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右左山桃

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番外編

【日菜子視点】ふたりは関係を進めたい・5

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 次に私が意識を取り戻したのはベッドの上だった。
 ぼやけた視界に、私を心配そうに覗き込むサトちゃんと、見慣れない天井が映る。

「気がついたか?」
「…………?」

 ここはどこだっけ……。
 私は、いったい……。
 ひんやりするなぁと思ったら、頭と顔、足には濡れタオルが巻いてある。
 サトちゃんは灰色と白の縦縞模様の浴衣に着替えていて、気付けば私も白地に桔梗柄の浴衣を着せられていた。

「……なんかスースーする……パンツとブラが……ない気がする……」

 ペタペタと胸元を探っていると、赤い顔のサトちゃんと目が合った。

「……そこまで丁寧に着せてやる余裕はなかったんだよ……」

 そっか、なんだ。サトちゃんが着せてくれたのか。
 朦朧とした頭で思い、またウトウトし始めて我に返った。

「う、え!?」

 体を起こそうとしたら、途端に気持ちが悪くなって口を押さえる。

「……急に起きるなよ、倒れてるんだから」

 少しずつ状況を把握していく。
 恐る恐る窓の外を見ると、まだ夏なのに日はすっかり落ち、灯籠が竹垣を照らしていた。

「い……今……な……何時……?」

 ぎ、ぎ、ぎ、と機械仕掛けの人形のような動きで私はサトちゃんの方を向く。

「あぁ」

 サトちゃんはスマホを見ながら「8時」と答えた。
 体中から血の気が引いていく。
 一日が終わった。

「私……一体、何時間寝てた……? しゅ……取材は……お、お仕事……」
「あー、別にいいって。そんなの気にしなくていいから寝てろよ」

 スポーツ飲料を手渡される。
 半分くらいまで減っているところを見ると、私が倒れてからずっと飲ませてくれたのかもしれない。
 サトちゃんの足を引っ張ったことが大ショックだった。
 スケベなことばかり意気込んで考えてた。
 本来の目的だった取材を、サトちゃんとイチャラブしてから行けばいいと後回しにした愚かな自分を殴りたい。

「……ごめんなさい……」

 やっとそれだけ呟いて、私はふらふらとベッドに倒れこんだ。
 そんな私の様子を見て、サトちゃんは力なく笑う。

「のぼせたんだと。無理も無いよな。日菜子は寝不足だったし、俺よりずっと長い間湯船に浸かっていたんだから」

 お風呂での一件を思い出して、かあぁっと頬が火照る。
 そんな私とは真逆で、サトちゃんは思いつめた表情をして俯いていた。

「……サトちゃん? どうしたの……?」
「怖い」
「へ?」
「いとも簡単に理性が飛んだ自分が怖い。普段なら絶対、こうなる前に気づけてた。我を忘れて、日菜子の容体に倒れるまで気づけないなんて。ホントどうかしてた」

 ズーン……と、私以上の落ち込みを見せるサトちゃんに、私はベッドから這い出してオロオロした。
 こんなの完全に私の落ち度で、サトちゃんが自分を責めるなんてお門違いも甚だしい。
 
「いやいや。私自身倒れるなんて思わなかったんだから、サトちゃんに分かる訳ないじゃない」
「いや、これはかなり反省」
「……は……反省て、もうしてくれないの?」
「…………」
「日菜子はぁ、サトちゃんがぁ、日菜子をいっぱい求めてくれて嬉しかったんだけどなぁ~」
「…………」

 必死の媚も虚しく、サトちゃんは「……はぁ……」と暗い顔で溜息をついただけだった。

 うあー!
 私のばかばかばかー!
 色仕掛けどころか、最悪の展開になってしまった。
 なんでのぼせたりなんかしたの!?
 昨夜きちんと寝ていないから?
 でもサトちゃんとついに……! って考えたらドキドキして眠れなかった。
 こんなことになるなんて……あの時、倒れさえしなければ……。
 そこまで考えて、ふと思う。
 あの時気を失わなかったら、今頃どうなっていたんだろ。
 思い出しただけでも、またぐんぐんと顔の温度が上昇する。
 胸に触れた指先も、熱に浮かされるように口づけられた感触も、まだ鮮明に思い出せる。
 優しいサトちゃんも良いけど、余裕がないサトちゃんに求められるのは、最高過ぎて病みつきになりそうだった。


