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3章 恋の証明
21 父と母
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父に女性の影が無いことを確認したら、考えるよりも先に言葉が出ていた。
必死な私の表情を見ると、父は困惑して「それは……」と声を詰まらせる。
沈黙した父の硬い表情が曇っていくのを見て、良い返事はもらえないことを察した。
「できないよ。娘たちにとって家族は僕と僕の両親で、新しい母親なんて求めていないし。それに……きっと有美ちゃんだって、美亜以外の子供を受け入れられない……でしょう?」
体よく断られた。
子供のことを思って――それは本心なのかもしれないけれど、父の中には多分、母への気持ちが無いのだと思う。
おかあさん……これが現実みたいだよ……。
私を使って、お父さんを繋ぎとめようと思うだけ無駄なんだよ。
深く溜息をつく私に、父は「ずっと……ふたりで暮らしていたの?」と遠慮がちに聞いていた。
私はもうどうでもいいような気持ちになって、面倒くさそうに「うん」と答えた。
「美亜は、お母さんの両親……おじいちゃんとおばあちゃんに会ったことはある?」
私は首を横に振る。
「そう、か。結婚を反対された時に縁を切られて、ずっとそれっきりなんだ……」
父から聞く話は私の知らないことばかりだ。
母は一緒に暮らしていても、ほとんど自分のことを話さない。
祖父母なんて、生まれてから一度も会ったことが無いからてっきり亡くなっているのかと思っていた。
「結婚……反対されていたの?」
私が聞くと、父はまた困ったような顔をした。
そして、母の実家は厳格で子供ができてから結婚することに納得してもらえなかったこと、母がそれを全部背負い込んで悪役になって孤立してしまったことを教えてくれた。
結婚を許す条件として出された”私を中絶すること”に最後まで反対して「私が最後まで責任を持ってこの子を育てる」と宣言したことも。
「僕の場合は、子供を育てる時に実家の両親が協力してくれた。今まではずっと無我夢中だったけど、子供が大きくなって余裕ができた時に、有美ちゃんは辛かったんだろうなってやっと思うようになった。あれから何年も経ったけど、自分がすごく身勝手なことしてたんだって今は身に染みて思う……」
父は顔を覆って、罪の意識に苛まれているようだった。
父の姿をぼんやりと瞳に映しながら、私は母の小さく丸まった背中を思い出していた。
爪が食い込むくらい強く私の手を握っていた母は、いつもひとりで何かに戦っているように見えた。
母の宣言は父の愛情を繋ぎとめる為に言った言葉だったのかもしれないけど、想いが叶わなくても母は母なりに必死で自分の言葉に誠実であろうとしていた気がする。
何かにつけて口にしていた「親としての責任は果たす」は、私が思っていたよりもずっと重い言葉だったのかもしれない。
「美亜には勝手を承知でお願いしたい。いつか、有美ちゃんの両親に会いに行って欲しい。君をひとりでこんなに立派に育てたことが分かれば、きっと許して……いや、きっときっかけがないだけで、気持ちはとっくにもう許していると思うから」
父は私に母の実家の連絡先を書いた紙を寄越してきた。
再婚して別に家庭を築いても、ずっと母に関する連絡先を忘れずに持っていたのが正直意外だった。
復縁する気持ちはなくても、家族としての情が全く無い訳ではないのかもしれない。
「わかった……」
私は父から紙を受け取ってカバンの内ポケットにしまう。
多分、この人は私が思っていたよりは酷い父親ではないのだと思う。
だけど、どうしても、それならば何故……という気持ちが拭いきれない。
「どうして……おかあさんを置いて別の人の所へ行ったの?」
淡々と用件をこなして帰るつもりだったのに、ずっと聞きたかった言葉が口をついて出る。
父は案の定ばつが悪そうな顔をしたけど、言葉を詰まらせながらも答えてくれた。
「逃げ……なのかな。嫉妬深い有美ちゃんに自分の気持ちが伝わらなくて、行動を束縛されることが辛かった。誰と一緒にいても、どんなに自分にその気が無いことを説明しても理解してもらえない。ずっと、気持ちを疑われ続けるのが……辛かった」
何を聞いても言い訳になることくらいわかってる。
だけど結局、父は潔白を証明するどころか、母の疑いを本当のものにしてしまったのだからどうしようもない。
「気持ちが伝わらない……って、気持ち、ちゃんと伝えてきた?」
「え?」
「おかあさんに『好き』だって。『愛してる』って。伝えたことがあった?」
「…………そりゃあ……」
自信が無さそうに「言ったこともあったと思うけど……」と言う父に、押さえ込んでいた気持ちが爆発する。
「何度でも伝えて欲しかった! 疑われる度に諦めるんじゃなくて。気持ちが完全に離れる前に何度でも。おかあさんのことが好きだって、愛してるって、何度でも言って気持ちを確かめ合って欲しかったよ……!」
涙が零れる。
私が経験した恋は短くて、難しいことなんてわからない。
私が思っているような単純なものではないのかもしれない。
だけど、重ねていく言葉は重い。
涼子が言っていた、恋に落ちるために『この人が好きだって暗示をかける』の意味。
今ならわかる。
雅が好きだと自覚するたび、言葉に乗せてみるたびに、思う力は強くなる。
――好きだよ。
こそばゆくって、恥ずかしくって、嬉しかった。
雅が私に何度も言ってくれた言葉は、私に何よりも安心感を与えてくれた。
温かい腕の中は自分がここにいても良いと、自分を好きだと思わせてくれるものだった。
「おかあさんを一人ぼっちにして、逃げて欲しくなんか……なかったよ……。おとうさん……」
