漫画のつくりかた

右左山桃

文字の大きさ
上 下
37 / 48
番外編

【日菜子視点】早く大人になりたくて・1

しおりを挟む
 青空に向かってポーンと放たれたバレーボール。
 お日様と重なったそれは、私めがけて綺麗な弧を描きなが落ちてくる。
 ボールが落ちてくる場所を見定めながら右往左往して、両手を差し出したのも虚しく。
 腕の脇を掠めながらボールは落ちて、バウンドを繰り返しながらコートの外へと出ていった。
 ボールを取りに走る味方チームの姿を目で追いながら、敵チームが「いぇーい♪」と声を上げながらハイタッチしているのを背中で感じる。

 今は体育の授業の真っ最中。
 体育はあんまり好きじゃない。百歩譲って『好きじゃない』
 きっぱりハッキリ言えば苦手で嫌いで、もうどうしようもないってレベル。
 小学校の頃からどんなに頑張っても、成績表で3以上はお目にかかったことがない。
 私の運動神経はきっと脳内のどこかでプッツリ切れている。
 自分の頭の中なんて見たことないけど、そんな気がする。

 私の守っている所は点数稼ぎに絶好の場所なんだと思う。
 さっきから明らかにここが集中して狙われている。
 ニヤニヤしている敵チーム。
 味方チームの感情も私にとっては似たようなもの。
 ため息にも憤りにも近い感情をすぐ傍で感じて、自分がコートの中でひとりぼっちになってしまったような気がする。

 でも、それが何だって言うの。

 顔を上げて前を見据える。
 今の状況で私にできることは、唇をきゅっと結び直して、次こそはとボールを待ち構えることだけ。
 例え苦手なことだとしても、それを諦める気は毛頭ない。
 どんな逆境にいても、気持ちだけは絶対負けない。負けたくない。

 再び自分の元に飛んできたボールを追いかけて、数歩後ろに下がる。
 目に入る太陽が眩しい。
 持ち上げた頭がクラクラして、一瞬意識が途切れたような気がした。

「あ……」

 それはほんの、ほんの一瞬のことだったと思うけど。
 次に気づいた時にはボールはもう眼前まで迫っていて。

 あぁ……。

 それでやっと諦めがついた。
 私にできることはもう何もないんだって。
 バシーン!と言う大きな音と衝撃を顔いっぱいに受け止めて。

 前途……多難だなぁ……。

 ゆっくりと目を閉じる。
 体のバランスを後ろに崩しながら、今度こそ本当に意識を手放す羽目になった。



***



 ひんやりした誰かの手がおでこに当たってる。

「おい、日菜子! 気がついたか? 大丈夫か!?」

 遠くで愛しい人の声が聞こえたような気がした。
 夢? それとも、恋しすぎてついに幻聴が聞こえるようになっちゃったとか?
 サトちゃんは仕事を、私は学校生活に専念するようになって暫く経つ。
 毎日指折り数えているけど、サトちゃんの原稿が上がるのはもう少し先。私がサトちゃんに大手を振って会いに行けるのももう少し先。
 今頃は、アシスタントさん達が入ってサトちゃんのアパートが活気づいてる頃なんだろうな。
 会えない日が延びていく、この生活にもいい加減慣れないといけないのに……。

 ハァ……と深いため息をついて、ゆっくりと目を開くと、心配そうな顔がふたつ私を覗き込んでいた。
 ひとりは髪を肩で切り揃えているお母さんくらいの年齢の白衣の女性。もうひとりはサトちゃん。
 サトちゃん……。
 なんでサトちゃん!?
 思わずガバッと跳ね起きると、白衣の女性とサトちゃん両方から肩を掴まれてベッドに押し戻された。

「だーもー! 頭打ってるから! 急に起きるんじゃねーって」

 改めて辺りを見回せば――視界の半分はベットの周りを囲うカーテンで隠されているけど――どうやらここは学校の保健室。白衣の人は記憶が朧げだけど、保健の先生で間違いなさそうだった。
 サトちゃんが保健室にいるという非現実的な光景に、やっぱこれは夢だな! と確信する。

