漫画のつくりかた

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番外編

【日菜子視点】ふたりは関係を進めたい・7

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 夢をみていた。
 暗闇の中を、一本の白い道がぼうっと光りながらまっすぐに延びている。
 その、ずっとずっと先をサトちゃんが歩いている。
 私は歩幅が小さくて、いくら一生懸命走っても、全然距離が縮まない。
 もう追い付けない……そう思って泣きそうになると、心配そうな顔でサトちゃんが立ち止まって待っている。
 今度こそ、そう思ってもう一度サトちゃんに向って駆け出すと、サトちゃんもまた踵を返して歩き出す。
 縮まらないけれど、広がらないふたりの距離。
 なんだかんだ言われても、サトちゃんが私に甘いこと。
 本気で突き放さないことを、幼い頃から知っていた。

『恋人として傍にいて欲しい』

 そう言ってくれた時も、これがサトちゃんの罪滅ぼしなのだと、頭のどこかでは解ってた。
 それでもこの千載一遇のチャンスは、神様がくれたチャンスだから。
 罪滅ぼしでもなんでもいい。
 今さらプライドなんていらないから。
 打算的だと言われても、誰より一番傍にいたい。
 今よりもっと努力するから。
 いつか本当の恋人になる。
 愛されている、大切にされている自信は昔からあるよ。
 
 だから、大丈夫だよ。
 きっと、大丈夫。
 私たちは、大丈夫。

 そう繰り返し思いながら、本当はずっと怖かった。


 窓から零れる光が瞼の上に落ちて、私はゆっくりと目を開けた。
 窓の向こうで空が白ばみ始めている。
 もう早起きの小鳥達が楽しそうにお喋りをしている声が聞こえる。
 夜明けが近い。

 そっと寝がえりを打つと、サトちゃんが穏やかな寝息をたてている。
 無防備な寝顔が可愛くて暫く眺めていたけれど、はだけた浴衣から鎖骨が見えて、なんだか急に恥ずかしくなった。
 そろそろとサトちゃんを起こさないようにベッドを抜けて、布団の中でまるまっていた浴衣を探して引っ張り出す。
 もっかい、お風呂に入らないと駄目だなぁ……。
 浴衣を羽織りなおして、窓の向こうに目を向ける。
 お風呂は確かいつでも入れた筈だし、早朝に入るお風呂も良いかもしれない。

 あの後、いつ眠りに落ちたのかよくわからない。
 意識を手放したのはどちらが先だったんだろう。
 溶け合うような幸福感。
 最後の方は頭が全然まわらなくて、夢だか現実だか曖昧になっているけれど。
 サトちゃんが達する直前に、掠れた声で「愛してる」と言ってくれた気がする。
 その後は強烈な眠気に襲われて、崩れ落ちるように抱き合いながら眠った。

 軽く、腰を捻ってみる。
 初めての時は結構体に響くものだとか聞いていたけれど、別にそんなこともなく。
 体にこれといった違和感は残っていない。
 マナから聞いていたのとは、だいぶ違ったなぁ。
 ぼんやり昔を思いだすと、高校生の頃は、よくそんな話で盛り上がっていた。
 あれで大分、耳年増になったと私は思っている。
 マナは高校に入ってすぐに初体験を済ませてしまっていたので、よく話題の中心になっていた。

