17 / 59
宵の狸とパンケーキ
しおりを挟む
秋も深まりだんだん寒くなってきたせいか、季節の変わり目のせいか、薬膳茶寮花橘を訪れる客は増えてきていた。山の中を吹く風は冷たく、日が落ちてからはそれも顕著で以前にもまして夜間外へ出たくない。
昼時のピークを過ぎたところで、私は一人で店番をしていた。橘と飛梅は店の裏庭に埋めた銀杏を掘り起こしているのだ。地面に埋めて実を腐らせ、そこから銀杏を取り出すのだという。銀杏と言えば茶碗蒸しに一つ入っている程度の印象しかないのだが橘たちは大量に埋めていた。何か良い使い道があるのだろう。ただ橘が作るものなら間違いなくおいしい。
普段なら一人にされることはないが、昼時を過ぎてくる客は薬膳茶かお八つを食べに来る者、もしくは薬を受け取りに来る者だ。お茶程度なら店に出してもいいとお墨付きをもらった私は午後の一時店で客の対応をさせてもらっている。お八つにしてもその日出すものはすでに橘が作っていて、あとは客の前に出すだけなので任されている。ただ薬を求めてきた者に対しては私にできることは何もないため、早急に橘を呼び出す必要がある。いくら勉強していても生薬や漢方薬に関してはまだまだど素人。客とて私のような不安げな店員に任せたくはないだろう。
「暇だ……」
いいのか悪いのか、昼時のピークを過ぎてから客が来ない。安心と言えば安心なのだが、暇すぎるのも考え物だ。この店の経営はやっていけているのだろうか。
キッチン脇の椅子に座り私は薬膳の本をめくっていた。本には丸っこい癖字が書きこまれている。橘はあれでいて硬筆での字は随分愛らしい、と勝手に笑う。仏頂面がデフォルトなのに、意外と可愛らしいところが多い人だ。
薬膳関連の本を読み始めてからこの本で10冊目になる。もちろん今まで読んできたものすべてを覚えたわけでも作れるようになったわけでもない。今はとりあえず知識を増やしつつ自分で作れそうなものを模索している状態だ。メイン料理はまだまだだがお菓子の類はレパートリーも増えてきた。けれどそれを振舞いたいと思っていた鬼女は夏以来花橘へ来ていない。それがどうしようもなく気がかりだった。
「おうい、橘いるかい?」
静かな店の中に飛び込んできたのは若い男の声だった。
「いらっしゃいませ! 橘に御用ですか?」
暖簾をくぐってきた男の姿にぎょっとする。ひまわりのような金髪に耳にはこれでもかというほどピアスが着けられている。そして左手には大きな錫杖、さらにひときわ目を引くのが背中に背負っていた荷物だ。自身の背丈と同じ、いやそれよりも大きな箪笥のようなものを背負っていた。紫色の大きな三つ目がぐりぐりと動き店の中に橘がいないか眺めまわす。
「橘は今、店の裏で作業をしてます。お薬の関係であればお呼びします」
「薬の関係じゃなかったらお嬢ちゃんがなんかしてくれるのか?」
綺麗な大きな目が私の方を見透かすように見る。敵意や害意はない、がきっと彼はここの常連なのだろう。入ったばかりの私のことを試してやろうという意気込みを感じて思わず閉口した。
「お茶とお八つであれば私が対応します。ですがそれ以外であれば私では勉強不足なので、橘に」
「橘に用があるが作業中のところを呼び出すほどの急ぎじゃあない。お八つを食べてからにするよ。お八つとお茶頼めるかいお嬢ちゃん」
「かしこまりました」
慣れたように金髪の男は巨大な箪笥を床に置き椅子に腰かけた。息つく間もなく湯の準備をする。その間にも背中に視線が突き刺さっていたたまれない。害意はないが、興味はあるらしい。
今の季節のお茶は青じそ菊花茶だ。薬缶を火にかけながらガラスの急須に茶葉と青じそ、菊花をいれる薬膳茶に度々菊花を入れるが見た目が美しい分女性からの人気が高い。
「お嬢ちゃん、いつからここにいるんだ?」
「ええと、今年の4月からですね。もう5か月ここでお世話になってます」
「そうかぁ、ここんとこ来る機会もなかったんだよな。そりゃあいろいろ変わるわけだ。」
沸いたお湯を急須に注ぐとふわりと爽やかに香り立つ。あとは蒸らすだけだと棚の上の砂時計をひっくり返した。
「青じそ菊花茶か」
突然真後ろから声が聞こえた。つい先ほどまで机でおとなしく待っていたはずなのに。首筋に呼気があたりびくりと肩を揺らす。
「え、ええ。今の季節は季節の変わり目で体調を崩しやすいので、咽喉の炎症とうに効き目のあるものを、」
「そうだな。さらに言えば青じそ菊花茶は花粉症にも効果がある。秋はブタクサやよもぎの花粉も飛びやすいからこの季節にはいい選択だ」
