットさん……、」


 もういい、というけれどその表情はとてもそれでいいとは思えない、悲壮感のある顔をしていた。
 ヴェーガル家の内部の事情など私は知る由もない。けれど階位としてはランク家のよりもヴェーガル家の方が上、何か不満があったとてマーガレットさん側から申し立てることは難しいだろう。マートンがどういうつもりか知らないが、はっきりさせておかないと後々の禍根となりかねない。

 しかし本当にマートンがマーガレットさんを誘わず例のとんちきヒロインとパーティーに出席することにしたのかがわからない。パトラさんから聞いても、情報を集めても、こうして話してみても彼女は非常に模範的な淑女だ。聡明で物静か、楚々として嫋やか、何一つ不満に思うところもかけるところもない。強いて言うなら自信がないところかもしれないが、それだって短所というほどではない。むしろその慎重さは猪突猛進なマートンにとっていいブレーキになるだろう。 
 いや実際マートンとの相性を考えたらヒロインヘレン・アドリア嬢って控えめに言って地獄だ。主に周囲が。暴走しかしない。止める人間がいない。お互いに勢いづけていく負のスパイラル。


 「部外者の私が言うことではありませんが、何か言いたいことがあるなら直接にアレに言ってやってください。察するなんて高尚な能力を持ち合わせていないんですよ。」


 本当はマートンと来たかっただろうに。家の決めた婚約者を好きになれるのは幸せなことだ。感情を強要することはできない。しかしその代わりに最低限の誠実さはもってしかるべきだろう。腐っても騎士見習い、真摯さを持てないわけでもあるまい。馬鹿だが不実な奴ではない。


 「けれど、わたくしのような地味なタイプより、アドリアさんのような明るい方の方がいいのかもしれません。……それに何か言ってしまって、厭われたらわたくし……、」 
 「貴女は本当に素敵な女性ですよ。そして婚約者である貴女はマートンに一言いう権利は十分あります。私でよければいつでも相談に乗りますよ。」
 「シャングリア様……、」
 「今日の貴女はいつもにまして美しい。どうぞお顔を上げてください。貴女の魅力をもって、あの猪男に後悔させてやればいいのです。」


 時計を見ればもうパーティの始まる時刻。シュトラウスに目配せされ乗る気でない身体をに鞭をうつ。たとえやる気になれなくとも、うんざりするようなパーティであろうと、愛らしいご令嬢の顔を曇らせるのはポリシーに反する。


 「どうかお手を、マーガレットさん。私では役者不足かもしれませんが退屈させるつもりはありませんよ。この一時、このシャングリアにお任せいただきたい。」


 胡散臭く芝居がかっていようと、絵になることは自覚している。思わずといった風に笑う令嬢の華奢な手を取った。


 「はい、よろこんで。」


 さて、ダンスパーティ事変の開幕である。



*********



 ホールに入ると歓談していた生徒たちが静まり返る。所詮学園内のイベントのためラフなのだが、王族が前に出るとなる、皆一様に姿勢を正す。おまけでしかない私は前を歩くシュトラウスとパトラさんに続きマーガレットさんをエスコートしながら外面よく微笑んでおくだけでいい。大勢の前に連れ出され緊張しているのかぎこちない彼女を引き寄せた。真人間の皮を被って王子らしくそれらしい挨拶をする兄の声を聞きながらこの後の展開に思いを馳せた。


 日記によると、このダンスパーティ前にはもう一つイベントがあるのだそうな。
 ダンスパーティの前にヒロインこと、ヘレン・アドリア嬢はパーティのパートナーの婚約者やら関係者に呼び出され、詰問される。まあ当然のことだろう。実際、パトラさんは怒り心頭。性格上ランク嬢が責めにくることはないだろうか、本人が気弱な分、周囲の人間が怒る。呼び出してパトラさんのお説教コースも十分あり得ただろう。
 まあしかしながら潰した。誰が?私が。このイベントに私、シャングリアはかかわっていなかったが、多対一というのはいささか外聞が悪い。たとえ非が一の方にあったとしても、だ。普段はパトラさんとさしのため傍観していても問題ないが、位の高い令嬢たちが、平民上がりの男爵令嬢を取り囲むのはいただけない。それではパトラさんは「悪役令嬢」になってしまうだろう。
 そしてこのイベント、あってもなくてもその後の展開に影響はないと判断した。シナリオではヒーロー、つまりパートナーが助けに来るのだがひたすら令嬢たちの株が下がるだけなのだ。そうであればそのようなイベントはいらない。このシナリオ通りに動こうとする彼女はきっと拍子抜けしていることだろう。少々ずるをしている気分になるが、まあお互い様だ。

