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16話 開幕準備、魔法

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 いまだかつてこんなに忙しい日があっただろうか。私が宮勤めになった日、父が死んだ日もここまで忙しくはなかったはずだ。





 「今日は通常業務は不要よ。とにかく、舞踏会に向かうまで、パトリシアとシンデレラを磨くことに専念なさい! いえ、ふたりだけじゃないわ。ドレス、アクセサリー、靴、何もかも完璧にするのよ! 欠片の瑕疵も許されない!」





 いつも以上にピリピリしている母だが、使用人たちが怯える素振りはない。仕事が多すぎて怖がっている暇がないのだ。それに何より、屋敷内の誰もが今日という日の重要性をよくわかっている。

 母も、私も、パトリシアも、今日という日を待っていた。

 今日は国中の令嬢を集めた舞踏会なんて、あいまいなものではない。シンデレラが王太子妃に選ばれる日なのだ。

 確定された未来、確約された未来。

 シンデレラと良好な関係を築けている今ならば、シンデレラと王子が結婚し、私たちは死ぬことなく、甘い蜜だけを吸えるのではないだろうか。



 その代わり、万が一この舞踏会で大コケしたなら、シンデレラというこの爆弾は男爵家から出ていかないし、ここから私たち三人が大コケしてシンデレラの恨みを買ったら全員死亡ルートに突入する。

 天国と地獄の境目が今日という日なのだ。





 「お嬢様、こちらのカボチャは一体……」

 「それは片づけなくて結構です。今日の舞踏会の直前に魔法をかける予定なので、そのままにしておいてください」





 魔法、とどこか目を輝かせる使用人にこっそりドヤ顔してしまう。王宮ではすっかり便利屋扱いされているクソ雑魚魔法使いだが、非魔法使いがマジョリティな場であれば憧憬の眼差しで見られることも少なくない。

 簡単な日常の魔法程度しか使えないが、今回の変化の魔法は頑張った。練習した。師匠であるシモンのように無から有を生み出すことは到底できないが、あるものを一定期間のみ変化させることは何とかできるようになった。

 今回の魔法は私が舞踏会警備に出勤する直前に、いつも使う紙人形を御者に、蜥蜴を馬に、カボチャを馬車に変えておき、舞踏会の開会に間に合わない時間に男爵家を出発させ、深夜12時まで何とかもたせつつ、屋敷までシンデレラを送り返すことだ。なおシンデレラとパトリシアのドレスとアクセサリーにキラキラエフェクトをかけることも忘れない。



 なおこちらすべて、会場の警備という仕事と並行して行う。



 や、やることが多いー!

 もっとも、会場の警備としては紙を飛ばしつつ見張りをする程度だ。誰もクソ雑魚魔法使いに不審者との戦闘を期待していない。ワンパンで負けてしまう。





 「お姉さまっ」

 「シンデレラ、どうかしましたか? 湯あみ、はもう終わっているようですね。髪はキチンと乾かしなさい。癖になりますよ」

 「は、はい!」





 こそこそしながら現れたシンデレラ。おそらく使用人たちに構われすぎて逃げてきたのだろ。鳥やネズミと戯れ、散歩をするのが好きな彼女は今日のこの浮足立った雰囲気と殺気立った使用人たちが恐ろしいのだろう。恐ろしいなど言ってないでとっとと腹を決めてもらいたいところなのだが。



 片手をシンデレラのプラチナブロンドの髪にかざすとあっという間に風が起きて乾かされる。むろん、私の力ではない。シンデレラの傍にいるブラウニーの力を借りただけだ。シンデレラは妖精が見えないが、妖精に好かれる質である。そのためシンデレラに魔法をかけるときはものすごく楽だ。対象がシンデレラとなると妖精たちの協力姿勢が段違いなのだ。



 本人に見えてないので、完全に片思いなのだが、妖精たちに好かれている。

 小馬鹿にされているわたしとは大違いだ。





 「あの、今日は本当に王宮に行って大丈夫なんでしょうか」

 「何言ってるんですか。大丈夫だから王宮から招待状が届いたんですよ。何も心配することはありませんよ。ただ舞踏会に来ればいいだけ。馬車に細工をしてありますので、行きは私の魔法で送って行きます」





 不安げに宝石のような瞳を潤ませるシンデレラをなだめすかしつつ部屋へと向かう。





 「で、でもダンスも得意じゃありませんし、殿下とどんな話をすればいいかも……」

 「心配いりません。ダンスは男性側、殿下がリードしてくれます。あなたのミスはリード側のミスです。踊っていれば殿下と話をする必要ありません。それに殿下も優しく気さくな方なので任せておけば何も問題ありませんよ」





 どうせ王子殿下はこのシンデレラに惚れるのだから、多少のミスがあっても何とかなるはずだ。けれど何も知らないシンデレラはおどおどとしていて、一向に準備が進まない。





 「さあ、部屋に戻って準備をしましょう。あなたはそのままでも菫のように美しい。ですが今日は特別な日。あなたが一番輝ける格好を、化粧をしましょう」





 シンデレラの部屋を開けると中にいた使用人たちが一斉にシンデレラを見る。明らかに怯えたような様子に、心の中で首肯する。いきなり殺気立った使用人たちに凝視されるのは心臓に悪い。





 「私なんかが行っても、」

 「あなただから、行くんです。大丈夫。怖いことなんてありませんよ。いつも可愛らしいあなたを美しいお姫様に変身させる時間なんです。必ずしも、魔法は魔法使いが使うだけのものではありませんので」

 「魔法使い以外が……?」

 「ええ、これから半日かけ、使用人たちはあなたに美しくなる魔法をかけるんです。美しいドレスを着せ、華やかに髪を結い挙げ、顔に化粧を施す。美しくなるための魔法。……おとなしく魔法にかけられてくださいね?」





 化粧や髪結いは器用な人間にしかできない特殊技能だ。こればっかりは私の魔法でも出来かねる。人の手が入った方がはるかに美しいのだ。何よりそのレベルの話だと人間と妖精の美という概念に差があるため事故が起こりかねない。





 「今日の舞踏会は、誰より美しいあなたが主人公。誰の目も、きっととらえて離さない」

 「私なんて、全然……! お姉さまたちと比べると、私なんて垢抜けない田舎娘みたいで」





 目を逸らしわたわたとするシンデレラにため息を吐く。垢抜けない田舎娘。それは同意する。いまだに貴族令嬢としての自覚は薄い。





 「大丈夫、今日のあなたはお姫様よ。誰より輝く、お姫様」





 テーブルの上に置かれていた箱を開ける。私が注文したガラスの靴だ。





 「このガラスの靴に魔法をかけましょう。シンデレラが殿下の足を踏まないように。シンデレラが転ばないように、シンデレラが無事に帰れるように」





 簡単な魔法だが、魔法にかけられたガラスの靴が輝きだす。シンデレラも使用人もガラスの靴にくぎ付けだ。





 「シンデレラ、不安に思うことはなにもありません。あなたは十分魅力的です。何もせずとも、何とかなります」

 「何とか……」





 輝きの止んだガラスの靴を手渡す。微かに染まった頬でガラスの靴を見つめるシンデレラは実年齢より幼く見える。まさに、絵本の中の魔法に憧れる幼子そのものだ。





 「舞踏会の間、不安になったらホール東側を見てください」

 「東側ですか?」

 「ええ、そこが私の持ち場です。私はずっとあなたのことを見守っていますから」

 「お姉さま……!」





 感極まったように抱き着くシンデレラをあやすように撫でた

 見守ってるよ。ひやっひやしながら見守ってるよ。舞踏会の間だけで寿命が縮むのが目に見えている。万が一、万が一にも王子がシンデレラに惚れなかった場合お先真っ暗すぎて卒倒しそうだ。ここでシンデレラが見初められなかったら、私たちの死亡エンドはないかもしれないが、パトリシアが我慢できず発狂しそうだ。自分たちの死因と末永く同居できるほど私の肝は据わってない。胃に穴が開きそう。

 一応シンデレラに逃亡の意思はないと判断し、あとは使用人に任せ部屋を出た。







 「お姉さま、最後の魔法をかけに来ました」

 「そう、入ってちょうだい」





 鷹揚に許可するパトリシアの声に扉を開ける。すでに使用人の姿はなかった。美しくまとめられたブラウンの髪、唇にさされた赤、華やかな紫色のドレス。どこをとっても完璧な令嬢の姿だった。ほう、と思わずため息をついてしまう。口を開くと気分屋でヒステリックだが、黙っていれば煌びやかで美しい、精巧な人形のようだ。





 「お姉さまはこのままでも十分美しいですね……」

 「美しさが足りることはないわ。どれほどの美を集めたとしても、必ず何かが欠けているはずよ」





 凛とした声に安心する。

 行き先も告げず外出を繰り返すことを心配しているが、パトリシアはパトリシアだった。気位高く、強い意志をもった自信家。結局、どこに行っているのかわからないが、今日この舞踏会でいい男を見つけてほしい。良い家柄のいい男と結婚することが目標だと話していたパトリシア。それが彼女にとっての幸福ならば、私も喜んでそれを願おう。魔法使いになることが救いになると信じていた私と同じように、結婚することがパトリシアにとっての救いになりうるかもしれない。

 簡単にドレスやアクセサリーに魔法をかけていく。シャンデリアの輝きを反射するように。それでいて、装飾品を目立たせすぎないように。





 「そう言えば、お姉さまがグローブをしてるの珍しいですね」





 グローブを付けている令嬢は多いが、パトリシアはいつもつけていなかった。精々公式の場に出たときくらいだ。





 「ええ、最近つけ始めたの。グローブがある方が優雅でしょう?」





 どこか満足げに微笑むパトリシアは、どこか誇らしげにグローブで覆われた手を窓にかざした。

 窓から差し込む光は微かに橙色を帯びてきていた。



 まもなく、あらゆる思惑が絡み合う決戦の夜が来る。
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