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本編
02 【日菜子視点】ヒヨコの心
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受け取った原稿ごしに、チラリとサトちゃんを盗み見る。
癖のないサラサラした前髪の隙間から、意志の強い真剣な瞳が見える。
少し辛そうな表情を浮かべているのは、きっとクルークと同調してるから。
指先からは絶えず当人を体現したような繊細で綺麗な線が生まれてる。
あぁ、没入してるって感じだぁ……。
漫画を描いてる時は、全く他のことが見えてなくて、私とも全然目が合わない。
それでもいいの。
この瞬間のサトちゃんが、漫画が好きなサトちゃんを見るのが私は大好き。
サトちゃんを見てるだけでご飯何杯でもいけるけど、今は仕事中。よだれ垂らしてる場合じゃ無い。
うっとりしながらも、サトちゃんから原稿に目を戻す。
クルークが高くジャンプし、剣を振り上げながら世界を見下ろしている。
眼下には逃げ場を失い、グッと息を飲み込むガシュレイ。
次のコマでクルークのアップ。
ジャンプした体勢からクルークはガシュレイを叩き切るのだ。
「ふむふむ。ガシュレイの後ろにハイアングルで背景、キルトのアップにスピード線入れるね」
「頼む」
サトちゃんからそれ以上の説明は無いけど、まぁそれもいつものこと。
背景、か。
どんな風に描こうかな。
生まれ育った村を滅ぼされたクルーク。
戦っているこの地は、衰退した彼の故郷。
地を蹴って見下ろす、ガシュレイの背後に広がるのはどんな世界だろう。
んーと。
確かにこの辺にあった筈。
私は、本棚に並ぶファイルボックスを手に取ると、一話のコピーを探した。
一話の幼いクルークはこの先の残酷な運命なんて知らない。
村は暖かな人と笑い声に満ちている。
ここに似せた場所にしよう。
私はクルークが両親と暮らした、陽の光が差し込む庭が描かれたページを抜いた。
クルークの父はガシュレイ軍の侵攻で死んだ。
きっとこの瞬間にクルークが思い出したのは、クルークが父と剣を合わせた庭だ。
私は原稿を前に置き、不毛の大地の中に庭の配置を確認しながら、鉛筆でアタリをとった。
描き込みすぎないように、さらりと読み流せるように気をつけて描く。
こういうのは、気づく人だけ気づいてくれたら、それでいい。
緑の蔦に覆われていた壁は朽ちて崩れかけ、庭のシンボルだった木は焦げて真っ黒で、真ん中から上はない。
木も草も炎に包まれ、この場所に花は二度と咲かない。
悔しいね。
悲しいよね。
アップのクルークは悲痛な顔で剣を振り上げている。
私はそこに荒々しく線を入れる。
線一本一本に感情をこめて、おびただしい量の線を勢いよく引いていった。
もう一度世界を、現実を見て。
その姿をしっかりと目に焼き付けて。
一度も瞬きせずに剣を振り下ろしたんだね。
過去と決別するために。
クルークの感情、動きがわかる。
クルークと心がひとつになる瞬間がある。
彼の周りをまとう空気はどんなだとか。
彼はこれからどう動こうとしているのか。
クルークを見るだけで、どうすればいいのかがわかる。
私も彼と同じ場所で戦っている。
「……っ……」
我に返ると、一気に激しい作業をこなした私の腕は、疲労を訴えてじんじんと痛んでいた。
クルークに感情移入し過ぎて、無意識のうちに目に涙が滲んでいる。
「おつかれ」
作業に没頭しているとばかり思っていたサトちゃんが、私の方をじっと見ていた。
私もサトちゃんのことなど言えず、愛しのクルークと死線を戦った余韻で放心していた。
「今日はもう疲れただろ。終わりにするぞ」
サトちゃんは席を立って、インスタントコーヒーを入れている。
部屋に立ちこめるコーヒーの香りで、私は急に現実に呼び戻された。
サトちゃんにとっては、きっとこれから夜中にかけてが本番なんだ。
私は制服の袖から覗く腕時計をチラと見る。
「でもまだ8時だし」
もうちょっとくらい、いいんじゃない?
