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21話 宮廷魔法使い、目覚め

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 子供のころ、リビングで寝てしまうと父が私を抱き上げて寝室まで連れて行ってくれるのがたまらなく好きだっだ。それが好きで何度も寝たふりをしていたのだ。母に見つかると怒られて、父が騙されて抱き上げてくれると、寝たふりをしていたのも忘れてくすくすと笑ってしまっていた。



 私は子供じゃなくなったし、父は死んだ。

 ならば私をベッドまで運んだのは誰なのだろう。



 いまだ霧がかったような思考のまま上体を起こす。あたりを見渡すとシックな家具や厚い本の詰まった本棚が目に入る。本は収まりきらず床にも積み上げられていた。窓付近の紐をなんとなしに引っ張ると遮光カーテンがパッと開き日光が降り注ぐ。ベッド脇の机には香炉が置かれていて、すでに燃え尽きたそれはほのかに甘い残り香を漂わせていた。

 高い天井、机に積み上げられた本、箱の中に無造作に詰め込まれた呪具。

 誰の部屋なのか、考えればすぐにわかることだった。





 「目が覚めたか」

 「お師匠……」





 部屋に入ってきたのは緩いローブを着たシモンだった。片手に水差し、片手にコップ。置いてあった香炉を片付け代わりにそれを置く。





 「なんで、私ここにいるんです?」

 「舞踏会のあと、お前が王宮の庭で倒れているのが見つかった。ランプブラウニーが俺のところまで知らせに来たんだ。周りに争ったような跡はなかったが、魔法を行使した後はあった。お前にも外傷はなく、ただ寝ているようだった。だが何が原因で寝ているかわからない。から、いったん俺の部屋でお前の様子を見ることになったんだ」





 なるほど、と理解できたようなできないような相槌を打つ。手渡されたグラスを飲みほすと幾分か頭がしっかりしてきた。言われてみれば、確かに体が軽い。気絶させられた、というよりもぐっすりと寝た夜の次の日のような体調だ。要するにすこぶる元気。

 最近はシンデレラの舞踏会の準備追われ、あまりゆっくりは寝ていられなかったのだ。

 強制的と言えど、しっかり睡眠をとってしまった私は大変遺憾なれど精神的余裕ができてしまう。





 「体調は?」

 「頗るいいです」

 「そいつはよかった。俺の心配を返せ」





 元気な子のお返事をしたところ頭を小突かれる。けれどその力もいつもより遠慮気味だった。

 他人様のベッドにいつまでも寝ているのも申し訳ない、と降りようとするところを制される。





 「いい、そのままでいいから話を聞かせろ」

 「でもさすがに」

 「そのうちお前のベッドにもなるんだ」





 何もない空間から椅子を取り出し傍らに座るシモンに首をかしげる。

 シモンのベッドはシモンのものだ。私のベッドは私のベッドだし、共有するものでもない。確かにこのベッドは一人で寝るには大きすぎる、クイーンサイズかキングサイズだろう。

 たっぷり数十秒使って、言わんとするところをようやく把握した。

 赤くなる顔を何とか深呼吸で押しとどめる。寝起きにノーモーションでメンタルに揺さぶりをかけに来るのはやめてほしい。

 これ以上何も言うまい。慣れないことを口にすると墓穴となることは目に見えていた。





 「倒れていたお前の傍には魔法の残滓があった。……あの夜、お前に何があった」





 吸い込まれそうな紫色の目を見ながら、その日のことを思い出す。いまだ微睡の中にいるような感覚は徐々に消え去っていった。

 暗い庭、遠い喧騒、一人立ち尽くす男。





 「庭に、使用人の制服を着た男がいました。不審だったので声をかけたところ、失くしものをしたと、いうので」





 失せもの探しながら得意だと思ったのも一瞬。男は言った。





 「鳩を、」

 「鳩?」

 「鳩を失くしたと、言うのです。……私の目を抉るはずの鳩を、と」





 ついしがみつくように毛布の端を握り締めた。いまだベッドの中だというのに、ひどく寒い。その原因は明らかだった。





 「使用人の姿をした、野良魔法使いでした。背の高い男です。紫色の目に銀髪。おそらくパトリシアに声をかけたのもその男です。間違いありません……! あれはっ、今もきっと近くに!」

 「落ち着けカトレア」

 「落ち着くってそんな、」





 いてもたってもいられなくなってベッドから抜け出そうとすると再びベッドの中へと戻される。けれどこうしている間にも、かの野良魔法使いは母や姉を襲おうとしているかもしれない。





 「カトレア」





 静かな、けれど強い声にハッとする。目の前にシモンの顔があった。けれど野良魔法使いの時のような恐怖は感じない。





 「落ち着けカトレア……。そいつは間違いなく野良魔法使いだろう。だがそいつが鳥に殺される呪いをかけたわけじゃない」

 「ですが、」

 「前にも言ったろ。お前にかかった呪いはもっと自然発生的だ。「呪いをかけた誰か」は存在しない」

 「いな、い」





 掴まれた掌からじわじわと体温が伝わってきて、冷え切った手が溶かされていく。

 そうだ。私は呪われている。だがそれは誰かに、というよりもこの世界にだ。

 シンデレラを虐げる意地悪な義姉たちが罰せられることで、勧善懲悪がなされる。

 あの日、鳥に襲われ両の目をついばまれたとき、それが鳥たちの意志だったのか、それともどこかで野良魔法使いが手を引いていたのか、私たちには知りえない。

 だが野良魔法使いに接触すらしていなかった幼少期に“呪われている”と妖精から称された以上、おそらく野良魔法使いが原因という訳ではないのだろう。





 「そうだ、いない。だが話を聞く限りその野良魔法使いはお前に降りかかる厄災を望んでいるようだ。呪いのことを置いておいても、お前に危害を加える可能性は否めない。……カトレア、その野良魔法使いに恨まれる覚えは?」