 そのイベント抜いて今日のこのダンスパーティ。一曲目を踊ったあとが一つの山になる。まあダンスの最中もパートナーとなんのかんのあるらしいが、私の興味がないため割愛。ダンスの後、何らかの用事でパートナーがアドリア嬢の傍を離れなくてはならなくなる。そして一人になった時を狙ってパートナーの婚約者、今回でいうとランク嬢が一人で現れるのだ。ご令嬢はプライドを折られ楽し気に踊る姿を見せつけられ、悲しみに暮れながら嫉妬に狂う。心無い言葉をアドリア嬢に投げつけ、そして極めつけにテーブルにあった飲み物を頭から彼女にかけるのだ。なんとも嫉妬にかられた女性というのは恐ろしい、とでも言いたげ演出だが、これマーガレットさんにできる?無理じゃない?どちらかといえば笑顔の二人をみて泣きながら走り去るポジションだと思うのだが。

 壇上からはホール全体が見渡せる。ヒロインこと、ヘレン・アドリア嬢、そして今回パートナーに選ばれたマートン・ヴェーガルの姿もよく見えた。体格のいいマートンはスーツを着て黙っていればもう紳士と引けを取らないし、やはり見目の良いアドリア嬢は着飾っていることで普段にまして愛らしい。お似合いの美男美女のカップルである。黙っていれば。……黙っていれば。
 そんな二人の様子はマーガレットさんにも見えているだろう。けれど彼女は決して彼らの方を見ようとはしなかった。握った手は固く、手袋越しにでもわかるほど冷え切っている。

 悔しいだろう、悲しいだろう。彼女はたとえ政略結婚だとしてもマートンのことを慕っていた。彼女自身はこれといって非の打ちどころのない淑女で立派な貴族の令嬢だ。それなのに後から現れたマナーのマの字もわからないような可愛いだけのお嬢さんに婚約者を奪われかかっている。けれど淑女であることの矜持からか、引っ込み思案な性格からか、文句の一つも彼女は言い出せない。仕方ない、と納得させるためにありもしない自分の落ち度を探す。泣き寝入りするしかないと、彼女は考えていることだろう。
 その悲しみは計り知れない。もし私がその立場であったなら、こんな風にただ我慢することなど決してできない。ヒューイさんとアドリア嬢が一緒にいるだけで正気を保っていられる気がしない。彼の人がいないところでとっとと始末し髪の毛一本も残さず処分しているところだ。……悲しみと嫉妬の末の行動が淑女からかけ離れていることに勝手に気付いてへこんだ。悲しみに暮れるマーガレットさんに対し怒り狂い掃除屋と化す私。これが女子力の差というものだろうか。悲しむ暇と余裕があるなら、一分一秒、泥棒猫が呼吸をしていることを許さない。……手段を持つか否かの問題に落とし込んでおこう、うん。これ以上考えちゃだめだ。
 冷えて強張ってしまっている小さな手を温めるように握り直した。


 「―—それでは皆さん、パーティを楽しみましょう。」


 挨拶が終わり拍手が起こる中、壇上を降りると同時にどこからともなく音楽が流れだす。


 「マーガレットさん、緊張しているようですが、大丈夫ですか?」
 「え、ええ、大丈夫です。」
 「……大丈夫。」


 抱きしめるようにその身体を引き寄せながら音楽に合わせ一歩踏み込んだ。


 「不安かもしれない。それならば今この一時だけでも忘れるといい。リードはする、力を抜いていてもかまわない。」
 「いえ、そんな……、」
 「大丈夫。アレには何か理由があるか、誤解でもしているのだろう。そうでなければ君のような素晴らしい女性をおいて、あのお嬢さんを誘うわけがない。」


 流れる曲に身を任せながらステップを踏む。話しながらでも彼女のステップが乱れることもない。きっとダンスも得意なのだろう。貴族の令嬢たちは皆嗜みとして幼いころからダンスを、マナーを教養を身に着ける。
 貴族の令嬢たちの幸せは結婚しかない。どれほどの才能があろうとも、意欲があろうとも、夢があろうとも、彼女たちはどこへも行けないのだ。外へ出て、一人の人間として大成できる令嬢など、ほんの一握りにも満たない。だからこそ、彼女たちは自らを磨く。少しでも魅力的な商品であるために。剣を取らない、ペンも取らない、彼女たちはその身一つを武器として戦う。その先に自らの幸福があると信じて。
 こんなくだらない、どこかから唐突に現れた遊び気分の誰かに手折られていい女性ではない。


 「アレは何も考えていない脳筋かもしれないが、君の努力すらもわからぬような阿呆ではないよ。」
 「それは……、」
 「言ってやらねばわからないこともある。どうかそこは許してやってほしい。けれど君が目を合わせたとき、アレは決して逸らしたりはしない。真摯さだけが長所なんだよ。」


 ハッとしたようにマーガレット嬢は私を見上げた。ヘーゼルの丸い彼女の目を、私は今日初めて見た。きっとマートンも、彼女の目がこんなにも透き通っていることを知らないだろう。


 「……はい、ありがとうございます、シャングリア様。」
 「いいえ、少々おしゃべりが過ぎましたね。余計なことを言ってすみません。あとは踊ることに集中しましょうか。私が踊るのはこの一曲だけ。あと少し、よろしければ私の楽しみに付き合ってください。」
 「ええぜひ、不肖ながらお相手努めさせていただきます。」