そう思ったけど、サトちゃんの顔は途端に険しくなった。
「8時って、夜のだぞ? あほか。帰るぞ。送っていくから」
「えーでも、お母さんは単身赴任先のお父さんのとこに行ってるから、帰っても日菜子ひとりだしぃ」
「ちゃんと戸締まりして寝ろよ。何かあったらすぐ行くから、ずっとスマホ持っとけよ」
「サトちゃん……」
いつもが塩対応なだけに、たまに見せてくれる優しさにジーンとする。
面倒見だけは昔からいいんだよなぁ。
そこまで心配してくれるなら、もういっそ。
「日菜子は毎日サトちゃんちから登校したいくらいなんだけどなぁ~」
「冗談言ってないで帰れ、バカピヨ!」
冗談じゃないし。
馬鹿じゃないし。
ましてや私の名前はピヨ子じゃないし~~~。
「ピヨ子って言わないで、そろそろちゃんと日菜子って呼んでよぉ~……。サトちゃぁ~ん……」
「おまえなんかヒヨコで十分だ。バカピヨ。帰ってガキは早く寝ろ!」
ガキ、ガキって子供扱いしてぇ~~~!!!
私だって好きでサトちゃんより6歳年下に生まれたわけじゃない。
一年、一年、大人になるまでなんて長い。
この年の差ハンデは、一体いつになったら無くなるの???
「日菜子はいつだって本気だよ!? 片時も離れたくないし、毎日サトちゃんの顔をおかずにしながらご飯が食べたい……ぶっ!」
サトちゃんは完全無視を決め込んで、私の顔面に鞄とダッフルコートを投げつると、ダウンジャケットを着込み始めた。
強制送還モードのサトちゃんに玄関まで連れて行かれ、私は渋々コートを着てローファーを足に通す。
あぁぁ……帰りたくない。
「仕事も楽しいし大好きなんだけどさ。『ほっぺにスクリーントーン付いてるぞ~?』『やーん』みたいなこと言いあってイチャイチャしたいし、あわよくばその先だって……」
ペッ! と手で払うように私を家から追い出して、鍵をしめてるサトちゃんが恨めしい。
もぉぉ。
「こんなにサトちゃんが好きなのにぃ~! 心の底からサトちゃんを愛してるのにぃ! 愛しっ……もがっ! もがもがもがぁ~~~~~っ!?」
「うるせぇっ! ご近所迷惑だっつの!!!」
サトちゃんに口を塞がれて、私の愛の言葉は今日も不完全燃焼で終わるのだった。
癖のないサラサラした前髪の隙間から、意志の強い真剣な瞳が見える。
少し辛そうな表情を浮かべているのは、きっとクルークと同調してるから。
指先からは絶えず当人を体現したような繊細で綺麗な線が生まれてる。
あぁ、没入してるって感じだぁ……。
漫画を描いてる時は、全く他のことが見えてなくて、私とも全然目が合わない。
それでもいいの。
この瞬間のサトちゃんが、漫画が好きなサトちゃんを見るのが私は大好き。
サトちゃんを見てるだけでご飯何杯でもいけるけど、今は仕事中。よだれ垂らしてる場合じゃ無い。
うっとりしながらも、サトちゃんから原稿に目を戻す。
クルークが高くジャンプし、剣を振り上げながら世界を見下ろしている。
眼下には逃げ場を失い、グッと息を飲み込むガシュレイ。
次のコマでクルークのアップ。
ジャンプした体勢からクルークはガシュレイを叩き切るのだ。
「ふむふむ。ガシュレイの後ろにハイアングルで背景、キルトのアップにスピード線入れるね」
「頼む」
サトちゃんからそれ以上の説明は無いけど、まぁそれもいつものこと。
背景、か。
どんな風に描こうかな。
生まれ育った村を滅ぼされたクルーク。
戦っているこの地は、衰退した彼の故郷。
地を蹴って見下ろす、ガシュレイの背後に広がるのはどんな世界だろう。
んーと。
確かにこの辺にあった筈。
私は、本棚に並ぶファイルボックスを手に取ると、一話のコピーを探した。
一話の幼いクルークはこの先の残酷な運命なんて知らない。
村は暖かな人と笑い声に満ちている。
ここに似せた場所にしよう。
私はクルークが両親と暮らした、陽の光が差し込む庭が描かれたページを抜いた。
クルークの父はガシュレイ軍の侵攻で死んだ。
きっとこの瞬間にクルークが思い出したのは、クルークが父と剣を合わせた庭だ。
私は原稿を前に置き、不毛の大地の中に庭の配置を確認しながら、鉛筆でアタリをとった。