『で、ぶっちゃけどんな感じなの?』
『痛いの? 気持ちいいの?』

 皆の興味深々な視線を集めながら、マナは相変わらずのゆったりとした口調で言った。

『うん、初めてはぁ、本当にすっごぉく痛かったよぉ~』

 本当に痛かったの? と疑いたくなるようなのんびりした笑顔を皆に向ける。

『なんていうのかなぁ……。体の真ん中から引き裂かれる、引き千切れる痛さって言うのかなぁ……。鋭利な刃物でえぐられてるって言うのかなぁ……』

 マナは、うーん……と手を組んで言葉を探す。

『まぁ、とにかく。上手くは言えないんだけどさ、痛くて泣き叫んで、ついでに呼吸が止まったよ~』
『…………』

 呼吸が止まったのは、あの時あの場にいた一同だったと思う。
 鹿乃子が蒼白な顔で、『ほ……ホラ、マナっちがそゆこと言うから日菜子マジびびってんじゃん!』とか全然目が笑っていないのに、無理して笑い声を上げながら背中をバシバシ叩いてきた。
 そんな話を聞いていれば、想像も広がるし怖くだってなる。
 別に、怖かったのは、痛いことじゃない。
 もしも、我慢できない痛みに泣き叫びでもしようものなら、絶対にサトちゃんは続けてくれない。
 それどころか、二度と私としたいと思ってくれないかもしれない。
 それだけは絶対に避けたい。
 潔癖な人だと思う。
 決して性欲が無いわけでは無いと思うし、挑発すればまんざらでもない反応だけど、私に性欲を持つことに嫌悪感と罪悪感を持っている。
 優しい人だと思う。
 だから痛がる私の姿を見せることで、傷つけたくはなかった。
 さて?
 果たして、初めてというのはどれだけの痛みを伴うものなのだろう。
 自分は上手に痛みを隠してやり過ごすことができるのだろうか。
 そんなことをずっと悶々と考えていた。
 乗り気と見せかけて、内心結構ビクビクしていたこと。
 サトちゃんにはなんとなくバレていて、そこは誤算だったけど。
 実際のところは、そんなに痛くはなかった。
 本当にただの杞憂でしかなかった。
 まぁ、マナだってあの後、感じ方は個人差が大きいし、相手にもよると思うと言っていたんだけど。

「…………」

 サトちゃん、優しかったなぁ。
 昨夜は自分ことでいっぱいだったけど、思い返せば、サトちゃんは自分の快楽よりも、私のことばかり気にかけてくれたように思う。
 ゆっくりゆっくり、心と体がほぐれるまで、時間をかけて愛してくれた。
 別にサトちゃんさえ何とも思わなければ、物凄く痛くても良かったし、めちゃくちゃにされても構わなかった。
 ひたすら抱いてほしいとしか、今まで思ってこなかったけれど。

『大事なんだよ』

 あの時言ってくれた、あの言葉は、私が思っていたよりもずっと、本当にそうなんだと実感した。

「……ん…………」

 サトちゃんが小さく呻き、薄く眼を開ける。
 まだ眠そうな顔で、隣にいない私を探す。
 窓辺に佇む私を見つけて、少しだけほほ笑んだ。

「相変わらず、早起きだな……」

 サトちゃんの優しく掠れた声に、胸の奥がきゅっとなる。

「おいで」

 思わず、私は目を見開いた。
 朝焼けが差し込んで、窓から入り込むその光が一筋の道みたいに見えて、さっきの夢の続きを見ているのかと思った。
 確かに自分に向って伸ばされている腕の中に、私は無心で飛び込んでいた。
 懐かしくて優しい匂いが体を包み込む。
 焦がれて焦がれて必死で守ってきた温かい場所。
 想いをぶつけることしかしなかった。
 サトちゃんが何を考えて自分といてくれるのか、なんて。
 後ろ向きな気持ちにしかなれないと思って考えようとしなかった。

 馬鹿みたいだけど。
 今さらだけど。
 やっとずっと、追いかけてばかりだったんじゃなくて、隣を歩いてくれていたことに気付いた。
 そうだよね。
 片思いなんかじゃ、とっくになかったよね。
 サトちゃんの、私への想いが恋に変わったのはいつだったんだろう。

「なんだ……私のことで……頭いっぱいだったんだね……サトちゃん」

 昨夜の喧嘩を思い出して、思わずが笑みが零れる。
 一線を越えることばかりに拘ってしまったけど、本当はそんなこと、どうでも良かった。
 恋人だという確かな自信が欲しかった。

「私、馬鹿だよね……」

 大事だと言われても、正直ピンとこなかった。
 宝物のように大事にされるより、女の子として求められたくて、畳みかけるようにひたすら自分の愛を叫んできたけれど。

「サトちゃん、日菜子のこと本当の本当に好き?」

 あの時最後まで聞かなかった言葉を、もう一度訊く。
 答えはすぐに返ってきた。

「好きに、決まってんじゃんか」

 ずっと大切に思ってる。
 喜ぶことが知りたいし。
 幸せにしてやりたいと思ってるよ。

 昨夜の言葉の重みを今頃理解してツンと鼻にきた。
 サトちゃんは腕の中へ私をおさめると、ひとつ大きく息をついて、また深い眠りに落ちた。
 抱きしめられた肌から伝わる温度と、規則正しく上下する胸が私の眠気を誘う。
 温かくて大きな腕の中は守られている気がするし、抱きしめる腕に力が入るたびに求められている気がする。

 愛しい。
 支えたい。
 守っていきたい。

 大好きな、この人を。
 この人の、夢を。

「……サトちゃん……私ねぇ……」

 まどろみながら、サトちゃんの背にゆっくりと手をまわして私もほほ笑む。
 その拍子に、目尻から涙が零れた。

「すごぉく、すごぉく……幸せだよ……」
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