 先ほどより幾分かよくなった顔色に口元を緩めた。少なくとも彼女が嫉妬にかられアドリア嬢に絡むことはないだろう。今の彼女ならきっとアドリア嬢よりもマートンと話すことを優先するはず。マートンにはもったいないくらいの令嬢だが、頑張るお嬢さんとあらば応援するしかない。かつての義姉上を思い出した。
 少し余裕のでてきた彼女越しに、アドリア嬢と踊るマートンと目が合った。ニヤッと笑い、マーガレットさんの腰を引き寄せると大きな口が「あ」の字に開いた。音楽や騒めきのせいで聞こえないが、おそらく声に出ているだろう。
 愛らしい婚約者を泣かせた馬鹿に、これくらいの意趣返しは赦されるだろう。焦ったように目を白黒させるが、さすがにダンスの最中アドリア嬢を放り出さない程度の分別はみせた。その分別、どうかマーガレットさんに使ってほしかった。


 曲が終わると各々動きだす。次の曲に備える者、パートナーに飲み物を運ぶ者、仲睦まじく談笑する者。まあこの三つはすべて兄上なのだが。そして次のパートナーを探す者、パイプをもちたい相手を物色する者。これらの相手をする者、そう、私だ。
 おそらくマーガレットさんとマートンの件は問題ないだろう。きっとうまくやるはずだ。そうなればもう私は用なし。当初の予定通り群がる貴族子息ご令嬢の相手という仕事が待っている。今や今やとパトラさんと次の曲を待つ兄が今ばかりはうらやましい。普段はこういったものは兄上の役目なのだが、あそこまで花を散らしている二人に近づく者は馬に蹴られるというものだ。


 「あの、シャングリア様。」


 遠慮がちに袖を引いたのはマーガレットさん。もじもじとしているが、パーティが始まる前のような憂鬱そうな色は見えなかった。


 「今回はわたくしにお付き合いいただきましたが、シャングリア様にもお誘いしたい方がいたのではありませんか?」
 「……へえ、なぜそう思われたんです?私は誰も誘ったりはしていなかったのですが。」
 「いえ、その、何か確信があるというわけではないのですが……わたくしの考えていることが貴方には手に取るように伝わっているようでしたので、もしかしたらシャングリア様は立場上お誘いできないお方がいたのでは、と。……いえ、すみません!わたくしとしたことがとんだご無礼を……!」


 気が緩んでいたのだろう。きっと普段の彼女なら決して言わないようなこと。少々話過ぎたかもしれない。それに彼女の現状が他人事に思えないのが伝わっていたとは思わなかった。もっとも、帰結する場所は泣き寝入りと闇討ちなのだから雲泥の差なのだが。


 「……まあ、ここだけの話、誘える立場ではなかったのです。」


 想い人が学生でないのだから当然だ。このパーティーとは全く関係ない。
 嘘はついていない、が目の前の彼女が勘違いしているのはわかっている。きっと彼女は「私が王族だから身分違いで誘えなかった女子生徒がいる」とでも思っているところだろう。残念!相手は可愛らしいお嬢さんでなく老け顔渋イケメンの護衛隊長殿である!きっと彼女の脳裏にその可能性は一ミクロンも存在してはいないだろう。


 「……内緒だよ?」
 「っええ、もちろん!わたくし誰にも口外いたしませんわ!」


 少しほほを染めてコクコクとうなづくマーガレットさんは掛け値なしに愛らしい。完全に勘違いしているが、ここは言わぬが花というものだ。嘘はついてない。勘違いをリードしただけ。

 ドカドカと走ろうとするのを無理やり押さえつけるような、この場に似つかわしくない足音が近づいてきた。その主といえば一人しかいない。


 「マートン様……、」


 険しい顔で近づいてくるマートンと背景で置いて行かれどうしたらいいかわからないアドリア嬢。おそらく解決するのだろう。マーガレットさんとしっかり話し合うといい。


 「それじゃ、私はこれで、」
 「シャングリア話がある!」

 え?

 「え?」


 状況を飲み込む間もなく腕を取られ引きずられていく。
 あれよあれよとホールから引きずり出される。抵抗しようにも如何せん馬鹿力。たとえ私の強さが護衛隊の中でも10本指に入るとしても単純な力ではこの猪とは比べ物にならない。


 「マートン!なんのつもりだ。」
 「なんのつもりだと?それはこっちのセリフだ!なんでシャングリアがマーガレットのパートナーなんだ!」
 「そっくりそのまま返すよ!?なんで婚約者のマーガレットさんを放っておいてあのとんちきヒロイ、げふんげふん、アドリア嬢とパートナーを組んでいる?」
 「シャングリアがマーガレットに用があって組んだと噂に……、」
 「順番逆!君がアドリア嬢と組んだ!マーガレットさんが困ってたから私と組んだ!わかるか!順番が逆だ!なんで私が流した噂に当事者である君が騙されている!?」
 「……ああ!そうだ!俺がアドリア嬢と組んだの先だった!」
 「馬鹿なの!?知ってた!!」