 「ない、と思います。会ったこともありませんし」





 あったことはないはずだ。少なくとも紫色の目の男と出会った覚えがない。街のどこかですれ違ったり、王宮内のどこかで見かけたりすることもあったかもしれないが、それでも関りと呼べるようなものではない。



 紫色の目、銀髪、長身、男性、使用人の制服。





 「……あれ、」





 ふと違和感を覚えた。

 前にもこんなことがあったような気がする。





 「……以前、王宮内で見おぼえのない使用人を見ました」

 「見覚えのない使用人? ……お前使用人の顔まで覚えてるのか」





 感心半分呆れ半分の声に不満は言わない。シモンは私と違って正真正銘のエリート魔法使いなのだ。使用人たちから雑用を頼まれることもない。





 「見覚えのない男性の使用人が、私が妖精に掃除をお願いした部屋に勝手に入ろうとしたんです。人に見られることを嫌う妖精なので、立ち入り禁止の札を下げていたのに、その人は入ろうとしていましたので、見咎めました。3か月ほど前のことです」





 徐々に記憶がよみがえる。あのとき、距離があったから目の色は分からなかった。だが背の高い銀髪の男で、使用人の制服を着ていた。

 あの時、彼は魔法という物珍しさで部屋に入ろうとしたのではなく、その先に妖精がいると確信したうえで中に入ろうとしていたのだろうか。

 シモンの顔が険しくなる。





 「……ってことは奴は随分前から王宮内に入り込んで好き勝手してきたわけだ。それこそ、王宮内部を把握し、何かを仕掛ける余裕は十分あった、と」





 シモンは私の手を離すと徐に椅子から立ち上がり柏手を打った。

 すると部屋のそこら中に人間ではない者たちが現れる。

 二人しかいなかった部屋には不思議な光が満ち、聞き取れない雑踏のようなざわめきが室内に広がる。

 小さな妖精、美しい精霊、鳥の頭の精霊、見た目もさることながら種族に統一性もない。

 ここに共通するのは皆が皆シモンを崇拝し、慕い、付き従うということだろう。

 私には一生かかっても呼ぶことができない高位のものも、シモンなら拍手一つで呼び出すことができる。





 「お前たち、王宮内の魔法の痕跡をすべて洗え。うちに登録された宮廷魔法使い以外のものだ。残らずすべて、報告しろ。その魔法を行使した魔法使いがいればすぐに連絡しろ。俺が対応する。捕まえられるなら捕まえても構わん。行け」





 飾り気も礼儀も諂いもない粗暴なもの言いでも、みな何一つ不満などないようにさっと姿を消した。おそらく命令通り王宮内の調査へ行ったのだろう。ほっと一息を吐く。緊張からの開放もさることながら、調査に関してはシモンの使役する妖精たちに任せた方が確実だ。正確で、なおかつ早い。





 「……カトレア、お前は野良魔法使いの居所がわかるまでどこにも行くな。俺の傍にいろ」

 「でも、いつ野良魔法使いを捕捉できるかわかりませんよ? 仕事もありますし、母や姉も心配です」

 「俺ごときに守られてやる気はないと?」

 「そんな意味じゃありませんよ。あまりに申し訳なくて」





 何より今の私は頗る元気だ。無期限でシモンにおんぶにだっこなどできるはずがない。シモンと私では仕事内容も仕事量も違う。四六時中一緒に居ることは現実的ではない。





 「三日だ」

 「はい?」

 「三日。お前は目を覚まさなかった。その間俺がどんな気持ちで毎日お前の様子を見ていたかわかるか?」





 ずい、と身を乗り出したシモンに呼吸を忘れる。吸い込まれそうな紫色の両目は責め立てるように私を見る。激情はない。けれどそこには明確な怒りと憂いがあった。





 「勝手に危険にさらされるようなお前に拒否権はない。遠慮なんてものは自分の身を守れるようになってからにしろ、半人前め」

 「……はは、自分の身を守れるようになる日が来るんですかねえ」

 「じゃあ一生俺に守られることになるな。覚悟をしておけ」





 小馬鹿にするように鼻で笑われ乾いた笑いで返事をする。





 「それと、お前にはここでもできる仕事がある」

 「ここ、お師匠の部屋でですか?」





 心当たりがなく首を傾げる。シモンのこの部屋は王宮の敷地内に位置する工房だ。宮廷魔法使い筆頭であり、万が一闘争が必要となった時すぐ対応できるように詰めている。

 だが私の仕事は常に現場のもの、要するに種類を問わないトラブルの解決だ。

 それが私の仕事であり、これ以外で私にできる仕事などほぼないに等しい。





 「三日間、お前が目を覚ますのを待っている奴が他にもいる」

 「他、先輩とかですか?」





 その時玄関のブザーが鳴った。無骨な電子音が途切れると間髪入れずに扉が開けられ、このシモンの寝室に足音が近づいていた。



 こんな返事も待たずに傍若無人に振舞える者は片手のほどしかいないだろう。





 「カトレア、目が覚めたんだね」





 足音の主、アドニスは寝室の前で力なく微笑んだ。
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