描き込みすぎないように、さらりと読み流せるように気をつけて描く。
こういうのは、気づく人だけ気づいてくれたら、それでいい。
緑の蔦に覆われていた壁は朽ちて崩れかけ、庭のシンボルだった木は焦げて真っ黒で、真ん中から上はない。
木も草も炎に包まれ、この場所に花は二度と咲かない。
悔しいね。
悲しいよね。
アップのクルークは悲痛な顔で剣を振り上げている。
私はそこに荒々しく線を入れる。
線一本一本に感情をこめて、おびただしい量の線を勢いよく引いていった。
もう一度世界を、現実を見て。
その姿をしっかりと目に焼き付けて。
一度も瞬きせずに剣を振り下ろしたんだね。
過去と決別するために。
クルークの感情、動きがわかる。
クルークと心がひとつになる瞬間がある。
彼の周りをまとう空気はどんなだとか。
彼はこれからどう動こうとしているのか。
クルークを見るだけで、どうすればいいのかがわかる。
私も彼と同じ場所で戦っている。
「……っ……」
我に返ると、一気に激しい作業をこなした私の腕は、疲労を訴えてじんじんと痛んでいた。
クルークに感情移入し過ぎて、無意識のうちに目に涙が滲んでいる。
「おつかれ」
作業に没頭しているとばかり思っていたサトちゃんが、私の方をじっと見ていた。
私もサトちゃんのことなど言えず、愛しのクルークと死線を戦った余韻で放心していた。
「今日はもう疲れただろ。終わりにするぞ」
サトちゃんは席を立って、インスタントコーヒーを入れている。
部屋に立ちこめるコーヒーの香りで、私は急に現実に呼び戻された。
サトちゃんにとっては、きっとこれから夜中にかけてが本番なんだ。
私は制服の袖から覗く腕時計をチラと見る。
「でもまだ8時だし」
もうちょっとくらい、いいんじゃない?
そう思ったけど、サトちゃんの顔は途端に険しくなった。
「8時って、夜のだぞ? あほか。帰るぞ。送っていくから」
「えーでも、お母さんは単身赴任先のお父さんのとこに行ってるから、帰っても日菜子ひとりだしぃ」
「ちゃんと戸締まりして寝ろよ。何かあったらすぐ行くから、ずっとスマホ持っとけよ」
「サトちゃん……」
いつもが塩対応なだけに、たまに見せてくれる優しさにジーンとする。
面倒見だけは昔からいいんだよなぁ。
そこまで心配してくれるなら、もういっそ。
「日菜子は毎日サトちゃんちから登校したいくらいなんだけどなぁ~」
「冗談言ってないで帰れ、バカピヨ!」
冗談じゃないし。
馬鹿じゃないし。
ましてや私の名前はピヨ子じゃないし~~~。
「ピヨ子って言わないで、そろそろちゃんと日菜子って呼んでよぉ~……。サトちゃぁ~ん……」
「おまえなんかヒヨコで十分だ。バカピヨ。帰ってガキは早く寝ろ!」
ガキ、ガキって子供扱いしてぇ~~~!!!
私だって好きでサトちゃんより6歳年下に生まれたわけじゃない。
一年、一年、大人になるまでなんて長い。
この年の差ハンデは、一体いつになったら無くなるの???
「日菜子はいつだって本気だよ!? 片時も離れたくないし、毎日サトちゃんの顔をおかずにしながらご飯が食べたい……ぶっ!」
サトちゃんは完全無視を決め込んで、私の顔面に鞄とダッフルコートを投げつると、ダウンジャケットを着込み始めた。
強制送還モードのサトちゃんに玄関まで連れて行かれ、私は渋々コートを着てローファーを足に通す。
あぁぁ……帰りたくない。
「仕事も楽しいし大好きなんだけどさ。『ほっぺにスクリーントーン付いてるぞ~?』『やーん』みたいなこと言いあってイチャイチャしたいし、あわよくばその先だって……」
ペッ! と手で払うように私を家から追い出して、鍵をしめてるサトちゃんが恨めしい。
もぉぉ。
「こんなにサトちゃんが好きなのにぃ~! 心の底からサトちゃんを愛してるのにぃ! 愛しっ……もがっ! もがもがもがぁ~~~~~っ!?」
「うるせぇっ! ご近所迷惑だっつの!!!」
サトちゃんに口を塞がれて、私の愛の言葉は今日も不完全燃焼で終わるのだった。
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