「ご気分は如何でしょうか?」

 部屋に夕飯が運ばれてきた。
 テーブルに料理が置かれている間、「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」とサトちゃんは絶えず仲居さんに頭を下げていた。
 私が意識を手放している間に、色々な人に迷惑をかけてしまったみたいだ。

「……ごめんなさい」

 私も仲居さんと、もう一度サトちゃんにも謝る。

「いえいえ、お気になさらずに……」

 仲居さんから含みのある笑顔を返された気がする。
 食事の準備が終わり、ふたりきりに戻ったので話を振ってみた。

「仲井さん、何か言いたそうじゃなかった?」
「あぁ、きっと、恋人との旅行に浮かれて、我慢できずに風呂で手を出した馬鹿彼氏だと思われてるから」
「え、えぇ!?」

 お客様にそこまで酷いこと思わないでしょうよ~。
 サトちゃんてば、そこまで自虐しなくても~!

「気分、大丈夫か? 食えるか?」
「うん、うん! 全然っ……全然大丈夫っ!」

 前菜の盛り合わせから、蟹入りの茶碗蒸し、お刺身の盛り合わせ、山菜の天麩羅、黒毛和牛のしゃぶしゃぶ……。
 普段あまり口にしないような豪華な料理が並んでいたけど、私には全然味がわからない。
 それでも、サトちゃんに元気なところを見せたくて美味しそうに食べた。
 あくまで体調を考慮しながら。
 普段の量の半分くらいを食べて、下げてもらう。
 料理を下げてもらう時にも、仲居さんから「ごゆっくり」という意味深な視線を受け取った……! ような気がした私は、決意も新たに奮起する。
 落ち込んだって仕方ない、失敗した分は取り戻す。
 取材は明日、サトちゃんとの仲を深めるのは今夜。
 そう、夜はまだまだこれからなんだから。

 食後のお茶をすすりつつ、すっかりまったりしてしまったサトちゃんに、私は切り出す。
 なるべく、可愛らしい声で。

「サトちゃんも、あの時は日菜子とエッチしようって思ってくれたよね?」
「げほ! ……ぇほ……」

 不意打ちだったらしく、サトちゃんは飲んでいたお茶で思い切りむせた。
 口を手の甲で拭いながら赤面するサトちゃんを見て、私は、よし! と心の中でガッツポーズをとる。
 手ごたえはあるとみた。
 四つん這いになって、ジリジリとサトちゃんとの距離を詰めていく。
 俗に言う女豹のポーズで、首を傾け訊いてみる。

「つ……続きをしませんかね?」
「おまえも懲りないな……。倒れてるんだから、そのくらいにしとけよ」

 しかし、釣れない。
 サトちゃんは今度こそ本当に理性を貫くみたいだ。

「う……うぅぅ~……」

 どうすれば、サトちゃんがその気になってくれるのかわからず、私は低い声で呻いた。
 仏頂面をしている私に、サトちゃんは困ったように笑う。

「まぁ、機嫌直せって」

 サトちゃんは私の手を取り、あぐらをかいた足の間に座るよう促す。
 思わず緩みそうになる口をキュッと真一文字に結ぶけど、後ろから抱きしめられたら敢えなく破顔してしまった。

「日菜子と一緒に旅行ができて嬉しいんだよ」

 そう言って、優しく髪を撫でて頬をすり寄せてくるサトちゃんに、愛しさが爆発しそうになる。

「明日こそ、どっか行こう。日菜子の好きなとこ、知りたいし」

 私を腕の間に挟んだまま、旅行ガイドのページをめくり始める。
 だ……駄目だ……強い。勝てない……。
 このままサトちゃんにほだされる。
 でも、このままでもいいのかもなぁ……と私は半ば諦め始めた。
 だってすごく幸せで。

