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宵の狸とパンケーキ 7

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 「こんにちは」

 背後から突然声を掛けられ二人して飛びあがる。メニューを見るのに夢中でまるで気づかなかった。というより、ここで誰かに話しかけられるなんて予期してなかったのだ。
 柔らかい声で私たちを呼んだのはスーツを着た女性だった。ぴしっと整えられた髪と赤縁の眼鏡が印象的だ。

 「こ、こんにちは」
 「その制服、東光高校の制服よね? 今日は学校終わるの早かったの? 試験期間中だったかしら」
 にこやかな女性の質問に宵満月が首をかしげる。彼女の手を引き耳打ちする。
 「補導だ、これ」
 「補導って何? 何されるの?」
 「……怒られる、のかな?」

 補導された記憶はないので、何をされるかわからない。怒られるは怒られるでも社会的に怒られる方だ。よく知らないが指導されてしまうのだろう。

 「ごめんなさい、よく聞こえなかった。 怖がらなくていいわ、」
 「怖くはないわ、あなたの言っていることがよくわからないだけで」

 宵満月はにやりと笑う。

 「ちょ、宵満月、」
 「ごめんなさい、私たちあんまり時間がないの。今を楽しむのに精いっぱいだから、あなたとお話しするのはまた今度にしたいわ。ごきげんよう」

 宵満月はお嬢様らしく笑うと隣にいた私を担ぎ上げて走り出した。

 「ひぃっ……!?」
 「ちょっと待ちなさい! 危ない!」

 私を抱えた宵満月は近くのエスカレーターに飛び乗るとそのまま数段飛ばしで駆け上がる。
 驚く客たちの声と目まぐるしく変わる鮮やかな光に目を回していると、ふいに涼やかな風が頬を撫でた。

 「うっ……宵満月、何かするなら先に言って……」
 「ごめんね、逃げる方が先だと思ったから」

 目を開ければ宵満月に抱えられたままペデストリアンデッキの屋根の上に乗っていた。

 「もしかしてあのお姉さん私がタヌキだって気づいてた? 私、どこか変? 尻尾も耳も隠してるのに!」
 「たぶん違うと思うよ。私たちが制服着てたから、学校に行かずに遊んでる不良少女だと思われたんだと思う」

 何も考えてなかったが、そもそも平日の昼間に制服で遊んでいたらそれは浮くだろう。ただ補導員がいたのは運が悪かった。

 「うーん、じゃあこの後もこの格好してたら何か言われるかなあ?」

 また捕まってしまっては面倒だ。けれどまだ洋服くらいしか見れていないし、肝心の祭りのときに出すデザートのイメージも固まっていない。せっかく橘に言って休ませてもらったのに収穫なしでは見せる顔がない。

 「さっきは駅ビルの中にいたから目立ったかもしれないけど、広小路なら大丈夫かも。店内に長くいるわけじゃないし。それに今からの時間なら多分普通の高校生が出歩いていてもおかしくないと思うから」

 広場の銀時計を見ると刺している時間は午後3時。屋根から大通りを見ると自転車に乗った高校生がちらほらと見えた。まだ終業時間には早いが、試験週間か、学際準備のためなのか、街中には同年代の姿が見て取れた。

 「広小路のお店をぶらぶらしようか。小さいお店がほとんどだけどいろいろあるし、それに」
 「屋外だからいざというとき逃げやすい、でしょ?」
 「そう、え、ちょっと待って!?」

 宵満月はにぃ、と笑うと私を抱えて屋根から飛び降りた。


 「ねえいっぱい人いるね……! お店もいっぱい。こんくりーとばっかり。でも木も生えてる不思議」

 広小路の裏道に降り立った宵満月は興味津々に街中を歩き回る。けれど不安なのかなんなのか、私の手を握ったままだ。

 「いろんな匂いが混じり合ってるわ。不思議。同じ場所にあるのに全く違うものが集まってるみたい」
 「むしろ差別化の方が大事なんじゃない。似たようなお店が増えるとお客が分散しちゃう」
 「じゃあ山の中にもう一軒薬膳茶屋みたいなのがあったら花橘は大変ね」
 「できればね」

 花橘は特殊中の特殊だ。妖や神を顧客とする薬膳茶屋など数件あってなるものか。もし新しくできたとしてもしばらくは花橘に客が付いている以上安泰だろう。それこそ薬や薬膳をメインで扱うような妖や神が店でも開いたら危ういかもしれない。
 ローファーは足取り軽くアスファルトを叩く。

 「あのお店はなに?」
 「本屋。あと文房具も置いてる」
 「あれは?」
 「居酒屋」
 「あっちの匂いが強いのは?」
 「牛丼屋」
 「あの明るいお店は?」
 「コンビニ……ええと、なんでも屋さんかな」

 あちこち指をさす宵満月に答えていく。人通りが多いせいか、私たちは特に浮くことなく紛れ込めているようだった。

 「あれは? セーラー服着てる子たちが並んでる。タピオカってなに?」
 「キャッサバからできた丸いゼリーみたいなの」
 「きゃっさば? ぜりー?」
 「芋でできた煮凝り」

 宵満月に通じるカタカナ語がわからない結果、身も蓋もない言い様になってしまい眉を顰める。我ながらひどいが、形容のしようがない。

 「……答必膃加か! 高級食材だって本で読んだけどこんなところに売ってるんだね!」
 「なんて?」

 いわく、昔読んだ本に載っていたとのこと。タピオカ自体は明治時代のころにはすでに日本に入ってきていたらしい。当時は高級食材だったようだが、今では国内のあちこちで飲み物として売られている。

 「買う?」
 「ううん。見た目が私に刺さらないわ。もうちょっとかわいい感じのが食べたい。ベニちゃんは作ってみる?」
 「いや、タピオカはビジュアル的に狸受けが悪いみたいだし。それに彩は悪いから。……やるなら寒天を使ったの、とか?」

 ゼリーや寒天自体はいいかもしれない。大きなものをバットで作って切れば量を確保できる。それに散々飲み食いした後のデザートだ。さっぱりしたものも好まれそうだ。

 「あっちもなんかいい匂いする。香ばしいわ。くれーぷ、ってなに?」
 「ええと、小麦と卵と牛乳でできた生地を薄く焼いて中にクリームとかフルーツとかチョコレートとかを入れた甘いお菓子、かな」

 あの人が持ってるのかそう、と視線で促す。赤い包装紙で包まれたクレープを持った二人の男子高校生が駅の方へ歩きながらかぶりつく。ファンシーな色合いの店に集まる学生の合間を縫いショーケースを見るとサンプルがいくつも並ぶ。

 「クレープの王道なら生クリームにイチゴかバナナ、あとチョコレートソース掛けかな。ちょっと変わったやつならマスカルポーネとか餡バターとか……あ、今秋フェアでクリとサツマイモも期間限定であるって」
 「えええ何それ迷う……! 初めてのくれーぷなら王道を選んでおくおくべきよね? でも期間限定って聞いちゃうとそっちが食べたくなっちゃう」

 うんうんと頭を悩ませる宵満月を微笑ましい気持ちで見守る。理解しかない。おそらく一番の売れ筋は大道の組み合わせだ。安心安定のおいしさ。けれど期間限定、今この時しか食べられないと聞いてしまうと今食べないことがとてつもなく惜しく感じられてしまう。人も狸も変わらぬ、共通の懊悩だろう。

 「ベニちゃんはどっちがいいと思う?」
 「期間限定、かな? 旬のもの食べたほうが良いって橘さんはよく言ってるし、それに」
 「それに?」
 「……シンプルなのは次来た時に食べればいいよ」

 ぱあ、と花が咲くように笑う宵満月にどんな顔をすればいいかわからずついつい目を逸らした。別に、ここへ来るのがこれっきりということはないだろう。来たければまた来ればいい。付き合うのだって満更じゃない。

