漫画のつくりかた

右左山桃

文字の大きさ
上 下
16 / 48
本編

15 【悟史視点】森に還す

しおりを挟む
 気持ちが上がらない。
 なかなか原稿が進まないのは二日酔いのせいだけじゃない。
 スマホを手に取る。
 待ち受け画面は3時20分を示している。
 部活をしていないピヨ子は、そろそろ下校する時間だ。

「…………」

 今まで、ピヨ子の日常を気にかけたことはなかった。
 ピヨ子が小学校の頃を思い出す。
 ピヨ子はずっと、俺が学校から帰ってくるのを家の前でひとり待っていた。
 何度も友達と遊んで来いと言ったけど、ピヨ子が友達と遊んでいるところを見たことは、結局一度もなかったような気がする。

 今はどうなんだろう。
 気がつけば、俺はピヨ子の学校へと足を運んでいた。
 ピヨ子はアパートに土日、平日もできる限り仕事を手伝いに来る。
 部活はもちろん、放課後に友達と遊ぶ経験なんてしたことがないだろう。
 あまりに頻繁に来るので、宿題や勉強が疎かになっていないかと小言を言ったが、休み時間に宿題は終えているし、成績は決して悪くないようなことを言っていた。

 下校しようとしていた生徒に適当に声をかける。

「2年の愛里日菜子ってやつ、知らないか」

 そう言って、俺はピヨ子のクラスも知らなかったことを後悔した。
 それでも知っている人間に会えるまで、声をかけた。
 ピヨ子がどんな風に学校で過ごしているのか知りたかった。

「愛里さん?」

 声をかけた3人組の女子ひとりから反応があった。
 運良くクラスメイトに巡り会えたらしい。
 俺は心の中でガッツポーズをとった。

「うん。聞いたことある気がするねぇ。誰だっけそれ」

 しかし、もう一人の少女の言葉で、途端に不安になる。

「ま……マナっち。それはヤバイっしょ、クラスメイトくらい覚えとけ」
「あ、あーあー」

 マナと呼ばれた少女は、数秒思考を巡らせたのち、思い当たったらしい。

「だってあの人印象ないよぉ、というより、私があの人に認識されてない気がするんだけど」
「そうだねー。私もこないだ話したけど、知らない人を見るような目してたもんなぁ」
「…………」

 ピヨ子の人間関係の希薄さは、子供の頃と何ひとつ変わっていないようだった。

「そういや鹿乃子かのこ、愛里さんとバトルになってたよね?」
「バトったっていうか」

 鹿乃子と呼ばれた少女が初めて口を開いた。
 ゆるい外跳ねの茶髪、長身で、さばさばした気の強そうな少女だ。
 ピヨ子が誰かと揉めるとこなんて、正直想像できなかった。

「ちょっとからかったんだよね。先生に『成績良いのに大学行かないのかー』とか言われててさ。それだけでもムカついたけど、『漫画家の手伝いがしたいから進学はしません』とか寝ぼけたこと言うから。大学行く為に死ぬ気で勉強してる私から見たら良いご身分だなって思って」

 一同も合わせてブーイングをしていたけど、俺の耳には入ってこなかった。
 初めて聞いた。
 ピヨ子が望むのなら、一生一緒に漫画を描きたい。
 そう思う気持ちはあったけど、ピヨ子から具体的な話を直接聞いたことは一度も無かった。

『絵関係のお仕事、かな』

 将来を問われ、そう答えたピヨ子は希望に満ちていただろうか。
 果たして笑っていただろうか。
 それは、どんな気持ちで自分に言った言葉だったのか。

「でもね。一応反省はしてるのよ。今となっては、だけどね。悪いことしたなって思ってるよ。愛里さんにめちゃめちゃ言い返されてムカついてその場では大喧嘩したんだけどさ。なんか言ってる言葉とは裏腹に、立ってるのが精一杯って気がした。あの人も色々抱えてんのかも。なんか痛々しかったよ」

 そりゃ……そうか。
 俺とピヨ子を繋ぐものなんて何も無い。
 あの後は何事もなかったかのように、ふにゃふにゃ笑っていたけれど、ピヨ子は毎日焦り、不安で仕方がないんだろう。

「あ、で。愛里さんならまだ教室にいたかな……あれ。帰ってたかな」
「いたか、いなかったかわかんないねぇ」
「なんか、すいません。お役に立てなくて」
「いや、良いよ」

