薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで

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鬼女と小金の胡麻団子 10

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 真っ暗になった山を下りた私たちを出迎えたのは飽海だった。

 「お帰りなさい、みんな。それにお疲れ様」
 「ああ、本当にな。飽海、警察に連絡を、」
 「もうしてあるよ。お祭りに来ていたはずの女の子がいなくなった。それも最後の目撃証言が『夜の山へ一人で入っていった』という通報をね。……山に慣れてる花橘の主人が山へ捜索に入り、そこで偶然にも数日前から姿を消していた双子の男の子と女の子が眠りこけているところを発見、なんてシナリオでどうだい? あとはすべて悪い夢だったんだ」

 芦原神社は私たちが悠希を探しに行く時と何ら変わらず人で溢れ、楽し気な喧騒で覆いつくされていた。今の今まで子供が一人攫われ、捕らわれていたなんて悲壮感など一片も感じ取れない。

 「飛梅とベニは先に帰ってろ。警察からの聞き取りはとてつもなく長い」
 「明日の営業時間前に帰れると良いね、炉善」

 どこかうんざりとした橘は以前にも警察から取り調べでも受けたことでもあるのだろうか。ただいろんなモノが住んでいる山に一緒に住んでいるなら奇怪な事件に巻き込まれることも多々あるのだろう。

 「瑠奈ちゃんたちは大丈夫ですかね。トラウマとかになったりしそう……」
 「かもしれん。一番いいのは全部夢だったってことにすることだ。悠希は山で迷子になり、数日後に瑠奈が偶然それを見つけた。……警察も多分その説明しかしない、というよりその説明しかできない。非現実的なことを肯定はしないだろうよ」
 「でも今後、ルナちゃんとハルキくんは見鬼になる可能性はあるよ」
 「見鬼?」

 聞きなれない言葉に首をかしげると飽海が言葉を継いだ。

 「見鬼は“鬼を見る人”、要するに妖や幽霊、本来人には見えないものを見る人だよ。私や炉善は見鬼だ。生まれつき見える人もいれば、何かのきっかけで見えるようになる人も、見えなくなる人もいる」

 そう言われ私も見鬼というものになっているのだと気づいた。記憶はないが、きっと私は見鬼ではなかった。一般常識の知識は欠けていないのに山の中に潜む者たちを見て反射的に得体の知れなさに怯えた。以前から見えていればそうはならず、通常の景色として処理していただろう。
 飽海に初めて会ったときの青年もそうだった。一人は飛梅の声や姿を確認していたが、もう一人には全く見えていなかったし聞こえていなかった。彼も見鬼だったのだろう。

 「それともう一つ、特別な時だけ人に見えやすくなることがある」
 「特別な時?」
 「そうだね、例えば今日みたいな祭りの日。生きている者もそうでない者も浮足立ち、さざめきに紛れ、陽気に楽しむ。区切りがあいまいになるんだ。その結果、通常見えない普通の人にも妖たちの姿が見える。同じように黄昏時も生者と死者との境があいまいになりがちだ。それと夜中の心霊スポットや山っていうのは逆に死者の世界に生者が迷い込んだ形になって、見えやすくなる」

 瑠奈と悠希はその特別な時に当てはまっていたのかもしれない。鬼女の梓乃と遭遇したのは山の近くで夕方。さらに今日に関しては夜の山で芦原神社の祭りの当日。見えやすくなる状況が重なっていた。

 「特別な時以外は見えなくなるんですか?」
 「なるかもしれないし、ならないかもしれない、ね。今回あの双子が見えたのは多分特別だ。けどこれをきっかけに見鬼になる可能性は正直否定できない。はっきりとは何も断言できないね」

 飽海は少しだけ困ったように眉を下げる。
 日常生活を送りながら見鬼になることの大変さを、きっと飽海は知っているのだろう。生まれつき見鬼の飽海と橘は、人と違う世界を見続けている。幼いうちはとくに大変だったのではないだろうか。少なくとも私は、一人でいるときに恐ろしげな妖の類を見るのはいまだに耐えられない。夜の山はとてもではないが出歩こうとは思えない。

 「まあ要するに、今日という日は普段君たちを目視できない人たちも姿を見ることができる。つまり屋台で買い食いすることもできるというわけさ! ねえ炉善?」
 「はあ、そうだな。こういうのはあまり好きじゃないが、今日は帰れそうにない。お前たちも腹が減ってるだろ。これでなんか買って帰れ。お八つだけじゃなくて腹に溜まるもんもちゃんと食えよ」

 そう言って橘は懐から五千円札を私たちに差し出した。

 「わわ! やった! 今年はもう無理かなって思ったけどもらえた! やったうれしい! ねえベニちゃんたまには不健康なもの食べよう! 何が入ってるかわからないたこ焼きとか不衛生の極みみたいな焼きそばとか!」
 「そんなマイナスイメージがあってよくそんなにワクワクできるね!?」

 私の手を引き露店へ走り出そうとする飛梅を何とか捕まえていまだ寝こけたままの双子を見やる。

 「あの、二人が起きたらよろしく言っておいてください。それと、警察のお相手頑張ってください」
 「おう、ここからは大人の仕事だ。子供は腹いっぱい食って寝てろ。俺がいないからって夜更かししすぎるなよ」

 そう手を振る橘に見送られ、私たちは楽し気な喧騒の中へとのまれていった。
 


 「ねえ、ベニちゃん」
 「どうしたの?」
 「苦しかったねえ」
 「……うん」
 「でもね、物事は全部分けて考えなくちゃいけないよ。シノのことは辛かった。ルナとハルキは再会できてよかった。私たちはルナの願いを叶えることができた。これは全部一度に起きた事象だけど、考える立場によって、見え方は全く変わってくる」
 「……そうだね」
 「だからしんどくなった一度全部切り離すの。今私たちが考えるべきことは今夜の晩御飯を調達すること。お腹が空いてるからそれを満たして、心が疲れたら寝て補う。シノのことはそれから考えればいいよ」

 私と目を合わせることなく飛梅は淡々と言った。見た目にそぐわない大人びた言葉だ。

 「シノの問題はシノのもの。それを解決してあげたいって思うのはきっとベニちゃんの美点だよ。でもそれはベニちゃんの問題でも責任でもないんだ。だから急がなくていい、焦らなくていい」
 「解決、できるとは思ってないよ。きっと梓乃さんのあれは、梓乃さんである以上なくなったりしない」

 子供を殺した罪も、それを抱え続ける呵責も、飲み込まれそうな罪悪感も、そのすべてがあるからこそ、彼女は鬼女なのだ。罪も呵責も罪悪感も、なくなることは決してないだろう。

 「それでいいよ。この先の時間はずっと長い。そしてここまでのシノの道のりも長かった。ベニちゃんが思っているよりもね」

 決して私の口からは言えない言葉だ。いやきっと橘にすらいえない。彼女の同じように、長い長い時間をあり続けた飛梅たちにしか言えない言葉だ。

 「私にできるのはたくさん勉強して、たくさんの教えてもらって、梓乃さんにあった料理を作れるようになることくらいだよ」

 同じ時間は歩めないから、私はせめて良き店員となろう。よき隣人となろう。
 ただ彼女が孤独になってしまわないように。罪を知っていて、知ったうえで関わり続ける私という人間が、彼女のせめてもの慰めになるように。
 場違いなスーツを着た男性たちとすれ違った。きっと飽海が通報して呼んだ警察官だろう。
 目玉焼きの乗ったソース焼きそばと綿あめ、ベビーカステラを手に、私たちは花橘へと足を向けた。
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