 「楽しいのは君だけじゃないんだから」
 「ベニちゃん本当に大好きよ!」
 「はいはいどうも! 早く買っておいで! 人気だと売り切れちゃうかもしれないよ」
 「ベニちゃんは食べないの?」
 「私は良いよ。晩御飯はいらなくなると困るし。メニューと作るところ見てる」

 宵満月と同じように私も少ないがお金は持っている。制服のスカートには花橘に来た日のように二つ折りの財布が入っていた。あの日から一度もお金を使っていない。一度橘にご飯台を払おうとしたが結局それもバイト代として計算されてしまって、彼にはついぞ受け取ってもらえなかった。逆に今日宵満月と街に行くと言ったら小遣いまでくれた。
 その引け目のせいか何なのか、私はできるだけここでお金を使いたくなかったのだ。
 食い入るようにクレーブの生地が薄く広げられるのを宵満月の隣で、私も着々とできていくクレープを眺めていた。

 「ベニちゃんクレープ作れそう?」
 「……おいしいかどうかはわからないけど、たぶん作るだけならできる、かも。生地自体は薄く焼けさえすれば作るのは簡単だし、具材も凝らなければそれなりにはなると思う」
 「月祭りに出す!? 楽しみ!」
 「待って。流石にどれだけ人数がいるかもわからないのにこういう風に作るのは現実的じゃない。一人一人に時間がかかりすぎる」

 薄く焼き上げられたクレープの上に白と黄色のホップクリームが落とされ、砕いた栗が散らされる。そしてくるくると巻き上げられ終わりに蜜でコーティングされた栗が上に載せられた。甘い香りと艶々とした栗のせいで目が離せない。
 きゃっきゃと声を上げる高校生に混ざり宵満月は焼き立てのクレープを受け取った。

 「あー……、おいしい! 生地こんなに薄いのにモチモチしてる! このホイップクリームっていうのもおいしい! 甘くてふわふわでもったり……! どんどん食べたくなる! 食べちゃえる!」

 蕩けそうな顔でクレープを頬張るになんだかこっちまで幸せになる。宵満月は本当においしそうに食べる。表情が豊かで言葉も感情も出し惜しみしない。

 「人間はいいわね! こんなにおいしいもの食べられるなんて! 食べるだけで幸せになれる……!」
 「それを聞いたらクレープ屋さんも喜ぶよ」
 「際限なく幸せになってしまうわ……! どの味も全部食べたくなっちゃう。どうして胃もお金も有限なのかしら……これはもうベニちゃんに作ってもらうしか……」

 わざとらしくチラチラと私を見る宵満月に、改めて祭りで出すのは無理だと伝える。

 「手間がかかりすぎて人手が足りない。これを私が作っちゃうと橘さんと飛梅の二人になっちゃう。忙しいって聞いてるし、クレープにかかりきりにはなれない」
 「ええー、これ作り置きとかで対応できない? 冷めてても多分おいしいから焼き立てじゃなくてもいいと思うし」
 「作り置きにしちゃうとホイップクリームが生地に染みちゃうし、形も悪くなっちゃうから」

 けれどそこではっとする。何もクレープを完成した状態で提供しなくてもいいのではないだろうか。
 クレープの生地をあらかじめ大量に焼いておいて、クリープやフルーツを切って皿に出して好きなものを好きなだけ巻いていくスタイルならその場で手間はかけなくていいし、各々の好みを気にしなくていい。クレープの生地の甘さを控えめにして、レタスや焼いた肉を置けばおかず風のクレープも作れる。

 「……宵満月ありがとう。作り置き案、ありかもしれない」
 「本当! やった!」
 「帰ったら橘さんにできるかどうか聞いてみる」

 そのクレープのスタイルが可能ならあんみつでもいいかもしれない。好きな具材好きなように器にとりわけるなら手間もかからないし、たくさん具材が並べられれば華やかだ。棗やクコの実なんかも色が鮮やかだからよく映えるだろう。フルールポンチもきっと可能だ。
 わくわくと、得も言われない高揚感が胸に去来する。早く作ってみたい、橘に意見を聞いてみたい。
 どんな具材を用意しようか、と宵満月と話していると、知らぬ間に日がだいぶ傾いていた。
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