初めて伝えた本音は私の虚勢を簡単に崩して。
ずっと昔にそうしたかったように、私は父にすがるように泣いた。
必死な私の表情を見ると、父は困惑して「それは……」と声を詰まらせる。
沈黙した父の硬い表情が曇っていくのを見て、良い返事はもらえないことを察した。
「できないよ。娘たちにとって家族は僕と僕の両親で、新しい母親なんて求めていないし。それに……きっと有美ちゃんだって、美亜以外の子供を受け入れられない……でしょう?」
体よく断られた。
子供のことを思って――それは本心なのかもしれないけれど、父の中には多分、母への気持ちが無いのだと思う。
おかあさん……これが現実みたいだよ……。
私を使って、お父さんを繋ぎとめようと思うだけ無駄なんだよ。
深く溜息をつく私に、父は「ずっと……ふたりで暮らしていたの?」と遠慮がちに聞いていた。
私はもうどうでもいいような気持ちになって、面倒くさそうに「うん」と答えた。
「美亜は、お母さんの両親……おじいちゃんとおばあちゃんに会ったことはある?」
私は首を横に振る。
「そう、か。結婚を反対された時に縁を切られて、ずっとそれっきりなんだ……」
父から聞く話は私の知らないことばかりだ。
母は一緒に暮らしていても、ほとんど自分のことを話さない。
祖父母なんて、生まれてから一度も会ったことが無いからてっきり亡くなっているのかと思っていた。
「結婚……反対されていたの?」
私が聞くと、父はまた困ったような顔をした。
そして、母の実家は厳格で子供ができてから結婚することに納得してもらえなかったこと、母がそれを全部背負い込んで悪役になって孤立してしまったことを教えてくれた。
結婚を許す条件として出された”私を中絶すること”に最後まで反対して「私が最後まで責任を持ってこの子を育てる」と宣言したことも。
「僕の場合は、子供を育てる時に実家の両親が協力してくれた。今まではずっと無我夢中だったけど、子供が大きくなって余裕ができた時に、有美ちゃんは辛かったんだろうなってやっと思うようになった。あれから何年も経ったけど、自分がすごく身勝手なことしてたんだって今は身に染みて思う……」
父は顔を覆って、罪の意識に苛まれているようだった。
父の姿をぼんやりと瞳に映しながら、私は母の小さく丸まった背中を思い出していた。
爪が食い込むくらい強く私の手を握っていた母は、いつもひとりで何かに戦っているように見えた。
母の宣言は父の愛情を繋ぎとめる為に言った言葉だったのかもしれないけど、想いが叶わなくても母は母なりに必死で自分の言葉に誠実であろうとしていた気がする。
何かにつけて口にしていた「親としての責任は果たす」は、私が思っていたよりもずっと重い言葉だったのかもしれない。
「美亜には勝手を承知でお願いしたい。いつか、有美ちゃんの両親に会いに行って欲しい。君をひとりでこんなに立派に育てたことが分かれば、きっと許して……いや、きっときっかけがないだけで、気持ちはとっくにもう許していると思うから」
父は私に母の実家の連絡先を書いた紙を寄越してきた。
再婚して別に家庭を築いても、ずっと母に関する連絡先を忘れずに持っていたのが正直意外だった。
復縁する気持ちはなくても、家族としての情が全く無い訳ではないのかもしれない。
「わかった……」
私は父から紙を受け取ってカバンの内ポケットにしまう。
多分、この人は私が思っていたよりは酷い父親ではないのだと思う。
だけど、どうしても、それならば何故……という気持ちが拭いきれない。
「どうして……おかあさんを置いて別の人の所へ行ったの?」
淡々と用件をこなして帰るつもりだったのに、ずっと聞きたかった言葉が口をついて出る。
父は案の定ばつが悪そうな顔をしたけど、言葉を詰まらせながらも答えてくれた。
「逃げ……なのかな。嫉妬深い有美ちゃんに自分の気持ちが伝わらなくて、行動を束縛されることが辛かった。誰と一緒にいても、どんなに自分にその気が無いことを説明しても理解してもらえない。ずっと、気持ちを疑われ続けるのが……辛かった」
何を聞いても言い訳になることくらいわかってる。
だけど結局、父は潔白を証明するどころか、母の疑いを本当のものにしてしまったのだからどうしようもない。
「気持ちが伝わらない……って、気持ち、ちゃんと伝えてきた?」
「え?」
「おかあさんに『好き』だって。『愛してる』って。伝えたことがあった?」
「…………そりゃあ……」
自信が無さそうに「言ったこともあったと思うけど……」と言う父に、押さえ込んでいた気持ちが爆発する。
「何度でも伝えて欲しかった! 疑われる度に諦めるんじゃなくて。気持ちが完全に離れる前に何度でも。おかあさんのことが好きだって、愛してるって、何度でも言って気持ちを確かめ合って欲しかったよ……!」
涙が零れる。
私が経験した恋は短くて、難しいことなんてわからない。
私が思っているような単純なものではないのかもしれない。
だけど、重ねていく言葉は重い。
涼子が言っていた、恋に落ちるために『この人が好きだって暗示をかける』の意味。
今ならわかる。
雅が好きだと自覚するたび、言葉に乗せてみるたびに、思う力は強くなる。
――好きだよ。
こそばゆくって、恥ずかしくって、嬉しかった。
雅が私に何度も言ってくれた言葉は、私に何よりも安心感を与えてくれた。
温かい腕の中は自分がここにいても良いと、自分を好きだと思わせてくれるものだった。
「おかあさんを一人ぼっちにして、逃げて欲しくなんか……なかったよ……。おとうさん……」
初めて伝えた本音は私の虚勢を簡単に崩して。
ずっと昔にそうしたかったように、私は父にすがるように泣いた。
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