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本編
20 【日菜子視点】名前を呼んで・1
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夏休みも後半に差しかかった頃、サトちゃんから電話がかかってきた。
『今から、出てこられるか?』
私は、ふたつ返事で電話を切ると家を飛び出す。
呼ばれたなら、必要とされているのなら。
もう余計なことは考えない。
運動は得意じゃない。
走るのも好きじゃない。
だけどそんなのお構いなしに、私の足は早く、速く、とずっと通い続けたアパートへと駆け出していた。
サトちゃんはアパートの前の道で私を待っていた。
いつもと違って、部屋で待っていないことを少し不思議に思ったけど、ひと目でも早くサトちゃんに会えたことが嬉しかった。
とても、嬉しかったのだけど……。
「……ぅ……ぁ……はぁ……っ……はぁ……」
暑い中突然思い切り走り出したため、呼吸の乱れ方がおかしい。
上手く息が吸えなくて、私はサトちゃんの前でへたり込んだ。
「……だ……大丈夫か……?」
サトちゃんが私に近づいて屈みこみ、ペットボトルの水をくれた。
慌てて飲んで、むせこむ私の背中をさすってくれる。
ああ……。
声を、聞くのも本当に久しぶり……。
背中に触れる大きな手の感触も。
ふわりと一瞬感じた懐かしくて優しい匂いも。
早くサトちゃんの顔が見たくて、ゼーハーしながらも必死に顔を上げる。
サトちゃん、表情が柔らかくなって雰囲気変わった?
大人っぽくなったというか、落ち着いたというか。
ずっと見ていたら、サトちゃんがおもむろに私と視線を合わせた。
至近距離で目が合って、私は胸がきゅんとなる。
サトちゃんは穏やかな表情なまま、世間話でもするかのように言った。
「ピヨ、お前はクビだよ」
最終話の『黒翼士』を見た時から、そう告げられることは何となく分かっていた。
サトちゃんの原稿は、私と描いていた頃と何ひとつ変わらない美しさだった。
読者から見たら、私がアシスタントから抜けたことなんてきっとわからないだろう。
どんなに頑張っても所詮、私なんてそんなものだった。
あの短期間でそれが証明されてしまった。
それでもそのひと言を聞いたら平常心ではいられなくて、私は弾かれたようにサトちゃんに迫った。
「い……嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。絶対嫌。私役に立つから。前よりも一生懸命描くから。だから……だ……から……」
言葉を探しても、頭がうまくまわらない。
狼狽している私の頭を、ポンポンと撫でながらサトちゃんは言葉を続けた。
「俺の担当をしてくれていた編集者の人に、新しいピヨ子の仕事先を紹介してもらった。桐生翔って知ってるか? 連載を何本も持っている、俺より全然売れてる先生のとこだ。ピヨ子にとっては、俺の元にいるよりもすげー勉強になると思う。卒業した後、学業に差し支えない程度でいい。ピヨ子のペースで通っていいって。お前にやる気があればの話だけど……」
耐えることなんて到底できず、私の目から大粒の涙がこぼれた。
「私を……いらないなんて……いらないなんて言わないでサトちゃん……」
これじゃあサトちゃんが出て行った時と何も変わらない。
泣いて引き留めることしかできない、無力で卑怯な自分が嫌い。
こんな方法でサトちゃんを繋ぎとめるんじゃなくて、技術を認められて、もっと純粋な気持ちで必要としてもらう筈だったのに。
サトちゃんを困らせるだけの、こんな恋心なんていらないのに。
なんで捨てきれないんだろう。
どうしてこんなに好きなんだろう。
手の甲で擦り切れるくらい強く目尻をこすって、涙が止まってくれるように必死に願った。
涙、とまれ。
とまれ。
とまれ。
とまれ。
お願いだから。
「私、サトちゃんの本当の妹だったら良かった……」
もう一度目をこすろうとして、大きくて暖かいものに阻まれた。
私の手は、サトちゃんの手のひらに包まれていた。
「それは困るな」
私の代わりにサトちゃんの手が、目じりから涙をすくっていく。
視界が晴れて恐る恐る顔を上げると、今まで見た中で一番優しい顔で、サトちゃんが笑っていた。
『今から、出てこられるか?』
私は、ふたつ返事で電話を切ると家を飛び出す。
呼ばれたなら、必要とされているのなら。
もう余計なことは考えない。
運動は得意じゃない。
走るのも好きじゃない。
だけどそんなのお構いなしに、私の足は早く、速く、とずっと通い続けたアパートへと駆け出していた。
サトちゃんはアパートの前の道で私を待っていた。
いつもと違って、部屋で待っていないことを少し不思議に思ったけど、ひと目でも早くサトちゃんに会えたことが嬉しかった。
とても、嬉しかったのだけど……。
「……ぅ……ぁ……はぁ……っ……はぁ……」
暑い中突然思い切り走り出したため、呼吸の乱れ方がおかしい。
上手く息が吸えなくて、私はサトちゃんの前でへたり込んだ。
「……だ……大丈夫か……?」
サトちゃんが私に近づいて屈みこみ、ペットボトルの水をくれた。
慌てて飲んで、むせこむ私の背中をさすってくれる。
ああ……。
声を、聞くのも本当に久しぶり……。
背中に触れる大きな手の感触も。
ふわりと一瞬感じた懐かしくて優しい匂いも。
早くサトちゃんの顔が見たくて、ゼーハーしながらも必死に顔を上げる。
サトちゃん、表情が柔らかくなって雰囲気変わった?
大人っぽくなったというか、落ち着いたというか。
ずっと見ていたら、サトちゃんがおもむろに私と視線を合わせた。
至近距離で目が合って、私は胸がきゅんとなる。
サトちゃんは穏やかな表情なまま、世間話でもするかのように言った。
「ピヨ、お前はクビだよ」
最終話の『黒翼士』を見た時から、そう告げられることは何となく分かっていた。
サトちゃんの原稿は、私と描いていた頃と何ひとつ変わらない美しさだった。
読者から見たら、私がアシスタントから抜けたことなんてきっとわからないだろう。
どんなに頑張っても所詮、私なんてそんなものだった。
あの短期間でそれが証明されてしまった。
それでもそのひと言を聞いたら平常心ではいられなくて、私は弾かれたようにサトちゃんに迫った。
「い……嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。絶対嫌。私役に立つから。前よりも一生懸命描くから。だから……だ……から……」
言葉を探しても、頭がうまくまわらない。
狼狽している私の頭を、ポンポンと撫でながらサトちゃんは言葉を続けた。
「俺の担当をしてくれていた編集者の人に、新しいピヨ子の仕事先を紹介してもらった。桐生翔って知ってるか? 連載を何本も持っている、俺より全然売れてる先生のとこだ。ピヨ子にとっては、俺の元にいるよりもすげー勉強になると思う。卒業した後、学業に差し支えない程度でいい。ピヨ子のペースで通っていいって。お前にやる気があればの話だけど……」
耐えることなんて到底できず、私の目から大粒の涙がこぼれた。
「私を……いらないなんて……いらないなんて言わないでサトちゃん……」
これじゃあサトちゃんが出て行った時と何も変わらない。
泣いて引き留めることしかできない、無力で卑怯な自分が嫌い。
こんな方法でサトちゃんを繋ぎとめるんじゃなくて、技術を認められて、もっと純粋な気持ちで必要としてもらう筈だったのに。
サトちゃんを困らせるだけの、こんな恋心なんていらないのに。
なんで捨てきれないんだろう。
どうしてこんなに好きなんだろう。
手の甲で擦り切れるくらい強く目尻をこすって、涙が止まってくれるように必死に願った。
涙、とまれ。
とまれ。
とまれ。
とまれ。
お願いだから。
「私、サトちゃんの本当の妹だったら良かった……」
もう一度目をこすろうとして、大きくて暖かいものに阻まれた。
私の手は、サトちゃんの手のひらに包まれていた。
「それは困るな」
私の代わりにサトちゃんの手が、目じりから涙をすくっていく。
視界が晴れて恐る恐る顔を上げると、今まで見た中で一番優しい顔で、サトちゃんが笑っていた。
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