 俺は短く礼を言い、3人を見送る。
 そして、くるりと視線を校舎側に向け、制服の波にピヨ子を探す。
 きっと埋もれて、自分と同じ場所にピヨ子もいる。
 ぐるぐる迷走しながら、外の世界を知らないまま大人になろうとしている。
 ピヨ子も自分とまったく同じ道を辿ろうとしている。
 いや、彼女たちの反応を見る限り、状況は俺よりずっと悪いかもしれない。
 気づいてやれなかったことに後悔した。
 いや、本当は気づいていたのかもしれない。
 ずっと自分から片時も離れようとしない、可愛いピヨ子を手離せなかった。
 ピヨ子は大人になる。
 ピヨ子の人生を歩んでいく。
 好意に答えないのなら、本当はもうずっと昔に、本気で突き放さなければならなかった。
 それなのに、ずっと曖昧な関係のまま、このまま一緒に漫画を描いていければそれで良いと思ってしまった。
 もう少し、もう少しだけこのまま、を繰り返してきた。

『あんなに人生があんたで占めてて、あんたがそんなんで、あの子大丈夫なの?』

 亜季に言われた言葉に、耳を塞いでしまいたかった。
 技術的にも精神的にもピヨ子を手離せなかった。
 自分の弱さが招いた結果だ。
 ふいに、読者からの感想が頭をよぎった。

『フェイは明るくて前向きな女の子なのに、復讐のためとはいえ、なぜそこまでして戦おうとするのですか。私は、水谷先生のキャラクターにあまり感情移入ができません』

 他人の考えや痛みに鈍感だった自分。
 フェイはクルークの剣となり戦う。
 今までフェイが傷つく素振りを見せなかったのは、クルークの願望を形にしていたから。
 どんなに辛い戦いでも無敵であること。
 生き生きと笑う明るいフェイの姿をクルークが望んだから。
 無理を押しても、クルークが望んだ姿をフェイは具象化していたのだ。

 それは、全て自分とピヨ子に当てはまった。
 俺は小さく溜息をついた。
 ずっと描いていて、そんなことも気づけないなんて。

 フェイは妖精だ。
 戦わなくても生きていける。
 羽があるから飛んでいける。

 自由になれる方法がわからないだけなんだ。
 誰かに、もう戦わなくていいんだって言ってもらうのを待っている。

 そうか。
 それは明確な答えだった。

 世界が暗闇に閉ざされたとき。
 もう自分は駄目かもしれないと思ったとき。
 隣にはピヨ子がいた。
 誰も目もくれない作品をずっと好いてくれて。
 もしかしたら誰よりも諦めていなかったのか。
 悔しかったのか。
 何が良くなかったのか一生懸命考えてくれた。
 陽だまりのように笑って。

『サトちゃん、大丈夫だよ』

 なんの確信も無い、だけど絶対的な自信をくれた。
 隣でずっと支えてくれた。
 背中を押してくれた。

 見えないところでも。
 ずっと。ずっと。ずっと。
 それは続いていた。

 自分はひとりで戦っていた、なんて。
 おこがましいにも程がある。

 降り注がれた無限の愛情。
 もう十分。
 十分だ。

 ありがとうな、ピヨ子。

 妖精が自由に羽ばたく姿が見たいと思った。
 俺はピヨ子を自分の元から解放しようと思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】

まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と… 「Ninagawa Queen's Hotel」 若きホテル王 蜷川朱鷺  妹     蜷川美鳥 人気美容家 佐井友理奈 「オークワイナリー」 国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介 血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…? 華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

心の落とし物

緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも ・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ ) 〈本作の楽しみ方〉  本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。  知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。 〈あらすじ〉  〈心の落とし物〉はありませんか?  どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。  あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。  喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。  ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。  懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。 〈主人公と作中用語〉 ・添野由良(そえのゆら)  洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。 ・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉  人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。 ・〈探し人(さがしびと)〉  〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。 ・〈未練溜まり(みれんだまり)〉  忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。 ・〈分け御霊(わけみたま)〉  生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

私と継母の極めて平凡な日常

当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。 残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。 「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」 そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。 そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

流星の徒花

柴野日向
ライト文芸
若葉町に住む中学生の雨宮翔太は、通い詰めている食堂で転校生の榎本凛と出会った。 明るい少女に対し初めは興味を持たない翔太だったが、互いに重い運命を背負っていることを知り、次第に惹かれ合っていく。 残酷な境遇に抗いつつ懸命に咲き続ける徒花が、いつしか流星となるまでの物語。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

アンコール マリアージュ

葉月 まい
恋愛
理想の恋って、ありますか? ファーストキスは、どんな場所で? プロポーズのシチュエーションは? ウェディングドレスはどんなものを? 誰よりも理想を思い描き、 いつの日かやってくる結婚式を夢見ていたのに、 ある日いきなり全てを奪われてしまい… そこから始まる恋の行方とは? そして本当の恋とはいったい? 古風な女の子の、泣き笑いの恋物語が始まります。 ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ 恋に恋する純情な真菜は、 会ったばかりの見ず知らずの相手と 結婚式を挙げるはめに… 夢に描いていたファーストキス 人生でたった一度の結婚式 憧れていたウェディングドレス 全ての理想を奪われて、落ち込む真菜に 果たして本当の恋はやってくるのか?

処理中です...