「愛里さん、体育の授業でボールが頭に当たって倒れたのよ。倒れた時に頭を強く打ってるかもしれないから安静にね」
「あぁ……」

 確かに体育の授業から記憶がプッツリ途切れている。
 じゃあこれは、そこから続いてる夢なのかな。

「ボール見てたら、なんかクラクラしたんだよね……」
「貧血気味だったのかもしれないわね。今日はもう帰って休んだ方がいいわよ。担任の先生には話しておくから。一日は安静にして、吐き気がしたり頭の痛みが強くなったら病院に行くのよ?」
「…………はい」
「じゃあ、川内さん。あとは宜しくお願いします」
「ありがとうございました」

 ボーッとした頭で、保健の先生とサトちゃんのやりとりを交互に見る。

「じゃあ、タクシー呼ぶから。帰るぞ日菜子」
「帰る? どうせ夢なら時間がもったいないじゃん。ここでイチャイチャしてこうよ」

 ポンポンとベッドの上を叩く。
 さすがの私でも現実じゃこんなこと言えないけど、夢だから大胆になれちゃうんだなー。
 もうどこで何してたっていいよね。どうせ夢だしね。
 学校の保健室で恋人とイチャイチャするなんて……まるで漫画みたいな展開。
 ニマニマしている私とは対照的に、サトちゃんは困惑を通り越して、ちょっと青ざめた顔をしていた。

「おまえ、本当に大丈夫なのか?」
「ちょっとおぉ! 保健室でいかがわしいことしないでよ?」

 業務に戻ったと思った保健の先生が、勢いよくベッドのカーテンを開けて怖い顔で睨んでくる。

「いやいや。あり得ませんから! 絶対しませんから!」

 全力で顔を振って否定しているサトちゃんを見ながら、はて? 夢なのに全然思い通りにならないなぁ……と訝しむ。
 サトちゃんは、そんな私に向き直り深い深いため息をついた。

「あのな日菜子。今日はおばさんから連絡が着たんだよ『日菜子が倒れたって学校から電話があったから心配だ』って。それでおばさんの代わりに俺が迎えに来てんの」
「えっ」

 お母さんは昨日から単身赴任先のお父さんの所に行っている。
 お母さんが迎えに来れないから、サトちゃんがここにいるってこと?
 この不思議なシチュエーションの辻褄が合って、私はようやくこれが現実だということに思い至った。
 サトちゃんと私の体面を守るため、緩んだ顔をキュッと引き締め優等生モードにシフトする。

「すみません。なんか私、打ち所悪かったみたいですね」

 まだこちらをジッと見ている保健の先生に、至って真面目にそう言ってはみたものの……。
 手遅れ感は否めなかった。




 鞄を教室に取りに行く。
 もう次の授業が始まっているので廊下は静かで、サトちゃんは少し気まずそうに顔を窓に向けながら、廊下の隅を歩いていた。
 私のクラスは化学室に移動したらしく、教室には誰もいなかった。
 サトちゃんは私のクラスが新鮮なのか、自分が高校生だった頃が懐かしいのか、キョロキョロと物珍しそうに教室を見渡している。
 私は机の横にかけてある鞄を探った。
 取り出したスマホにはお母さんからの着信が1件入っていた。
 1件。たったの1回、私が電話に出られなかっただけで娘にかけるのを諦めて……。

「……なんで、すぐサトちゃんに連絡しちゃうんだろ……? 信じらんない……」
「いっそ高校に提出してる緊急連絡先を俺のスマホにしてもらう?」

 あっけらかんと笑ってるサトちゃんを尻目に、両親への怒りがわいた。

「それにおばさん、日菜子と連絡がとれたとしても『大丈夫』って言われると思ったんじゃね?」
「そりゃ言うよ。どうせお母さん遠くにいるし。体調悪くなったって『じゃあサトちゃんにお願いしよっかな~』って発想になるもん」
「それならやっぱり俺に直接連絡した方が早いじゃんか」
「えぇぇー」

 堂々巡りで、結局そうなるの?

「昔から、いっつも。いっつもそうだよ。なんで……兄弟でもないのに……川内家への迷惑も考えないでさ……うちの両親はホント無神経だよ……。サトちゃんは漫画家で忙しいって……お母さんだって知ってる筈なのに……」
「おばさん、ほんわりした人だからな。俺が何やってんのかイマイチピンときてなさそうだよな……」
「やだよ、もう。ホントしっかりして欲しい」
「なんで。可愛い人じゃんか。おばさんのこと悪く言うなって。おばさん、おじさんのこと大好きなのに離れてて心配なんだよ。でも、おじさんのとこにいる間、今度は日菜子のことが心配なんだよ。ジレンマ抱えてるんだって」
「……そりゃぁ……。お父さんのことが大好きなのに、引っ越さないで! っていう私の願いを聞き入れてくれたお母さんには感謝してる……感謝してるよ。でも……」
「でも?」
「……私はサトちゃんに迷惑かけたくないんだよ……」

