恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

36 一緒に暮らそう

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あの後、残りの春休みを利用して雅は新居を探してくれた。
正確に言うと、私が選ぶ賃貸物件は雅に信用されていなかったので――第一条件が家賃の安い所だからかなぁ――雅がひとりで奔走する羽目になったのだ。


――今度は傍で暮らせたらいいなって……思ってます。


そう言っていた雅は、空室が2つあるアパートがベストだと考えていたらしい。
そういえばあの後、ごにょごにょと『同棲とかではなくて……』とか付け加えて言ってたのを思い出した。
季節はもうすぐ春。大学の周りにあるアパートはどこも満室で部屋探しは難航した。
やっと雅が見つけてきてくれた部屋も、今度は電卓をはじいた私から却下を出す羽目となった。
冷静に考えて、どのアパートに決まったとしても、今の私に入居費用の全てを用意できる訳が無かったのだ。
結論。


「引っ越すのは無理ね」

「じゃあ俺が家賃を負担するってことで……とにかく引っ越しは絶対」

「それは……同棲するってこと?」


はじめから、考えなかった訳じゃないけど。
やっぱり議論し尽くすと、そこに行きつくことになるのだった。

そうして雅と私は2LDKのアパートをルームシェアすることになった。
学生が暮らすには広いからか、幸運にも大学から近い場所で良い物件と巡り合えた。
恐ろしいことに家賃は今の3倍強ぐらいに跳ねあがってしまったけれど、雅が多く払ってくれるので――私は同額で良いって言ったのに――ひとりで暮らしていた頃と月々の出費はそんなに変わらない。
入居にかかる諸々の費用は雅と折半して、私は母からもらっていたお金を使うことにした。
私が暮らしていく為に母が捻出してくれたお金。
溜めていたって、どうしようもないことは私だってわかっていた。ただ踏ん切りがつかなかっただけで。
母だって、二度と私があんなのに遭うのはごめんだろうし……もういいのだ。
ルームシェア、と言っても借りたのは普通のアパート。
それって同棲って言うんじゃないの? って訊かれそうだけど、違うのだ。
リビングを挟んで斜め向かいにある私と雅の部屋。
各々のプライベートルームは完全に分けて、リビング、トイレ、お風呂だけを共有する予定。
寝室を分けるのは、恋人としてはちょっと不自然な気もするけど。


「別に分けなくてもいいんじゃない? 部屋数少ない方が家賃安いし」

「色んな意味で駄目、無理だからホント」

「…………」


雅は結構、この件に関しては頑なだった。
ええと。これはなんだ、つまり。


「その『無理』は、私とセックスするのが無理なのか、抑えがきかなくて無理なのか」

「後者に決まってるでしょ! 付き合っといて意味わかんないよ!」


……やー。いつだったか、クラスの男子が『浅木さんて不感症そうだよね……。エッチの間、無表情で下からガン見されてたら超怖いよね。萎えるよね』とか言っていたのを偶然立ち聞いてしまったことがあるものだから。
客観的に想像してみたら確かにホラーだったし。私ならやりかねないし。雅だってどうなんだろう。
私は多分、どんなに褒められたって観賞用止まりで。ひとりの人として、女としての魅力は無いのだ。
自覚はあったし、あの時、その言葉に傷つくような心も持ち合わせていなかったのが幸いだったけど。


「なんでそういう発想……するかな」


私が回想を繰り広げている横で、雅がボソッと呟いた。


「…………あれだけ好きだって言ったのに……」

「…………」

「…………」


目を見開く私と、ジト目の雅の目が合う。


「…………もう一度、言おうか?」


拗ねるような声。
上目遣いの雅に、じわっと顔に血が上って。


「わーわーわー」


いや、いいです。結構です。
バシッ! と良い音がするくらいに、私は思わず両手で耳を塞いでいた。
耳と手がじんじんする。
そんな私を、雅は相変わらずのトロンとした目で見つめていた。

やめてほしい、不意打ちは。
心臓に悪い、脈が乱れまくる、嬉し……くない訳ないけど、む、むず痒い。
無理、無理無理。
まだ真正面から、そういう言葉を受け取れるだけの余裕が私にはない。
なんだ。なんなんだ雅は。私を赤面させるのが趣味なのか。


「…………」

「…………」

「…………」


雅が静かになったので、そろ、と耳から手を離す。


「…………」

「…………」

「…………すきやき」

「わーわーわー」


そんなアホなやりとりはさておき。
どういうつもりなのか知らないけど、雅は割と本気で私と清いお付き合いをする気らしい。
セックスなんて、1回するのも2回するのも同じだと思うけど……。


「雅は今、家族と暮らしてるんでしょ? 家を出ても平気なの?」


雅のお母さんはもう亡くなっているそうだけど……お父さんと、確かお兄さんがいた筈だ。
私がそう訊いても、雅は「……あぁ」と上の空で返事をして、「別に」とケロッと答える。
そういえばそんなことも言ったけ? くらいの感じだった。
あまりお父さんとは仲が良くないことはわかったけど、一体どういう家庭環境なんだ。


「…………」


私が不審に思っていることに雅は気付いたようで、目が合うとニコ、と笑顔を作った。


「平気、平気。俺ずっと美亜は偉いなー…って思っててさ。俺も自炊して一人立ちする準備しないとね」

「……そう」


でもまぁ、雅は男の子だし。
そこら辺は結構アバウトなのかもしれない。
なんとなく、雅は私に家族のことを深く聞かれるの嫌がっている節があるので――私も人のこと言えない立場だったし――今はまだ立ち入るのはやめておくことにする。

契約書を記入しようとして、連帯保証人の欄で溜息をついた。
万が一家賃が払えなくなった場合に、迷惑をかける人。
前のアパートに入る時も記入してもらったけれど……今度は高額なだけに、ここにまた母からサインをもらうのかと思ったら気が滅入った。


「あー……いいよ。なんとかする」


雅は私の考えていることを察したのか、私から契約書をひょいと取る。
なんとか、って。なんとかなるのか。
仲の悪いお父さんに頭を下げて頼む……頼めるんだろうか。


 「……大丈夫?」

 「? うん」


あまり苦にも思っていないようなので、雅にお願いすることにした。
アパートは雅をメインに契約してもらい、とりあえず大学を出るまでの残り2年を、私たちはそんな風に暮らすことになった。
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