被せるように話す彼に身を縮こまらせる。同業者なのだろうか。説明を途中で掻っ攫われる。完全に試されている。思えば彼の背負っていた大きな箪笥のようなものはこの店にある漢方薬の入った木箪笥とよく似ている。なんだか自信のない問題を先生に指名された生徒の気分だ。何か間違えてはいないかひやひやとしてしまう。
何とか振り向くと紫色の三つ目が細く私を見ていた。得体の知れなさに得も言われぬ悪寒は走るがお茶が蒸らし終わるまでの辛抱だ。お茶を出して、お八つを食べている間に店の裏の橘を呼びに行こう。
「お客さま、もう少しお時間いただきますのでお席の方でお待ちください」
「ああ、そりゃ悪かったな。ついつい物珍しくて」
悪びれた風でもない物言いだが、予想に反し、男はおとなしく荷物の置いた床の傍の椅子へと戻っていった。拍子抜けしつつも安堵する。
焼けたばかりのパウンドケーキを切り分け皿に盛れば、ちょうど砂時計が空になるところだった。
「お待たせしました、青じそ菊花茶と、栗と無花果のパウンドケーキです」
「はいどーも」
彼の前に出して早々に撤退しようとしたのに間髪入れずに声が飛んでくる。
「お嬢ちゃん名前は?」
「ベニと言います」
「ふうん、年齢は? まだ高校生くらいだよな。学校は行かなくていいのか?」
「17歳です。……今記憶喪失で、名前と年齢くらいしか思い出せないんです。今忘れてしまっていることを思い出せるまでこの花橘にお世話になることになっています」
「へえ! ほぉ……ふうん。酔狂だな橘は」
フォークでパウンドケーキを突き刺し、そのまま口の中に放り込まれた。大きく開けられた口の中はのっぺりとした歯並びをしていて、知らず知らずのうちに目を逸らす。
金髪で軽薄な口調、金属のアクセサリーで、無意識のうちに彼は人間だと思っていたが、違う。そもそも三つ目の時点で人間ではないのだ。異形の者が多いために感覚が狂っていた。彼は人型の妖か何かだ。あの歯並びは人間のものではない。さらに言えば送り狼である伊地知のものとも異なる。草食動物の歯に近い気がした。
「で、半年近くここにいて、記憶は多少戻ったのか?」
「……いいえ、まだ何も」
「もし早々に記憶を戻す方法があるって言ったら?」
その一言で思考が完全に停止した。
「そんな、そんな方法があるんですか?」
「知りたいか?」
愉快そうに口角が吊り上がった。
昼時のピークを過ぎたところで、私は一人で店番をしていた。橘と飛梅は店の裏庭に埋めた銀杏を掘り起こしているのだ。地面に埋めて実を腐らせ、そこから銀杏を取り出すのだという。銀杏と言えば茶碗蒸しに一つ入っている程度の印象しかないのだが橘たちは大量に埋めていた。何か良い使い道があるのだろう。ただ橘が作るものなら間違いなくおいしい。
普段なら一人にされることはないが、昼時を過ぎてくる客は薬膳茶かお八つを食べに来る者、もしくは薬を受け取りに来る者だ。お茶程度なら店に出してもいいとお墨付きをもらった私は午後の一時店で客の対応をさせてもらっている。お八つにしてもその日出すものはすでに橘が作っていて、あとは客の前に出すだけなので任されている。ただ薬を求めてきた者に対しては私にできることは何もないため、早急に橘を呼び出す必要がある。いくら勉強していても生薬や漢方薬に関してはまだまだど素人。客とて私のような不安げな店員に任せたくはないだろう。
「暇だ……」
いいのか悪いのか、昼時のピークを過ぎてから客が来ない。安心と言えば安心なのだが、暇すぎるのも考え物だ。この店の経営はやっていけているのだろうか。
キッチン脇の椅子に座り私は薬膳の本をめくっていた。本には丸っこい癖字が書きこまれている。橘はあれでいて硬筆での字は随分愛らしい、と勝手に笑う。仏頂面がデフォルトなのに、意外と可愛らしいところが多い人だ。
薬膳関連の本を読み始めてからこの本で10冊目になる。もちろん今まで読んできたものすべてを覚えたわけでも作れるようになったわけでもない。今はとりあえず知識を増やしつつ自分で作れそうなものを模索している状態だ。メイン料理はまだまだだがお菓子の類はレパートリーも増えてきた。けれどそれを振舞いたいと思っていた鬼女は夏以来花橘へ来ていない。それがどうしようもなく気がかりだった。
「おうい、橘いるかい?」
静かな店の中に飛び込んできたのは若い男の声だった。
「いらっしゃいませ! 橘に御用ですか?」
暖簾をくぐってきた男の姿にぎょっとする。ひまわりのような金髪に耳にはこれでもかというほどピアスが着けられている。そして左手には大きな錫杖、さらにひときわ目を引くのが背中に背負っていた荷物だ。自身の背丈と同じ、いやそれよりも大きな箪笥のようなものを背負っていた。紫色の大きな三つ目がぐりぐりと動き店の中に橘がいないか眺めまわす。