 わかってる。
 お母さんだってお父さんに会うのをずっと我慢してる。
 私にお母さんのことなんて言えない。
 泣いて喚いて我儘言って、この状況を作りだした私にもきっと責任はある筈だから……。

「そんな寂しいこと言うなって。俺としては安心だけど? なんかあったら真っ先に連絡来る方が」
「でも……」
「てゆーかさ。言えよ。おばさんがおじさんとこに行ってるなら。日菜子、家帰ってもひとりじゃんか」
「でも3日間だったし……。サトちゃん締め切り近いし……」
「何日だろうが家にひとりになる時は絶対連絡しろよ。なんで普段はグイグイくる癖に遠慮するんだよ」
「…………」
「まぁ、アシスタント入ってるから、家狭いけどさ。飯くらい一緒に食おうぜ? 俺、原稿やってるかもしれないけど、学校で何があったか話して欲しいし」
「…………行っても……いいの?」
「……え、なんで、だめ?」
「日菜子もう原稿触っちゃいけないし……」
「別にいけなかないけど、そこは一応線引きしとこうぜ……」
「……邪魔したくないし……」
「邪魔なわけないだろ!」

 なんとなくサトちゃんの顔が見られなくて目を逸らした。
 今のは卑屈だった、と自分でも思い反省する。
 今までは、ずっと仕事の戦力としてサトちゃんの役に立っていた自負があったけど、何の役にも立たない今、どんな理由づけをして会いに行ったらいいのかわからなかった。
 
「日菜子、制服に着替えて帰る用意するね」
「……わかった。廊下で待ってる」

 体操着から制服に着替えて、一応予習をするために明日の授業の教科書を鞄に詰める。
 鹿乃子の机の上に、『今日は早退するね』とメモを書いて置いた。
 もしかしたら私のことなんて気にしないかもしれないけど……でも帰ったら帰ったで、何も言わずに帰って~とか、思われるのかもしれないし……。
 友達との距離のとり方も、私には少し……難しい。
 鹿乃子と仲良くなったのは数ヶ月前。私と仲よくしなくても、鹿乃子にはマナや……他の友達がいる。
 どこまで親しくしても良いのか悩む。

 帰りの支度を終えて、サトちゃんとまた校内を歩いた。
 教師の声だけが響く静かな廊下を歩いて、靴箱、グラウンドへと抜ける。
 かけ声と足並みを揃えてトラックを駆けていく生徒を横目で眺めて、皆が真面目に授業を受けている間に人知れず帰る自分に気が引けた。
 そんな生真面目さがおかしくてクスッと笑う。
 学業なんてサトちゃんと一緒にいるために――漫画ばっかり描いて、と他人に思われないために――頑張ってきただけだったけど、真面目な生徒を装うことが、心と体に染みついてしまったのかもしれないなぁ……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

カンナの選択

にゃあ
ライト文芸
サクッと読めると思います。お暇な時にどうぞ。 ★ある特別な荷物の配達員であるカンナ。 日々の仕事にカンナは憂鬱を抱えている。 理不尽な社会に押し潰される小さな命を助けたいとの思いが強いのだ。 上司はそんなカンナを優しく見守ってくれているが、ルールだけは破るなと戒める。 しかし、カンナはある日規約を破ってしまい、獄に繋がれてしまう。 果たしてカンナの選択は? 表紙絵はノーコピーライトガール様よりお借りしました。 素敵なイラストがたくさんあります。 https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】

まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と… 「Ninagawa Queen's Hotel」 若きホテル王 蜷川朱鷺  妹     蜷川美鳥 人気美容家 佐井友理奈 「オークワイナリー」 国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介 血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…? 華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

流星の徒花

柴野日向
ライト文芸
若葉町に住む中学生の雨宮翔太は、通い詰めている食堂で転校生の榎本凛と出会った。 明るい少女に対し初めは興味を持たない翔太だったが、互いに重い運命を背負っていることを知り、次第に惹かれ合っていく。 残酷な境遇に抗いつつ懸命に咲き続ける徒花が、いつしか流星となるまでの物語。

処理中です...