 すごい剣幕だったのに今ではケロッとしているマートンに殺意がわく。なぜフォローをした私がこんなに疲れなければならないんだ。深く息を吐いて一気に上がった血圧を下げる。この馬鹿は本当に馬鹿……これを目の前にすると罵倒の語彙が急速になくなる。


 「……で、アドリア嬢と組んだ君がなぜ私とマーガレットさんが組んだことについて怒っている。」
 「…………マーガレットが随分と楽しそうだったから、」
 「から?」
 「……お前がマーガレットを誑かしたのかと、」
 「お前私の性別わかったうえで話をしているのか?」
 「え、……っは!」


 今思い出したといわんばかりの表情に頭痛がする。長い付き合いであり、幼馴染ともいえるこの脳筋はもちろん私の性別を知っている。確かにこれから王女の扱いを受けた覚えはないがいくら何でも性別を忘れるだろうか。


 「馬鹿、本当馬鹿……意味の分からない嫉妬をするな……、」
 「いやそもそもお前の人気が異常だから悪い。なんで女のお前が王子やってて学園内にシャングリアのファンクラブがあるんだ……!」
 「ファンクラブは知らないがそれは私の見た目がいいからだろう。品行方正・才色兼備、イケメン紳士なのだから人気があるのは当然だ。」


 ファンクラブについては初耳だが正直外面よく基本的にはやっているためそれだけの人気があってもおかしくはないだろう。だってイケメン王子だもん。


 「いや違うそれは置いておく。お前が怒った理由は分かった。だがマーガレットさんとうまくいっているはずなのになぜアドリア嬢の誘いに応じた。婚約者を放っておくとはそれ相応の理由があるのだろうな。」


 でかい図体の熊が眉をハの字にした。困ったような顔はちょっとヒューイさんに似ているものがある、という思考は浮かんだ端から消し去る。今そういうタイミングじゃない。
 とつとつと事情を話すマートンの話し方は要領を得ないが今に始まったことではない。根気よく聞いていく。……こいつの話を聞いている限りホールで仕事をしなくていいとか思ってないよ?
 マートン曰く「可哀そうだった」と。


 「可哀そう?」
 「ああ、正直アドリア嬢は学内でも浮いてる。確かに皆可愛らしいとは言ってるけど、結局それは遠目だ。関わりたくないっていうのが本心だろ。俺もそんなにアドリア嬢と話したことがあるわけじゃない。だが俺が断った後、誰かが彼女の相手をしてやるとは思えなかったんだ。」


 浮くだろうとは思っていたが、そこまでとは思わなかった。
 奇行に走る。けれどそれでも彼女は美しい。天真爛漫な笑顔は庇護欲をそそるし誰とも分け隔てなく話をする。けれどそれはあくまでも他人としての意見なのだろう。ダンスパーティーは衆目に晒される機会だ。そのときパートナーとして奇行に走りかねないリスキーな者を果たして誰が選ぶだろうか。たとえ見目麗しくとも、あまりにもハイリスクだった。迷惑を被る可能性を鑑みれば地雷を避けて通るのは当然だ。
 こいつらしいといえばこいつらしい。要するに彼女を心配していたのだ。きっとあまり話したことがないのは本当だ。誰とでも分け隔てなく話をするのはマートンも同じこと。


 「だが解せん。マーガレットさんはどうするつもりだったんだ。彼女は君の婚約者。当然君が誘うべきだっただろうに。」


 今度は言いにくそうに口を開いて、閉じた。珍しく煮え切らない態度にイラっとする。普段通り豪放磊落としていればいいのに。巨大な熊がなぞの繊細さを見せもじもじしていると妙に神経が逆なでされる。先ほどのマーガレットとは月とすっぽんだ。


 「とっとと話せ。マーガレットさんを待たせているんだぞ。」
 「そ、そうか。いや、でも、」
 「早く話せ面倒な!」


 しどろもどろに話しだす。こんなにも自信がなさそうなマートンは初めて見る気がした。


 「彼女との婚約はあくまでも家が決めたものだ。」
 「……はあ、」
 「だから学校にいる間くらい、彼女の好きにしたほうがいいじゃないか、と。彼女は可愛らしいし、きっと想う相手もいるだろう。」
 「……いやそもそもなぜそんな相手がいると思ったし。不貞を疑うような無礼さだぞ。」
 「偶然ミオス嬢とマーガレットが話しているのを聞いた。彼女は誰かをほめていたが、それはどう考えても俺以外のことだ。」
 「内容は?」
 「一緒にいて楽しいだとか、傍にいるだけでうれしいだとか……けれどマーガレットは俺といても楽しそうではないし、目すら余り合わせてくれない。好かれていないことは知っている。彼女とて婚約は本意ではなかったのだろう。ならば彼女がその何某を誘いやすいように、自分が先に別の生徒と組んでしまったほうがいいのでは、と思って。」
 「なるほど、それでアドリア嬢の提案は渡りに船だったと。……自分でやっといて私がマーガレットさんと仲良くしてると怒るとか面倒にもほどがあるだろ!?なんなんだ君は!嫉妬するくらいならするなよ!馬鹿なの!?」
 「め、女々しいのは重々承知だがそれでも俺は彼女が、」


 こいつ爆発しないかなー????

 憂うようにため息を吐くマートン。ため息をつきたいのはこちらの方だ。なんなんだこれ。本当になんなんだ。私はいったい何に巻き込まれているのか。両想いなら仲良くやれよ!なんで自分の恋路が前途多難なのにこのお互い想い合ってそれですれ違うみたいな甘酸っぱい展開に巻き込まれないといけないんだ!私にもヒューイさんとの恋愛イベントを誰かください!


 「堂々としてろ男だろ!好きな女の子のリードもできないとかいっそ涙がでる。それでも騎士になる男か!女の子一人の矜持も守れないの?婚約者から誘われないとか泥塗るようなものだ!少しでも反省してるなら謝りに行ってこい!今すぐ!」


 情けない尻を叩きながらホールへと向かう。扉を開ければちょうどよく曲が終わっているところで皆歓談していた。

 そして一部歓談していなかった。


 「誘ってはいけないなんてルールないでしょう?それにダンスなんて慣れてないので……運動神経のよくて話しやすい方と組みたかったんです。」


 はい出ましたー!アドリア嬢!トラブルメーカー、台風の目、天然魚雷!問題発言してないと息ができないのー???

  『ダンスの後、何らかの用事でパートナーがアドリア嬢の傍を離れなくてはならなくなる。』

  ……これ、私のせいじゃないよ。マートンが私を連れ去ったんだもん。マートンの過失だもん。
 そんな彼女に相対するのは我らが義姉上パトラ・ミオス嬢……ではない。


 「そ、それでもマートン様は私の婚約者です。」


 マートンの婚約者、マーガレット・ランク嬢だ。
 きっと誰かに反駁したことなどないだろう。真っ向から誰かに文句を言うなんて経験はないだろう。けれど震える声で、彼女はアドリア嬢に向きあっていた。


 「婚約者といってもまだ学生でしょう。それに学生の間だけなら貴女だって家の都合に縛られなくたっていいじゃないですか!」


 自由であるべきだと、どうせどこにも行けないのだから、学生の間だけでも自由であっても許される、と。そこまでアドリア嬢が考えているかはわからない。彼女は自由にやれる可能性が比較的高い人種だ。男爵令嬢だが家は商家。嫁がずとも家で働くという手段も取れるし、市井でだって彼女は暮らしていける。その「自由」という言葉は重くない。けれどこれを聞いている周囲は違う。
 誰も表立って言えない。けれど思っている人間が、共感している人間がいる。彼女が疎まれない理由の一部はきっとこれだ。雁字搦めになることが、柵の中で生きることが義務の貴族にとって、彼女の発言は、行動は羨望なのだ。「そうできたなら、どれほど良いことだろうか」と、思うからこそ強く彼女を非難したり注意する人間が少ない。
 ヘレン・アドリア嬢には悪意がない。害意がない。ただどこまでも馬鹿正直なのだ。いっそ人を傷つけるほどに。

 そんな人間を非難するのは、マーガレットさんには荷が重い。そう考え割って入ろうとしたとき、彼女は言った。


 「だから家の都合じゃなくてっ……わたくしがマートン様をお慕いしているから嫌だったんです!」


 顔を真っ赤にしながら言葉を続ける。


 「家の都合に従ってるんじゃありません、わたくしは自由です!自由であるために努力をしたのです!あの方をお慕いしているから努力するんです。あの方を縛るのではなく、好いてもらえるように……!」


 物語の悪役のように、幸せになるために誰かを傷つけたりしない。誰かを害して蹴落とそうとなんかしない。グラスの飲み物をアドリア嬢に浴びせるようなことなく、彼女は一生懸命な少女として、彼女の「自由」に反駁した。「貴女だって家の都合に縛られなくたっていいじゃないですか」という言葉がきっと琴線に触れたのだろう。
 マーガレット嬢は縛られてなどいなかった。家のための努力をしたでも、家のために誰かに従うでもない。彼女は自身の幸せのために努力をしたのだ。だからこそ、婚約などという縛りは気にも留めない。彼女にとって重要なのは好いた人と結婚することではなく、好いた人を愛し愛されることなのだ。


 「マーガレット!」
 「ま、マートン様!今のお聞きに……!?」


 呼ばれた名前と声の主にあたふたとするマーガレットさん。驚きとともに今の発言を聞かれていたことへの焦りと羞恥。ことごとく表情から読み取れてしまう。けれどマートンがそんなことを気にするわけもない。


 「マーガレットすまなかった!君がそんな風に思っていてくれてたなんて知らなかったんだ。もし許されるなら俺の方から言わせてくれ。家同士のつながり抜きにして君のことが好きなんだ!俺が馬鹿なばっかりに君に悲しい思いをさせてすまなかった!」
 「マートン様……!」


 小さな少女を抱きしめる美丈夫、まったくもって絵になる。少なくとも、壇上から見たお行儀よく並んでいたマートンとアドリア嬢よりも。

 誰からともなく拍手が送られ、伝染していくように拍手の波が広がっていく。ふと見ればパトラさんがシュトラウスに腕を掴まれながら涙目で一生懸命拍手をしていた。フリーダム発言をするアドリア嬢を止めに行かなかったのではなく、シュトラウスに腕をとられていたからいけなかったのだ。マーガレットさんに敢えて相対させた兄上の采配。と言うことができれば兄上有能!という話になるのだがおそらく違うだろう。大方パトラさんと一緒にいたくて誰にも邪魔されたくなかっただけの顔だ。嬉しそうなパトラさんを見てご満悦である。
 アドリア嬢も呆然としながら、なぜか両手はしっかり拍手をしていた。喜ばしい雰囲気にのまれたようだ。……当初は全く余計なことをしてくれる、と思っていたが、このような結末では少々可哀そうになってくる。これでは彼女が完全に当て馬ではないか。ただこれに懲りて婚約者持ちにちょっかいを掛けるのを控えてほしい。大丈夫、君には昔馴染みの伯爵子息がいるよ!お幸せにね!

 そんなこんなでダンスパーティー事変終幕!ハッピーエンドおめでとう!
 この後?私は普通にパイプ作りに来た子息令嬢の相手を全うしましたが何か?



************



 日も落ちたころ、眠ることもできず王城の中庭をぶらついてた。本来は決していいことではないのだが、城内の抜け道を網羅している私にとって人の目を避けるなどそう難しいことでもない。空には中途半端に欠けた月が浮かんでいた。

 月によく似た色のドレスを着ていたマーガレットさんを思い出す。
 華やかなドレスを着て、繊細な化粧を施した彼女は美しかった。華奢な肩に細い腰、傷の一つもないだろう小さな手。どこに出しても恥ずかしくない令嬢、立派な淑女だった。
 それに比べて私はどうだろう。肩幅は広く全身に筋肉が付き、両の手は何度も肉刺がつぶれ剣だこができている。ドレスよりスーツが似合うだろう。ハイヒールよりブーツが似合うだろう。誰かの手を取ることができても、誰が私のこんな手を取ろうとするだろうか。
 嫌だとは思わない。必要なことだから。一般の家に生まれたならとも思わない。今の私はとても恵まれている。私は今の私に誇りを持っている。

 けれど羨ましくないわけではない。
 きっと今私の周囲にいる令嬢たちは近い将来皆どこかへ嫁ぐのだろう。誰かの嫁になり、母となる。
 だが私はどうだろう。私の将来は比較的「自由」だ。王位継承権は第2位、能力人柄ともに問題ないシュトラウスがいるため私にお鉢が回ってくることはない。ではどこかへ政略結婚で嫁ぐかといえばそれは必須ではない。情勢は落ち着いていて、どこかと同盟を火急結ぶ必要があるでもない。成人すれば性別を明かしてもよいのだが、必ずしも明かさなくてはならないわけでもない。シュトラウスは私のことを部下として使いたいと嘯いている。それはそれで不満はない。むしろ国のために中枢で働けるなら願ったりかなったりといえるが、本当にそれでいいのか。兄の言葉に乗っかるだけの私でいいのか、と。

 私は恵まれている。ほかの貴族たちよりも多くの選択肢が提示されている。だからこそ、選べないことへの罪悪感を抱く。自由なはずなのに、決めることができない私は、意思というものを持たないのだろうか。
 ヒューイさんのことだってそうだ。好きだ。それは事実だ。でもその先はない。結婚したいなどと宣うが、そんなビジョン、妄想でさえ思い浮かべることができない。
 私にしっくりくる想像は、今と変わらず堂々としたふりをしながら、執政に関わり時たま剣を振るう、そんなものだった。

 『わたくしは自由です!自由であるために努力をしたのです!』

 マーガレットさんの言葉は私に突き刺さった。私は自由であるために努力をしたことがあっただろうか。いやない。私は言われるがままの努力しかしてこなかった。むしろ理想すら抱けないからこそ、努力の矛先を見つけられなかった。
 いつか来る未来のために努力をする、そんな強さは私にはなかった。きっと私なんかより彼女の方がずっと強いのだ。剣など振るえずとも、馬で駆けることができずとも。
 私は、私の未来のためにどんな努力をすればいいのだろう。


 「シャングリア様?」


 唐突にかけられた声に肩が跳ねた。私が背後を取られて気が付かない、なんて相手は数えるほどしかいない。


 「……こんばんは、ヒューイさん。」
 「こんばんは。しかしシャングリア様、このような時間に出回っていてはいけませんよ。」
 「でもここは家の中ですよ?」
 「多くの人間のいる城の中、とも言えます。それに城といえどここは屋外。風邪をひきかねません。どうぞお戻りください。」


 厳しいけど優しい、身分の線引きもしっかりしているいつも通りのヒューイさんだった。


 「……ええ、すみません。もう戻りますね。」


 なんとなく、今日はこれ以上ヒューイさんに絡んでいける気がしなくて大人しくしておくことにする。彼と会ったのに、いつものような足元が浮き上がるような感覚はなかった。ひどく身体が重かった。


 「……シャングリア様、今日はダンスパーティーだったそうですね。」
 「え?ええ、はい。そうは言っても踊るのは最初だけで、あとはほとんど皆さんとお話ししているだけですよ。各領地についてよく知ることができて有意義な時間でした。」
 「それはよかったですね。」


 普段であればとっとと私を部屋にでも送り届けていくのに、ヒューイさんはいつもと少しだけ違う。こんな夜更けに自分から雑談をしようとなどはしない。少し目を泳がせて眉をハの字にして首を掻いた。


 「アー、その、あまりこういった探りは得意ではないんです。……単刀直入に言って、今日何かありましたか?シャングリア様のご様子がいつもとは違うように見えます。」


 ドキリと心臓が跳ねた。もちろん、いい意味ではない。
 誰が今日あったことを、悩んでいることをよりにもよってヒューイさんに言えるだろうか。あまりに女々しい。ああ、マートンのことを笑えなくなってきた。
 せめてこの人の前でだけは格好良くありたいのだ。情けないところなど、見せたくない。上司と部下の関係でいい。けれど絶対に私はこの人に見限られたくないのだ。無能だと、仕える価値がないと思われたくないのだ。


 「……大丈夫ですよ。お話を聞くこともできましたし、ダンスも問題なく熟すことができました。」


 笑え、いつも通り。作りなれた完璧な笑顔。どこから見ても今の私は堂々とそれでいて柔和な王子の笑顔を浮かべているだろう。問題ない。私は完璧だ。


 「いいえ、何かあったのですね。」


 秒で看破された。


 「まさか、そんなことはありませんよ。」
 「シャングリア様。もしかしてお気づきでないのかもしれませんが、」


 日中よりも深い青目が私の顔を覗き込んで、口の端だけで笑った。


 「そのような完璧な笑顔を、私に向けることはないんですよ。」


 呆然としてしまった。私はいつも笑顔を向けていたはずだ。ニコニコとして、自信があるように見えるよう。少しでも綺麗に見えるよう。


 「訓練を頑張ったから見てほしい。誰かに勝ったから誉めてほしい。馬が懐いてくれ嬉しい。……貴方様が私に向ける笑顔は、いつだって作ったものではなく感情が先行しているお顔なんですよ。」


 ぐるぐると情報が頭の中を駆け巡る。私はいつだって格好つけているつもりだったのに、全然格好ついてなかった。それどころか褒めてほしいとか見てほしいとかいう催促までしっかりばれてしまっていた。
 一瞬にして血が顔に集まる。暗くて見えないだろうことが唯一の救いだ。
 あぁ、なんて格好悪い。


 「私には、貴方様の心を読むことはできません。そのような笑顔に隠されては、その下に何があるのか、何に悩まれているのか、私にはわかりません。」


 おもむろに膝をついて、そして私の手を握った。


 「私は何があろうと貴方様の味方です。どうかそれだけはお忘れになることがありませんよう。」


 嘘偽りなど欠片もない青い目が静かに私のことを見上げていた。私の手を握った彼の手は私のものよりもずっと大きくて硬かった。
 さっきの憂鬱なんて馬鹿らしくなってしまう。


 「……くだらないことですよ?」
 「それでも、シャングリア様にとっては悩むに値することだったのでしょう。」
 「今日、ダンスパーティで女性、マートンの婚約者と踊ったんです。」
 「ええ、」
 「男性パートは問題なく踊れるのですが、果たして私に女性パートが踊れるのかな、と思ったんですよ。小さいころ習うには習ったのですが、普段は男性パートしか踊りませんし。……まあ縁がないと言ってしまえばそれだけの話なのですが。」


 笑い混じりに話しても、彼が笑ってくれないことはわかっていた。真面目な顔で真剣に聞いてくれる。だからこそ逃げ道がないのだが。


 「なるほど。しかしシャングリア様の運動神経ならどんなダンスも問題なく踊ることができるでしょう。」


 言われてしまえばまあそれまでだ。踊れるには踊れるだろう。技術として。覚えているかどうか、といってもああいう類のものは身体が覚えているもの。ただどこまでもそんな機会はない。