「橘は今、店の裏で作業をしてます。お薬の関係であればお呼びします」
「薬の関係じゃなかったらお嬢ちゃんがなんかしてくれるのか?」
綺麗な大きな目が私の方を見透かすように見る。敵意や害意はない、がきっと彼はここの常連なのだろう。入ったばかりの私のことを試してやろうという意気込みを感じて思わず閉口した。
「お茶とお八つであれば私が対応します。ですがそれ以外であれば私では勉強不足なので、橘に」
「橘に用があるが作業中のところを呼び出すほどの急ぎじゃあない。お八つを食べてからにするよ。お八つとお茶頼めるかいお嬢ちゃん」
「かしこまりました」
慣れたように金髪の男は巨大な箪笥を床に置き椅子に腰かけた。息つく間もなく湯の準備をする。その間にも背中に視線が突き刺さっていたたまれない。害意はないが、興味はあるらしい。
今の季節のお茶は青じそ菊花茶だ。薬缶を火にかけながらガラスの急須に茶葉と青じそ、菊花をいれる薬膳茶に度々菊花を入れるが見た目が美しい分女性からの人気が高い。
「お嬢ちゃん、いつからここにいるんだ?」
「ええと、今年の4月からですね。もう5か月ここでお世話になってます」
「そうかぁ、ここんとこ来る機会もなかったんだよな。そりゃあいろいろ変わるわけだ。」
沸いたお湯を急須に注ぐとふわりと爽やかに香り立つ。あとは蒸らすだけだと棚の上の砂時計をひっくり返した。
「青じそ菊花茶か」
突然真後ろから声が聞こえた。つい先ほどまで机でおとなしく待っていたはずなのに。首筋に呼気があたりびくりと肩を揺らす。
「え、ええ。今の季節は季節の変わり目で体調を崩しやすいので、咽喉の炎症とうに効き目のあるものを、」
「そうだな。さらに言えば青じそ菊花茶は花粉症にも効果がある。秋はブタクサやよもぎの花粉も飛びやすいからこの季節にはいい選択だ」
被せるように話す彼に身を縮こまらせる。同業者なのだろうか。説明を途中で掻っ攫われる。完全に試されている。思えば彼の背負っていた大きな箪笥のようなものはこの店にある漢方薬の入った木箪笥とよく似ている。なんだか自信のない問題を先生に指名された生徒の気分だ。何か間違えてはいないかひやひやとしてしまう。
何とか振り向くと紫色の三つ目が細く私を見ていた。得体の知れなさに得も言われぬ悪寒は走るがお茶が蒸らし終わるまでの辛抱だ。お茶を出して、お八つを食べている間に店の裏の橘を呼びに行こう。
「お客さま、もう少しお時間いただきますのでお席の方でお待ちください」
「ああ、そりゃ悪かったな。ついつい物珍しくて」
悪びれた風でもない物言いだが、予想に反し、男はおとなしく荷物の置いた床の傍の椅子へと戻っていった。拍子抜けしつつも安堵する。
焼けたばかりのパウンドケーキを切り分け皿に盛れば、ちょうど砂時計が空になるところだった。
「お待たせしました、青じそ菊花茶と、栗と無花果のパウンドケーキです」
「はいどーも」
彼の前に出して早々に撤退しようとしたのに間髪入れずに声が飛んでくる。
「お嬢ちゃん名前は?」
「ベニと言います」
「ふうん、年齢は? まだ高校生くらいだよな。学校は行かなくていいのか?」
「17歳です。……今記憶喪失で、名前と年齢くらいしか思い出せないんです。今忘れてしまっていることを思い出せるまでこの花橘にお世話になることになっています」
「へえ! ほぉ……ふうん。酔狂だな橘は」
フォークでパウンドケーキを突き刺し、そのまま口の中に放り込まれた。大きく開けられた口の中はのっぺりとした歯並びをしていて、知らず知らずのうちに目を逸らす。
金髪で軽薄な口調、金属のアクセサリーで、無意識のうちに彼は人間だと思っていたが、違う。そもそも三つ目の時点で人間ではないのだ。異形の者が多いために感覚が狂っていた。彼は人型の妖か何かだ。あの歯並びは人間のものではない。さらに言えば送り狼である伊地知のものとも異なる。草食動物の歯に近い気がした。
「で、半年近くここにいて、記憶は多少戻ったのか?」
「……いいえ、まだ何も」
「もし早々に記憶を戻す方法があるって言ったら?」
その一言で思考が完全に停止した。
「そんな、そんな方法があるんですか?」
「知りたいか?」
愉快そうに口角が吊り上がった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
11
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる