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38話 大団円

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 「いつから気づいていたんだ」

 「最初から。あなたがこの屋敷にはいってきたときからずっと知覚はしています。そして今日この部屋にいたことから何かあるとは踏んでいましたが、よもやあなたがデルフィニウム男爵になるとは、思いもしませんでしたね」

 「まあ、私も最初提案を受けた時には耳を疑ったからね。……ずっと一人でいた私には貴族社会の一般常識なんてまるでなかった。私などに務まるものかと……」

 「ええそうですね。デルフィニウム男爵家を没落させた張本人がデルフィニウム男爵になるだなんて、面白い話ですね」





 にわかに緊張感が立ち上るが、乾いた笑いでかき消しておく。





 「もっとも、今更何を言おうと遅すぎたことでしょう。あなたは結局、私以外には何もしていない。男爵家も没落はしていない。私たちの視界は無事。何も言えません」





 強張っていたユーグの肩が弛緩した。





 「ですが、事後報告はいかがなものかと思いますよ」

 「さすがにそれはバレていたのね」





 ロベリアはユーグの手から一枚の証書を攫い、デスクに広げた。そこには王室の公印のほかに、男爵位を継承させる旨が書かれていた。

 今回のこれは話し合いではないのだ。あくまでも、母ロベリアからの連絡事項なのだ。

 ここで私たちが反対しようとも、拒否しようとも、今更王室の決定が覆ることはない。戸籍も同様、おそらくすべての手続きが完了した後なのだろう。





 「すでに陛下から許可は頂いているわ。先に相談しなかったのは悪いと思ってる。でもこうでもしないと話が進まない。下手に相談なんていう体で話をもっていけばユーグがあの子に殺されかねないわ」

 「それは……、いえ、そうですね」





 確かに殺意に満ち満ち、森で銃を片手に野良魔法使いを探すあの鬼神のごとき姿を思い返せばそれが杞憂であるとはとても言えない。

 パトリシアは以前と比べて穏やかで思慮深くなってるが、ユーグが絡むと言葉が通じなくなる狂戦士と化す。明確な武力を持ちその才能を遺憾なく発揮することを鑑みると、以前より良いと一概にも言えない。





 「彼女については、シンプルに申し訳ないと思っている、その、私は君たちのことを人とは思っていなかったから、つい利用してしまって」

 「貴族としてその正直すぎる物言いは本当に問題だと思いますが、本当に当主なんかになって大丈夫なんですか?」





 申し訳なさそうな表情をしているくせに口から出る言葉のとげがすごい。いや、おそらく本当にユーグは私たちのことシンデレラに仇なす害悪の権化だと思っていたのだろうが、それを本人に言うのはどう考えても失言だ。不安しかない。





 「不安はもっともだけど、そこはちゃんと躾ておくわ」

 「躾……」





 世間の一般常識に魔法に関する知識をユーグの頭に叩き込んでいるところなのに、そこにさらに貴族としての常識や当主として必要な知識を詰め込んでいくと思うと、なかなかに壮絶だ。もはや睡眠時間すら確保できるか怪しい。





 「パトリシアのことはおいおい片付けるわ。しばらくはユーグが屋敷へ出入りしていることを隠しつつ魔法棟から通ってもらって、必要なことを教える形になりそうね」





 おそらくロベリアの言う通り、しばらくの間はうやむやにしつつ、いざ当主が必要というタイミングでユーグに出てもらうのがいいだろう。平時では憎しみばかり募るが、男爵家が困っている状況で、ユーグが責を負い職務を全うしたとあらば、パトリシアも彼の存在と有用さを認めざるをえなくなる。





 「私はもうそれで構いません。今まで貴族としての役割や役目やらを一切全うしなかった私が口を出せることではありませんから。……ですがユーグ、あなたはどうですか? これでは私たちにはメリットがありますが、あなたは負担が増えてばかりのように思えます」





 私たちとしては当主不在の状況が続き困っているところであるため、きちんと職務を全うしてくれるなら渡りに船だ。だがユーグからすれば孤立させられていたと思えばいきなり貴族の家に入れられて仕事をしろ、だなんてさすがに虫が良すぎる。

 ロベリアは嫌そうな顔をするが、気が付かないふりをしておく。これを本当に“償い”と称するのなら、ユーグにとってのメリットを明らかにしておきたかった。





 「なんの身分どころか戸籍すらない私に、社会的な身分が与えられることはメリットといえる」

 「お師匠もおっしゃっていましたが、チェンジリングの被害を前面に押し出せばあなた単体での戸籍の作成も不可能ではないはずです。新しい戸籍に、宮廷魔法使いの身分。あなたにはこれでも十分でしょう」

 「だがそれでは私は個人でしかない。個人ではなく“家”があった方が都合のいいこともあるだろう」





 ユーグは思ったより淀みなく返事をした。ただ周囲に流されているわけではないらしい。

 確かに家という後見がないと浮いてしまうケースもなくはない。だがユーグはもう20も半ばだ。家がなくて困るという場面はあまりないだろう。

 これではユーグのメリットがあまりにも小さすぎる、という視線を無意識に送っていたらしい。ユーグは言いづらそうに口を開いた。





 「いや、客観的な話だけじゃなく、私にも得られるものはある」

 「得られるもの……? 自分を囲い込んでいた屑の貴族の尻拭いすることで?」

 「カトレア、口を慎みなさい」





 間髪入れずに飛んでくる叱責に空っぽの謝罪を返す。

 だが何も間違っていない。彼からすれば恨みこそあれ、尻拭いする理由はまるでない。





 「私には、家族というものがない。それが得られることは、本当に大きなことだ」

 「……家族? 自分を加害した人間と、人とも思っていなかった娘たちと?」





 冗談だろう、と思ったが、ユーグは真剣な面持ちで話した。





 「君は、旦那さまのことを屑と呼ぶ。確かに、家族に対しては不誠実だっただろう。だが、あの方は私を見つけてくれた。何も持っていない僕に、服を、食べ物を、屋根を与えてくれた。妖精というものがいることを、自分が魔法使いというものだと教えてくれた。誰に呼ばれることもなかった僕に、名前をくれた。その恩は何をしても返しきれないものだ」

