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本編
24 【悟史視点】そして新しい世界へ
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『水谷くん宛てのファンレター、残り、取りにおいでよ』
橘さんからの電話で、俺はもう一度出版社へ足を運ぶことになった。
久しぶりの橘さんからの電話に驚いたけど、黙って送りつけたり捨てたりしないで、きちんと取っておいてくれたことに、橘さんらしさを感じる。
気まずい思いでいる俺とは対照的に、橘さんは前と変わらず朗らかに接してきた。
パーティションの一角に案内される。
机に乗せられたファンレターを「読めば?」と促され、俺はその中の数枚を取って、恐る恐る中を読んだ。
『クルークがハルカを捨てたことが許せません』
『ハルカファンには辛いラストだった』
等々。
なるほど。
確かに読者の予想と期待を裏切ったんだな、と痛感した。
序盤からクルークとハルカの恋愛をほのめかしながら描いたんだし、クルークとハルカが幸せに暮らすラストの方が、納得のいく終わり方だったに違いない。
読者を驚かせつつ、期待に応える展開、ラストを作るのが本物のプロなんだろうな。
俺は心の中で、読者へ申し訳ないと手を合わせた。
ふと、1枚の葉書に目が留まった。
『クルークが、フェイの気持ちにやっと気が付いて良かったです』
言葉に詰まった。
「ま、感想は見事なまでに二極化してたわよ。みんな尺度が違うから、批判的な反応ばかりでもない。最初想定していたネームで描いたとしても、多分、フェイ派からの非難はあったと思うしね」
橘さんから選んだ数枚の葉書を手渡される。
『人間味があるラストだと思った』
『フェイには報われて欲しい』
「ただ、それでもプロならば、シナリオでそのヒロインと結ばれるのに納得の行くベースを作って、ほぼ大衆に満足できるラストに向かうよ。5話完結の話で、最終話を変えたっていうのがそもそも無謀だったと思う」
自分の勝手な都合で、読者を振り回した報いは大きい。
本当はこんなこと許されることではないけれど。
「でもきっと、水谷君の中で何かが変わったんだろうなぁと思ったよ」
橘さんは、手元にあったボールペンを器用にくるくると廻しながら、少し呆れたような、困ったような顔で笑って言った。
「フェイのために生きていくことを決めたクルークを、私は格好良いと思うよ」
かっこ、いいのかな。
ぼやけた復讐心、戦いの虚しさ、平和への思い。
そんなものより、ありふれた感情だけど、やっと自分に芽生えた思いを届けたいと思った。
本当に、ただ、それだけだった。
肝心の本人に届いたのかは、わからないけど。
「ハルカとの恋心をなんとなく匂わせても、今までクルークが恋愛感情を見せるとこって本当に描いてこなかったから。水谷君にはそういうの描けないんだろうなって思ってた。だから、それを見せたら、こんな感じになるのかと思ったよ」
「…………」
「さて、じゃあ。次の仕事の話だけど」
「え」
天変地異? そんな表情の俺に、橘さんは笑顔を返す。
「ん? 別に私、覚悟のほどは聞いたけど、あなたにクビだなんて言ってないでしょ」
光が窓から強く差し込んで、視界が真っ白になって、目を明けているのが辛い。
俺は自分が泣きそうなことに初めて気づいた。
色々な人に支えられてここにいることを強く実感した。
まだ現実味はないけれど、それでも一生懸命誓う。
自分に関わった人、自分の作品を読んでくれる全ての人に、これからもっともっと応えていこうと。
それが自分のできる唯一の恩返しだと思うから。
次回作には、最初から一貫した気持ちを入れて、魂を入れて描こうと決める。
キャラクターの気持ちを偽らず全て見せて描く。
こんな自分を見捨てずに、次の作品を描くチャンスをくれる橘さんが、神様のような存在にさえ思えた。
「水谷君さ、ラブストーリー描いてみない?」
「は?」
次の瞬間、思考が停止した。
嫌とは言わせない、絶対権力を持った神の笑顔がそこにはあった。
「大丈夫、今のあなたならきっと描ける筈だから。日菜子ちゃん、だっけ?」
うぐ、と俺は言葉に詰まる。
何もかもを見てきたような橘さんの言い回しに赤くなったり青くなったりした。
「その日菜子ちゃんに紹介した桐生先生はさぁ、結構女好きの困った人なんだよねぇ。アシスタントの女の子でも手を出しちゃうかもしれないなぁ」
「は……はあっ!?」
「そのうえ結構なイケメンなのよ。年収は億いってるし、女の子なら言い寄られたらグラッと来ちゃうかもね」
「ええ!? ……ちょっ…………」
「スパダリってやつね!」
「…………」
情報が多すぎてついて行けない。
俺が橘さんに抱いていた”信頼”の二文字がガラガラと崩れていく。
「そのうちにね。水谷君の、こいつには負けたくない! っていう熱い気持ちとか。日菜子ちゃんは俺のもんだ的な独占欲とか、そういう感情がむくむくと芽生えてくると思うのよ。そしたらば、そういう思いを、ぜひぜひ次回の漫画に投影してもらえればと私としては思っているんだけどね?」
ニヤリと笑う橘さんに、俺の背中を冷たいものが走った。
「水谷くんは、きっと今まで上手い思いの伝え方を知らなかったのよね。私は水谷くんを庇っているわけでも、贔屓している訳でもないのよ。私はあなたの青臭さや泥臭さに商品価値を見出してる。大丈夫。私ね、次の漫画は絶対当たる気がするの!」
キラキラと瞳を輝かせている橘さんに眩暈がする。
えーと? つまり?
これから自分の中で育っていくであろう感情を、そのまま漫画に投影していかなければならないという、悶絶するような恥ずかしい苦行が始まろうとしている、のか?
日菜子を自分の仕事場から追い出して良かった! と俺が本当の意味で心底思う、そう遠くない未来の話。
クルークとフェイは、新たな旅路に向けて歩き出した。
橘さんからの電話で、俺はもう一度出版社へ足を運ぶことになった。
久しぶりの橘さんからの電話に驚いたけど、黙って送りつけたり捨てたりしないで、きちんと取っておいてくれたことに、橘さんらしさを感じる。
気まずい思いでいる俺とは対照的に、橘さんは前と変わらず朗らかに接してきた。
パーティションの一角に案内される。
机に乗せられたファンレターを「読めば?」と促され、俺はその中の数枚を取って、恐る恐る中を読んだ。
『クルークがハルカを捨てたことが許せません』
『ハルカファンには辛いラストだった』
等々。
なるほど。
確かに読者の予想と期待を裏切ったんだな、と痛感した。
序盤からクルークとハルカの恋愛をほのめかしながら描いたんだし、クルークとハルカが幸せに暮らすラストの方が、納得のいく終わり方だったに違いない。
読者を驚かせつつ、期待に応える展開、ラストを作るのが本物のプロなんだろうな。
俺は心の中で、読者へ申し訳ないと手を合わせた。
ふと、1枚の葉書に目が留まった。
『クルークが、フェイの気持ちにやっと気が付いて良かったです』
言葉に詰まった。
「ま、感想は見事なまでに二極化してたわよ。みんな尺度が違うから、批判的な反応ばかりでもない。最初想定していたネームで描いたとしても、多分、フェイ派からの非難はあったと思うしね」
橘さんから選んだ数枚の葉書を手渡される。
『人間味があるラストだと思った』
『フェイには報われて欲しい』
「ただ、それでもプロならば、シナリオでそのヒロインと結ばれるのに納得の行くベースを作って、ほぼ大衆に満足できるラストに向かうよ。5話完結の話で、最終話を変えたっていうのがそもそも無謀だったと思う」
自分の勝手な都合で、読者を振り回した報いは大きい。
本当はこんなこと許されることではないけれど。