 「では少し踊ってみましょうか。」
 「はい?」


 何でもないように言ってすっくと立ちあがり私の手を引いた。


 「普段立派な王子として振る舞いになっているのですから、踊る機会もないのは当然のこと。しかしたまに踊らなくては忘れてしまうもの。……私自身もうあまり踊る機会はないのですが、簡単なものであればお相手できます。」
 「え、あ、え?」
 「音楽も舞踏場もありませんが、どうか一時お付き合いいただけますかな?」


 ぱしぱしと瞬きしても目の前の光景は変わらない。私の手を片手に取った彼が返事を待っていた。何もカもわからないくなってしまう。ああ誘われたとき、私はなんて返事をすればいいんだっけ。昼間私に手を引かれた彼女は、なんて答えていたっけ。


 「……はい、よろこんで。」


 私のぎこちない返事に、ヒューイさんは少しだけ笑った。



 昼間のホールのように目の眩むようなシャンデリアの明かりも、鮮やかなドレスも軽快な音楽もない。他に誰もいない、明かりは歪に欠けた月光、どこからか虫の声が聞こえていた。それなのに私の目の前は星でも散っているのかというほど、ひどく周囲が明るく見えていた。


 「何も問題ないじゃないですか。私の方が恥ずかしくなるくらいにはお上手ですよ。」
 「ま、まさか。私はヒューイさんについていっているだけですから。」


 庭にある石畳の上を二人分の靴音が響く。


 「きっとシャングリア様なら誰がお相手でも完璧に踊ってみせるのでしょうね。」
 「ですがまあ、男性パートしか踊る機会はありませんから。……男性パートは完璧ですよ?」


 冗談めかして言うと笑いもせずにヒューイさんは続けた。


 「いいえ、貴女が王女だと分かればきっと引く手数多でしょう。王子としても、王女としても非の打ちどころがない。」
 「ひえ、」


 思わずたたらを踏みそうになるが背中に回された手があっさりと支え、元のステップに変えていく。こうも手放しに彼がほめることなどあるだろうか。目の前と耳を疑いたくなる。


 「か、い被りすぎですよ。」
 「まさか、貴女は強くそしてこんなにも美しい。」


 かすかに彼は微笑んでいた。思ったよりも明るい月明かり、赤くなった顔を隠せている気がしなかった。
 あぁ、死んでしまいそうだ。



************



 「おはよう、シャングリうわ、お前その隈どうしたんだ?ひどいぞ?」
 「おはようございます、兄上。開口一番暴言とは可愛い妹は傷つきました。」
 「いや客観的事実だ。」


 あの夢のような一時のあと私は部屋に帰ったのだが、まったく眠ることができなかった。いや眠れなかったのか最初から寝ていて素晴らしい夢を見ていたのかちょっと境界がわからなくなりつつある。


 「昨日ヒューイさんと踊ったんです。」
 「…………お前が踊ったのはマートンの婚約者だろ。どう記憶間違いを起こしてそんな記憶に歪めてるんだ?」
 「ダンスパーティーではありません。パーティーのあと、夜に庭を出歩いてるときに、です。」
 「夜に部屋を抜け出すな。滅多なことはないが万が一ということもある。立場考えろ。」
 「それについては申し開きもありません。善処します。」
 「…………、」
 「え、それだけですか?もっと聞くところあるでしょう?」


 ヒューイさんのこととか護衛隊長殿のこととか銀髪青目イケメンのこととか。
 私の期待のまなざしに深くため息をついた後ぐりぐりと私の頭を撫でた。


 「そうだな。昨日の僕は可愛く美しく愛らしすぎるパトラに浮かれすぎてお前に仕事を押し付けすぎていた。妄想と現実の区別もつかないくらい疲れてるんだな。」
 「待って待って待ってください!兄上じゃないんだから妄想と現実の区別くらいついてますよ!?」
 「僕こそ妄想と現実の区別はついてる。妄想は何しても自由だ。」
 「兄上の妄想に一抹の不安を覚えました。」
 「ほっとけ。よく考えろ。確かにあの人はお前に甘い。だがお前をダンスに誘うか?訓練への参加は許してもダンスに誘うだなんてことあのお堅い人がするか?そもそも脈絡なさすぎだろ。」
 「う、」


 そこである。やや現実と疑っているのは相手がヒューイさんだからだ。あの人は優しい、けれど弁えているという何というか上司部下という関係を超えるようなことをする人ではない。それも私の手をとって、ダンスをする。普段であればそれどこの並行世界の話?である。


 「ほ、本当だもん!嘘じゃないもん!」
 「ああ、嘘ではないだろう。お前は疲れてるんだ。今日は学園休むか?」
 「妄想じゃ、」
 「あ、ヒューイ。」
 「どこです!?」


 シュトラウスの視線の先、渡り廊下をあるく今日も今日とて格好いいヒューイさん。ふと彼が気が付いて目が合った。思わず昨夜のことを思い出しクラクラした。
 が、いつも通り会釈だけして歩いて行った。いつも通りの真顔である。


 「…………、」
 「…………、」
 「……疲れてるんだよ、シャングリア。」
 「…………、」


 あるえーー???
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