 「……最低限のもののみ与え、依存させていたのに?」

 「それでも誰もいなければ僕は死んでいた。周辺を飛ぶ大きな虫のようなものの名前も、自分の正体すらも知ることなく野垂れ死んでいた。そんな僕を救ってくれたのは、他の誰でもなく旦那さまだった」





 だが他の人が保護したのなら、こんなことにはならなかった、と言おうとしてやめた。“他の人”がいるとは限らないのだ。父がいなかったら、誰もいなかった可能性だってある。



 もしそこに魔法使いが通りがかったなら、適切な教育を施したことだろう。

 もしそこに善良な大人が通りがかったなら、彼を保護し、生かしてやったことだろう。

 だがそこに来たのが人身売買をするよう輩だったなら、そこに来たのが子供を搾取する輩だったなら。

 誰も通りがからず、ただ一人だったなら。

 何を考えても、それはすべて過ぎ去ったことだ。



 今手元にある事実は、父がいたから、魔法使いの少年は死なずに済んだ。それだけだ。





 「旦那さまは幼い僕を慈しんでくれた、可愛がってくれた。僕を一人にしなかった。2周目の時、私はまた途方に暮れていた。僕はあの人に保護された生活しか知らなかった。あの人は変わらず僕を迎えに来てくれた。あの人は、いつも僕にとっての救いだった」

 「恩があるから、男爵家に手を貸したいと?」

 「違うよ。あの人はとても良くしてくれた。良くしてくれたけど、家族にはしてくれなかった」





 ユーグは顔色も変えず、淡々と言ったが私は苦虫をかみつぶす思いだった。

 父は私たち家族を、信頼を失いたくなかったのだろう。

 けれど他所の女を愛したかったし、その娘も自分のものと認識していた。そして拾った魔法使いの少年も欲しかった。

 父は強欲だった。何も失わずに、金だけ払うことですべて自分のものにしたかったのだ。





 「でもこれで私は、旦那さまの家族になれる。どれだけ望んでも得られなかった家族を、私は得ることができる」





 思わず言葉を失った。ロベリアもすっとユーグから目を逸らす。ロベリアは彼の願いの歪みを知りながら、乗ったのだ。



 ユーグは家族を欲しがった。愛し尊敬した父の子になりたかった。けれどそれはきっと誰でもない父が拒否していた。

 その父の死後、養子となることで戸籍上家族になる。

 家族にはなれるだろう。けれどそこにユーグが夢見る家族の姿はない。父が死ぬまで家族として受け入れることがなかったという事実がそこには横たわる。殺し殺されの関係を築いた私たちとの間に健全な情緒的な関わりが生まれるとは考えにくいし、それはユーグも同様だろう。

 家族が欲しいと願い、それが叶ったとしてもどこまでも空虚なものだ。





 「この年で家族が欲しいだなんて笑うかもしれないが、私には大きな意味があるんだ」

 「……ええ、わかりました。あなたは納得して今ここにいるんですね」

 「ああ!」





 張りのある返事。ユーグは出会ってから初めて見るほどの晴れやかな笑顔だった。





 「1周目の私は、結局一人だった。シンデレラが殿下と結婚しても、私は陰からそれを見ることしかできない。私は戸籍も何もない、野良魔法使いだ。シンデレラの手助けをするという目的が達成されれば、私には生きる理由も指針もない。普通の生活も知らず、頼れる人間もいない私は、一人森で生きているだけだった。いつ死んだのかも覚えてない。死んだように生きていて、きっと夢を見るように死んでいったのだろう。ただ生きる私の傍にも、死に行く私の傍にも誰も何もいなかった。それだけは確かなことだよ」





 この世の幸せを一身に受けているとでもいうほど明るい声色で話すユーグに、項垂れてしまった。

 結局私は、この男に憐憫の情を抱かざるを得ないのだ。



 1周目の結末、幸福になったのはシンデレラだけだった。

 意地悪な男爵家は死に絶え、功労者であるはずの魔法使いは日の光を浴びることなく孤独に死んだ。

 殺し殺された私たちは、シンデレラが輝くための舞台装置で脇役だった。これがもし舞台だったなら、アンコールではシンデレラとともに私たちや魔法使いも笑顔で出てきたことだろう。けれど現実ではただ言葉もなく礎となるだけなのだ。



 魔法使いのユーグは、結局普通の幸福は得られなかった。普通の家族を得ることはできず、普通で幸福な子供時代を送ることはできず、一時は犯罪者となり、もみ消さねば罪人となりかねなかった。

それでも今が幸福だと、晴れやかにこの男は笑って見せるのだ。





「……ではこれからよろしくお願いしますね、お兄様」





 その空虚な幸福を、少しでも実のあるものにしてやりたいと思ってしまうのは、きっと悪いことではないはずだ。

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