「でもきっと、水谷君の中で何かが変わったんだろうなぁと思ったよ」
橘さんは、手元にあったボールペンを器用にくるくると廻しながら、少し呆れたような、困ったような顔で笑って言った。
「フェイのために生きていくことを決めたクルークを、私は格好良いと思うよ」
かっこ、いいのかな。
ぼやけた復讐心、戦いの虚しさ、平和への思い。
そんなものより、ありふれた感情だけど、やっと自分に芽生えた思いを届けたいと思った。
本当に、ただ、それだけだった。
肝心の本人に届いたのかは、わからないけど。
「ハルカとの恋心をなんとなく匂わせても、今までクルークが恋愛感情を見せるとこって本当に描いてこなかったから。水谷君にはそういうの描けないんだろうなって思ってた。だから、それを見せたら、こんな感じになるのかと思ったよ」
「…………」
「さて、じゃあ。次の仕事の話だけど」
「え」
天変地異? そんな表情の俺に、橘さんは笑顔を返す。
「ん? 別に私、覚悟のほどは聞いたけど、あなたにクビだなんて言ってないでしょ」
光が窓から強く差し込んで、視界が真っ白になって、目を明けているのが辛い。
俺は自分が泣きそうなことに初めて気づいた。
色々な人に支えられてここにいることを強く実感した。
まだ現実味はないけれど、それでも一生懸命誓う。
自分に関わった人、自分の作品を読んでくれる全ての人に、これからもっともっと応えていこうと。
それが自分のできる唯一の恩返しだと思うから。
次回作には、最初から一貫した気持ちを入れて、魂を入れて描こうと決める。
キャラクターの気持ちを偽らず全て見せて描く。
こんな自分を見捨てずに、次の作品を描くチャンスをくれる橘さんが、神様のような存在にさえ思えた。
「水谷君さ、ラブストーリー描いてみない?」
「は?」
次の瞬間、思考が停止した。
嫌とは言わせない、絶対権力を持った神の笑顔がそこにはあった。
「大丈夫、今のあなたならきっと描ける筈だから。日菜子ちゃん、だっけ?」
うぐ、と俺は言葉に詰まる。
何もかもを見てきたような橘さんの言い回しに赤くなったり青くなったりした。
「その日菜子ちゃんに紹介した桐生先生はさぁ、結構女好きの困った人なんだよねぇ。アシスタントの女の子でも手を出しちゃうかもしれないなぁ」
「は……はあっ!?」
「そのうえ結構なイケメンなのよ。年収は億いってるし、女の子なら言い寄られたらグラッと来ちゃうかもね」
「ええ!? ……ちょっ…………」
「スパダリってやつね!」
「…………」
情報が多すぎてついて行けない。
俺が橘さんに抱いていた”信頼”の二文字がガラガラと崩れていく。
「そのうちにね。水谷君の、こいつには負けたくない! っていう熱い気持ちとか。日菜子ちゃんは俺のもんだ的な独占欲とか、そういう感情がむくむくと芽生えてくると思うのよ。そしたらば、そういう思いを、ぜひぜひ次回の漫画に投影してもらえればと私としては思っているんだけどね?」
ニヤリと笑う橘さんに、俺の背中を冷たいものが走った。
「水谷くんは、きっと今まで上手い思いの伝え方を知らなかったのよね。私は水谷くんを庇っているわけでも、贔屓している訳でもないのよ。私はあなたの青臭さや泥臭さに商品価値を見出してる。大丈夫。私ね、次の漫画は絶対当たる気がするの!」
キラキラと瞳を輝かせている橘さんに眩暈がする。
えーと? つまり?
これから自分の中で育っていくであろう感情を、そのまま漫画に投影していかなければならないという、悶絶するような恥ずかしい苦行が始まろうとしている、のか?
日菜子を自分の仕事場から追い出して良かった! と俺が本当の意味で心底思う、そう遠くない未来の話。
クルークとフェイは、新たな旅路に向けて歩き出した。
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