「日菜子を抱っこしてると、癒されるよなー」

 そう、癒される。

「…………」

 違う!
 私はクワッと目を見開いて頭を振った。
 とっても幸せだけど、なんかこれは違う! 違う! 違うー!
 機嫌の悪い私を抱っこして、よしよしとあやすって……。
 そんなの恋人というより、まるで赤ちゃんじゃないの!
 流されちゃ駄目。
 我に返った私は、毅然とした態度でサトちゃんの方を向いた。

「サトちゃんはさ、日菜子のこと本当の本当に好き?」
「……おまえ、人の話聞いてた? ……っ……!?」

 サトちゃんが言い終わるよりも早く、キスでサトちゃんの口を塞いだ。
 正確には微妙に唇の位置より下にずれた。
 ぷはっと息継ぎをするように顔を上げて、首をかしげる。
 自分からキスを仕掛けたのは初めてだった。

「ふぅん? キスって、するの難しいんだね……」

 驚いて仰け反るサトちゃんに、負けじともう一度キスを試みる。
 ちゅっ、ちゅっ、と軽いキスを繰り返してみるものの、どうにも上手く唇に唇が重ならなかった。

「いつも、サトちゃんはどうやってキスしてるの?」

 思わず、不満げに唸ってしまう。
 サトちゃんは困惑しつつも、恋人同士の戯れだと思い直したのか、真面目に考えて答えてくれる。

「多分、目を瞑るタイミングが日菜子は早いんだよ……。口の位置を確認してから目を閉じないと……」
「なるほど」

 サトちゃんの助言を得て、唇の位置をちゃんと見ながら顔を近づける。
 触れる寸前に目を閉じれば、なるほど確かに。さっきよりも正確に唇押し当てられた。
 目を開けば、顔を赤くして目を逸らすサトちゃんがいて、下手くそなキスでも相手の心を動かせることに感動した。
 一生懸命バードキスを繰り返しながら、サトちゃんに体重をかける。
 そのまま押し倒してやろうと思った。
 いつも受け身だったけど、唇を唇で挟んだり、舌先でちょっと舐めてみたり、キスって楽しい。
 夢中になってサトちゃんの唇を貪っていると、サトちゃんが私の腕を掴む。
 抱き寄せられることを期待したけど、掴んだ手に力が入ったと思ったら体を引き離された。

「はい! おしまい、おしまい!」
「…………しないの……?」
「だから、しないって言ってるだろ」
「……日菜子……魅力ない……?」
「おまえ、それ本気で言ってんのか?」
「じゃ……じゃあ、したいと思った?」

 認めるまでしつこく食い下がる私に、サトちゃんは呆れたような、怒ったような顔をして。

「ああ、思ったよ!」

 今度ははぐらかさなかった。
 サトちゃんの声には怒気を含んでいて、私の体はびくりと震えた。

「じゃあ、なんで」
「日菜子は、そういうんじゃないんだって」
「そういうんじゃない……て……日菜子は、サトちゃんにとってエッチの対象では無いってこと?」
「ああ」

 言ってから、私の表情を見たサトちゃんが気まずそうに視線を外す。

「……いや、ちが……。正確には、おまえに対してあんまりそういう感情を持ちたくなかったっていうか……」

 なんで?
 そう問えるほどの余裕が私には残っていなかった。
”私はサトちゃんにとってエッチの対象では無い”
 その事実だけが突き刺さる。

 一緒にいられればそれでいい、ずっと昔からそう思っていた筈なのに。
 いつの間に自分は、それだけでは物足りなくなってしまったのか。
 贅沢だ。
 そう思っても、こみあげてくる怒りと悲しみは収まらなかった。

「サトちゃんは……結局、今も、ずっと……私を女の子として見てくれていないんだっ……!」
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