恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

37 変わりゆく季節

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あの夜の犯人が捕まり、私はアルバイトを辞めた。

あまり考えたくないことだったけど、犯人はお店のお客さんだった。
シフトが火曜日の、とある女の子にずっと執着していたらしい。
相手にされない恨みを日々募らせていて、力尽くにでも……と考えたようだ。
だけど女の子はその日、迎えに来た彼氏と一緒に帰ってしまい……。
ショックで殺意がわいていた所に、たまたまひとりでいた私を見かけて犯行に及んだ、と。憂さ晴らしがしたかったのだと警察からは聞かされた。
襲われた経緯は最悪だったけど、犯人が概ね罪を認めて逮捕されたこと、バイト仲間が無事だったことだけは良かったと思う。

辞める時は弘瀬さんが号泣してくれた。


「あ……浅木さぅぅ……辞めちゃぁいや~……。でも、怖い思いしたんだもんねぇ、いっぱい頑張ったねえぇ……。あとは、えっと……彼氏さんと仲直り同棲おめでとぉぅ~……」


「色んな感情が渦巻いて、最後にどう締めくくったらいいのかもうわかんない~」と言って、鼻をずびずびすすりながら、一同で買った花束を代表で私に渡してくれた。


「まさか浅木さんが事件に巻き込まれるなんて……」


店長はシュンと項垂れて、私に合わせる顔も無いみたいだった。
別に店長のことをどうこう思っちゃいないけど、もう二度とこんなことは起こしちゃいけない。


「二度と被害者が出ないように、最善を尽くしましょう? お客様と店員が気持ちよく過ごせるルールを作り、バイトの子とは定期的に面談をして、仕事で悩んでることがないかヒアリングしてください。仕事が終わったら複数人で帰して、ひとり違う方角の子が遅いシフトにならないように配慮してください」


そんな感じで、私なりに考えたことを店長に伝え、安全に働ける環境作りを約束してもらった。

最後に皆に今までお世話になったお礼を言って、もう一度頭を下げる。
顔を中々あげてくれない弘瀬さんに近づいて、持っていたハンカチを頬にあてた。


「弘瀬さんの言ってたこと、本当でした」

「……ぅ?」

「彼氏と喧嘩したらちゃんと話せって、言ってくれたじゃないですか」

「……うん……」

「本当にその通りでした。やっぱり先輩の言うことは違うなって、改めて思いました」

「え……えへへ……」


涙を拭くと、ようやくふにゃっと笑ってくれた。
でしょう? と胸を張る姿も、先輩というよりは得意げになっている子供みたいで可愛かった。


「やー。浅木さんは、よく頑張って働いてくれてたよ」

「無愛想だったけど、文句も言わない子だったしねー」

「これからもクーデレを極めて欲しかったのに……惜しい人材を失ったよ……」

「お疲れ様~」

「彼氏さんと仲よくねー」


ぐるりと見渡すと、寂しそうな笑顔と送りだす笑顔と涙ぐむ顔が私を囲む。
迷惑をかけたことも、無断欠勤したこともあったのに。
皆が最後にかけてくれた言葉は優しかった。

たかが一過性のバイト。
私が抜けても、きっと明日からも、いつもと変わらずここは周る。


「でもね、浅木さんの代わりには誰にもなれないから。やっぱりいなくなっちゃうのはすごく残念なことだよ」


だけど私がここで働いた2年間。
私は確かにここにいて、私にしかできないことをしてきたのだと思えた。
人間関係も仕事も、私なんか、って、思う日もあったけど。
きっと自分の存在意義も居場所も、私は自分の力で選んで掴んでいけるのだ。

色んなことがあったなぁ……。
多分私に接客業は向いていなかったと思うけど。
皆、根気よく色んなことを教えてくれた。感謝してもしきれない。


「浅木さん」

「はい」

「これから頑張ってね。いっぱいいっぱい幸せになってね」

「はい」


今日よりも明日が、だろうか。
弘瀬さんは、少し雅に似ていると思う。
別れを惜しむように手を振って、歩き出す。

そうして、私をとりまく環境が変わり、春休みが終わった。
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